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「すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論」堀江貴文

2017年07月28日 | 学校・教育

【学校とは本来、国家に従順な国民の養成機関だった。しかし、インターネットの発達で国境を無視した自由な交流が可能になった現代、国家は名実ともに"虚構の共同体"に成り下がった。もはや義務教育で学ぶ「常識」は害悪でしかなく、学校の敷いたレールに乗り続けては「やりたいこと」も「幸せ」も見つからない。では、これからの教育の理想形とはいかなるものか? 「学校はいらない」「学びとは没頭である」「好きなことにとことんハマれ」「遊びは未来の仕事になる」――本音で闘うホリエモンの〝俺流〟教育論! 】

確かに、洗脳といえば洗脳。いかなる洗脳からもまったく自由に生きている人間はいないからねえ。(いつの間にかひとつの価値観に固執してしまってたり)

でも、現場のほとんどの先生たちは洗脳しようなんて思ってませんから。子供たちの自立(自由)と幸福を願って教育してますから。ただ、いかんせん、能力不足で(←人間だからね)押しつけになってしまうこともあるんだよね、残念なことに。結果的に洗脳的な教育になってしまっているかも知れないですね。教え方の問題。人間として仲よく生きるためには最低限の「戒」は必要だからねえ。(戒を守りつつ、よりよい社会を”創る”ことができる人間、大人のつくったしょうもない常識に縛られない人間に育ってもらいたい)

ホリエモンの言いたいことはとてもよく分かります。理想です。めざすべきものでしょうね。現場の先生たちもがんばって精進してもらいたいけど、教育を受ける側も(できるなら)自覚できるといいなあ。

高橋源一郎さんが書いてましたが、ほとんどの子供たちは洗脳なんてされない。なぜなら、センセイの言う事なんて”聞いちゃあいないから”。そうそう、センセイの道徳的(修身的?)な”押しつけ”は鵜呑みにしないほうがいい。でも、優れた先生からはしっかり学んでほしい。いや、どんなセンセイからも学べます。(子どもにセンセイを”評価”させると傲慢な人間になってしまうと思います。学べなくなる。)

大事なのは、自分から学ぼうとすることです。

ガッコウの敷いたレールに従順に従う人間にはならないでほしいね。自分で自分の人生、幸福をつくっていってもらいたい。教育は子どもの「自立」(自由)をめざしているはず(基本法の目的にもある)なんだけど、誰がそれをゆがめているのでしょうね。社会?おとな?権力?

「国=政府ではない」という武田さんの言葉は重い。公立学校は政府立学校じゃないってことだね。「国=国民(政府を含む)」だからね。しかも国民である前に人間である(もっと言えば、人間である前に生命である)。人間(生命)としての教育が求められているわけです。

学校は使いようによっては害にもなる。ただの道具、手段です。使わなくていい人は使わなくていいし、使わない方がいい人は使わない方がいい。

もちろん必要な人もいるわけで、その場合もよく気をつけて使った方がいいかもしれません。学校はもっと多種多様であるべきだと思うし、もっともっと自由であるべきだと思います(指導要領や教科書検定ってどうなの)

学校に通わせる義務ではなく、教育を受けさせる(大人の)義務なんですから。子どもには権利があるだけです。自由です。

 

星4つ 

学歴(学校)はなくても教養は身につきます。学歴より教養です。自分で調べて自分で学ぼうとしなければ教養は身につきません。けれど、独りよがりの偏見にならないように気をつけなければいけない。センセイ(学校)の偏見も、自分の偏見もどちらも問題ではある。広い視野をもつことですね。

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