昨日、Uストリームでスマナサーラ長老の説法を聞いてて分かったこと。
「すべて学校である」
教えてもらうのではなく、”自分が”学ぶのです。何でも学べばいいんです。
物事はネガティブでもポジティブでもない。ただの流れです。
次々と起こる問題、出来事は「すべて宿題」です。
自分の人格を向上させることが宿題です。あの人は嫌だ・・・ではなく、宿題。
学ぶとは”進化”すること。自分の心の安らぎをどうするか、です。
お殿様(親)も、政治家(国)も、宿題なんだ。親も政治も人。
な~んだ、同じことだ。お殿様はとっくに乗り越えた。なら、政治(国)も乗り越えられる。
人は人、自分は自分。自分には人をどうしようもない。けれど、幸せでありますようにと慈悲喜捨の気持ちで接する。親孝行、恩は返す。けれど、親(国)だからと言ってすべていう通りにする必要もない。
危険な人(国)からは距離をおく。そして、自分がしっかりする。
悪いことは断れる人間になる。理性的でやさしい人間になる。
国(政治家)に対しても慈悲喜捨。
人をどうこうじゃなく、自分がしっかりする。
それでいいんだ。悩む必要はない。
生きとし生けるものが、幸せでありますように・・・
ある女性が介護の問題を質問されてました。わがままな親を24時間一人で介護してバトルになったりして精神的に苦しい、まいってしまっているという話でした。大変な宿題です。
こう考えてくださいという答えは、、、
人は生まれてからだけでなく輪廻転生の中でも、善くないことを色々やってきているものです。だから人間は誰でもパーフェクトではない。何が起きてもおかしくはない。また、他の生命から栄養をとるなどして、いっぱい恩をもらっている。もらってばかりで返してない。今苦しいのは、過去(世)の借りを返しているんだと思いましょう。借りを返せばスッキリです。(わがままな親が、介護システムが、私を苦しめる社会が悪いんだと考えるのではなく、ということでしょうね。そして自分が悪いんだと自分を責める必要もない。)
今、介護で疲れて精神状態が弱っている。だから忍耐力を育てるんだ、介護はその道場だと思ってみましょう。私は修行をしているんだと。いかに落ち着いて明るくいるか、これが忍耐。
「最高の修行は忍耐である」
介護されている人の方がすごく苦しんでいるのです。まったく自由がなくて、思うように出来なくて、、、。憐れみの気持ちを持ちましょう。(言う通りにさせようというのは支配、自分のわがままですからね)
親から受けた恩は大変なもの。親孝行はものすごい善行為です。なにがあってもなくても、親孝行はするべきです。恩は返さなければいけません。それが、自分の徳にもなります。(ありがとうと言ってもらわなくてもそんなのどうでもいいんじゃない?)
介護はすばらしい善行為です。人を助けることで、自我意識が減ってきて、徳になる。介護できる機会があるのは、有り難いことなのです。でも、自分の能力を超える場合は、(週に1回でも)介護施設を利用したり専門の人などにお願いして休みましょう。
・・・表現は違いますが、こういう内容でした。長老(上座部仏教のお坊さん)も晩ご飯も、俗世間的な楽しみもなく修行されてますからね。18歳から30歳過ぎまで、お寺で老僧を亡くなるまで24時間介護し続けた青年の話もされてました。
業とはただの行為(意志)で、ポテンシャル。因果法則で、行為が原因になり悪因悪果にも善因善果にもなる。過去の業の中で、私たちはたくさんの借りをつくっています。借りがあるから、返すものを返さないから苦しいこの世に生まれる(輪廻する)のです。ですから、この世で借りを返さなければいけない。つまり、徳を積む。善い行為をするということです。親孝行、ボランティア、介護、(ゴミを拾うでも愛語をかけてあげるでも、仕事でも家事でも)何をするにも慈しみの優しい心、明るい心をもってすれば善行為になります。
何があっても、元気に明るくやっていけるように日々修行に勤めたいと思います。
でも、苦行ダメです。苦行だと能力はなかなか伸びませんから。
楽しく修行していきたいです。
生きてる限り、修行でしょうね。やっただけ楽になる。
まだまだ修行が足りません^^
したっけ。