勝ち運の神様です。お参りしておかげをいただきましょう。
※なお境内には他に鈴鳴大弁財天社や山ノ神等もお祀りしてあります。
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源頼朝は、文治5(1189)年6月、奥州平泉の藤原泰衡追討の院宣を得て、鎌倉・鶴が岡八幡宮に参拝し、戦勝を祈願しました。 そのとき頼朝は、戦勝し日本全土を平定した暁には、鶴が岡八幡宮末社を全国六十余国に建立すると祈願し、第一番を伊賀国にとの神意を受けました。翌年9月奥州攻略後、伊賀白樫の地に方四町の神域を設けて鶴が岡八幡宮の第一号末社の建立に着手し、建長元年(1190)工事を完了しました。 社名の「岡八幡」は、鶴が岡八幡宮の末社を示す略称です。末社建設は伊賀国を最初に全国に進める予定でしたが、頼朝の没後その計画は中止され、岡八幡宮が最初で最後の末社となりました。
境内には、徳川三代将軍家光の時代、37歳の若さで亀山城主となった白樫出身の中川甚兵衛重規が奉納した等身大の木彫神馬があります。
この神馬は、白樫出身の槍術の名人・高田又兵衛が岡八幡境内で近隣の若者達に槍術を教えていたころ、甚兵衛も又兵衛について槍術を学び、そのお陰で出世できたとしてお礼の奉納したものです。 (歴史作家・奥瀬平七郎氏「伊賀風土記」転載) 境内は、宝蔵院流槍術高田派祖・高田又兵衛が修業し、若者達に槍を教えた「又兵衛修業の森」として知られています。
平成13年は、高田又兵衛没後(寛文11(1671)年1月23日)330年にあたり、これを記念して、1月20(日)「高田又兵衛師330年祭記念・岡八幡宮宝蔵院流槍術奉納演武」が挙行されました。
所在地 518-1151三重県上野市白樫 3638 電話 0595-20-1828 FAX 0595-20-1246 |