ヘンリー・マッカロー Henry McCullough
【本名】
ヘンリー・キャンベル・ライケン・マッカロー/Henry Campbell Liken McCullough
【パート】
ギター、ベース、ヴォーカル
【生没年月日】
1943年7月21日~2016年6月14日(72歳没)
【出身地】
北アイルランド ロンドンデリー ポートスチュワート
【経 歴】
スカイロケッツ/The Skyrockets
ジーン & ザ・ジェンツ/Gene & The Gents(1964~1967)
ザ・ピープル/The People(1967)
エール・アパレント/Éire Apparent(1967~1968)
スウィーニーズ・メン/Sweeney's Men(1968)
グリース・バンド/Grease Band(1969~1971)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1970)
ウイングス/Wings(1971~1973)
フランキー・ミラー・バンド/Frankie Miller Band(1975)
ドクター・フィールグッド/Dr. Feelgood(1977)
ヘンリー・マッカロー・バンド/The Henry McCullough Band
ヘンリー・マッカローはアイルランド出身のギタリスト。ウイングスのギタリストだったことで知られる。
また、ウッドストック・フェスティヴァルでパフォーマンスを行った唯一のアイルランド人でもある。
マッカローは1943年7月21日に北アイルランドのロンドンデリー州ポートスチュワートで生まれた。
1960年代初頭、「スカイロケッツ」というショウ・バンドにリード・ギタリストとして加入したのが、マッカローのショウ・ビジネス界でのキャリアの始まりである。
1964年にスカイロケッツを脱退すると、「ジーン & ザ・ジェンツ」の結成に参加。
1967年にベルファストに移ったマッカローは、アーニー・グラハム(vocal)、クリス・スチュワート(bass)、デイヴ・ルートン(drums)とともにサイケデリック・バンド「ザ・ピープル」を結成。この年ロンドンに拠点を移した彼らはマネージャーのチャス・チャンドラー(元アニマルズ)と契約することに成功し、バンド名を「エール・アパレント」に改め、ピンク・フロイドやソフト・マシーン、ザ・ムーヴ、ジミ・ヘンドリックス・エキスペリエンス、アニマルズなどとツアーを行った。
1968年2月、アニマルズとのツアーのためにバンドとともにカナダのバンクーバーに滞在していたマッカローは、マリファナを所持していたため帰国させられ、そのままバンドを脱退した。
同年5月頃にはアイルランドのフォーク・ロック・バンド「スウィーニーズ・メン」に加入、数ヵ月参加している。
1969年、ロンドンに戻ったマッカローは、ジョー・コッカー(vocal)のバック・バンド「グリース・バンド」に加入する。当時のラインナップは、マッカローのほかクリス・ステイントン(keyboard)、アラン・スペナー(bass)、ブルース・ロウランド(drums)であった。マッカローが合流したグリース・バンドはアメリカー・ツアーを行い、8月にはウッドストック・フェスティヴァルにも出演した。
1970年には、ロック・オペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』のスタジオ・アルバムのレコーディングに参加。また同年には、バンドの内紛で揺れていたスプーキー・トゥースに一時的に加入し、アルバム『ザ・ラスト・パフ』のレコーディングに参加したが、アルバムの発表前にバンドは解散した。
グリース・バンドは1969年末にコッカーから独立し、ハーヴェスト・レコードと契約したが、翌71年にマッカローはグリース・バンドを脱退。
グリース・バンドから離れたマッカローは、ダブリン北部を拠点に活動していたが、ポール・マッカートニー(bass, vocal)からの要請で、1971年12月に彼の新たなバンド「ウイングス」に参加することになった。
マッカローのウイングスのメンバーとしての最初のレコーディングは、物議を醸したシングル「アイルランドに平和を」である。これは1972年に非武装の市民権デモ隊にイギリス軍が発砲して死者13人を出した「血の日曜日」事件に対して、アイルランド系のマッカートニーが抗議を表明したものであった。その結果、マッカートニーは「アイルランド軍を支持した」としてイギリスのメディアからの批判を浴び、BBCなど多くのメディアでは「アイルランドに平和を」を放送禁止とした。
ウイングスに在籍中のマッカローは、「ハイ・ハイ・ハイ」「007 死ぬのは奴らだ」「マイ・ラヴ」などのヒット曲や、アルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』の収録に参加している。なかでも「マイ・ラヴ」におけるマッカローのギター・ソロはロック史上に残る名演だと言われている。マッカートニーはいつもと同じように、この曲のために短いソロを書いていた。収録はオーケストラの生演奏との共演だったが、スタジオ入りしたマッカローが録音直前に「ちょっと違うことを試してみてもいいかな?」と尋ねてきた。戸惑いながらその申し出を了承したマッカートニーだったが、マッカローのソロを聴いて驚愕したという。このソロは、マッカローの即興によるものであった。
ポール・マッカートニー(左)、ヘンリー・マッカロー(右)
1973年8月、マッカローはウイングスから脱退。マッカートニーの演奏に対する注文の多さに端を発する音楽的見解の相違、そして長期ツアーによる疲労が重なったのがその理由である。脱退したのは、『バンド・オン・ザ・ラン』セッションのためナイジェリアに出発する前夜であった。
1973年にピンク・フロイドが制作したアルバム『狂気』はロック史上に残るモンスター・ヒット・アルバムであるが、その中に収録されている「マネー」の最後に、マッカローの「I don't know. I was really drunk at the time.(分からない、その時は本当に酔っていた)」というセリフを聞くことができる。これは、その前夜マッカローが夫人と喧嘩したことを思い出してのセリフだそうである。
その後はフランキー・ミラー・バンドに参加し、1975年にアルバム『ザ・ロック』をリリース。同じく1975年にはダーク・ホース・レコードよりファースト・ソロ・アルバム「Mind Your Own Business」を発表している。
また、セッション・ギタリストとしてロイ・ハーパー、エリック・バードン、マリアンヌ・フェイスフル、ロニー・レーン、ドノヴァンらと共演した。1977年には、ウィルコ・ジョンソンの後任として、一時的に「ドクター・フィールグッド」に加わっている。
マッカローは、1980年8月にミッチ・ミッチェル(drums)、ティム・ヒンクリー(keyboard)などをメンバーとするバック・バンドとともにアイルランド・ツアーを行った。その後は手を負傷して長期間の活動休止を余儀なくされたが、アイルランドに残り、回復後は故郷のポートスチュワートでパーシー・ロビンソン(pedalsteel guitar)、ロー・ブッチャー(bass)、リアム・ブラッドリー(drums)らと新たなバンドを結成し、フロント・マンとして復帰する。
1998年、マッカローはポーランドでツアーを行い、ポーランドのミュージシャンとともにライヴ・アルバムを収録、『Blue Sunset』のタイトルでリリースした。
ポーランドから帰国したのち、シングル「Failed Christian」を録音したが、これはのちニック・ロウが彼のアルバム「ディグ・マイ・ムード」でカヴァーしている。
その後もレコーディングと演奏を続け、2001年には『Belfast to Boston』(2001年)、『Unfinished Business』(2003年)などのソロ・アルバムを発表している。
2003年にはアラスカのミュージシャン、ザ・レヴ・ニール・ダウンのアルバム『When A Wrong Turns Right』にギターで参加した。
2007年、マッカローは元ジ・アラームのデイヴ・シャープ(guitar)と活動を開始し、ズート・マネー(keyboard)、ゲイリー・フレッチャー(bass)、コリン・アレン(drums)を加えたラインナップで「ハード・トラヴェラーズ」を結成する。このバンドは2008年1月にポーツマスの「ザ・セラーズ」でデビュー・ライヴを行った。
2008年、『プア・マンズ・ムーン』を制作し、アイルランドでリリースする。
2009年12月20日、ダブリンで行われたポール・マッカートニーのコンサートに出席した。マッカートニーは、マッカローがウイングスに貢献したことを公に認めた。
2010年3月13日、マッカローは自分のバンドとともにスコットランドのファイフストック・フェスティヴァルに出演し、ヘッドライン・アクトを務めた。
マッカローの、スワンプやブルースを昇華したいぶし銀のプレイは、アイルランドでは伝説的な存在と見なされている。彼はヨーロッパ全土で活動を続け、エド・ディーン、ジェームス・デラニー、ノエル・ブリッジマンらと共演した。
2011年にはポール・ドハーティ & ザ・ヴァルズとのコラボレーションを行い、ギターとバッキング・ヴォーカルを担当した「ルック・トゥ・ジ・ワン」は全世界でエアプレイされた。
2012年11月、マッカローは心臓発作のため重体に陥った。また併せて脳卒中を起こしたため、イギリスのラジオはマッカローの訃報を誤って報道されたほどだった。
2015年3月17日、南西ロンドンのパトニーでマッカローのためのチャリティー・コンサートが開催され、そのためのバック・バンド「ヘンリーズ・ヒーローズ」が結成された。メンバーはマッカローのソロ・アルバムのメンバーだったティム・ヒンクリー(keyboard)、ニール・ハバード(guitar)、ジョン・ハルゼー(drums)のほか、メル・コリンズ(sax)、クマ原田(bass)が参加した。コンサートには、ポール・キャラック、ニック・ロウ、アンディ・フェアウェザー・ロウ、ボブ・テンチらが出演した。
長い闘病生活を送っていたマッカローだが、心臓発作から完全に回復するには至らず、2016年6月14日早朝に北アイルランドのアントリム州バリーマネーにある自宅で死去した。72歳だった。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<ソロ>
1975年 Mind Your Own Business
1984年 Hell of a Record
1987年 Cut
☆1989年 Get in the Hole
1998年 Blue Sunset
2001年 Belfast to Boston
2002年 Unfinished Business
☆2007年 The Henry McCullough Band:FBI Live
2008年 Poor Man's Moon
2012年 Shabby Road
<スプーキー・トゥース>
1970年 ザ・ラスト・パフ/The Last Puff(US84位)
<ウイングス>
1973年 レッド・ローズ・スピードウェイ/Red Rose Speedway(UK5位 US1位)
<レコーディング・セッション>
*アンドリュー・ロイド・ウェバー & ティム・ライス/Andrew Lloyd Webber and Tim Rice
1970年 Jesus Christ Superstar
1976年 Evita
*ジョー・コッカー/Joe Cocker
1969年 心の友/With a Little Help from My Friends(UK29位 US35位)
1969年 ジョー・コッカー&レオン・ラッセル/Joe Cocker!(UK29位 US11位)
1974年 ア・リトル・レイン/I Can Stand a Little Rain(US11位) ※旧邦題「ユー・アー・ソー・ビューティフル」
1975年 ジャマイカ・セイ・ユー・ウィル/Jamaica Say You Will(US42位)
☆1997年 オン・エアー/On Air 1968/1969(1968年録音)
☆2009年 Live at Woodstock
*グリース・バンド/The Grease Band
1971年 The Grease Band
1975年 Amazing Grease(1970年~1971年録音)
*ロゼッタ・ハイタワー/Rosetta Hightower
1970年 Hightower
*Christopher Kearney
1972年 Christopher Kearney
*Jackie Flavelle
1972年 Admission Free
*ドノヴァン/Donovan
1973年 エッセンス/Essence to Essence US174位
*ヴィオラ・ウィルス/Viola Wills
1974年 Soft Centers(のち「Without You」として再発)
*デイヴ・カールセン
1973年 Pale Horse
*アンディ・フェアウェザー・ロウ/Andy Fairweather Low
1974年 Spider Jiving
2004年 Wide Eyed and Legless:The A&M Recordings
*フランキー・ミラー・バンド/The Frankie Miller Band
1975年 ザ・ロック/The Rock
*ボビー・ハリスン/Bobby Harrison
1975年 Funkist
*ゲイリー・ロックラン/Gary Lockran
1976年 Rags to Gladrags
*マリアンヌ・フェイスフル/Marianne Faithfull
1976年 ドリーミン・マイ・ドリームス/Dreamin' My Dreams(1978年「Faithless」として再発)
*ロイ・ハーパー/Roy Harper
1977年 Bullinamingvase(USでのタイトルは「One of Those Days in England」)
1994年 Commercial Breaks(1977年録音)
2011年 Songs of Love and Loss
*スティーヴ・エリス/Steve Ellis
1978年 The Last Angry Man(cassette issue)
*ロニー・レーン/Ronnie Lane
☆1980年 Live at Rockpalast
1980年 See Me
*デニー・レイン/Denny Laine
1980年 Japanese Tears
*エリック・バードン/Eric Burdon
1980年 Darkness Darkness
*リンダ・マッカートニー/Linda McCartney
1998年 Wide Prairie(1971年録音)
*ブレンダン・クイン/Brendan Quinn
2001年 Small Town
2008年 Sinner Man
*ケヴィン・ドハーティ/Kevin Doherty
2002年 Sweet Water
*リチャード・ギルピン/Richard Gilpin
2002年 Beautiful Mistake
*レヴ・ネイル・ダウン/Rev. Neil Down
2003年 When a Wrong Turns Right
*ティム・ヒンクリー/Tim Hinkley
2005年 Hinkley's Heroes
*ディーンズ/The Deans
2006年 The Deans
*スティーヴ・マリオッツ・オールスターズ/Steve Marriott's All Stars
2007年 Wham Bam
*ジェフ・グリーン/Jeff Greene
2008年 Dark Nite of the Soul
*ヴァルス/The Vals
2011年 look to the One
*Various Artists
☆1995年 Alive in Belfast – The Warehouse Sessions
★2014年 The Art of McCartney
<シングル>
1965年 ジーン & ザ・ジェンツ:Puppet on a String
1968年 エール・アパレント:Follow Me
1972年 ウイングス:アイルランドに平和を/Give Ireland Back to the Irish(UK16位 US21位)
1972年 ウイングス:メアリーの子羊/Mary Had a Little Lamb(UK9位 US28位)
1972年 ウイングス:ハイ・ハイ・ハイ/Hi, Hi, Hi(UK5位 US10位)
1973年 ウイングス:マイ・ラヴ/My Love(UK9位 US1位)
1973年 ウイングス:007 死ぬのは奴らだ/Live and Let Die(UK9位 US2位)
1973年 ウイングス:カントリー・ドリーマー/Country Dreamer(「愛しのヘレン/Helen Wheels」のB面)
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