イアン・クラーク Ian Clarke
【パート】
ドラムス、パーカッション
【生没年月日】
1946年8月20日~
【出身】
イングランド ロンドン
【経歴】
マスタード/Mustard(1968)
クレシダ/Cressida(1968~1970)
ユーライア・ヒープ/Uriah Heep(1970~1971)
クレシダ/Cressida(2011~ )
ツイステッド・ブルース/Twisted Blues
イアン・クラークは、ユーライア・ヒープの4代目のドラマーである。
北ロンドンにあるハーロウ出身のクラークは、14歳のときにドラムを始め、大学在学中の1964年に18歳で最初のバンドに参加。それを機会に本格的な音楽活動を開始する。
ドラム講師やローカル・バンドのドラマーなどを務めていたが、1968年にロンドンの「マスタード」というバンドに加わる。
その年、オーディションによってアンガス・カレン(vocal)とジョン・ヘイワース(guitar)のふたりを中心とするバンド「チャージ」に加入。チャージは1969年に新興レーベル「ヴァーティゴ」と契約した際、バンド名を「クレシダ」と改める。
1970年2月、クレシダはデビュー・アルバム『クレシダ』を発表。
その後ヘイワースが脱退したため、後任にジョン・カリー(guitar)を迎えて1970年秋にセカンド・アルバム『アサイラム』を制作(リリースは1971年)したが、その後バンドは解散した。
クレシダから離れたクラークは、オーディションを受け、1970年12月にキース・ベイカーの後任としてユーライア・ヒープに加入。
当時ヒープはセカンド・アルバム『ソールズベリー』の制作を終えた直後で、その直後にキース・ベイカーが脱退したため急遽のメンバー・チェンジであった。
クラークはユーライア・ヒープ加入後ただちにヨーロッパ公演に参加。そしてそのあとバンド初のアメリカ・ツアーに参加している。
1971年7月には、ヒープの出世作となる『対自核』のレコーディングに参加したが、以前からヒープから加入を要請されていたリー・カースレイク(drums)の参加が決まったため、クラークはこのアルバムが制作された後の1971年秋に解雇された。
『対自核』で聞かれるクラークのドラムはほどよいパワーと重量感があり、またアルバムのタイトル曲「対自核」では、オシビサのメンバーとともにアフリカン・サウンドを彷彿とさせるグルーヴィーなリズムを叩き出している。
ユーライア・ヒープを離れたクラークは音楽業界から姿を消すが、1980年代になるとローカル・バンドなどで音楽活動を再開する。
2010年、クレシダの主要メンバーだったジョン・ヘイワースが死去。その知らせを聞いた当時のバンド・メイトだったアンガス・カレン、イアン・クラーク、ケヴィン・マッカーシーはピーター・ジェニングスに声をかけて40年ぶりに集結。そしてロジャー・ニーヴェン(guitar)を加え、2011年12月2日に一夜限りの「クレシダ」再結成ライブを行った。
彼らは2013年にスウェーデンで行われたロック・フェスティヴァルに出演するなど、地道に活動を続けている。
クラークは、現在スコットランドの高地で暮らしている。
【ディスコグラフィ】(★=コンピレーション・アルバム)
<クレシダ>
1970年 クレシダ/Cressida
1971年 アサイラム/Asylum
★2012年 Trapped In Time - The Lost Tapes
★2012年 The Vertigo Years Anthology 1969-1971
<ユーライア・ヒープ>
1971年 対自核/Look at Yourself UK39位, US93位, 日本5位