Keep on smiling ... 明日も笑顔で

波乱万丈の歳月を経て
尚、落ち着けないシニアの日々

3.11

2012-03-11 20:07:47 | Ma Famille (家族)

去年の今頃

私は死の床にある母と共にいました

あの日は

上野のウイークリーマンションで

次男を待っていました

次男に鍵を渡したら

日中、母を看た妹とバトンタッチすることになっていました

次男がお腹を空かせていたので

用意してあった昼食をテーブルに並べたその時に

激しい揺れがきました

 

妹は母のホスピスの近くのスーパーで

地震が起こった時には一瞬、眩暈かと思ったそうです

結局 妹は母のもとに戻り

私は母のもとに行けないまま

不安な夜を次男とともに過ごしました

上野駅はすべての電車が止まっており

すべての入り口が閉ざされ

多くの帰宅困難者たちが階段に座っていました

コンビニから飲食物は消えていました…

広い昭和通が 深夜に至るまで

車道も歩道も埋め尽くされていて

車も徒歩で帰宅する人たちも 

ゆっくりゆっくりと進んでいました

長い人生で 見たこともない光景でした

 

大災害をテレビで目の当たりにした母は

自分よりも辛い思いをしている人たちを思い

心を痛めました…

そして運悪く旅先で被災してしまった義父母を心配し

私に 一度 北海道に帰って勤めを果たしてきなさいと

そう笑顔で私を送り出したのです

 

その頃の東京には安心して飲める水も牛乳も

全くなくなっていました

妊娠初期でひどいつわりに苦しんでいた娘も

東京が落ち着くまで…と、私と共に疎開しました

羽田を発つ時の言い知れぬ不安と

激しくひかれる後ろ髪…

 

胸騒ぎは的中してしまいました

私が去って間もなく母は容体が急変し

あの笑顔が最後の姿となってしまいました

 

やはり身内をがんで亡くした方に言われました

最後のお母さんの姿が笑顔だというのは

お母さんがあなたに残した最高の愛情です…と。

 

悔しかった私の傷ついた心に

彼女の言葉は沁みました…

 

母の一周忌が無事に終わりました

今日のこの日がご家族の命日になった

大勢の方々を思い

大切なものを失ったままの多くの方々を思い

私も新たな出発をしようと、

父や母が喜ぶような生き方をしようと

今日 また心に誓いました