皆さん、明けましておめでとうございます。
さて、このブログもたくさん更新できると良いですね(^-^)
今日は、昨日の実話から書いてみることにしました。
東京に戻った次男が正月休みに戻ってきましたが、立派な社会人です。
妻に建て替え料金を余分に払うと元旦にはおばあちゃん(認知症)にお年玉を用意していました。
あいにく、体調が悪いのでお雑煮を食べずにいると、次男が…
「おばあちゃんに、お年玉だよ!、渡しといて~」
そういうので、妻と声をそろえて言いました。
「直接渡してあげなさい』
…しかし、寝ていたので、結局おばあちゃんのいつも座る席に置いておくことになりました。
夕方には何とか起きれたおばあちゃんは、そのお年玉を見ると何度もありがとうと言っていました。
「これ、H志がくれたのかい(^^♪」「いっぱい入っているねぇ」
自慢げに机の前に置いている、母ですが、しばらくすると忘れます。
「この袋は何だい!」
「おばあちゃん、H志がくれたお年玉ですよ~」
「ああ、そうかい、ありがたいねぇ…良い子になったねぇ~」
こんなことを何回も繰り返しているうちに、やがておばあちゃん(母)は着ている袢纏の中にしまいます。
しばらくして・・・…忘れているはずなのに・・・?
「あれ~、ここに何かあったよね~・・・」
鋭い嗅覚で、私たちに尋ねます!
この質問の意図を理解している妻はすぐさまに言います。
「おばあちゃん、袢纏の懐を見てください、左ですよ!!、自分でしまいましたよ」
「懐?、あっこの袋は何だっけ…」
「H志がくれたお年玉ですよ」
「ありがたいねぇ~」
(^-^)良いんですかねぇ~、一回しか渡していないお年玉でこんなに何回も喜んでもらって・・・
認知症の本人もわざと何回も言っているわけではないのですが…
嬉しいことを何回も味わえるのは、良いことなのかもしれません???
でも、これが嫌なことだったら・・・同じことをやはり何度も言われるかもしけません?
それって、私たちの行動に対して言っていることなのかもしれません。
『もしかして、私たちの行動を映す鏡にもなっているかもしれません』
※自分の心や行動を映すには必要な鏡かもしれません。
そんなことに気が付くと、私はこの一枚の鏡を大事にしなければと思っています。…(TT)(^-^)
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