太った中年

日本男児たるもの

立憲君主制

2009-12-22 | weblog

Striped Sun

 

破鏡重円(はきょうじゅうえん・ちょうえん)

「破鏡重円」は、「離散した夫婦が巡り合う」とか「離婚した夫婦が再び元の鞘に収まる」という意味の中国のことわざである。これは、ただ単なる美しい愛の物語ではなく、そこには自らを犠牲にして他人を助けるという美徳も反映されている。

このことわざの由来となった物語は九世紀の中国で起きた。当時の中国は、北方で強大な勢力を持つ隋朝に対して、南方には小さな国がいくつかあった。建康(今の南京)を都とする陳国はその一つで、随朝は南方の国々の統一のために、陳を虎視眈々と狙っていた。

陳の皇太子の侍従官・徐徳言(じょとくげん)は、皇太子の妹で才色兼備の楽昌(らくしょう)を妻に娶っていた。当時、陳はちょうど衰退し、時局が乱れており、今にも滅びそうであった。そこで、徐徳言は妻に、「そなたの優れた才華と美貌であれば、たとえ国が滅んでも、きっと権力のある裕福な人の家に入ることができるに違いない。私たちは永遠に離れ離れになるかもしれないが、もしも私たちの縁がまだ終わっていなければ、必ずまた会えるだろう。そのときのために、しるしとなる物を用意しよう」と言うと、銅の鏡を二つに割って、夫婦がそれぞれ片方ずつ持つことにした。そして、「必ず毎年正月の十五日に鏡を市で売りに出してほしい。もしそれを見かけたら、私は必ずそなたを探しに行くから」と、妻と約束した。

ほどなく、隋朝は陳を滅ぼすと、隋の皇帝・文帝は、褒美として楽昌を大臣の楊素(ようそ)に与えた。楊素は彼女を非常に寵愛した。

徐徳言は路頭に迷いながらも、やっとのことで都に着いた。すると、なんと本当に、正月の十五日に市で片割れの鏡を売っている老人がいたのである。その鏡はとても値段が高く、売れないでいた。徐徳言は、老人を自分の家に連れて帰り、事情を聞いてみると、その老人は、果たして、楽昌の家の使用人であった。徐徳言は自分の経歴を老人に語ると、自分の持っていた半分の鏡を出し、老人の鏡と合わせると、鏡面に「鏡と人はともに去って行った。今鏡は帰ってきたが、人はまだ帰らない。まるで月に嫦娥(じょうが)がいなく、ただ明月の輝きだけが残っているようなものである」と書き記し、老人に持ち帰らせた。

楽昌はその詩を読むと、泣いてばかりで食事も取れない。楊素は本当のことを知って、非常に悲しんだが、侍従に徐徳言を連れてこさせると、妻を彼に返し、多くの金品を与えた。

楊素はまた、徐徳言と楽昌のために送別の宴を設けた。そこで楽昌は詩を書いて、自らの気持ちを表した。「今日までの移り変わりを思い出し、今二人の夫が顔を合わせているのを目にすると、笑うことも泣くこともできず、今まさに、身を持することの難しさを知りました」。

徐徳言と楽昌は、一緒に江南に帰ると、ともに白髪になるまで、ずっと一緒に添い遂げたということである。

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一般論として別れた夫婦ってのはこうはイカンでしょうな。

 

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日中関係:中国が旧敵に歩み寄る理由

(英フィナンシャル・タイムズ)

2012年に胡錦濤・中国国家主席の後を継ぐ最有力の後継者候補と見られている習近平副主席は今週、日本の天皇のもとを訪れた。こうした訪問は通常数カ月前からお膳立てされるが、中国政府は数日前に通知しただけだった。

これは、皇室の作法からすれば、午前3時に隣人の家のドアをドンドンと叩き、コップ1杯の砂糖を貸してくれと頼むようなものだった。

このような短期間の通知でも拝謁を許可するよう求めた鳩山由紀夫首相の要請は、国内の一部、とりわけ右寄りの人々に批判された。彼らは一連の出来事の中に、中国政府にこびへつらうことを厭わない中道左派の新政権の姿を見て取った。

皇室の予定を管理する、厳格で秘密主義の宮内庁では、普段は控えめな長官さえもが、天皇を外交の道具として使うべきではないと公然と異議を唱えた。

小泉時代とは様変わり

このちょっとした騒動は、より重要な事実を覆い隠してしまった。それは、仮にも天皇との面会が実現したという事実である。習副主席は、お辞儀はしなかった(バラク・オバマ大統領と違って)。だが同氏は、明らかに全く準備なしの即興的な発言の中で、相手の気に入るような甘い言葉をかけた。「私の訪問が両国の友好的協力の発展に寄与し、両国民の友好を促進してくれることを期待します」と語ったのだ。

トーンの変化がいかに驚くべきものであるかを理解するには、数年前の状況を振り返るだけで十分だろう。

小泉純一郎氏が首相を務めた6年近くの間(小泉政権は2006年に終了)、両国は、台本が用意されたこまやかな配慮をやり取りするよりも、外交的な非難を浴びせる可能性の方がはるかに高かった。

小泉氏が、中国政府が忌み嫌う靖国神社の参拝にこだわる姿勢を示していたことは、事実上、同氏が中国に足を踏み入れることを禁じられていることを意味していた。

2005年には、日中関係は危険な領域に入った。国連安保理事会の常任理事国入りを目指した日本の(失敗に終わった)努力がきっかけとなり、3週間にわたる反日デモが起き、中国全土で日本の商業施設や外交施設が攻撃されたのだ。

反日カードが効きすぎた? 安倍政権下で歩み寄り

こうした集団抗議行動は中国政府に、反日カード――天安門事件の後、長年愛国心を育てるのに役立った――が行き過ぎたと思わせたのかもしれない。

共産党指導部は、小泉氏の後に首相に就いた安倍晋三氏が前任者以上にあからさまな国家主義者だったにもかかわらず、同氏に対して和解の意を表すのに尽力した。

相互互恵関係を構築するという両国の約束が一気に多くの外交行事を引き出し、細心の注意を払って演出された胡錦濤国家主席と温家宝首相の訪日も執り行われた。

注目すべきことに、こうした緊張緩和――具体的な行動によって築かれたというよりは、美辞麗句で織り上げられたもの――はそれ以来続いており、花開いてさえいる。これを、この地域の他の重要な関係のお粗末な状況と比べてみるといい。

中国とインドは、領土と地政学的影響力を巡る一段と険悪な論争で膠着状態に陥っている。普通なら太平洋で一番仲のいい友人同士である日本と米国でさえ、同盟関連の争点、特に沖縄の米軍海兵隊基地の移設という10年がかりの計画の承認を渋る鳩山首相の抵抗によって仲違いしている。

中国が日中関係の改善を望む理由

それに比べると、日中関係はかつてないほど良好だ。これは主として、中国政府がそうあってほしいと望んでいるからだ。だが、なぜだろうか。

理由の1つは、日本との関係改善は、中国の台頭が脅威ではないということを世界に納得させるための宣伝活動の役に立つことである。また中国は、なお中国が学ぶところが多い戦後日本の発展のいくつかの面を称賛している――そしてそれを小声で囁いてもいる。

実は日本に憧れる中国人

環境を例に取ってみよう。40年前、日本の大気や河川は今の中国とほとんど同じくらい有害だった。以来、日本は公共政策と技術的解決策を総動員して、世界で最もきれいで最もエネルギー効率の良い国の1つになった。中国政府は、その方法を知りたがっている。

一般大衆のレベルでも――その関係はまさに心からの憎しみによってこじれてきた――、日本は驚くほど大きな影響力を持っている。我々は中国人が米国のライフスタイルに憧れていると思っているが、実際には彼らの憧れの多くは日本に向けられている。

多くの中国人は寿司や鉄板焼きを食べ、新幹線で旅行し――今中国のあちこちで敷設が進んでいる――、日本のファッションを真似したがっている。

日本も、数年前から最大の貿易相手国となっている中国から得るものは沢山ある。中国は、高コストで技術的に進んだ成熟経済が必要とするものをすべて持っている。巨大で安価な労働力や、大きくて拡大している消費市場などだ。両国が互いにうまくやっていこうと思わない理由があるだろうか?

実際、アジアという文脈の中に自国をより強固に組み込むための戦略の一環として、中国にさらに接近することは、鳩山政権がはっきり打ち出した政策目標である。だが、アジアで最も刺々しい関係の1つだった日中関係から、永久に刺が抜かれたと宣言するのは早すぎるかもしれない。

再び反日カードを切る可能性も

こと、本質的な問題――争点になっている海底ガス田を巡る境界線紛争の解決を図ろうとする長年の取り組みなど――になると、具体的な進展はほとんど見られない。美辞麗句は、歴史的な傷跡を癒やすうえで限界があるのである。

また、日本政府に対して行儀よくするよりも意地悪くする方が中国政府にとって役に立つ時が来る可能性もまだ残っている。共産党がいつか国内問題から注意をそらしたいと思ったら、その時はまた反日カードを切る衝動に駆られるかもしれない。

 

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天皇特例会見は日中新時代のエポックメイキングとなる現象であり、官僚病の羽毛田ジイによって引き起こされた国民の記憶に残る事件だ。上記、フィナンシャル・タイムズでは政治利用を些細な騒ぎとして習近平(シー・チンピンだよ奥さん)との会見実現こそが大事であるという。第三者的な立場の英国から見ればそのように映るのだろう。なるほどジャーナルとしての報道は大切だ。しかしそれ以上に奸臣羽毛田の放った香ばしさは格別なもので、それによって女性週刊誌の皇室報道レベルで大騒ぎをしたマスコミのバカさ加減は忘れがたい。

そのバカなマスコミに向け小沢さんは「君は憲法を読んでいるか」とブチ切れ発言をしてスッカリ悪役になってしまった。これは福田チンパンの「あなたとは違うんです」には及ばないもののかなりイケてるフレーズだ。「君はお経を読んでいるのか」とダジャレても面白くないがひょっとして英国人にはウケるかもしれない。繰返すがフィナンシャル・タイムズは奸臣羽毛田の策略を皇室へのマナー違反程度にしか思っていないので小沢さんのブチ切れをまったく理解していない。フィナンシャル・タイムズは日本国憲法を読んでいるか、と恫喝する。

       ◇

さて奥さん、なぜ小沢さんは記者会見でアソコまでブチ切れてマスコミを敵に回したのかナゾである。そのことを類推する前にあのホリエモンが日本国憲法を読んでいるかと言えば、ちゃんと読んでいた。

 

「今の世の中、ネットの普及で変化のスピードが速くなっているから、どの組織でもリーダーが強力な権力を持っていないと対応していけないと思うんです。日本が明治時代に英国の立憲君主制を導入したのは、たまたま天皇がいたからで、国家の経営を考えたからではないじゃないですか」

「だいたい憲法が『天皇は日本の象徴』というところから始めることに違和感がある。 天皇は実際のところ象徴だけ。別に権力があるわけじゃないし、(国民は)誰も気にしてないでしょう。歴代の首相や内閣が(象徴天皇制を)何も変えようとしないのは多分右翼の人たちが怖いからだと思う」

 

上記はホリエモンが時代の寵児であった2005年の郵政解散総選挙で立候補した際、外国人記者会見での発言である。ホリエモンはちゃんと日本国憲法を読んでいた。しかし、大統領制導入を暗にほのめかす余りに稚拙なその見解に外国メディアから失笑を買い、選挙も落選してしまった。

「日本が明治時代に英国の立憲君主制を導入したのは、たまたま天皇がいたからで」はなく、立憲君主制の理念を礎とする明治憲法を制定し、幕藩体制から欧米列強に対抗できる近代国家を作らなければならなかったからである。また、「天皇は実際のところ象徴だけ。別に権力があるわけじゃないし、(国民は)誰も気にしてないでしょう」とは恣意的な天皇不要論であって国民の支持を得られるワケがない。

ホリエモンが目指した米国のような大統領制国家は、欲望が剥き出す市民社会の国家であって、「多数」だけに支配される。つまり、「勝ち組」ホリエモンや村上ファンドのように品格に欠けた国家像なのだ。

小沢さんはマスコミや羽毛田のテクニカルな憲法解釈の無知にブチ切れたわけではなく、憲法の礎となる英国式立憲君主制の理念、「君臨すれども統治せず」への無理解に怒ったのである。君主である天皇は代々立憲君主制を守ってきた。しかし立憲である政党政治、民主主義は未だ未熟なのである。