ダイアリー・オブ・カントリーミュージック・ライフ

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ミッキー・ゲイトン Mickey Guyton - Remember Her Name ~ ブラック・ライブズ・マターが生んだ新星

2021-12-04 | カントリー(女性)

 

アメリカでブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が大きな広がりを見せた2020年以降、カントリー界で注目を浴びるようになり、CMAアワードやACMアワード、そしてグラミー賞のカントリー部門でも2年連続でノミネートされるようになったアフリカ系カントリー・アーティスト、ミッキー・ゲイトンです。しかし、彼女は最近突如現れたのではなく、ナッシュビルで活動を始めたのは2011年。同年のラジオ局向けに新人アーティストをPRする「カントリー・ラジオ・セミナー」でも、スタンディング・オベーションを取る程当時からカントリー業界の期待を集めた存在でした。BLM運動がそんな彼女を一気にスターダムに押し上げた形です。

 

 

プロフィールです。1983年にテキサス州Arlingtonで生まれました。5才の時に教会の聖歌隊で歌い始めていましたが、そのメンバーとして地元アーリントンでのテキサス・レンジャースのゲーム会場にいたミッキーはその時の鮮明な記憶を、2015年のCMAとのインタビューで語っています。゛国家を歌っていたのが、リアン・ライムスだったの。丁度"Blue"で彼女がブレイクした頃だったわ。私は完全に魅了されてしまったのよ゛その時から、音楽が彼女の宿命になりました。彼女はいろんなタイプの音楽、ドリー・パートンやブラック・ゴスペルのベベ&セセ・ワイナンズ、そしてポップR&Bのアイコンでだったホイットニー・ヒューストンなどがお気に入りでしたが、ミッキーが最も心の拠り所としたのがカントリーだったのです。彼女にとってカントリーは、全てのジャンルの音楽の中で゛最も誠実で、最も純粋なものだった゛とそのインタビューで表現しています。

 

 

 

サンタ・モニカ市カレッジで学んだあと、ミッキーはロサンゼルスに留まっていましたが、そこでのサポーターとの出会いがさらに彼女に扉を開きました。2011年にナッシュビルに移動し、キャピトル・ナッシュビルと契約する事が出来たのです。同年にはホワイト・ハウスで開催されたスペシャルなコンサートに参加し、ジェイムス・テイラー、ダークス・ベントリーそしてダリアス・ラッカーと共演する機会にも恵まれます。2015年にはデビュー曲”Better Than You Left Me”を含むEP「Mickey Guyton」をリリース。この曲はビルボードのカントリー・エアプレイで34位になっています。

 

2015年のCMAのインタビュー記事によると、この当時、ネイサン・チャップマンとダン・ハフのプロデュースによるデビュー・アルバムの制作が進んでいたようですが、シングルのヒット度合いのせいか、日の目を見なかったようです。しかし、EPはコンスタントにリリースし続け、2020年の「Bridge」に収録の"Black Like Me"が、BLM運動と共鳴し、ウィルス性と言うべく注目を突如集める事になり、ついにこのデビュー・アルバムのリリースにつながったのです。

 

 

彼女の歌声は、文字通りカントリーとソウルのハイブリッドで、"Rose"のようなトラディショナルなカントリー曲でアーシ―に歌う一方で、"Remember Her Name"、”All American”などのアップ・テンポではまさにソウル・シンガーです。"Black Like Me"では、ニュー・ソウルのようなアーバンな歌唱もこなします。ただ、このソウル・シンギングをミッキーが初めてカントリーに持ち込んだわけではなく、すでに長い歴史、下地があったと、個人的には思っています。

その始まりと言えるのが、マルティナ・マクブライドだと思っています。当時先行していたライバルはトリーシャ・イヤーウッドで、この二人がカントリー女性シンガーの分水嶺だったのではないでしょうか。そして、そのマルティナを敬愛して後を継いだのが、キャリー・アンダーウッドと言えるでしょう。キャリーはごく自然体でブラック・ゴスペル・シンガーのセセ・ワイナンズやヒップ・ホップMCのリュダクリスらとコラボしたりしています。そもそも、カントリー・シンガーにこのようなソウル風歌唱を浸透させるきっかけとなったのは何だったのでしょうか。それはおそらく、ミッキーも敬愛したホイットニー・ヒューストンの存在だったと考えられます。ホイットニーは、かつて濃厚なソウル・シンガー(例えばグラディス・ナイト)の歌唱を形容した言葉「ディープ」をほとんど感じさせないシンガーで、その事で白人層にも好まれ絶大な支持を獲得した人でした。ホイットニーがドリー・パートンの”I Allways Love You"を歌ったのは象徴的でした。その結果、今こうしてカントリー界へのアフリカ系のアーティストの台頭にまでつながったと感じています。

 

 

ただ、これは認識しておくべきと思いますが、ミッキーはまだカントリーのメインのチャート(ホット・カントリーやラジオ・エアプレイ)でそれほどヒットしていません。"Black Like Me"のカントリー・デジタル・ソングの4位が目に付くくらいです。本アルバムもカントリー・アルバムで40位台だったようです。なので、まだメインの多数派の支持を獲得するには至っていないのが現実ではあります。この理由は、私見ですが、カントリー女性シンガーの声はどんなにアーシ―な人(例えばロレッタ・リングレッチェン・ウィルソンとかか)でも、必ず゛甘さ゛を伴っています。他ジャンルの曲を聴いた後にカントリーの女性シンガーを聴くと、いつもこの事を痛感します。ミッキーはアフリカ系らしいハスキーでドライな声なので、一つにこういう所がカントリー・ファン層に親しみにくいのか、と感じます。これは差別でなく、嗜好の問題です。

 

 

カントリー業界に黒人差別がある、などと囁かれる中で、最近のアワードでのミッキーやジミー・アレンの躍進は、その風評への反動なのだろうと、異国から眺めて感じています。アワードとしてのメッセージを発する事に重きを置いているように見えます。そもそもの歴史的背景から、アフリカ系カントリー・シンガーの実績が圧倒的に少ないのが事実なので、アフリカ系アーティストとの契約を躊躇されることは有るようです。2000年代にもリッシ・パーマーRissi Palmerというアフリカ系女性シンガーがいて取り上げた事がありましたが、その記事で彼女のデビューまでの苦労話にも触れました。しかし、そこでも触れたように、才能が有ればかならずそれを支援するサポーターがいたり、ミッキーのデビュー当時の扱いを見ても、カントリー業界として黒人差別があるという言い方が当たってるとは思えません。リッシも、CMAが当時シボレーとコラボして制作しているカレンダーの2009年版に、代表的な若手としてフィーチャーされており(この年は若きレディAやジェイソン・アルディーンと一緒でした)、PRには余念が有りませんでした。残念ながらメジャー級のヒットは有りませんでしたが、現在もカントリーミュージック・アーティストとして活動を続けています。

 

やはりシンガー、音楽アーティストですので、影響力を持つアーティストであるためにはヒット曲は必要です。現在の風潮の後押しを受けてグラミーを受賞し、さらにヒット曲を生み出す流れが作れるかどうか、そしてあらたな胎動が本物になるどうか期待して見守りたいと思います。

 



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