今や女性カントリー・アーティストでは、リーバ・マッキンタイアReba McEntireと並んで、長きにわたる栄光のキャリアと他を寄せ付けないシンガーとしての個性と実力を持つワイノナ・ジャッドWynonna Juddのニュー・レコードです。最近はライブ・アルバム、クリスマス・アルバムと続いていたので、純粋なオリジナル・アルバムとしては、2003年の「What the World Needs Now Is Love」以来。今回は、幅広いジャンルからセレクトされた名曲カバー集になりました。こういうスタンダード集と聞くと、ベテランらしい落ち着いた企画物かと思いきや、その選曲のとてつもない幅広さ~カントリーを軸としつつ、戦前のポピュラー・ソングや戦前スタイルのブルース、ニュー・ソウル、ニュー・オリンズR&B、ブルース・ロックなど~と、ワイノナの切々とエモーショナルに、また時にブルージーでダウンホームに歌い上げるソウルフルなコントラルト・ボイスの強さが、さすがワイノナと言えるクリエイティブなパッションを強く感じさせてくれるアルバムとなっています。幾つかの曲では大胆なアレンジで気を引きますが、あくまでこのアルバムのハイライトは、ワイノナの優れたボーカル・パフォーマンスなのです。確かに楽曲だけを見ると、これってカントリー・アルバム?ってなるかもしれませんが、ワイノナの歌声は疑う余地なくカントリーのそれなのです。
オープニングの"That's How Rhythm Was Born"から聴き手の意表を突く、Boswell Sistersのスウィンギーな戦前(1932年)ポピュラー・ソング。こんなところまで目が届いているワイノナの引き出しの多さにまず脱帽。 アコギのカッティングがオーガニックでカントリーらしさをかもし出しています。一方、ブルース側のルーツとして、Sippie Wallaceのクラシック・ブルース "Women Be Wise"を取り上げて、バランスをとっていますね。ボニー・レイットがお気に入りの人で、ボニーからの影響でワイノナもチェックしていたのでしょう。ここでのブルージーな表現力はワイノナの独壇場と言える見事なもの。コントラルト・ボイスを生かしたブルース・フィーリングを恐れることなくカントリー・フィールドに持ち込んだ事が、ワイノナの一つの個性でしたから。他にもブラック系作品の注目作としてあげたいのが、ビル・ウィザーズ Bill Withersのニュー・ソウル"Ain't No Sunshine"。マイナー調の深く沈みこむような曲調での、情念を内に秘め、憂いに満ち溢れたソウル・ボイスが心を打ちます。ニュー・オリンズR&Bのオリジネイター、デイブ・バーソロミューDave Bartholomewの、と言うより元ロックパイルのデイブ・エドモンズDave Edmundsのカバーで有名な"I Hear You Knocking"はラウドなロック・アレンジで、タメのあるリズムにワイノナがエモーショナルに畳み掛けます。
もちろんカントリー・クラシックのカバーも要チェック。一番の聴きモノはハンク・ウィリアムスの名曲"I'm So Lonesome I Could Cry"の大胆なポピュラー・テイストのアレンジでしょう。幻想的なイントロにまたまた意表を突かれ、抑制の効いたストリングスがフィーチャーされた浮遊感に満ちたアレンジですが、歌声はポピュラー的な甘さに流れることなくクールに切々と歌ってくれています。あらためてワイノナのシンガーとしての大きさとともに、ハンクの楽曲の普遍的な良さを痛感しました。私的なフェイバリットが、マール・ハガードの"Are the Good Times Really Over"。ホーンセクションをフィーチャーしたダウンホームなバッキングとワイノナのソウルフルな熱唱によって、現代のサザン~ディープ・ソウル・ミュージックに生まれ変わっています。涙なくしては聴けない・・・マール様の曲作りの上手さにもあらためて脱帽。そしてラストを締めくくるのが極上のコンテンポラリー・カントリー・バラード"Sing"。ロドニー・クロウェルRodney Crowellのペンによるもの。いろんなジャンルを渡り歩いた最後に手堅く、それも質のよいカントリー・チューンを持って来る事で、ワイノナの基本軸を確認してアルバムは幕を閉じるのです。
素直にカントリー・ミュージックを聴きたい向きからすると、チョッとカバーしている音楽の幅が広すぎたり、"Anyone Who Had a Heart""When I Fall In Love"などのポピュラー・バラードを始めアチコチで聴かれるゴージャスなストリングスがしつこかったりするかもしれません。しかし、ワイノナの能力と名声の大きさをしっかり捕らえるには必要十分な作品になっていると思います。それだけ彼女が狭い枠に押さえ込めるような人ではないと言うことなのでしょう。
Wynonna & Naomi
ワイノナ(ネイティブ・アメリカンの言葉で”最初に生まれた”という意味)が90年代初めにソロ・デビューした時、彼女は既にスーパー・スターでした。彼女と母、ナオミ(Naomi、聖書から取られたもの)によるデュオ、Juddsは80年代のカントリーを代表するデュオ・チームとして君臨していたのです(彼女達の後を引き継いだのが、言わずと知れた、ブルックス&ダンBrooks & Dunn)。ナオミがワイノナを生んだのは1964年、ケンタッキー州Ashlandでした。まだナオミは高校生でした。しかしナオミはすぐその男に捨てられてしまい、別の男性と結婚。しばらくロサンジェルスで生活(この時期に生まれた2人目のアシュリーは、女優として有名)していましたが、その生活も離婚によって終焉。再びワイノナとケンタッキーに戻るのです。そこで、電話もテレビもない山小屋で、貧しく暮らす事になります。ナオミ曰く「ワイノナに新しいレコードを買ってやる余裕はありませんでした。だから、99セントレコード店で中古のブルースやR&B、そしてカントリーのレコードをたくさん買ってあげたのです」しかしこの苦労が逆に功を奏し、ワイノナがナオミとクロース・ハーモニーを歌い始めて間もなく、ワイノナのシンガーとしての才能が輝きだします。2人はナッシュビルに移動、RCAとの契約にこぎ着け、名曲"Mama He's Crazy"などのヒットを皮切りに、その後は栄光の80年代をまい進していくのです。この期間、カントリー・チャートで1位の座を明け渡す事はほとんど有りませんでした。この彼女達の成功は、当時のレーガン政権が伝統的な家庭の重要性を見直そうとしていた事と無関係ではなかったと言われています。こうしてJuddsは、カントリーにルーツ志向のアコースティック・サウンドを復活させる事に貢献しました。しかし1990年、ナオミがC型肝炎に犯されている事が判明、それまでのような音楽活動を続けていく事は困難となった事から、1991年のフェアウェル・ツアーを最後にナオミは引退、Juddsは解散するのです。
効果的にグループ活動をコントロールしていたナオミがいなくなって、ワイノナは一人で活動が続けられるのか不安だったそうです。しかし、, 1992年のソロ・デビュー「Wynonna」の大ヒットでそれも杞憂に。なんと300万枚も売れたのです。このアルバムでワイノナは勇気を持って自分の希望を押し通し、Judds的なアコースティック・サウンドと共に、お気に入りのシンガーソングライター風や、さらにはブルージーなテイストを織り込んだのです。翌年のセカンド「Tell Me Why」も同様にプラチナアルバムとなります。しかしここで思わぬスキャンダルが。ワイノナは未婚のまま子供を身ごもったのです。彼女はカントリー・ファンのコンサバな層の攻撃を受けます。結局その男性とは結婚して事は決着。その後リリースされた3枚目「Revelations」も無事プラチナ・アルバムとなります。1997年の「The Other Side」は、ボニー・レイットが想起されるブルース・ロック調な作風を取り入れ、音楽的な幅を広げますが、セールス的には初めてプラチナ・アルバムを逃す事に。2000年には、当初は大晦日だけの特別イベントだった、母ナオミとのJuddsリユニオン・ライブをツアーとして敢行。新曲も数曲レコーディングし「New Day Dawning」のボーナス・トラックとして収録されます。このアルバムは、ジョニ・ミッチェルなどをカバーし、彼女の作品中最もポップにクロスオーバーした作品となりました。以降もライブ・アルバムやクリスマス・アルバムなどを着実にリリースし、今回3年ぶりの新作「Sing Chapter 1」が届けられたのです。
●ワイノナのMySpaceサイトはコチラ●
オープニングの"That's How Rhythm Was Born"から聴き手の意表を突く、Boswell Sistersのスウィンギーな戦前(1932年)ポピュラー・ソング。こんなところまで目が届いているワイノナの引き出しの多さにまず脱帽。 アコギのカッティングがオーガニックでカントリーらしさをかもし出しています。一方、ブルース側のルーツとして、Sippie Wallaceのクラシック・ブルース "Women Be Wise"を取り上げて、バランスをとっていますね。ボニー・レイットがお気に入りの人で、ボニーからの影響でワイノナもチェックしていたのでしょう。ここでのブルージーな表現力はワイノナの独壇場と言える見事なもの。コントラルト・ボイスを生かしたブルース・フィーリングを恐れることなくカントリー・フィールドに持ち込んだ事が、ワイノナの一つの個性でしたから。他にもブラック系作品の注目作としてあげたいのが、ビル・ウィザーズ Bill Withersのニュー・ソウル"Ain't No Sunshine"。マイナー調の深く沈みこむような曲調での、情念を内に秘め、憂いに満ち溢れたソウル・ボイスが心を打ちます。ニュー・オリンズR&Bのオリジネイター、デイブ・バーソロミューDave Bartholomewの、と言うより元ロックパイルのデイブ・エドモンズDave Edmundsのカバーで有名な"I Hear You Knocking"はラウドなロック・アレンジで、タメのあるリズムにワイノナがエモーショナルに畳み掛けます。
もちろんカントリー・クラシックのカバーも要チェック。一番の聴きモノはハンク・ウィリアムスの名曲"I'm So Lonesome I Could Cry"の大胆なポピュラー・テイストのアレンジでしょう。幻想的なイントロにまたまた意表を突かれ、抑制の効いたストリングスがフィーチャーされた浮遊感に満ちたアレンジですが、歌声はポピュラー的な甘さに流れることなくクールに切々と歌ってくれています。あらためてワイノナのシンガーとしての大きさとともに、ハンクの楽曲の普遍的な良さを痛感しました。私的なフェイバリットが、マール・ハガードの"Are the Good Times Really Over"。ホーンセクションをフィーチャーしたダウンホームなバッキングとワイノナのソウルフルな熱唱によって、現代のサザン~ディープ・ソウル・ミュージックに生まれ変わっています。涙なくしては聴けない・・・マール様の曲作りの上手さにもあらためて脱帽。そしてラストを締めくくるのが極上のコンテンポラリー・カントリー・バラード"Sing"。ロドニー・クロウェルRodney Crowellのペンによるもの。いろんなジャンルを渡り歩いた最後に手堅く、それも質のよいカントリー・チューンを持って来る事で、ワイノナの基本軸を確認してアルバムは幕を閉じるのです。
素直にカントリー・ミュージックを聴きたい向きからすると、チョッとカバーしている音楽の幅が広すぎたり、"Anyone Who Had a Heart""When I Fall In Love"などのポピュラー・バラードを始めアチコチで聴かれるゴージャスなストリングスがしつこかったりするかもしれません。しかし、ワイノナの能力と名声の大きさをしっかり捕らえるには必要十分な作品になっていると思います。それだけ彼女が狭い枠に押さえ込めるような人ではないと言うことなのでしょう。
Wynonna & Naomi
ワイノナ(ネイティブ・アメリカンの言葉で”最初に生まれた”という意味)が90年代初めにソロ・デビューした時、彼女は既にスーパー・スターでした。彼女と母、ナオミ(Naomi、聖書から取られたもの)によるデュオ、Juddsは80年代のカントリーを代表するデュオ・チームとして君臨していたのです(彼女達の後を引き継いだのが、言わずと知れた、ブルックス&ダンBrooks & Dunn)。ナオミがワイノナを生んだのは1964年、ケンタッキー州Ashlandでした。まだナオミは高校生でした。しかしナオミはすぐその男に捨てられてしまい、別の男性と結婚。しばらくロサンジェルスで生活(この時期に生まれた2人目のアシュリーは、女優として有名)していましたが、その生活も離婚によって終焉。再びワイノナとケンタッキーに戻るのです。そこで、電話もテレビもない山小屋で、貧しく暮らす事になります。ナオミ曰く「ワイノナに新しいレコードを買ってやる余裕はありませんでした。だから、99セントレコード店で中古のブルースやR&B、そしてカントリーのレコードをたくさん買ってあげたのです」しかしこの苦労が逆に功を奏し、ワイノナがナオミとクロース・ハーモニーを歌い始めて間もなく、ワイノナのシンガーとしての才能が輝きだします。2人はナッシュビルに移動、RCAとの契約にこぎ着け、名曲"Mama He's Crazy"などのヒットを皮切りに、その後は栄光の80年代をまい進していくのです。この期間、カントリー・チャートで1位の座を明け渡す事はほとんど有りませんでした。この彼女達の成功は、当時のレーガン政権が伝統的な家庭の重要性を見直そうとしていた事と無関係ではなかったと言われています。こうしてJuddsは、カントリーにルーツ志向のアコースティック・サウンドを復活させる事に貢献しました。しかし1990年、ナオミがC型肝炎に犯されている事が判明、それまでのような音楽活動を続けていく事は困難となった事から、1991年のフェアウェル・ツアーを最後にナオミは引退、Juddsは解散するのです。
効果的にグループ活動をコントロールしていたナオミがいなくなって、ワイノナは一人で活動が続けられるのか不安だったそうです。しかし、, 1992年のソロ・デビュー「Wynonna」の大ヒットでそれも杞憂に。なんと300万枚も売れたのです。このアルバムでワイノナは勇気を持って自分の希望を押し通し、Judds的なアコースティック・サウンドと共に、お気に入りのシンガーソングライター風や、さらにはブルージーなテイストを織り込んだのです。翌年のセカンド「Tell Me Why」も同様にプラチナアルバムとなります。しかしここで思わぬスキャンダルが。ワイノナは未婚のまま子供を身ごもったのです。彼女はカントリー・ファンのコンサバな層の攻撃を受けます。結局その男性とは結婚して事は決着。その後リリースされた3枚目「Revelations」も無事プラチナ・アルバムとなります。1997年の「The Other Side」は、ボニー・レイットが想起されるブルース・ロック調な作風を取り入れ、音楽的な幅を広げますが、セールス的には初めてプラチナ・アルバムを逃す事に。2000年には、当初は大晦日だけの特別イベントだった、母ナオミとのJuddsリユニオン・ライブをツアーとして敢行。新曲も数曲レコーディングし「New Day Dawning」のボーナス・トラックとして収録されます。このアルバムは、ジョニ・ミッチェルなどをカバーし、彼女の作品中最もポップにクロスオーバーした作品となりました。以降もライブ・アルバムやクリスマス・アルバムなどを着実にリリースし、今回3年ぶりの新作「Sing Chapter 1」が届けられたのです。
●ワイノナのMySpaceサイトはコチラ●
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます