CMAアワードはもちろん、それ以上にグラミー賞カントリー部門でのノミネートの常連となっているほど、メインストリーム・カントリーの一角を担う存在となっている実力派アーティスト、アシュリー・マクブライド。その風貌などスターらしくない特有の存在感がありますが、そんな彼女が異色作というか、怪作(!?)、そして快作と言いたくなるアルバムをリリースしました。いわゆる、コンセプト・アルバムと言うべきものなのです。本作も2023年のグラミー賞カントリー・アルバム賞にノミネートされています。
カントリーでコンセプト・アルバムというと、基本的にアルバムを通じて一つの物語を語るようなものがありました。本作も基本的にそのスタイルで、架空の小さな町「リンデビル」に住む登場人物たちの物語が語られています。さらにアシュリーは、ブラザーズ・オズボーン、ブランディ・クラーク、アーロン・レイティアAaron Raitiere、ピルボックス・パティPillbox Patti、ケイリー・ハマックらのゲスト陣を迎え、彼らとリード・ボーカルを分け合っているので、アシュリーが主体で歌うのは、途中のレトロなCM風のジングルとラストの2曲くらいという、まさにプレゼンターとなって賑やかな雰囲気を演出しています。
アシュリーはかつて、アーロン・レイティアと"Livin' Next to Leroy"(「Girl Going Nowhere」)や"Shut Up Sheila"(「Never Will」)で共作していたのですが、そのアーロンの"Jesus, Jenny"を聴き、゛この登場人物たちを一緒にして、住むべき場所を与えるべきだと思ったわ゛と、本作のきっかけを語っています。そして、意気投合したアシュリー、ブランディ・クラーク、アーロン・レイティア、ニコレッテ・ヘイフォードNicolette Hayford(ピルボックス・パティの別名)、コニー・ハリントンConnie Harrington、ベンジー・デイヴィスBenjy Davisら6人のソングライターが集結しました。
"Jesus, Jenny"
゛ジーザス、ジェニー /一体どうしたんだ? /ガール、君は失うものがたくさんある /朝には仕事が待ってるんだ/ジーザス ジェニー /ちくしょう 月曜の夜だ /君はウォッカとスプライトで混乱してる/俺をうまく罵ることもできない / ~ /自分が聖人とは言わないが /でも心は変えられると信じている /そして、ハニー、俺が君を裁くことは無い /でも、何も言わないわけにはいかない/俺にできるのは 祈ることだけ /君の悪魔が去るように /無事に家に帰れるように /俺は何も言わない /俺はただ言ってるだけだ /ジーザス、ジェニー/ /ジェニー 君は酔っぱらっている /そしてジェニーよ、家に帰れ゛
アシュリーのよると作曲作業は、゛6人の作家を一軒家に閉じ込めて、6日か7日、ただひたすら書き続けたのよ。テネシー州の湖畔にある小さな家に泊ってね。テキーラ8本、タバコ2カートン、キッチンテーブル1つ、そして6人の気がふれた人たちが集ったの゛タイトルの「Lindeville」は、チックス(ディクシー・チックス)の"Goodbye Earl"等で有名だった、名ソングライター、デニス・リンデに敬意を表したもの。そして、ここで歌われる内容は、何かと穏やかでない、問題を抱えた人達、あるいはかつて抱えていて今は慎ましく生きる人達の物語のようです。
"Brenda Put Your Bra On"
゛ブレンダ 、ブラジャーを付けて。隣が大変よ /タバコを1箱持って玄関で待ってて /マーヴィン・ベイビー・ママは売春婦と一緒にいる彼を捕まえようとしてる /ブレンダ、ブラを着けて゛
"If These Dogs Could Talk"
゛3本足のビーグルが鷲のように寝そべった /パティの家の前にある車道で /彼は眠っているように見えるけど、彼女が取引しているのを知っている /隣人と寝ているのも知っている /クランキー・ドゥードルという名のプードルもいる /リネットのヴェラ・ブラッドリーでハイになる /彼女の夫がゲイであることを墓場まで持っていくでしょう /だって、ドゥードゥルは彼のパンティーを噛むのが好きだから/ ~ /もしこの犬たちが話せたら、きっとあなたのことを話すでしょう /吠えるだけでいいのよ /あなたの秘密を探り出し、あなたのゴミもすべて知っている /彼らが話すことができる物語、彼らが振るうことができる舌 /神のみぞ知る、あなたの一日を台無しにするかもしれない /もしこの犬たちが話せたら゛
"Play Ball"
゛ピートはデニス・リンデ・パークで野球場を整備している /日の出とともにスプリンクラーを回し、日が暮れたら照明を点ける / ~ /妻を癌で失い、ベトナムで親指を失った /昔はヒッチハイクをしていたが、今はしていない /ゴルフカートに乗ってゴキゲンで走り去る /草はいつも青く見える なぜなら彼がそれを整えているからだ /彼は言う「自分が感じるままに年を重ね、僕は35歳だと感じている /目覚めればいつでもいい日だ /勝った時に浸るんだ、全部は勝てないから /教会に行き、ママを愛し、プレイボールだ」゛
ざっと歌詞を見ていて、やっかいな問題を抱えた(抱えていた)人々の生態を、少しコミカルな視点のコメディやメロ・ドラマ風に仕立てたものだと思った一方で、以前たまたま読んだニコラス・D・クリストフ/シェリル・ウーダン共著「絶望死 - 労働者階級の命を奪う「病」」(原題:Tightrope)を思い出しました。その本では、飲酒、売春、薬物やそれに伴う刑罰、ベトナム戦争の傷などをきっかけに、絶望的な生活を余儀なくされている人々のストーリーが語られ、これらのキーワードがこのアルバムの舞台設定と共通するからです。その本によると、70年代以降に労働者層の仕事がどんどんなくなっていく中で、「小さな政府」という考えの元、必要な対応、社会インフラ・保障や人材育成教育への投資がされず、自己責任という考えが強調されすぎて全て個人の責任と一刀両断され、多くの労働者・中間層が苦しみ続け社会から放置されていると説明されます。国民皆保険が実現せず、医療援助団体によるボランティアの無料診療会に長蛇の列が並び、そこで20年ぶりに歯科診療を受けてやむなく18本歯を抜く30才の青年の姿も描かれます。これが超大国アメリカの小さくない部分の現実のようです。
音楽的には、トラディショナリストの面目躍如。テキサス/レッド・ダート風のアーシ―な弾き語りから穏やかなホンキ―・トンク・スタイル、そしてロッキン・カントリーまでの曲想をバランス良く配し、ナッシュビルならではの艶やかさでまとめていて、申し分ありません。エバリー・ブラザーズのカバー"When Will I Be Loved"も華を添えます。メロディーはシンプルで親しみやすく、ここらはヒット・カントリーを支えて来た職人ソングライター、ブランディ・クラーク(歌声も相変わらず素晴らしい)が居るおかげでしょう。プロデュースは、ブラザーズ・オズボーンのジョン・オズボーンです。
"Lindeville"
゛そして、パレードを見てきた /そして、私は火を見てきた /この町を見守っている /電線の上の鳥のように /裁判所広場で時を刻んできた /彼らのパパのパパが私をここに連れてきて以来 /そして今夜も立ち止まっていられたらいいのに /リンドビルの星を見るために /リンドヴィルには星しかない゛
企画したアシュリーには、当然政治的な主張をする意図はないと思いますし、そのような雰囲気は出していませんが、とかく分断と言われる今のアメリカの状況の中、ソングライター達はそのような自身の内なる経験やカントリー・ファンの多くの割合を占める層をとりまくだろう境遇への共感は当然感じつつの制作作業だったのだろうと想像します。カントリー・ミュージックとそのコアなファン層を表現するのに、これ以上ふさわしいアルバムはないのではないかと思えるくらい、実に知的な社会への示唆に富んだ素晴らしいカントリー・アルバムだと思います。
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