トルクメニスタン「ビザ」20日間かかった。
2003年・9月15日月曜 はれ はれ はれ
10時にハドラホテルの中にある「ヤスナミツアー社」に「トルクメニスタンのビザ」どうなっているのか確かめにオートバイで出かけた。永原さん夫婦の分はインビテーションがおりていると話す。社員をオートバイに乗せてトルクメニスタン大使館に向かう。11時になってもオープンしない。11時半になってようやく開いた。永原さん夫婦は一週間のショート「ビザ」、通過するだけだからこれでいいと話す。
わたしは一カ月間インビテーションをとりにヤスナミツアーまで戻り大使館に申請した。受け取りは17時と言う。その間靴の左を手当てして銀行に行く。そのままハドラホテル・ヤスナミツアー社に寄ってトルクメニスタン大使館へ17時「ビザ」を受けとった。
ついにトルクメニスタンの「ビザ一カ月」手にしたぞ―。9月25日から10月24日まで
トータル131$+45$=176$=21000円。ウーヘィ今までで最高の高いビザ料金だ。
「ビザ」申請して受け取るまで20日間かかった、これも最高の日数。これも旅のうちと考え直すしかないか。それにしても高けーなー。いつの日かソビエト時代の旧い切手、台帳になっていたものを街角で売っていた貴重な切手台帳本人が集めたもので手放すことに未練があるような顔。千円か二千円ぐらいだったと思う。わたしは切手のことはまったくわからない。
訪れたその国々の切手を買っているのは軽くてお金をかけなくても手に入るからだ。その台帳日本に送った。11830ソン=1200円。そういえばロシア・サンクトペテルブルグのネバー川の橋の真ん中の見晴らし台で売っていたのを3冊買ったことがある。20代と思われるろうあ者が売っていた。これも自分で集めていたと思われる切手台帳であった。疲れていたのだろう、そこで立ちごけしてしまったのでよく覚えている。
残念ながら女性宇宙飛行士「テレシコワ」さんはわたしが買った切手台帳では見ることが出来なかった。世界初の女性宇宙飛行士だから必ず「切手になっている」はずとは思っているが・・。実はボリショイ劇場に夫婦で来ていたテレシコワさんを見たことはある。控えめできれいな女性(ひと)だった。
個人で集めていた切手集を露店で売りに出していた、意外と安かったので買い求める
9月16日火曜 はれ はれ はれ
朝8時にハドラホテルに永原さん夫婦と待ち合わせ。二度目のサマルカンドに向かう。路上でスイカ売り、の写真を撮って・・チェックポイントを次々通過二回目だから気持ちは楽だ。ベンジンスタンドで給油しようとしたらようすがおかしい。「どうした?」12時から15時まで停電のため給油出来ないと話す。しょうがない昼飯食って、スタンドで用意してくれた敷き座布団を木陰に敷いて昼寝する。15時過ぎてもダメ・・。
少し走った所のスタンドでプールしていたベンジンを3人で7リッターづつ入れて、ガス欠になったら永原さんからもらうことにしてサマルカンドへ。何回かベンジンを入れて顔見知りになっているサマルカンド入口のベンジンスタンドについた。閉まっていたが特別に93オクタンカを入れてくれた。ラッキーだった。ほっとした。先週永原さん達がホームスティした家に向かう。
永原さんは「マツオの顔も見たい」ので「連れてこい」と言われていたとかでいっしょに連れて行ってもらった。ルスタンさんの家に17時ごろ着き家族みんなが喜んでくれた。広い玄関にオートバイを乗り入れる。大きな家で中庭には家庭菜園や花を植えられていた。ルスタン夫婦、おばあちゃん、長男高校生と長女中学生。二人ともおだやかでやさしい性格でうらやましい家族である。
永原さん夫婦とサマルカンドにむかう・・ガソリンスタンドは電気が来てなくて給油できない・・
仕方なく電気が来るまで3人は昼寝して待った。とうとう電気は来なかったのでいけるところまで走ることになる。
永原さん夫婦が前回来たとき泊めてもらった・・元ソ連のミグ戦闘機の整備士だったルスタンさん宅にわたしもお世話になる。
9月17日水曜 はれ はれ
ルスタンさんは片足が曲がらない。オートバイで事故って今もその後遺症が残ってる。しかし持ち前の気の強さは身体から感じることが出来る。もとはミグ戦闘機の整備士だったことも聞いた。今は川魚の卸しをやっているようである。オートバイのスプリングの修理をあっちこっち行って見てもらったがダメだった。昼間は森の中にあるレストランへ連れて行ってもらった。
広い池もありテーブルを木陰下に配置されたしゃれたレストラン。みどりさんは結婚式に呼ばれて家族といっしょに出かける。夕食は家族といっしょにごちそうになった。あしたはタジキスタンに向かおう。
みどりさんはルスタンさんの家族と一緒に結婚式に呼ばれて・・地元の衣装で盛装して出かけて行った。右二人は永原さん夫婦