

お金降ろしにイラン・マシュハドからとなりの国アゼルバイジャン・バクーまで4泊5日2000キロ北海道
から九州までの距離を走ったことになった。今度はアゼルバイジャンからグルジアに向かう、村の老人にあった。
2003年10月7日火曜 はれ はれ はれ 15時過ぎて暑くなる
9時過ぎにイラン大使館へビザを取りに行く。再びイランに戻らなければならないからだ。最初大使館へタクシーでいく2$=240円。ビザ発行は別のところへと警備員の書いてくれたアドレスの紙を持って再びタクシーで行く、2$。手続きの場所にはアドバイスしてくれるおじさんがいて親切に教えてくれた。用紙を提出したがなにを言っているかわからない。
7日~10日間かかる?。「エー」「そんなにかかる」日本にも来たことがあると言う申請に来た男の人が通訳してくれた。係官からパスポートを受け取り銀行に行って50$を振り込めと教えてもらう。通訳してくれた男とその銀行に向かう。イランの男の人はここアゼルバイジャンでツーリストの仕事をしているらしい。「ミリ―バンク」で50$振込。ふたたびイランビザ発給事務所に戻る。
あした10月8日13時にここに来いビザを渡すと。イラン人は12時に来た方がいい、13時にはクローズと教えてくれた。ありがとう。しかし、あしたビザが下りるとはよかったなー。タクシーでホテルに戻った11時、2$。ホテルから近くのマガジン(酒屋)に行きコニャック2本(1本1$500ml=120円)、ウォッカー1本0、5$(500m)=60円。べらぼうに安な―これじゃアル中が増えるぞよ。
ホテルでペットポトルに入れ替える。これでイランでのアルコールなしの生活ともお別れだ。さてグルジア、アルメニアに行くことにするが高い山で寒く、道も悪いと聞いている。トルクメニスタン、イランでも聞いているがどうなっているか不安がある。あまり道が悪かったたら国境を越える前に引き返そう。でもタクシーの運ちゃんから聞くところよるとそうでもないような顔していたなーだから行く気になったのだ。最初はお金が降りたらすぐにイランに引き返そうと考えていたが落ち着いてきたら少しづつ考えが変わってきた。

「ザクロ」収穫の季節なのだろう、、マイカーも座席にいっぱい積みこんで走っているのを見かける。
道路ではお店を出して売っていた。
10月8日水曜はれ 20℃はれ 30℃はれ 30℃
イランビザ13時に渡すと言われているが早目に出かける。切手を買いもとめたあと11時タクシーでイラン大使館ではなくイランビザ発給事務所に向かった。係官は13時とそっけない。しょうがないしばらく座って待っていた。早目に発給してくれるかもしれないと思ってきたが甘かった。近くの食堂でビール、焼き肉(シャクリク)喰って12時過ぎに行く。
係官は待ってたとばかりにすぐさま「イランビザ」を貼ったパスポートを渡してくれた。外に出るときのう乗った同じタクシーがいてホテルに戻る。少しでもグルジアに近づきたい13時前にホテルをチェックアウト。グルジアに向かう。聞いていた話では高い山を越えていくらしい・・グルジアは・・。イランから来た道70キロ戻ってトラックの運ちゃんに道を聞く。ここまでは道は素晴らしい。郊外に出たとたんアップダウンの道になる。

道が悪と聴いている・・今度はアゼルバイジャンからグルジアに向かって走る・・左に行くとイラン方面・・
まっすぐ行くとグルジアへ・・不安の中走る。
聞いていた山は、なんか遠いところにあるだけで山には入っていかない。道は平坦が続く。白い塩みたいなものが土から浮き出て雑草も生えないような畑が続く、もしかしたらカスピ海から黒海まで続いているのではないかとさえ思う。そう言えばカスピ海の水を「黒海」にそそいで「白海」にしてみようとペットポトルに入れて持って来た。

家族でやっていたアゼルバイジャンの食堂・・。
作物は作られていないとゆうより育たないから作らないのだろう。家はさっぱりした造りでひさしが日本より長く見える。裕福にも見える。約6時間300キロ走ってきた。道は平たんでもやっぱり飛び上がるほどの道が出てくるのでスピードは出せず時間がかかってしまった。町に着いた静かなこぎれいな落ち着いた街。なんと言う町なのかはわからないが小都市。ホテルを探す一軒目30$、2軒目25$。
3軒目大きなホテルだったが6$=720円に泊まる、ことにしたがエレベーターは上がるときだけ、シャワーなし。部屋は古びてカギ穴は二つあるが「頼りないひとつ」だけ使うようだ。ベランダの窓も閉まらない。まァ安いからガマンガマン。少し離れたレストランに行くと結構にぎわっている。生ビール3杯、チキン半分、牛のシャクリク(焼き肉)トマト、キュウリ全部で6$=720円。うまくて安い料金だった。
寒いと聞いていたがシャツだけでいいようだ。ザクロの最盛期なのか乗用車の中のも詰めるだけ積んんで運んでいた。路上には露店を出してザクロだけを売っていた。そう言えばザクロはアゼルバイジャンだけでしか見なかった。