松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・イラン行きフェリーチケット・とれた4月28日

2014年04月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所
シャルジャ→バンダハル  ドバイ→レンゲ フェリー運賃表




イラン行きフェリーチケットとれる シャルジャ港→イラン・バンダバル港
2014年4月28日月曜   はれ   はれ9時31℃  ガスって高いビルは見えない
8時の約束だったが早い方がいいだろうとフェリー乗り場に7時半についた。きのうと同じ事務所
に直接入りこんだ・・きのうのメンバーと違うようだ・・

きのうと同じ説明をしていたら「きのうのおじさんが入ってきて説明してくれた。責任者らしい人
がタクシーの運転手さんにチケット売り場の場所を教えてくれている。

チケット売り場は8時オープンらしい・・今7時5分・・チケット売り場で待っていればいいや。
すぐについたが・・チケット売り場がわからない。ポストオフィスの向かい側・・らしい、まだ
整地されていない砂地の道一カ所、二カ所、ここじゃないんじゃないのと思っても言葉が通じない。

アスファルトの道に出て・・ゴミの収集している人に「ソーリ・マリン・サービス」オフィスは・。
そこの道を入ったところが「そうだ」と指さす。エエッー裏側から入って・・表に回って探したら
「あったー」ここだ!。

大きなビルの一階に「HiLi Marine service」の看板があった。タクシーに戻り「見つかった」か
ら・・わたしはここでオープンまで待っているからと少し多く支払って帰ってもらう。


ここだった・・イラン行きフェリーチケット売り場オフィス。チケット売り場はドバイにはなくて
ここ一か所だけらしい。

8時10分に開いた。「モーニング」「マイ・イランフェリーチケット」を買いに来た。二番目に
出勤してきた少し若いスタッフ・・シャツに意味のわからない「ひらがな」が印刷されているのを
着ている。「オージャパン」と冗談をいいながら・・

マネー1560dr・・47000円とパスポートが必要とのこと・・イラン・ビザ「スタンプ」
のあるものを・・持ってきてほしい。タクシーでホテルに戻る。

リュックをタクシーに置いたままレセプションに預けているパスポートをもってタクシーにもどっ
た・すると、オープンになっているリュックの外ポケットのケースに入れている「マイ箸(はし)」
に手をつけようとする瞬間だった。

そのとなりは「筆入れ」を入れている「落ちていた」からと言い訳する・・。「こいつは泥棒なの
か」・あらわに「ノー」このタクシーでは「戻らない」。気分が悪い・・盗みはしていないが手
を出している、こんなこと旅していて二回目だ。

支払いをすませ・・「この泥棒メ」ドアーをドーンと閉めた。よし自分のオートバイでチケット売
り場まで走ろう。スーパーの中にある「ATM」でお金を下ろしてチケット売り場へ。これからの
旅人のためにと思って、ブログに載せるためにまわりの写真を撮っている。

イラン行きフェリー5月4日
その建物を目指して走ると意外や意外すんなりとチケット売り場についた。お金を払い、書類を作
ってもらい本物の書類は4日朝に渡すとのこと。フェリー乗船チケット5月4日になった。

最初5月1日に決めたが2日金曜イランは休みになってオートバイの受け取りが3日になるらしい
ことから、面倒になるため5月4日乗船、5日イラン港受け取りに変更した。

これでイラン行きフェリーチケットもすべて終了した。オマーンでどうしたものかと苦労していた
ものが解決した。スワーダさん、マリヤムさんこれまでのご苦労ありがとうございました。

あとは5月4日朝8時に書類を受け取り・・その書類をそのままフェリー乗り場に11時までにオ
ートバイといっしょに持って行く。そのあと本人の乗船は午後4時までに再びフェリー乗り場に向
かうことになると説明を受けた。

あれほど・・チケット売り場の場所がどこにあるのか・・不安だったわかるまで1週間ぐらいはか
かるだろうと覚悟していたのが二日で解決した、なんだか身を気持ちも軽くなった気分である。


ちなみにイラン行きフェリー・・参考
シャルジャ夜9時出発 → 10時間 イラン・バンダハル港 朝7時到着
ドバイ  夜9時出発 → 10時間 イラン・レンゲ港   朝7時到着 
この二か所だけで、以外には運航していないと話していた。

チケット売り場・オフィス・電話番号・FAX
AL HILI marine service tel 06-5288575 fax 06-5288574


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 オマーンよさようなら 4月26・27日

2014年04月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所



オマーンよ・・さようなら

2014年4月27日月曜      はれ       はれ
50日間滞在した離れがたいオマーン。朝3時前に起きて暑くならないうちにシャルジャ(ドバイ
のとなり)に着こうと3時半に出発した。

5時には明るくなる・・やっぱり暗い道は前方が確認しずらいな・・気をつけて用心しながら高
速を走る。

ガーミンナビ何回か試している内に「地図の位置」に触れるとそこが行き先になり使えそうだ。
シャルジャに前回泊まった時に覚えていたアルコールショップ「ビーチ・ホテル」が到着地に入
力。

ホテル以外にもここオマーンに働きに来ている人はインド、パキスタン、フィリッピン、東南ア
ジアがほとんど・・一年に一回ふるさとに帰ると話していた。ゆうべ毎日毎日静かにもくもくと
仕事していたフィリピンから来ているレセプションの女性にお礼の気持ちで少しばかり封筒に入
れて渡した。

「なに・・」とゆう顔だったが中をのぞいて「ありがとう」と日本語で返してくれた。笑顔を
見れてうれしかった・・スタッフのみんなも握手してくれた。




突然渋滞になっている・・事故なのか・・狭い脇道にう回している・・続いてついて行く。すん
なりとはいつもいかないものだ。オマーン国境7時45分に到着だいたい予想どうり。

出国手続きスタンプを押すだけ・・前回のようにビザが切れて罰金など払ったから時間がかかっ
たがきょうは2,3分。10キロ走って今度はアラブ首長国連邦入国手続き・・朝が早いせいか
だれも並んでいなかった。8時終了。

よしこれですべて終わりだ。約450キロの内あと残り100キロ足らず。ドバイ、ドバイと走
ってきた・・今度はシャルジャに向かう。あと50キロ足らずとゆうのにまだ砂漠が現れるが
・・44号線から幹線611を越えて~311号に入ったら高速道路の車もいっきに多くなって
きた。

シャルジャの標識はひっきりなしにでてくるナビに頼って走ろう・・目的地についたようだ。
10時半。ロータリを出たところにタクシーが2,3台止まっている。大きなホテル・・の前
である。

このホテルには到底泊まれない。この近くにアルコールショップの「ビーチ・ホテル」はと聞く
と二つ目のロータリーと・・タクシー運転手さん、ついでに「ソーリ・デスカウントホテル」
を教えてほしい・・。

この先まっすぐ走ってひとつめロータリでUターンしてくると右側にある、とパキスタンの運
転手。「サンキュウ」

右は海、海岸通りを走りUターしてガススタンドのとなりと教えてくれたがその名前の「ホテ
ル」店員は知らない・・。走りながら一軒目、250・・二軒目220、3軒目220を15
0に負けてくれたが部屋が暗い・・

4軒目「グリーンハウス・リゾート」220・・「150にならないの」3連泊するから・・
フランス人かイギリス人品のいい女性オーナにレセプション女性が聞く。そうねー165dr・
・だったらいいみたいなことをゆう。

一泊4500円ぐらいか。部屋を見せてもらって止まることにした。6棟建っていて中庭には
プール二つ。部屋に荷物を入れえて汗でぬれていたシャツなど全て洗たくして昼飯。

さっそくタクシーでアルコールショップ・・あったあった・・前回来た店ここだ。イラン行き
のフェリー知っているかい・・知っている。

なにか脈がありそうだ。ビールロング缶ワンケース24本、スコッチウイスキー1本。130
dr・・4000円ぐらい。

ホテルに戻るタクシーを待つ・・うしろのトランクにビール。ウィスキーを積み込んだ。人の
よさそうなインドの運転手さん。

「イランのフェリー乗り場知ってる」「知っている」じゃそこまで・・ホテルに行かないで、
このまま走ってほしい。

海岸通りをづーっと走って・・小さい船が見えてきた。「あそこだ」あそこまで回り込んで行
ってくれ。小さい船がついている場所、積み込みの仕事をしている。

「ソーリ・イラン行き・フェリーは」おれたちゃアラビック・・知らない。タクシー運ちゃん
はそこの大きいビルが警察署とゆう。

そこに行ってみた。「ソーリ・イラン行きフェリー」は「このビルの角にある」2,3分と話
す「OK・・サンキュウ」その角に入っていく。セキュリティがいて出口のようだ。

「ソーリ・イランフェリー」部屋で食事しているもう一人の人が・・どこにオートバイがあるの
か。「ノーノー」きょうはタクシーで来ている。そのタクシーをここに呼べとゆう。タクシーを
乗り付けると食事を終わらせて係官がタクシー運転手に説明している。

運転手さんわかったようだ。「サンキュウ」。警察署で教えてくれたカドの所はここではなか
ったようだゲートがある場所ついた。

入口出口の真ん中にある事務所に入っていった。「ソーリ・マイジャパン・イラン行きフェリ
ーを探している」。

4,5人いた人たちが何者だろうかといった目でめている。リュックから手書きの地図を出し
て説明する。

ここから「イランフェリーは出ている」「チケットはここで売っているのか」・・「ノーノー
」年配の人がチケット売り場の電話番号・FAXを書いて渡してくれた。

きょうはもうチケット売り場は終わっている。「あした8時にここに来い」チケット売り場を
教える。あーどうにかチケット売り場がわかりそうだ。

そうですか・・あした8時にきますから・・ありがとうございました。タクシーの運転手さん
はここの「Port khalid Main Gato」とメモしてタクシーに見せろと渡してくれた。長い時間
ありがとう・・63drだったが少し多い70dr2100円支払った。






誰でもははいれないオマーン「外交官クラブ」で食事をごちそうになり最後までスワーダさん・マリヤムさんにはお世話になりました。

4月26日土曜      はれ       はれ
スワーダさんに10時頃電話を入れた。「ごくろうさんでした・・つかれたでしょう」「ゆう
べ12時頃マスカット空港について寝たのは朝3時頃だった」と元気な声。

4月9日から選抜されたオマーンの学生14人を引率して日本の学生との交流・・友好の旅を
2週間広島、奈良、京都、東京、筑波、新潟と忙しいスケジュールを中心になって進めてきて
25日にオマーンに戻られたばかり。

お疲れでしょうから・・電話で失礼とは思いましたがあした27日ドバイ方面に向かう前にお
礼を言ってからオマーンを離れようと思って電話しました。

「そうですか」きょうの午後御食事でもどうですか」「マリヤムさんに電話してあとでまた
電話します」・・・マリヤムさんからすぐ見電が入って、スワーダさんのお抱え運転手さんが
ホテルまで1時頃迎えに来るとのこと、ありがとうございます。

マリヤムさんの話では・・その「外交官クラブ」・・普通の人は入れない特別のレストランに
ついた。ぞうりで5本指の入る靴下を履いたまま来てしまった。

願ってもないスワーダさんの日本でのみやげ話を聞けるのは楽しい・・筑波に行ったときひと
りが迷子になってしまった・・・その学生はIpadで自分のいる駅を仲間に知らせて戻って
・・・事なきを得たと・・・。

見知らぬ、はじめてきた日本ですぐに対応してくることに、たいしたのもだなーと聞きながら
ひとり感心した。聴けないと思っていたオマーンの学生を日本に連れて行かれた交流の聴くこ
とが出来てうれしかった。

日本に戻った時はいつも寄って帰えられるが・・今回は忙しくてスワーダんさんは実家にも寄
れず帰国されたと聞く。

「わたしは日本の名前はもうありません」にドキッとした。「オマーンの人間ですから」と初
めて会った時話されていたのでオマーンは戻るのではなくて「帰国」になるのだろうな。

その決心された心境にドキッとして戸惑いおろおろするばかり。出された食事を喰いきれず残り
をおみやげにしてもらいスワーダさんのBMでお抱え運転手さんにホテルまで送ってもらった。

スワーダさん、マリヤムさんありがとうございました。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・オマーンでイランビザとれました 4月22~25日

2014年04月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所

オマーンの国旗

4月25日金曜      はれ       はれ
散歩のあと5階のレストランで朝食・・・目の前には大きな岩山が立ちはだかっている。その岩山
のふもとには大きなLuLuとゆうスーパーマーケット、日本のイオンといったところかな。

朝から行き交う人が多いなーと思ったら、今日は金曜日・・「フライデー広場」と呼ばれている屋
根付き会場にお店を出し始めているようだ。朝からパソコンに取り込む。終わったらフライデー広
場にも行ってみようと思っていたがパソコンが動かず夜になってしまい行けなかった。



オマーンの新聞の掲載された・・以下新聞記事をマリヤムさんに翻訳してもらった。
記事タイトル『人生は60から始まる』

(サジニさん、松尾さんが早期退職ではなく、60歳で退職したものだと思っているみたいですね。
確かに、退職の2年前の57歳の時に旅に出ることを考え始めたとは言ったけど、その時に退職した
とはいってないし、何歳で退職したか?と向こうも聞いてきませんでしたから。そんな感じで記事
の中にもちょっと変な箇所や勘違いがありましたけど、少し細くして大体の訳をしてみました)


71歳の僅かな日本人男性はリクライニングチェアに座り、退職した友人と話しをしたり、孫と遊
んだりするはずです。しかしもう一方で、マスカットにいる日本人、松尾清晴さんは、どうのよう
にして健康であるのかと考えるのも不思議ではないはず。世界をバイクで周る途中、ゴールデンオ
アシスホテルでお喋りをした。


車掌として働いていた日本の鉄道会社を定年退職する2年前の57歳の時に、松尾さんは、世界を
見てみたいと決心した。約30年前に東ドイツと中国へ旅行して以来、日本国外に出ることはなかっ
た。妻の幸子は彼のアイデアに喜んではいなかった。彼は彼女に「日記であり、旅行者のへの考え
やヒントを書いているブログを毎日朝晩確認するように」と言いました。

彼が『くま』(日本語で熊の意)と呼ぶ1500ccのホンダワルキューレで武装し、3つのボックスに
はそれぞれ、水のボトル、キャンプ用具と非常食(注:新鮮な野菜、缶詰ではない)が詰められて
いる。彼は最初、ヨーロッパに着手した。 彼は再びそこで衝動を感じた。続いて 北米、その後中
央・南.アジア、そしてアジアとアフリカに行った。

7番目の今回の旅は以前に訪問できなかった国々を周るためでした。 ドバイに空路で入り、オマ
ーンにバイクで入った後、彼はバイクをエチオピアに運べるようにシャルジャからイランへ旅をし
ようとしています。(これ違いますよね!) 彼の当初の計画は、イエメンを訪問でしたが、ビザ
の問題に遭遇し回り道をしなければいけなくなりました。

これは松尾が愛するこの柔軟性です。 翻訳者マリヤム・アルシャラフィを通してて、彼は彼の妻
を一緒に連れて来ることは選択肢になかったという。なぜなら、「彼女は文字通り私の後ろにずっ
といるだけの時間になるでしょう。彼女は私の毎日のブログを通じて安全でいることを知ることが
出来るので大丈夫です。」


旅行中、彼自身のいくつかのトラブルに遭遇しました。アラスカではキャンピングカーに当てられ
投げ出された後、傷を縫う必要性と肋骨を折ったためにヘリコプターで救出されました。 シベリ
アの岩だらけの道で立ち往した時は、初めてどうして(この旅を)始めてしまったのかと彼は思い
ました。

サハラ砂漠に沿って(バイクに)乗っている時は砂が顔に、そしてチベットの橋のない場所では流
れの低い所を運転したことなどが、彼の最も記憶に残 ​​る経験です。 「私は人生の大半を日本で生
きてきたが、外国人を信頼できなかった。 しかし今は、その信頼なしで生き残ることはできません。


松尾は日本語だけを話し、彼のユーモアの感覚が殆ど(コミュニケーションの)砕氷船になってい
ます。 彼は5フィート2インチ立ち上がり、コケコッコと鳴き、モーと鳴いた。 "それは彼がレス
トランに行った時に、彼が料理を注文する方法です」とマリヤムは言いました。

ドバイとオマーン国境でビザ申請書を手渡した時、彼は笑顔で「申し訳ありません、私は英語が分
かりません」とそれに日本語で書きました。

彼の旅行は、松尾さんの目を見張らせる事実もあります。 彼はポーズをとっているマサイ族戦士
のカップルの写真を指して言いました、「ビジネススーツの人には、これらの人々のように愛情
を感じませんでした。」同じ理由で、アフリカと南米は、彼の心の中に特別な場所を持っています。


彼は運動には妥協はありません。1時間のストレッチ、ウォーキング、ジョギングは清晴の足を軽
くします。 彼の友人からは羨望の的、カッコいいおじいちゃんと彼の孫は誇り、日本ものを殆ど
恋しがることなく、現地で手に入る食事をし、そして熱心にもっと知りたいと思っている。

「ほとんどの人は、自分が退職た後に世界を旅すると言うだけ、でも私は旅をしています。」
彼はサラーラを愛し、彼はそれを「異なる種類の砂漠」と呼ぶ、そして優しい人々を見つけました。
松尾の夢、世界の国々の端を見てみたいという想いから旅が始まった。それにはエベレストや死
海の底も含まれます。バイクで訪問しなかった10カ国を除いて、オマーンの訪問は114カ国目、
清晴の(旅は)まだ終わっていない。

以上・・翻訳はオマーン・マスカット在住・マリヤムさんでした。(名古屋出身)

4月24日木曜      はれ    はれ
きのうマネージャーが朝まで雨かもと言っていたが朝から晴れている。いつものように散歩を終え
て、朝食のあと部屋にいると先日取材を受けたオマーンの「ニュースペーパー」「the week」ホテ
ルのスタッフが大きく載ってるよと部屋まで4部持ってきて。

ほんとだ・・写真入りで出ている・が英語なので内容はわからない。また自慢話ができるな・・。
さっそく写真に撮ってパソコンに取り込んだ。

パスポートの写真をブログに貼りつけていたのを悪用されかねないので「よしたほうがいいのでは」
とアドバイスをメールでうけたので削除したりして時間をつぶす。


4月23日水曜     はれ      はれくもり 31℃   
青い空ではなくて白の入った青空・・曇ったように感じる青空。だんだん陽ざしは弱弱しくなって
きたように感じる。夕方ホテルのマネージャーはこれから雨になりそうだ・・あしたの朝まで・・
とか言っているようだった。気温は上がっていない。

ついでに水の話・・
雨が一カ月以上も降らないオマーン・マスカット・・ホテルの水は勢いよく出てくるし
道路わきの植え込みの植物,木樹にも自動的に埋め込んだホースで補給しているようだ。いったい
水カメはどうなっているのか知りたくなる。地元のマリヤスさんにメールで聞いてみた。

雨が降らないオマーンの水事情・・・マリヤムさんにメールで聞いてみました。

ニズワに行ったときに灌漑システムを見てほしかったなぁ、綺麗な透き通った水が流れているんで
すよ。生活用水や農業につかわれています。

オマーンには河川とゆうものがありませんが3000級の山もあるので(禿山ばかりでなく、ちゃ
んと植物の茂っている山もあります)一部地域では地下水のようなものがあり、それを利用して灌
漑システムは作られています。

いわゆるオアシスもあるし・・まぁ、それはごく一部ですけどね。殆どの飲み水は海水をろ過して
塩分をとって淡水化。(一部、日本の技術がつかわれています)意外に思われるかもしれませんが、
ダムもあるんですよ!時間があればワデェ・ダイカとゆう所を見に行ってもらいたいです。

ダムとゆうより湖にみえちゃいます。農業の盛んな平野部では地下水のくみ上げもしていますが、
そういったところは塩害の被害や地盤沈下もあるようです。

道路の脇に植えてある植物には淡水化した水ではなく、ビュアなお水です。残った僅かな塩分でお
花が枯れたりしないように。(笑)

お水はどこの家や建物もまずは屋上に送ってタンクの貯めて、高低差を利用して水圧を上げている
のです。なので普通の家庭では2階よりも1階の方が水圧が高い。

でも最近ではプレッシャーマシンとゆう水圧を高くする機械を取り付けているところが多いので
(ホテルは勿論でしょうけど)水圧はいい感じに高くなっています。

イスラムではお水で洗浄する文化習慣ですからね。日本のウォッシュレットもマスカットに進出
していますが、思うようには売り込めないはず!普通に使っているハンドシャワーで十分ですし、
電気も必要ないし、自分で角度や水加減もかえられますものね。これでおしりを洗うとやめられ
なくなりますね。(笑)マリヤム

以上オマーンの水事情をわかりやすく説明してくれました。ありがとうございました。

「コップ一杯」の水で歯みがきしてひげそって顔を洗った(濡らした)こともある。<タンザニア>

ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジと走って行き詰まった。タンガニーカ湖を貨物船でザンビ
アに・行かず・・途中タンザニアの山の中、小さい船着き場に下ろされた。誰も通らない・・ころ
んだら終わりのダートの山道をタンザニアとザンビアの国境まで必死で走った。

途中でうしろのバックが抜け落ちていた・・戻って探す気力なし。集落についたときバックを探し
て来てほしいと頼んで国境に向かった。

タンザニア国境にたどりついたとたん冷たいタイルの上に寝転んだ。動けないほど疲れ切っていた。
係官も見逃してしばらく寝かせてくれた。

一軒あった宿に泊り次の朝起きるとオートバイに乗った地元の人がバックを持ってきてくれた「こ
れか」そうだ「これだよ」よく探してくれたねー・・ありがとう。お礼にお金を渡した。そばには
女の人たちがポンプで水汲みをしている。

コップ一杯水をわけてもらった・・歯みがきして、ひげをそり、顔を洗った(ぬらした)アフリカ
では貴重な水なのだ。

トイレの中の一筋の水できゅうり、トマトを洗う<西サハラ>
右から左から・・前からさざ波のごとく砂がおそってくる。首振り人形みたいに風にあおられる、
ヘルメットの中にも、目にも入ってくる。

朝から晩まで砂嵐の中走り続ける。今日だけは絶対生き
よう蛍の光を歌いながら・・・「アーこれは人間がつくったものだ」「タイヤの切れ端」に励まさ
れる。

まわりは砂ばかりのサハラ砂漠。道がない・・砂で道が消えている。道が見えるまで立ち止まる。
風に磨かれた、割れたガラスのようにとがった小さい石だけがまわりに見える・・地獄。

おそろしいところに来たものだ。10日間2000キロほうほうの体でサハラ砂漠を抜けだした。
夕涼みしている地元の人たちがのんびり座っている中をホテルに入った。

水道がない・・どうした、トイレの中にある。一筋の水が出てくる、その水できゅうり、トマト
を洗った。ここが一番苦労しているところだった。しかしビールはあった、地元の人に頼んで買
って来てもらった。




オマーン・新聞社取材を受ける
4月22日火曜    はれ30℃     はれ13時・・31℃
ホテルのマネージャーがゆうべ9時頃部屋にやってきた。あしたニュースペーパーの取材が来ます
・・どうしますか。

わたしはいつでもフリーです。じゃ、「ツモーローモーニング・ナインオクロック・で返事します」
朝9時OKです。返事してからどんな新聞なのか・・わたし一人よりもマリヤムさんに通訳を頼ん
だ方がよかったかもと・・

朝すぐにマリヤムさんに「実は・・新聞取材をしたいときています」「時間があれば通訳をお願い
します」朝一番にメールを入れた。ほんとうはマリヤムさんの時間に合わせる方が先だったのに逆
になってしまった。

連日「すみません」と電話も入れた・・新聞社といっても「いろいろあるのでねー」一般の新聞で
はないかもしれないとマリヤムさん。わたしにはまったくわからない。9時半だったら行けるとの
こだった。ホテル・マネージャー9時30分に取材時刻変更をおねがいした。

部屋のネットが遅いのでフロントに下りて打っていたら・・女性の新聞記者が見えた
「この女性は仕事が出来る女性」と直感(よくはずれる)。カメラマンもいっしょ・・マリヤムさ
んも時間どうり9時30分に来てくれた。


新聞記者
なぜに旅を思いたたったのか、これまでの旅のこと、これから先の旅のこと、恐かったこと・家族
のことなど1時間ほどマリヤムさんの通訳で無事に終わった。

オマーンの人たちにはお世話になっているのでていねいに自分のことを伝えてほしい・・・通訳な
しでは、とても・とても不十分な説明で終わったことだろう・・やっぱりマリヤムさんに通訳して
もらってよかった。

カメラマンはホテルのこの場所ではなくてロケーションのいい場所にオートバイを移動して撮りた
いと・・午後1時に再び来ることになった。記者サジニさん、マリヤムさん、マツオ3人で記念写
真を撮った。

最後のところで実は選抜されたオマーンの学生14人は4月9日から日本の学生と広島・奈良・京都
・東京・新潟などでさまざまなテーマでデスカッションしながら友好の旅を続けて25日にオマーン
に戻ってくる。

その引率はスワーダさん。戻ってきた時は親会社の新聞「muskat dairyマスカットデイリー」に話
して取材をお願いしたいと話すと・・興味がありそう。

親会社の本紙よりこっちの週刊新聞「ザ・ウイーク the week」の方が発行部数は多いんですよと笑
いながら・・「わたしが取材」しますとマリヤムさんに話した。


きょうの取材・あさって24日発行を楽しみに待とう。ジャスト1時だよといったん引き上げる時念
を押した・・午後1時前にカメラマンがホテルに来た。スピード出したらついていけないからスロ
ースロー両手の甲を前後にふたつならべて・・。

「ユーが前・・うしろがマイ・オートバイ」サッサッと動かして「ノー」・・・そうではなくて・・
ゆっくり甲を動かしてみせる・・「OK OK」暑くなると覚悟していたがきょうは31℃と低い温
度にホッとする。

もう二回も走って見たことがあるロータリーから見える宮殿みたいな場所についた。入口の柵ギリギ
リまでオートバイを乗り入れて撮影が始まった。貸し切りバスで下りてくる観光ツアー客が次々に声
をかけてくる。

ジャーマン・・ドイツ人が多いな。オートバイトいっしょに撮る人も結構いる・・うれしいもんだ。
「ジャパンから来た・・」「・・・・」「そう・・泳いできたの・・と水泳の格好で笑わせる」オー
トバイの位置を動かしたりして20分ほどで撮影は終わった。

出来上がりの写真も「くれる」とカメラマン・・楽しみだ、バイバイ・・ありがとうございました。
海岸を走りホテルに戻る途中青い海に豪華客船二隻が停泊している。

ははーん・・・さっきの観光客たちはこの客船から降りて来たのだろう。「松尾さんが昨日撮影さ
れた場所は、アラムパレスですね。

カブース国王はいくつかのパレスをお持ちですが、マスカット市内にあるあのアラムパレスは主に
執務、接見などに使かわれることが多いです。

パーティーとかでも使われることがあるし、花火を打ち上げることもあります。あのパレスの裏は
海なんですよ。また「写真撮影しているところをうちの娘が学校帰りに見たと話していた」ことも
マリヤムさんのメールに書き添えてあった、うれしいことだ。

メールで撮影場所の名前がわかった・・ありがとうございました。帰りにスーパーによって鳥肉と
玉ねぎ、キュウリ、トマト買って今晩とあしたのぶんまで作っておこう、全部で500円ぐらい。

ブログの記事「投稿」しても・・「開けません」にがっくり。一からやり直してきょう3回目
「またかよー」9時過ぎに「投稿」もうやけくそ・・どうでもいいや・・おおー「入っていった」。
しかし今回も写真掲載はごくごく少ないがやむをえないなー。


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・オマーンでイランビザとれました 4月22~25日

2014年04月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所




2014年4月25日金曜      はれ       はれ
散歩のあと5階のレストランで朝食・・・目の前には大きな岩山が立ちはだかっている。その岩山
のふもとには24時間営業の大きなLuLuとゆうスーパーマーケット、日本のイオンといったところ
かな。

朝から行き交う人が多いなーと思ったら、今日は金曜日・・「フライデー広場」と呼ばれている屋
根付き会場にお店を出し始めているようだ。朝からパソコンに取り込む。

終わったらフライデー広場にも行ってみようと思っていたがパソコンが動かず夜になってしまい行
けなかった。


2014年4月24日木曜      はれ    はれ
きのうマネージャーが朝まで雨かもと言っていたが朝から晴れている。いつものように散歩を終え
て、朝食のあと部屋にいると先日取材を受けたオマーンの「ニュースペーパー」「the week」ホテ
ルのスタッフが大きく載ってるよと部屋まで4部持ってきて。

ほんとだ・・写真入りで出ている・が英語なので内容はわからない。また自慢話ができるな・・。
さっそく写真に撮ってパソコンに取り込んだ。

パスポートの写真をブログに貼りつけていたのを悪用されかねないので「よしたほうがいいのでは
」とアドバイスをメールでうけたので削除したりして時間をつぶす。


2014年4月23日水曜     はれ      はれくもり 31℃   
青い空ではなくて白の入った青空・・曇ったように感じる青空。だんだん陽ざしは弱弱しくなって
きたように感じる。夕方ホテルのマネージャーはこれから雨になりそうだ・・あしたの朝まで・・
とか言っているようだった。気温は上がっていない。

ついでに水の話・・
雨が一カ月以上も降らないオマーン・マスカット・・ホテルの水は勢いよく出てくるし
道路わきの植え込みの植物,木樹にも自動的に埋め込んだホースで補給しているようだ。いったい
水カメはどうなっているのか知りたくなる。地元のマリヤスさんにメールで聞いてみた。

雨が降らないオマーンの水事情・・・マリヤムさんにメールで聞いてみました。

ニズワに行ったときに灌漑システムを見てほしかったなぁ、綺麗な透き通った水が流れているん
ですよ。生活用水や農業につかわれています。

オマーンには河川とゆうものがありませんが3000級の山もあるので(禿山ばかりでなく、ち
ゃんと植物の茂っている山もあります)一部地域では地下水のようなものがあり、それを利用して
灌漑システムは作られています。

いわゆるオアシスもあるし・・まぁ、それはごく一部ですけどね。殆どの飲み水は海水をろ過して
塩分をとって淡水化。(一部、日本の技術がつかわれています)意外に思われるかもしれませんが、
ダムもあるんですよ!時間があればワデェ・ダイカとゆう所を見に行ってもらいたいです。

ダムとゆうより湖にみえちゃいます。農業の盛んな平野部では地下水のくみ上げもしていますが、
そういったところは塩害の被害や地盤沈下もあるようです。

道路の脇に植えてある植物には淡水化した水ではなく、ビュアなお水です。残った僅かな塩分で
お花が枯れたりしないように。(笑)

お水はどこの家や建物もまずは屋上に送ってタンクの貯めて、高低差を利用して水圧を上げてい
るのです。なので普通の家庭では2階よりも1階の方が水圧が高い。

でも最近ではプレッシャーマシンとゆう水圧を高くする機械を取り付けているところが多いので
(ホテルは勿論でしょうけど)水圧はいい感じに高くなっています。

イスラムではお水で洗浄する文化習慣ですからね。日本のウォッシュレットもマスカットに進出
していますが、思うようには売り込めないはず!普通に使っているハンドシャワーで十分ですし、
電気も必要ないし、自分で角度や水加減もかえられますものね。

これでおしりを洗うとやめられなくなりますね。(笑)マリヤム以上オマーンの水事情をわかり
やすく説明してくれました。ありがとうございました。

旅先での貴重な水

「コップ一杯」の水で歯みがきしてひげそって顔を洗った(濡らした)こともある。<タンザニア>

ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジと走って行き詰まった。タンガニーカ湖を貨物船でザン
ビアに・行かず・・途中タンザニアの山の中、小さい船着き場に下ろされた。誰も通らない・・

ころんだら終わりのダートの山道をタンザニアとザンビアの国境まで必死で走った。途中でうし
ろのバックが抜け落ちていた・・戻って探す気力なし。

集落についたときバックを探して来てほしいと頼んで国境に向かった。戻ってはこないことであき
らめてタンザニア国境にたどりついたとたん冷たいタイルの上に寝転んだ。

動けないほど疲れ切っていた。係官も見逃してしばらく寝かせてくれた。一軒あった宿に泊り次の
朝起きるとオートバイに乗った地元の人がバックを持ってきてくれた「これか」そうだ「これだよ」
よく探してくれたねー・・ありがとう。

お礼にお金を渡した。そばには女の人たちがポンプで水汲みをしている。コップ一杯水をわけて
もらった・・歯みがきして、ひげをそり、顔を洗った(ぬらした)アフリカでは貴重な水なのだ。

トイレの中の一筋の水できゅうり、トマトを洗う<西サハラ>

右から左から・・前からさざ波のごとく砂がおそってくる。首振り人形みたいに風にあおられる、
ヘルメットの中にも、目にも入ってくる。

朝から晩まで砂嵐の中走り続ける。今日だけは絶対生きよう蛍の光を歌いながら・・・「アーこ
れは人間がつくったものだ」「タイヤの切れ端」に励まされる。まわりは砂ばかりのサハラ砂漠。

道がない・・砂で道が消えている。道が見えるまで立ち止まる。風に磨かれた、割れたガラスの
ようにとがった小さい石だけがまわりに見える・・地獄。

おそろしいところに来たものだ。10日間2000キロほうほうの体でサハラ砂漠を抜けだした。
夕涼みしている地元の人たちがのんびり座っている中をホテルに入った。

水道がない・・どうした、トイレの中にある。一筋の水が出てくる、その水できゅうり、トマ
トを洗った。ここが一番苦労しているところだった。しかしビールはあった、地元の人に頼んで
買って来てもらった。以上水の話し、おわり。



オマーン・新聞社取材を受ける

4月22日火曜    はれ30℃     はれ13時・・31℃
ホテルのマネージャーがゆうべ9時頃部屋にやってきた。あしたニュースペーパーの取材が来ま
す・・どうしますか。

わたしはいつでもフリーです。じゃ、「ツモーローモーニング・ナインオクロック・で返事しま
す」朝9時OKです。返事してからどんな新聞なのか・・わたし一人よりもマリヤムさんに通訳
を頼んだ方がよかったかもと・・

朝すぐにマリヤムさんに「実は・・新聞取材をしたいときています」「時間があれば通訳をお願
いします」朝一番にメールを入れた。

ほんとうはマリヤムさんの時間に合わせる方が先だったのに逆になってしまった。連日「すみま
せん」と電話も入れた・・新聞社といっても「いろいろあるのでねー」一般の新聞ではないかも
しれないとマリヤムさん。




わたしにはまったくわからない。9時半だったら行けるとのこだった。ホテル・マネージャー
9時30分に取材時刻変更をおねがいした。

部屋のネットが遅いのでフロントに下りて打っていたら・・女性の新聞記者が見えた「この女性
は仕事が出来る女性」と直感(よくはずれる)。カメラマンもいっしょ・・マリヤムさんも時間
どうり9時30分に来てくれた。

なぜに旅を思いたたったのか、これまでの旅のこと、これから先の旅のこと、恐かったこと・家
族のことなど1時間ほどマリヤムさんの通訳で無事に終わった。

オマーンの人たちにはお世話になっているのでていねいに自分のことを伝えてほしい・・・通訳
なしでは、とても・とても不十分な説明で終わったことだろう・・やっぱりマリヤムさんに通訳
してもらってよかった。

カメラマンはホテルのこの場所ではなくてロケーションのいい場所にオートバイを移動して撮り
たいと・・午後1時に再び来ることになった。記者サジニさん、マリヤムさん、マツオ3人で記
念写真を撮った。



最後のところで実は選抜されたオマーンの学生14人は4月9日から日本の学生と広島・奈良・
京都・東京・新潟などでさまざまなテーマでデスカッションしながら友好の旅を続けて25日
にオマーンに戻ってくる。

その引率はスワーダさん。戻ってきた時は親会社の新聞「muskat dairyマスカットデイリー」
に話して取材をお願いしたいと話すと・・興味がありそう。

親会社の本紙よりこっちの新聞「ザ・ウイーク the week」の方が発行部数は多いんですよと笑
いながら・・「わたしが取材」しますとマリヤムさんに話した。

きょうの取材・あさって24日発行を楽しみに待とう。ジャスト1時だよといったん引き上げ
る時念を押した・・午後1時前にカメラマンがホテルに来た。スピード出したらついていけな
いからスロースロー両手の甲を前後にふたつならべて・・。

「ユーが前・・うしろがマイ・オートバイ」サッサッと動かして「ノー」・・・そうではなくて
・・ゆっくり甲を動かしてみせる・・「OK OK」暑くなると覚悟していたがきょうは31℃
と低い温度にホッとする。

もう二回も走って見たことがあるロータリーから見える宮殿みたいな場所についた。入口の柵ギ
リギリまでオートバイを乗り入れて撮影が始まった。貸し切りバスで下りてくる観光ツアー客
が次々に声をかけてくる。

ジャーマン・・ドイツ人が多いな。オートバイトいっしょに撮る人も結構いる・・うれしいも
んだ。「ジャパンから来た・・」「・・・・」「そう・・泳いできたの・・と水泳の格好で笑
わせる」オートバイの位置を動かしたりして20分ほどで撮影は終わった。

出来上がりの写真も「くれる」とカメラマン・・楽しみだ、バイバイ・・ありがとうございま
した。海岸を走りホテルに戻る途中青い海に豪華客船二隻が停泊している。



ははーん・・・さっきの観光客たちはこの客船から降りて来たのだろう。「松尾さんが昨日撮影
された場所は、アラムパレスですね。カブース国王はいくつかのパレスをお持ちですが、マスカ
ット市内にあるあのアラムパレスは主に執務、接見などに使かわれることが多いです。

パーティーとかでも使われることがあるし、花火を打ち上げることもあります。あのパレスの
裏は海なんですよ。また「写真撮影しているところをうちの娘が学校帰りに見たと話していた」
こともマリヤムさんのメールに書き添えてあった、うれしいことだ。

メールで撮影場所の名前がわかった・・ありがとうございました。帰りにスーパーによって鳥肉
と玉ねぎ、キュウリ、トマト買って今晩とあしたのぶんまで作っておこう、全部で500円ぐら
い。

ブログの記事「投稿」しても・・「開けません」にがっくり。一からやり直してきょう3回目
「またかよー」9時過ぎに「投稿」もうやけくそ・・どうでもいいや・・おおー「入っていった」

しかし今回も写真掲載はごくごく少ないがやむをえないなー。