第8次・71才・オートバイひとり旅・イタリアから出発
2015年2月2日月曜 はれ
オートバイを預けているイタリア・ミラノに向かって16時半自宅を出発。日暮里乗換・・
成田空港第1ターミナル18時30分到着。回転すし店に入る。
あと30分ぐらい7時15分で閉店とすし屋さん、だいぶ早い閉店だ。今いるヨーロッ
パ方面の第1ターミナルは閑散としている・・第2ターミナルの方がにぎやかであるよ
うに感じる。
ミラノまでの航空券はリコンファームしているので安心してカウンターで搭乗手続き・・
「エーエ・・」イタリアから日本への帰りの空港券がないので「イタリアで入国出来ない」
かもと・・カウンターの女性。
帰りはオートバイでシベリアから戻るので航空券は必要ないんです・・。それでも「航空
券は必要と」おかしなこと言う・・はじめてだ。
仕方がない払い戻しが出来る「航空券」を別の場所で買う覚悟をした。一番安い飛行機代
9万円もする・・もう1時間程経っている。
4時間前に来ているので時間的余裕はある最終的に「松尾さん」入国できなくても個人で
責任を持つことの「誓約書」を書いてもらえれば受付できますと・・・第一「帰りの航空
券」を見せろと着いた空港のどこの場所で言われるのか・・
そんなことありえないじゃないか、と思うが仕方がない誓約書にサインした。搭乗手続き
を終えて・・。出発は22時30分だったが30分繰り上がって22時00分になっている。
こんなことは初めてだけどこれまでも3時間前にはつくようにしているからあわてなくて
も・・よかった。飛行機に乗り込んだ・・いつも一番うしろの席は2・3・2別れている。
窓際だったが真ん中の3座席の真ん中をゲット・・食事を終えて12時を過ぎた。ひじ掛
をあげて座席はベッドになった・・身体が楽になる。朝方までぐっすり眠れた。
トルコ・イスタンブルについた、ここで乗り換え、今度はイタリア・ミラノ行きに乗り換
えだ。搭乗する段階になって一番うしろ席から真ん中あたりに替えられた。
理由を聞くが「言葉がわからない」・・「ダメだよ」予約しているのだから。飛行機に乗
って座席を確かめに行くと「32番」までしかなくて、わたしの「33番」の席はついて
なかった。
機種変更で座席がなくなったのだろう・・しょうがない真ん中あたりの座席で過ごすこと
になる。
一番うしろだと確実に景色が見れる座席なのだ。真ん中あたりの翼の上に座ったら景色な
ど見られないのだ。イタリア・ミラノについたのが11時頃。
列車一回乗り換えて宿のある場所まで駅にスムーズに着いた。みぞれが降ってきた。タク
シーでオートバイを預けている「ミラノ・ホンダ店」へ。
食事時間中であったが社長以下数人が中にいて対応してくれた。「長い間預かってもらい
ありがとうございました」お礼を述べる。
日本から持ってきたおみやげ「鎧(よろい)のついた日本人形」「はがきセット」を渡した。
「オーサムライだ」と社長は喜んでくれる。
オートバイの「スプリング」サブ「前照灯」の交換をお願いする。あした4日はお店の改造
でお休みなので・・5日以降になると社長の話。
オートバイといっしょに預けていた荷物を受け取り歩いて5分ぐらいのゲストハウス「カリ
フォルニア」に向かう。前回も泊っていた宿・・顔を覚えてくれていた。お世話になります。
近くのマーケットであったかいニワトリ、ブロイラー小を買って早めの晩飯を終わらせる。
もちろんビールも・・
疲れたので19時半ごろシャワーも浴びずにホッカロンを背中に貼ってベッドに入る。
日本を発ってから約24時間近くたっている。
2015年2月4日 くもり
日本よりちょっと寒い感じ・・7時半に起きてパソコンに向かう。9時すぎにマーケットで
買い物・・ビールを飲みながら12時過ぎまでかかって朝めし
午後荷物の整理、トランクケース一個にどうにか収まるといいのだがな・微妙なところだ。
17時頃から三階の食堂で自炊・・ニワトリを煮込んで・・晩飯・・ちょっと肌寒い。
こちら 2020・今日7日09:00より市長チームが走ります。第一走者はもちろん清水市長です。
勇躍跳ねてスタートさせるにはどうすりゃいいんだ?
松尾節の伝統を守ってやらねばなるまい。
などなどドーム下でガヤガヤやっています。
では旅の無事安全を祈る。
箕輪さん、宮田さん、川原さんにもよろしくお伝えください。
立春すぎのなのに、日本列島は冷蔵庫です。