8月19日多摩川を挟んで世田谷区と川崎市が同時多発ハナビ合戦が開戦される!
我が世田ヶ谷軍と多摩川川崎軍は首長の友情もあり友好条約を結んでいた。
しかし花火職人や業者の戦いは別である。
世田谷区民は「せ・たが屋〜!」と世田谷区の打ち上げを応援し
多摩川川崎市民は「たま(カワサキ)屋〜!」と声を上げる。 非武装中立の人は左右の花火を同時に見れる双子橋で観戦する。
米国、北朝鮮のミサイル合戦よりとても平和な合戦だ!
しかし今年は天気悪いなあ…雨で水入りにならない事を祈る。 (トニー世田谷落語より)

当代の売れっ子、春風亭小朝の噺、「たがや」によると。
両国橋の上は花火見物の人でいっぱい。そこへ本所の方から馬上ゆたかに塗り笠の侍。供の侍二人と槍持ちが一人で、花火見物承知で無粋にも橋を渡り始めた。反対の両国広小路の方からやって来た”たが屋”さん。
道具箱と青竹の”たが”を丸めて担いでいたが、人々に押されながら橋の中央まで来たがたまらず落としてしまうと、青竹のたががスルスルと伸びて馬上の殿様の陣笠を跳ね飛ばしてしまった。笠は川の中に落ちて、陣笠の中の土瓶敷きの様なものが残って、鼻から血を出しているので、回りの者が「ケポッ」と笑ったので、殿様カンカンに怒った。
「無礼者なおれ!。屋敷に来い!」、「お屋敷に行ったら首が無いので、親に免じて許して欲しい。」。何度も謝って許しを請うが「ならん!」の一言。たが屋さんけつをまくって、殿様に粋のいい啖呵で毒づく。殿様、我慢が出来ず、供侍に「切り捨て~ぃ」。
ガサガサの赤鰯(サビだらけの刀)で斬りつけるが喧嘩慣れしたたが屋さんに、反対に切り捨ててしまう。次の侍は出来るが、これもたが屋が幸いにも切り捨ててしまう。殿様槍をしごいてたが屋に向かうが、せんだんを切り落とされ、たが屋の踏み込むのが早く、殿様の首を「スパッ」。
中天高く上がった首に花火見物の人々が「たがや~」。
古典落語にもある。玉屋と鍵屋、かぎやは江戸時代、花火製造元の一つ。万治二年、初代の鍵屋弥兵衛によって創設。玉屋と並称された。その花火は、同業の鍵屋とともに江戸時代、川開きで人気があった。転じて、花火のあがる時のほめことばとしても用いる。(小学館;国語辞典)