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円ジョイ師匠とセタッシーの時事ネタ

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やなせたかしと私

2013-10-18 08:30:47 | マスター独り言
 『アンパンマン』の作者で漫画家のやなせたかしさんが13日、心不全のため東京都内の病院で亡くなった。94歳だった。

 やなせさんは、60歳を過ぎてから『アンパンマン』がヒットした大器晩成型の表現者として知られているが、それ以前にもグラフィックデザイナー、放送作家、作詞家として多方面で活動していた。『アンパンマン』が生まれるかなり前の1961年に作詞を手がけ、知り合いだったいずみたくが作曲した「手のひらを太陽に」は、特に大きな功績として残っている。同曲は1965年にボニージャックスが歌い、その暮れの『第16回NHK紅白歌合戦』で放送され、現在のように広く知られるようになった。

円ジョイが産まれた1960年代にこの詞が考えられ五年後、大ヒットした。円ジョイは砧保育園では毎日唄わせられた。

円ジョイは、空想癖で、いつもボーとした少年で、皆んなから、「ボンクラ」と呼ばれ、生きててもしょうがない人間と揶揄されていた。

そんな円ジョイが、考えた最初の替え歌♪がコレだった。

ボンクラはみんな 生きている生きているから 死んでない ボンクラみんな 生きている生きているから 死んでない 手のひらを太陽に すかしてみればまっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)ミミズだって オケラだってアメンボだって みんな みんな生きているんだ友だちなんだ。そうだそうだ 人間の友だちはいないんだ~♪(笑)

そして円ジョイは今、53歳である。心臓病と糖尿病の持病で苦しんでいます。

写真は円ジョイが毎日服用する大量の薬

やなせたかし氏も心臓病と糖尿病の持病をもちながら54歳でアンパンマンを考えた。

そしてアンパンマンが大ブレークしたのは氏が62歳の時でした。

その後の彼の活躍やパフォーマンスは知ってるよね。

とても円ジョイに愛と勇気を与えてくれた、やなせたかし氏に感謝と追悼いたします。ありがとう!さよなら。

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