雅子皇太子妃・徳仁皇太子・愛子内親王の現状は”第二の女系天皇問題”安倍元総理暗殺は第3の敗戦、愛子天皇は終末の敗戦だ

※当ブログでは明治典範にも違反する生前の譲位に抗議し、ブログタイトルは違法即位後も同タイトルとします。

#拡散希望 #女性天皇8方10代の意外な詳細ー #日本史 を深く細かくとらえよう/ふざけるな高円宮三女!日航機事故の日に納采の儀か 

2018年08月14日 23時59分59秒 | 昭和までの皇室(皇室が諫言で正された時代)
筆者はこのところ、日本史を改めて追っている。
最近の焦点は、古代史(古墳時代・奈良時代)および20世紀の戦前期である。
何故その世代なのかはひとまず置くとして、理由は2つある。

一つには、「サヨク的なるもの(日本解体・亡国という要素を必ずしも含まず、国政を否定し妨げる勢力とでも言おうか)」は、多くの時代に存在したのではないか、という疑問からである。
その例として、すでに明治新政権をあげてきている。
ちなみに、本日の話に関係する時代でもあるが、日本最初の「サヨク」は古代豪族の蘇我氏だったのではないか、とみている。昨今で言えば二階や石破の立ち位置と思う。

もう一つには、左翼陣営の理論武装対策である。常日頃ブログやツイッターで書いているが、奴らは手を替え品を替え、あらゆる角度から国民を騙しにかかり、日本という国を解体しようと執念を燃やし続けているからだ。そのためにはこちらも理論武装しないと、対抗できない。

本記事の構想をしているさなかに、毎日新聞がちょうどこのような記事を上げていて驚いた。

>この国はどこへ行こうとしているのか 平成最後の夏に… 国際日本文化研究センター教授・倉本一宏さん
>歴史学び戦争回避を
https://mainichi.jp/articles/20180813/dde/012/040/013000c

すでに歴史観関連では、反明治維新、新しい歴史区分や、日本史用語の削除などによる左翼側の工作がなされているが、まさか飛鳥時代の7世紀までさかのぼっての自虐史観が登場するとは驚いた。

一方で、保守思想の方でも、歴史について深い知識がなく、ただ教条主義的主張にとどまっている方もいるように思う。
大政奉還と王政復古の区別もつかない方もいて驚いた。
それでは勝てない。
自戒の念を込めて申したいが、筆者は日本史に造詣が深く、武家政権を手本とする立場でありながら、幕末明治維新については最近まで深く知らず、読者様のご教示をいただいて知るところとなり、我が身の不勉強を恥じ入るばかりである。

その例として、保守派の重大な関心事であり、かつ、どなたでもまず反対されるであろう女性天皇について、詳細を述べたいと論ずる。

最近でも池上彰が、歴史上もいたから問題ないだの、旧宮家復帰は国民の多くが反対しているだの、たわごとを並べているが、国民が皇位継承について十分な判断材料を持たない以上、それが正しい結論ではない。国防の意味もわからぬ国民が、9条が平和を守っていると信じているから正しい、というようなものだ。

女性天皇にはいけないという主張については、一般に、宮中祭祀は男系男子が前提であることも一つの理由になっている。もちろん筆者も同意である。
女系天皇(というより、正確には皇位継承の男女同権化)については、歴史上、天皇の父方はすべて皇族である、という掟が守られてきている。

皇位の男女同権化は今回置くとして、女性天皇の特異性について、もう少し踏み込んでとらえてみたい。

まず、歴代女性天皇10代8方の一覧である。第一に注目してほしいのは、最初の8代6方は古墳時代と奈良時代、1200年以上前の方であるということだ。

① 第33代推古天皇 ②第35代皇極天皇=第37代斉明天皇 ③第41代持統天皇 ④第43代元明天皇 ⑤第44代元正天皇 ⑥第46代孝謙天皇=第48代称徳天皇

ここまでは、古墳時代と奈良時代の御方ばかり。それから850年もの間、女性天皇はお一方もおられない。江戸時代になって

⑦ 第109代明正天皇 ⑧第113代後桜町天皇

以上である。

繰り返すが、称徳天皇までは古代の御方である。その時代は武家政権どころか、藤原氏の摂関政治すらなく、日本国家もまだまだ発展途上の時代だったのだ。
そういう時代のことを参考にできようか。
さらに踏み込んでみよう。

最初の推古天皇は、当時権勢をふるっていた蘇我馬子の姪である。その対策もあり、聖徳太子を摂政に抜擢した御方でもある。
実は、持統天皇までは、皇后経験者なのである。

推古天皇:29代敏達天皇の后(しかも、異母妹!!)
皇極天皇:先帝舒明天皇の后(しかも姪!)
持統天皇:先帝天武天皇の妃(しかもこれまた姪!)

現代なら許されない近親婚であることも興味深い。左側は、現代にそぐわないなどと攻撃してくるが、論旨はずれるものの、これこそ現代にそぐわないだろう。
この時代(次の元明天皇時代もだが)には、まだ皇后も生来の皇族であることが求められており、皇后を経て天皇になることも想定されていたようだ。

次の元明天皇、この方のときに平城京に遷都し、奈良時代を迎える。
この方は持統天皇の妹でもある。
この方もやはり、皇后を経ての天皇を想定されていたようだ。
夫君はいとこにあたる草壁皇子で、皇子は皇太子となるも、即位することなく薨去。元明天皇は皇太子妃にまではなっている。
この方の場合、御子の文武天皇が若くして崩御、御子から母君への継承、さらに娘の元正天皇へと継承される。
ちなみに、后・妃からの女性天皇は、この元明天皇が最後である。

元正天皇以後は、江戸時代のお二方に至るまで、今で言う生涯未婚であられた。

ちなみに、その次の聖武天皇には、初めて皇族外から后を迎えられた。藤原氏の出である光明皇后である。と言っても明治で言えば華族なので、貴い血筋ではある。

次の孝謙天皇には、再即位の称徳天皇の時代に、奸僧・弓削道鏡にたぶらかされ、和気清麻呂の諫言でそれを阻止される事態を招いた。

それから平安・鎌倉・南北朝・室町・戦国・安土桃山時代と、850年以上も女性天皇がおられなかった事実に目を向けるべきだろう。
歴史がくだり、社会が成熟するにつれ、女性天皇では問題が起きる、ということを認識されてきたのかもしれない。
光明皇后のことも影響しただろうと、筆者は思う。

なお、江戸時代のお二方だが、

明正天皇は江戸幕府の圧政に耐え兼ねた後水尾天皇に7歳で無理やり皇位を押し付けられ、21歳で譲位、以後50年以上も未婚のまま崩御。
特にこの方は、母が徳川秀忠の娘であり、唯一の徳川の血族でもあった天皇だった。そのために一生不自由な思いをしたそうな。
後桜町天皇も天皇と摂関家の対立を阻止するためにやむなく即位

という悲劇である。即位のために降嫁できなくなったのだ。

成熟してきた近世の江戸時代においては、幕府は天皇を敬いつつも政治からは切り離しており、まさに日本国の象徴という立場であった。そこは現代に通じるところがある。
江戸時代のみならず、武家政権以後、いや、現代まで1000年以上の間に女性天皇はこのお二方のみ。
そのことも、女性天皇はいけないという理由に加えてもよかろう。

明日は終戦の日。マスゴミが蠢いている。気をつけましょう。

追記です。
高円宮三女絢子女王は、こともあろうに日航機墜落事故で520人が犠牲になった日に納采の儀を行ったわけです。
祝福無用。

悲劇の女帝・明正天皇




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日本人なら忘れてはいけない、綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件は、戦後の日本弱体化、人権至上、子供性善説の招いた犠牲だ。

昭和から平成にまたがった女子高生コンクリ詰め殺人は終わっていない。犯人の凶悪少年4人(うち犯行現場の少年Cの両親は共産党員)が平然と社会復帰し、再犯までしている現在進行形の事件。 日本人なら被害者(あえて実名で)古田順子さんを弔おう。 元をたどれば戦後レジームの犠牲者だ。