何がどうかというと、もう卒業式シーズンも終わりましたが、小学生の頃の卒業式の予演は本当に時間の無駄だったなあと思う次第。別に自分たちが卒業する年ではなくて、上級生が卒業する年にゲネプロを何回も繰り返して、それに毎回参加させられてたのを思い出したので。
卒業式なんて、卒業証書授与の手順だけ当事者に示しておいて、あとは校長の挨拶、送辞、答辞、蛍の光の合唱くらいでよいのではないかと今では思います。よそは知りませんが、うちの小学校では「別れの言葉」というのがあって、卒業生が一言ずつ喋るのですがそれが台本があるので、何回も聞いてるうちに低学年でも覚えてしまったものです。
どんなのかというと、
「私たちは思い出す」
「桜の花の咲く頃に」
「母の手に引かれて校門をくぐった」
「あの入学の日の事を」
とかいうもの。これが延々と続くのですが、1行ずつ別の生徒が言うわけで、しかも毎年同じ文言なので感動もクソもありません。ゲネプロを何回もやるもんだから、聞いてる方も覚えちゃったりして。
とはいえ、私は自分でいうのもなんですが、小学生の頃はとても良い子だったので、こういう予演を気をつけしたままじっと聞いてるのは苦ではありませんでした。先生からすると扱いやすい子供だったのでしょうが、今となればそんな自分も嫌だし、そういう事をさせてた先生にも不信感を持ったりします。
退屈な時間を耐えられず、勝手に抜け出したり、適当にフラフラ踊ってたりする子供の方が将来大物になる予感があったりします。まあ私の場合は、小学生の頃は身長順で並ぶと大体前から三番目くらいだったので、勝手に列を抜けたりするのも無理だったのですが。
また、私の小学生の頃は通える範囲に私立の中学なんてなく、卒業すると全員同じ公立中学に入学する仕組みでした。しかも、同じ学区内にある他の小学校は小規模だったので、中学に進んでも同期は半分以上が同じ小学校からの生徒。友達関係はまず変わらないので、小学校の卒業式で泣く奴は、まずいませんでした。
ということで、決してセレモニー自体を否定するわけではありませんし、それはそれでやるべきと思いますが、予演を何回もやると段々感動は薄れるしその時間を勉強に当てた方がよろしいのではないでしょうかと、今さらながら思いました。
なお、兄の代の先生で卒業式に「仰げば尊し」を歌う事を反対した教師がおり、それ以来わが校では歌われることがなかったので、私は卒業式であれを歌った記憶はありません。その先生の言い分としては、「これを歌う事を強制するのは押し付けである。」という事だったそうです。そういう先生は面白そうですね。もしかして特殊な思想の方だったのかもしれませんが、卒業式のゲネプロを何回もやって当然と思うような人よりは好感が持てます。
そういえば、予演に延々と付き合わされた卒業式は覚えてるけど、自分の小学校の卒業式はほとんど覚えてないなあ。泣かなかったのは確かだけど。