迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

[各駅停車で南へ]その56・ドブロギター

2007年04月16日 | 旅する。
4月16日

月光荘でウダウダとゆんたくしていたら、セッションが始まった。

ブルースギターとドブロギター(ボトルネックでスライドギター)の饗宴。

こういう場面にちょくちょく出会えるから、ここは楽しい。

荷物を整理し、ちんだみ工芸に行って三線の指導を受け、大東そばの店で焼肉定食を食べたら、もう18時過ぎだった。

なぜか4人に膨れ上がったメンバーで那覇新港に向かい、宮古・石垣行きの飛龍に乗船する。




[各駅停車で南へ]その55・シュガーローフ

2007年04月16日 | 旅する。
4月16日

できなかった買い物のために、おもろ町までゆいレールに乗る。

首里の西に当たる、この辺りの丘は沖縄戦でも有数の激戦地である。

買い物の後、いまは貯水タンクが載っている丘に登ってみた。

米軍がシュガーローフと呼び、中隊まるまる2個分の人員を消耗した地には、その面影は、まったくない。

ただ、プレートがひとつ、僅かに当時の事情を伝えている。




[各駅停車で南へ]その54・楽園でも癒やしでもなく

2007年04月16日 | 旅する。
4月16日

近くの公園で三線の朝練習。

嫌がられることも、注目されることもなく、自然に集中できるのは、沖縄ならでは。

スーツケースを転がして歩く若い女性が立ち止まった。

「これが、三線ですか?」
「はい」
「はじめて聞きました。ありがとうございました」

もう、帰るところだという。はじめて聞いた三線が、私の弾く三線とは、光栄というか、気の毒というか。

いったん月光荘に戻り、起き出してきた人たちと話をし、いつものソーキそば350円を食べに行く。

買い物の用事があってパレットくもじまで歩く。しかし、買ったのは結局、予定にはなかった本3冊だけだった。

今回は、硬派で攻めてみた。沖縄は、私にとって「癒やされる」場所ではなく、忘れてはいけないことを「刻む」場所である。




[各駅停車で南へ]その53・朝の月光荘

2007年04月16日 | 旅する。
4月15-16日

船が那覇に着き、月光荘に投宿。「こんばんは」というよりも「ただいま」という感じ。

そして当然のようにコトブキに行き、ビールとご飯を頼み、店長イチに入籍した日の写真を渡す。屋久杉の写真立てつき。

呑んでいる面子に知った顔はいなかったのだが、自然に会話はつながり、乾杯し、笑い、歌って夜は更けていく。

気がつけば朝になっていた。