迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

[各駅停車で南へ]その82・あさひ食堂

2007年04月24日 | 旅する。
4月24日

石垣島に着いた。

今回泊まる島宿・月桃屋で荷物を預かってもらい、税関支所でパンフレットを収集してから、昼食に。

目指すはあさひ食堂。港からはやや距離があるが、ここは味、量、値段とも私好みなんである。

11時35分に着いたら、ちょうどシャッターが上がって開店した。まことに幸先がよろしい。

本日は「あさひ定食」をいただく。トンカツをメインに写真のような内容で550円(通常は600円だけど、本日のオススメなので)。

今日はこの後インターネットカフェ、図書館、有村産業で台湾行き往復乗船券の購入、税関支所で三線(蛇皮)の台湾持ち込みについての相談、月桃屋にチェックインなどなど、まったく観光せずに1日が終わったのであった。



[各駅停車で南へ]その81・またまた飛龍で

2007年04月24日 | 旅する。
4月24日

早朝5時過ぎに宿を出て、埠頭へ。

なんだか飛龍の船体が懐かしい。今度の旅でも、那覇→宮古島、宮古島→石垣島、石垣島→高雄(台湾)、基隆(台湾)→那覇と4回ほどお世話になる予定だ。

船はほぼ定刻に出港した。

埠頭では、どこかのゲストハウスだろうか、7、8人が船に向かって手を振っていた。こんな早い時間なのに。



[各駅停車で南へ]その80・宮古島で毛ガニ

2007年04月23日 | 旅する。
4月23日

北海道へと帰っていったヒデキから、毛ガニとウニが届いた。

なんて男前な。

その素晴らしい太っ腹に感動しつつ、ケイちゃんからはお手製かぼちゃコロッケ、私はステーキ温野菜添えを作り、稀にみる絢爛豪華な晩餐会となる。

皆さん、とくにヒデキ、ありがとう。

そして今夜を最後に私はつるみ荘を去る。

「ラストナイトの人が負ける」というジンクスは破られず、ウノで負けた私は最後の晩も洗い物に勤しむのであった。

でも、最後も三線ナイトで盛り上がったし、「今日も絶好調だった」と、日記には書いておこう。



[各駅停車で南へ]その79・また来年も会おうね!

2007年04月23日 | 旅する。
4月23日

トライアスロン一家も帰っていく。

昨夜はトライアスロンを完走した選手を祝勝会に付き合わせ、さんざん飲ませてしまった。

鯨太選手は、なんと予備のゼッケンとIDカードを記念に宿に置いていってくれた。注目の順位は94位! なんと来年のシード権を獲得して目標達成!

一家揃って(とくに子どもたち二人が)つるみ荘を気に入ったようで、なんだか来年も会えそうな気がする。

また来年!

(って、来年もまた宮古島に三線持って来るのか?>自分)



[各駅停車で南へ]その78・ありがとう

2007年04月23日 | 旅する。
4月23日

一夜明けて、選手たちはそれぞれ旅立って行った。

千尋選手は、トライアスロン大会記念ボトルをわざわざ宿にプレゼントして置いていってくれた。

「夢だったんですよ、こうしてみんなでゴールするのが」

沖縄らしく、いつも飄々と笑いの絶えない楽しいひとが、しみじみと喜んでくれた。

……………*………………

千尋選手は「ギリギリ滑り込みですよ」とか言っていたのに、制限時間の1時間以上も前に陸上競技場に入って来て、すでに呑み会状態だった我々はあやうく最後の併走に間に合わないところだった。(応援部隊はゴールまで走る一瞬に賭けているのだ)

完走が目標の選手たちはこの時間帯に続々入って来る。脚をさすりながら、あるいは立ち止まってまた走り出し、片足を引きずりつつ。

三線を抱えて千尋選手とゴール(というか、その直前まで併走)した後に、とある選手たちからお礼を言われた。あのバイク2周目の坂道のカチャーシー応援で、とても元気が出たと、わざわざ伝えに来てくれたのだ。

……………*………………

選手たちは二人とも何度もありがとうと言ってくれたけど、お礼を言いたいのはむしろ、こちらの方である。

ありがとう、いいものを見せていただきました。



[各駅停車で南へ]その77・ゴール!

2007年04月22日 | 旅する。
4月22日

宮古島の場合、トップからラストまで最終では約6時間の差が出る。バイク2周目でも、選手は途切れずに続き、我々三線隊は同じフレーズばかり3時間以上弾き続けた結果、左手は攣り、右手は腱鞘炎になりそうだった。まるで三線耐久レースかも。

しかし、その後もランの折り返しコースで、さらにゴールの陸上競技場へと移動しながらカチャーシー応援をやり続けたのであった。

そして、来年のシード権を目指す鯨太選手が早くもゴール! しかも目標の9時間台を達成!

さらに応援部隊も最後の100mほどを選手と併走(できるんだな、これが宮古島では。さすがにゴール直前で家族以外は外に誘導されるんだけど)し、ゴール後に家族を抱きしめてくずおれる感動のラストまで見届けた。

その後、インタビュー用のお立ち台を勝手に借りて記念撮影する。

単に同じ宿に泊まっているだけなのに、ゴールの感動にここまで便乗させてもらって、なんだか泣ける。


[各駅停車で南へ]その76・唐船ドーイ

2007年04月22日 | 旅する。
4月22日

宿のみんなでバイク2周目の応援に出掛ける。

今度は三線を持って行き、長い登り坂の終盤でかき鳴らして選手を鼓舞しようという狙いである。
なっちゃんはなぜかレースクイーンのようないでたちなのだが、本人の弁によれば「雨に濡れてもいいように下に水着を着ている」のだそうだ。

三線で唐船ドーイの歌持ち(ま、イントロですね)を延々弾く作戦は思った以上に効果があり、弾けば選手のペースが上がる(ような気がする)。

しかし、あまりに受けてしまい、自転車を漕ぎながらカチャーシーを踊り始めた選手が少なからずいたのには驚いた。



[各駅停車で南へ]その74・200.195Km

2007年04月22日 | 旅する。
4月22日

宮古島トライアスロン大会の当日になった。

トライアスロンにもいろいろあるそうだが、宮古島大会はロングの部類に入り、スイム3Km+バイク155Km+ラン42.195Kmと合計200.195Kmで争われる。

なんだか書いているだけで気が遠くなってきた。

スタートは朝7時30分、制限時間は14時間なので、夜9時30分までにゴールすれば完走となる。

バイクのコースは宮古島の外周を一回り半するので、島中の人が近所のどこかで応援できるようなかたちになっている。

(言わずもがなと思うが、バイクは自転車のことでオートバイではないので、よろしく。勘違いしている人はいないと思うけど)


[各駅停車で南へ]その73・鯨の絵コンペ

2007年04月21日 | 旅する。
4月21日

私がいま泊まっている宿「つるみ荘」にも、明日のトライアスロン大会に出場する選手が2人宿泊されている(つい敬語になってしまった)。

本人の意向なんか聞く前に、勝手に「応援したい!」とお祭り好きの血が騒ぐらしく、応援用の横断幕の製作に宿のスタッフと宿泊客で取りかかる。

選手のうち、おひとりは「鯨太(けいた)」というお名前なので、「潮を吹け!!鯨太」というコピーに仮決定している。

みんなそれぞれが図案を描いて、いいものを採用しようということになったのだが、そういう訳で、描きやすい鯨の絵コンペの様相を呈する。

しかし、抜きん出て説得力のある絵心の持ち主はいなかったらしく、結局採用されたのは私の描いた鯨だった。なんてこったい。

途中からは選手本人や選手の妻(この人だけが絵心を持っていた!)にも加わっていただき、どうやら横断幕が完成しつつある。

本来は明朝早くスタートする選手のために、夜9時消灯のはずだったのだが、夕食を食べ始めたのは10時過ぎだった。



[各駅停車で南へ]その72・浜辺の練習

2007年04月21日 | 旅する。
4月21日

今朝ふたたび、パイナガマ・ビーチへ三線の練習に行った。

トライアスロン大会を明日に控えた出場選手たちが、スイムの練習をしていた。

沖では、10人ほど乗せた手こぎボートがオールのタイミングを合わせる練習をしていた。たぶん、ハーリー(旧暦5月5日前後に沖縄各地で行われる伝統行事のボート競走)に出るのだろう。

みんな種目は違うけど、同じビーチで練習しているのが、なんだか嬉しくて、張り切って弾いた。



[各駅停車で南へ]その71・意地悪は、好きだから

2007年04月20日 | 旅する。
4月20日

ミホが「肩車して」とせがんできた。

この宿には、近所の子どもたちが、毎日大挙して遊びに来る。

ミホを肩の上に乗せて、1ブロックをぐるっと回る。

「あおい組ではね、…」と、保育園から幼稚園に移った話を延々としてくれる。

宿の玄関前では、サンダルを持って男の子が逃げ回っていた。一緒に遊んでくれたネーネー(宿にしばらく滞在した客)がこれから帰ってしまうので、意地悪しているらしい。

「本当に帰るのか」(ここはウチナーグチのイントネーションで)と、強がっている。

この島の子どもたちは、切ないくらい、純粋だ。


[各駅停車で南へ]その70・やさいカレー

2007年04月20日 | 旅する。
4月20日

南下して帰る途中、間那津(まなつ)でカフェ「茶音間(ちゃのま)」に寄る。

食事タイムぎりぎりだったが、やさいカレーとターメリックバターライスを頼めた。

ここは、本格的にスパイシーなカレーも凄いが、そのゆるりとした居心地が素晴らしい。

とくに、庭の東屋で海を眺めながらまったりするのは気持ちよさげだった。