真夜中の2分前

時事評論ブログ
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Know Your Enemy

2015-11-03 21:03:14 | 音楽と社会
  鎖だらけの国を指弾しろ
  なに? 自由の国だって?
  お前にそう教えたやつこそがお前の敵さ

                          ――Rage against the Machine, ‘Know Your Enemy'


 最近、当ブログでは音楽ネタもよく扱っているので、今回はその流れでいきたい。
 もうだいぶ前のことになるが、10月18日にSEALDs などによって渋谷で街宣が行わた。この街宣に、ヒップホップグループのスチャダラパーが登場したという。
 こうなると、例によって、「ミュージシャンが政治的な発言をするのは……」的な文句をつける人たちがいるわけだが、これはとんでもないいいがかりというものである。
 ヒップホップは、政治的な発言をしてなんぼというジャンルなのだ。レゲエもそうだが、(“レゲエ”という言葉自体が、“抗議する”という意味の言葉からきているといわれる)ヒップホップもまた、社会批判を出発点とするレベルミュージックなのである。Public Enemy などを聞けば、それはよくわかるだろう。

 そして、その Public Enemy からも影響を受け、ヒップホップを取り入れたサウンドでヘヴィロック最強との呼び声も高いバンドが、Rage Against The Machine。というわけで、今回はこの RAM について書く。

 RAMといえば、ディープな政治的メッセージをのせたゴリゴリのサウンドで知られる。
 たとえば、冒頭に引用した Know Your Enemy という曲。タイトルを訳すれば「お前の敵を知れ」という意味だが、本当の敵から目をそらすさまざまなプロパガンダが行き渡ったアメリカ社会で、お前の本当の敵が誰なのかを認識しろという歌である。


  闘え 常識なんかクソくらえ
  もう我慢はできない
  無関心にはうんざりだ

 
 と、激しい言葉が連なる。
 あるいは、Bullet in the Head の一節。


  鉤十字を黄色いリボンでくるんでも
  お前のプロパガンダはデタラメだ
  愚か者たちはルールに従い
  やつらが“青”といえば血の色も“青”になる
  そうやって お前の頭は銃弾でぶっとばされるのさ

  政府が独裁化していくのを立ち尽くしてみているだけの生ける屍たちに
  俺は叫んでやる
  スクリーンの上には静寂
  そしてお前たちは眩惑されてしまった


 「黄色いリボン」というのは、遠くに行っている家族の帰りを待つ家が黄色いリボンを掲げる習慣を表しているということだが、「鉤十次を黄色いリボンでくるむ」というのは、侵略的な戦争を兵士の美談にすりかえるアメリカの欺瞞を糾弾したものだろう。ウソと欺瞞に満ちた戦争を引き起こしながら、「国に尽くす兵士とその帰りを待つ家族」という美談でそれを覆い隠す。メディアもそれに加担する――そんな姿は、もう日本にもせまってきている。いや、あるいは、すでにそうなっているのかもしれない。上の引用部分は、まるで今の日本を歌っているようではないか。
 次に、No Shelter の一節。

  第四帝国のハゲタカ、アメリカ
  “アメリカンドリーム”に縛られて、お前たちは求め続ける。
  娯楽と戦争とのあいだのあやふやな境界線を

  避難場所はどこにもない
  前線はいたるところにある

  アメリカの目 アメリカの目
  世界をアメリカの目で見るんだ
  過去は埋もれさせ 盲目の民から奪えるだけ奪い
  あとには何も残すな

 
 「第四帝国」というのは、もちろんヒトラーのドイツ第三帝国を意識した表現である。RAMは、ここまでゴリゴリにアメリカを批判しているのだ。私も彼らのメッセージに必ずしも全面的に賛同するわけではないが、ヴォーカルのザック・デ・ラ・ロッチャが紡ぎだす言葉の破壊力は抜群である。
 そして、ギタリストのトム・モレロもまた、負けず劣らず政治的にラディカルだ。
 RAMがいったん解散した後の話になるが、トム・モレロは、System of a Down のメンバーらとともに Axis of Justice という政治団体を結成して、反ブッシュキャンペーンをはったりもしている。この団体名は、訳すると「正義の枢軸」ということで、ブッシュが使った「悪の枢軸」という言葉をもじったものである。ミュージシャンなら、これぐらいやって当然なのだ。ちなみ、トム・モレロは The Nightwatchman 名義でソロ活動もしているが、こうした活動はあのマイケル・ムーア監督ともつながっている。

 2000年に一度解散したRAMだが、最近になって再結成した。そして再結成してからも、そのラディカルさは変わらない。
 2012年のことである。米共和党で若手のホープと目され、当時共和党の副大統領候補となっていたポール・ライアン下院議員がRAMのファンだというのだが、これに対してトム・モレロは「笑える」と一蹴。「彼は、われわれが20年間怒りをぶつけてきたマシーンの体現者だ」「どのバンドが好きでもいいけれど、富裕層に富を集める彼のビジョンは、我々のメッセージと正反対だ」と、鋭く批判している。繰り返すが、ミュージシャンならこれぐらいやって当然なのである。

 さて、最後に、彼らの代表曲の一つであるGuerrilla Radio という歌を紹介する。この曲では、2000年当時のアメリカ大統領選についてこう歌う。


   ゴアか、それとも麻薬王の息子か
   どっちもクソくらえだ コードを切れ


 ゴアとは、民主党のアル・ゴアのことで、「麻薬王の息子」というのはブッシュ前大統領のことである。結果としては、さまざまな不正を疑われながら、総得票数で敗れているにも関わらず、ブッシュが勝利し、アメリカを泥沼の戦争に引きずり込んでいったのは周知のとおり。RAMのメッセージにもっと多くの人が耳を傾けていたなら……と思わずにいられないではないか。最後に、この歌のもっとも盛り上がるパートを引用して、この記事を結ぼう。
 

  どこかで はじめなけりゃならない
  いつか はじめなけりゃならない
  だったら、ここではじめろ
  今はじめろ

Get Up Stand Up

2015-10-11 21:52:05 | 音楽と社会
 前回ボブ・マーリィのことを書いた。
 うっかり失念していてそこに書きそびれたこともあったので、ついでに、今回はもう少しこのレゲエ・レジェンドについて書こうと思う。

 まず――突然だが、関西にSADLという団体がある。
 関西で設立された政治運動団体としてSEALDsKANSAIと並んでよく知られる存在だが、このSADLという団体名の最初の「SA」というのは、ボブ・マーリィの Small Axe という曲からとられているという。
 このタイトルは、直訳すると「小さな斧」。


  お前が大木だとするなら、俺たちは小さな斧
  お前を打ち倒す準備はできている


 と、ボブ・マーリィは歌う。
 小さな斧でも、それがたくさん集まれば、巨大な木を切り倒すことができる。そんなふうに、一人ひとりの力は小さくとも、それが結集すれば社会を変革する大きな力となる――そういう意味がこの歌にはこめられている。そして、そのスピリットに基づいてSADLは行動しているのだ。

 そして、ここでもう一曲。
 ボブ・マーリィと社会運動について考えるなら、絶対にはずせない曲が Get up Stand up だ。この歌で彼は、きわめてストレートに“目を覚ませ、立ち上がれ”と呼びかける。


  目を覚ませ 立ち上がれ
  お前の権利に目覚めるんだ
  目を覚ませ 立ち上がれ
  権利のために立ち上がれ
  目を覚ませ 立ち上がれ
  あきらめずに闘い続けるんだ


 もう一つ、シャープな曲として、Ambush in the Night などという曲もある。
 このタイトルは、直訳すれば「闇夜で待ち伏せ」といったところか。
 この歌の歌詞は、はじめはこう歌われる。

  やつらはいう 
  俺たちの知っていることは やつらの教え込んだこと
  俺たちは無知で
  いつでも自分たちの政治戦略を植えつけられると


 このように政府の国民に対するプロパガンダ戦略を痛烈に批判するのだが、それが、2ヴァース目では次のようになる。

  俺たちの知っていることは やつらの教え込んだことじゃない
  俺たちはばかじゃない
  やつらも 権力で俺たちに干渉することはできない

 
 まさに、プロパガンダ戦略をこれでもかと繰り出してくる安倍政権に対するときの心がまえを説いているような歌ではないか。「安保法制は平和のため」とか「日本の経済のために原発再稼働が必要」などというまことしやかな嘘を信じ込まされるほど、日本人は愚かであってはならない。


 さて、ここまではラディカルな曲ばかりを紹介してきたが、もちろんボブ・マーリィとて、いつもこうして政治闘争を呼びかけるような歌ばかりを歌っているわけではない。
 ふつうのラブソングだって歌うし、ときにはきわめて楽観的なところも見せる。たとえば、No Woman No Cry では、こんなふうに歌う。


  これまで歩んできた道で
  多くの仲間を得て 多くの仲間を失くした
  この輝かしい未来のなかでも
  過去を忘れることはできやしない
  だから 涙をふいて

  女よ 泣くな
  女よ 泣くな
  かわいい子 涙を流さないで
  女よ 泣くな

  おぼえているよ
  トレンチタウンの広場に座って ジョージーが火を焚いた
  焚き木は夜通し燃え続け 僕らはコーンミールの粥を作った
  これからもそれを分かち合っていこう

  僕を運んでくれるのは 僕の足だけ
  だから 僕は進み続けりゃならないんだ
  力尽き果てたときにも

  きっと何もかもうまくいくさ
  きっと何もかもうまくいくさ……


 この歌の作者としてV.Ford という人物の名がクレジットされているが、それについては、次のような逸話がある。
 ――このフォードという人物はボブ・マーリィの友人で、貧民街で炊き出しのような事業をしていた(歌の中に出てくる、「コーンミールの粥」というのはそのことを歌っていると思われる)。No Woman No cry を実際に作ったのはもちろんボブ・マーリィ本人だが、彼は、レコードの収益の一部がフォードにまわって救済事業の援助になるようにと考え、友人の名前をクレジットした……
 この話が本当かどうかはわからないが、権力者に都合のいい来世救済ではなくて、あくまでもいま生きている民衆の生きていく権利を重視したボブ・マーリィらしい話とはいえるだろう。

 いまの日本は、ボブ・マーリィの政治的なメッセージが必要とされる状況になっている。
 重要なのは、自分はただの「小さな斧」にすぎない、とあきらめてしまわないことだ。現状を追認するのではなく、炊き出しのような、自分にできる小さなことからはじめる。そうすれば、やがて「小さな斧」が束になって、巨大な木をも打ち倒すことができる。あきらめてしまえば、そこですべてが終わり、いっさいが闇に飲み込まれる。 「目を覚ませ 立ち上がれ」というボブ・マーリィのメッセージに、今こそ耳を傾けよう。

One Love/People Get Ready

2015-10-09 21:03:26 | 音楽と社会
 最近、当ブログでは「集団的自衛権行使事例を検証する」というシリーズをやっているが、ずっとそればかりをやっているのもあれなので、時おり時事ネタも扱っていきたい。というわけで、今回は(少し前の話になるが)安倍首相のジャマイカ訪問について書く。

 先日ジャマイカを訪問した安倍総理は、ボブ・マーリィ博物館を訪れたという。
 伝えられるところによれば、ボブ・マーリィの代表曲One Love/People Get Ready にあわせて、ジャマイカのシンプソンミラー首相が歌を口ずさみ、我らが安倍総理も曲の調子にあわせながらそれを聴いていたという。
 これは、私にはまったくのブラックジョークとしか思えない。
 件のOne Love/People Get Ready の歌詞は、まさに安倍総理に対するあてつけのような内容なのである。
 その歌詞の一部を抜き出すと、次のような感じだ。


  自分自身を守るためだけに 
  すべての人類を傷つけるような罪人に
  居場所はない

  裁きのときを生き延びる望みが
  薄くなってく連中に 憐れみを

  そのときがくれば やつらに逃れる術はない


 一読しておわかりのとおり、これはまさに、国民の生活を無視して「戦争のできる国」作りに邁進する安倍総理のような人物を指弾する歌なのである。
 もしかして、ジャマイカの首相はそれをわかっていてやった? だとしたら、ファインプレーである。

 ちなみにこの歌は、カーティス・メイフィールド(インプレッションズ)の代表曲である People Get Ready とボブ・マーリィ自身の曲 All in One とをミックスさせて作った曲だが、もとになった People Get Ready は、次のような歌詞である。
 
  みんな準備をするんだ 汽車がくるよ
  荷物はいらない ただ乗り込めばいい
  信じる心さえあれば、ディーゼルのハミングが聞こえるさ
  乗車券はいらない 祈りさえすればいい


 公民権運動時代に発表されたこの曲は、運動に参加する人たちに呼びかける内容とされる。この歌もまた、いま安倍政権に対して抗議行動をしている人たちにこそふさわしいといえるだろう。


 さて、話をボブ・マーリィに戻すと、彼は、社会的なメッセージを歌にしたレゲエミュージシャンというだけでなく、みずから活動し、実際にジャマイカの政治状況を変えた人物でもある。それもあって、今にいたるまで多くの人々にリスペクトされているのだ。
 ウィル・スミス主演の映画『アイ・アム・ア・レジェンド』では、暗殺者に銃撃されてそれでもステージに立ったボブ・マーリィのこんな言葉が紹介されていた。

 「世の中を悪くしようとするやつらは、一日も休まない。寝ていられるか」
 「闇を光で照らすんだ」

 これこそまさに、安倍政権に抵抗している人たちの側の言葉ではないか。
 やっぱり、ジャマイカの首相はそのへんをわかっていたのだろうか。かえすがえすもファインプレーである。
 ボブ・マーリィの話が出たついでなので、最後に彼のもう一つの代表曲である Redemption Song の歌詞を紹介してこの記事を結ぼう。


  精神的な奴隷状態から、自分自身を解き放つんだ
  おれたちの心を自由にできるのは おれたち自身だけ
  原子力なんかおそれるな 
  やつらだって時間をとめることはできない
  いったいいつまで
  預言者たちが命を落とすのを
  おれたちは黙って見過ごし続けるのだろう
  それはもう決められたことだというやつもいる
  おれたちは、その物語を完成させなければならないと

  歌わせてくれないか
  この自由の歌を
  だって 俺にあるのは
  救いの歌だけ 

ファイト!

2015-09-23 20:04:20 | 音楽と社会
 先日、安保関連法案の反対運動に関するツイッターを見ていて、ある歌の引用を目にした。中島みゆきの「ファイト」という歌である。あらためてその歌詞を思い起こしてみると、じつにいまの状況にぴったりな気がしてきた。そこで本記事では、今回の騒動とからめて勝手に注釈をくわえながら、この歌を紹介したい。


  あたし 中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた
  女の子の手紙の文字は 尖りながら震えている
  ガキのくせにと頬を打たれ 少年達の目が歳をとる
  悔しさを握りしめすぎた拳のなか 爪が突き刺さる



 このフレーズは、「就職できなくて震える」などと心ない大人たちから罵声を浴びせられる若者たちの姿を思い起こさせる。


  わたし本当は目撃したんです 昨日の夜 電車の駅 階段で
  転がり落ちた子どもと 突き飛ばした女の薄笑い
  私こわくなってしまって 助けもせず 叫びもしなかった
  ただ怖くて 逃げました 私の敵は私です



 転がり落ちた子どもと、突き飛ばした女の薄笑い――この一節からは、未来世代を終わりのない対立と紛争の淵に突き落とす法案を薄笑いを浮かべながら通す与党議員らの姿が思い浮かぶ。そんな状況に遭遇して、助けもせず、叫びもせずに、ただ怖くて逃げてしまうような自分を許せないという人たちが立ち上がり、全国各地で声をあげた。そんな人たちにむけられたエールのように感じられるのが、次のサビの部分。


  ファイト!
  闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
  ファイト!
  冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ


 さらにそこからの歌詞は、まさにいまの状況を歌っているようだ。


  暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
  光ってるのは傷ついて はがれかけた鱗がゆれるから
  いっそ水の流れに身をまかせ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
  やせこけて そんなにやせこけて
  魚たち のぼってゆく
  勝つか負けるか それはわからない
  それでもとにかく闘いの 出場通知を抱きしめて
  あいつは海になりました


 この部分に注釈は不要だろう。
 抗議活動などしたところで意味がないという人もいるが、絶望的な状況で、それでも立ち向かっていく姿は、多くの人に勇気を与えるのではないだろうか。それによって、また新たに立ち上がる人が出てくる。その連鎖が、今回の大規模な抗議行動につながった。


  薄情者が田舎の町に 後足で砂ばかけるっていわれてさ
  出てくならお前の身内も 住めんようにしちゃるっていわれてさ
  うっかり燃やしたことにして やっぱり燃やせんかったこの切符
  あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京行き

  あたし男に生まれたらよかったわ 力づくで男の思うままに
  ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれたよかったわ


 終盤の歌詞は、このように暗澹とした状況が歌われる。これは個人的な感想だが、私の地元である福岡あたりの方言で歌われているために、なお切々とせまってくる。“世間”、あるいはどこか官僚主義的な日常とでもいうべきものが、重苦しくのしかかってくる。
 しかし最後は、かすかな希望のようなものを見せてもくれる。


  ああ小魚たちの群れ きらきらと
  海のなかの国境をこえてゆく
  あきらめという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく



 いま、小魚たちの群れは、“あきらめという名の鎖”から逃れつつあるのかもしれない。
 そこに大きな苦難が待ちかまえているであろうことはたしかだが、暗い水の流れに身をまかせて流れ落ちてしまうことなく抗う力と勇気を、抗議者たちは見せてくれたし、今も見せ続けている。その力は、やがて海のなかの見えない国境をこえてゆくかもしれない。
 政府与党の側は、とにかく法案をごり押しに可決成立させることで、抗議者たちがあきらめてしまうことを狙っている。だが、あきらめることなく、世の中を闇の淵に引きずり込んでいく重力に抗い続けるかぎり、希望はある。傷つき、やせこけても、それでも水の中をのぼってゆく魚たちの群れに、最後にもう一度このフレーズを繰り返しておこう。


  ファイト!
  闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
  ファイト!
  冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ

We Shall Overcome

2015-07-21 21:10:03 | 音楽と社会
 安保法案は衆院で可決され参院に送られましたが、反対運動は退潮するどころか、ますます拡大しています。そこで今回は、いつもとは少し趣向を変えて、安倍政治に反対して声をあげる人たちへの応援歌として一つの歌を紹介したいと思います。
 それは、We Shall Overcomeという歌です。
 もとはゴスペルとされ、昨年亡くなったフォークの大物ピート・シーガーによって広められ、60年代、アメリカで社会運動が盛んだった頃にボブ・ディランやジョーン・バエズらによって歌われていた歌です。もう半世紀も前の歌ですが、その内容はまさにいまの私たちにこそぴったりだと思えます。以下に、その歌詞の拙訳を掲載します。心が震える名曲なので、ぜひ聴いてみてください。


  私たちは打ち勝つだろう
  私たちは打ち勝つだろう
  いつの日か 私たちは打ち勝つだろう
  胸の奥深く 私は信じている
  いつの日か 私たちは打ち勝つだろう

  手をとりあって歩いていこう 
  手をとりあって歩いていこう
  いつの日か 手をとりあって歩いていこう
  胸の奥深く 私は信じている
  いつの日か 私たちは打ち勝つだろう

  私たちはおそれない
  私たちはおそれない
  いま 私たちはおそれはしない
  胸の奥深く 私は信じている
  いつの日か 私たちは打ち勝つだろう