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立憲デモクラシーのすすめ

2015-11-29 20:45:51 | 安保法廃止を求める抗議行動


 10日ぶりに、安保法廃止を求める抗議運動についての記事を書く。
 抗議運動として、いつもはデモやスタンディングアピールなど路上の行動をとりあげている当ブログだが、今回は屋内である。11月29日、学者らで作る「立憲デモクラシーの会」の主催で、「安保法制以後の憲法と民主主義」と題したシンポジウムが行われた。これに私も参加してきた。



 「立憲デモクラシーの会」は、主に東京でシンポジウムを行っているが、11月になってからは地方講演会も行っている。公式サイトによれば11月の20日に北海道であの「戦争したくなくてふるえる。」デモの主催団体らとともにシンポジウムを行ったのを皮切りに、来年1月の岡山まで、都合三回が今のところ予定されていて、福岡はその2回目となる。山口二郎、中野晃一、阪口正二郎という錚々たる顔ぶれが、福岡の明治安田生命ホールに登場し、福岡で活動する「戦争を許さない福岡県民委員会」、ママの会、FYM、九条の会の代表者らとともにパネルディスカッションを行った。下の画像は、中野晃一氏による基調講演の様子。



 基調講演は、阪口、中野両氏によって行われたが、このうち阪口氏は、憲法学の観点から安倍自民党の政治姿勢を批判した。
 阪口氏は、自民党の憲法草案が現行憲法の97条を削除していることについて、基本的人権の普遍性を尊重するという観点からして「明治憲法よりも後退している」とする。明治憲法でさえ、海外の憲法を基にして、ある種の普遍性をそこにもたせようとしていたにもかかわらず、自民党の改憲草案はそのような普遍的な視点を持っていないという指摘だ。基本的人権については11条などにも書かれているから重複する条文は必要ない――というのが自民党の主張なわけだが、しかし憲法の最高法規性を扱う第10章にこの条文があることには、重要な意味がある。人類の長い歴史で積み重ねられてきた普遍的価値として基本的人権があり、それを保障するがゆえに憲法は最高法規であるということを示しているからだ。単に日本国憲法に基本的人権の規定を入れるか入れないかという選択の問題ではなく、それがまず根底にあって、それこそが憲法が最高法規であることの源泉なのだから、この条文を削除するということは、まさに基本的人権という普遍的価値のうえに成り立つ“狭義の立憲主義”の否定にほかならない。あの武藤貴也氏のツイッター発言などを見れば、それはよくわかるだろう。彼らは基本的人権というものを頭から敵視していて、そうであるから、そもそも憲法を云々する資格がないのである。

 また、中野晃一氏は、安倍政権を“DV政権”と批判した。
 そのこころは、相手をねじ伏せ、屈服させ、無力化させることで、“自発的な服従”を強いようとしているということ。“自発的な服従”というのは矛盾しているように聞こえるが、国民が抵抗の意思をなくし、もう何をいっても無駄だと従順に従うようになることこそが安倍政権の目論見なのである。中野氏は、ここに歴史認識の問題もからめて、従軍慰安婦問題をその象徴と見る。すなわち、安倍自民史観では、従軍慰安婦というのは“自発的”に服従した人たちであって、そうであるから文句をいう資格がないという認識になるわけだ。そしてそれは、安倍政権の国家観が実現されれば、日本は、誰しもが従軍慰安婦のような立場を強いられる国になってしまうということを意味してもいる。
 そして中野氏は、憲法と人権の問題だけでなく、安全保障という観点からも安保法制に異論を唱える(※)。
 この講演において中野氏が指摘するのは、“抑止力”という言葉の空疎さ。抑止力が抑止力として機能するためには、「○○という行動を起こしたら△△という結果を招く」ということが具体的に知られている必要がある。たとえば身近な例としていえば、子供に対して「宿題をやらなかったらテレビを見させない」というようなことである。「テレビを見させない」という結果が具体的に提示されて、はじめて「宿題をやらないとまずい」という判断につながるわけで、ペナルティによって相手の行動をコントロールしようとするなら、このように具体性があり、かつそれを相手が事前にそれを知っていることが必要となる。ところが、安倍政権は、安保法制に関する国会での審議で、具体的に何ができて何ができないのかということを明確にせず、「総合的判断」というブラックボックスのなかに入れ、あいまいなままにしてしまった。これでは、具体的なケースが想定されないから、たとえば中国が何か行動を起こしたとして、それに対して日本が何をして、何をしないのかがまったくわからない。これでは“抑止力”など働きようがない――という批判である。

 基調講演後のパネルディスカッションでは、各団体のこれまでの活動や今後の取り組みが報告された。
 全有権者の6人に1人が投票するだけで自公が勝ててしまう現在の状況(中野晃一氏の分析による。ただし、参院では少し事情が違うだろう)では、見通しはまだまだ厳しいが、民間から無所属の候補を立てるなどの動きも今回報告された。ただ無所属候補を立てたのでは共倒れになるだけだが、しかし「無所属候補に野党が推薦で相乗り」という形なら、特定の党の候補に一本化するよりもハードルが低く、勝負できる見込みも出てくる。これはひとつの有効な方法かもしれない。
 ともかくも、各団体がまったくあきらめていないということが重要だ。今回参加したどのグループも、今後の活動にむけていろいろと考えている。そしてもちろん、この場にきていない団体もある。司会役の山口二郎氏は「違憲インフレ」という言葉を使ったが、憲法違反があちこちでまかりとおって“日常茶飯事”になってしまえば、憲法を破ることが当たり前になり、政府はなんでもやりたい放題となってしまう――そういう状況を許さないために、今後市民運動がいっそう連帯していく必要がある。そういう意味でも、「立憲デモクラシーの会」がこのように地方で講演会を開くことには大きな意義があると感じられた。来年以降も、ぜひ全国を行脚してもらいたいと思う次第である。



※……中野氏は、安全保障を専門とする学者からは批判の声が出ないので政治学者や憲法学者がやらざるをえないと嘆く。
中野氏によれば、安全保障の専門家が安保法制を批判しないのは、必ずしもそれに賛成しているからではなく、彼らが「日米安保ムラ」の住人だからだ。日米安保に異論を唱えるようなことをいうと学界で相手にされなくなるので、そういうことをいえない。それは、「原発ムラ」で原発を批判することができないのと同じ構図である。

忘れられた内戦――集団的自衛権行使事例を検証する(アフリカの2事例:チャド、アンゴラ)

2015-11-25 20:15:05 | 集団的自衛権行使事例を検証する



 前回からだいぶ時間があいてしまったが、集団的自衛権の行使事例を検証するシリーズの5回目を書く。
 今回は、80年代におけるアフリカの2つの事例として、チャドとアンゴラをとりあげる。アフリカでは、90年代のコンゴ民主共和国の事例もあるが、これついては、また別に扱うことにしたい。コンゴのケースはチャドやアンゴラとは少し性格がちがっているのと、集団的自衛権行使の全事例のなかでも突出して規模が大きいためである。


 「忘れられた内戦」という言葉がある。
 内戦が何十年も続いているような場合に使われる言葉だが、アフリカでは長期にわたって続く内戦が多く、そのように呼ばれるものが少なくない。
 また、この言い方には、「国際社会からあまり関心を払われていない」という含意もある。実際、図書館などに行ってみても、よほど有名なものでもないかぎり、アフリカの内戦を個別にとりあげた資料はあまり置かれていない。前回シリーズ第四弾の記事を書いてからこの記事を書くまでに一ヶ月以上時間かかったのも、これらの内戦について調べようにも、資料が乏しいためである。
 
 なぜ、アフリカではそのような内戦が多いのか。そこには、次のような事情があると考えられる。
 長いあいだ植民地状態に置かれていた国が独立し、いきなり自分たちで政治をやれといわれても、そう簡単にはいかない。政党政治のノウハウもないし、現地の歴史や文化を無視した国境線によって、複雑な民族・宗教構成になっていたりする。そういうところでは、部族主義や宗派主義が幅を利かせることになる。また、天然資源に恵まれていれば、それはそれで問題の種ともなる。天然資源は、その利益の配分をめぐってむしろ紛争の原因となったり、その資源に関わる産業以外の産業を逆に衰退させたりすることがよくあり、「資源の呪い」などという言葉もあるぐらいだ。資源の呪いにとりつかれた国は、豊富な天然資源をもちながら、外資とそれに連なる一部の特権階級だけが利益を得て、国内には不満ばかりが募るということにもなる。このような事情から、アフリカでは、慢性的な内戦状態に陥る国が少なくなかった。

 そして、チャドも、そのような国の一つである。
 チャドが独立したのは「アフリカの年」とも呼ばれた1960年のこと。その直後1966年ごろから内戦状態に陥り、80年代になるとフランス、リビア、アメリカが「集団的自衛権の行使」としてこの内戦に介入してきた。

 そのうち、まずフランスの介入について。
 チャドにとってフランスは旧宗主国であり、その関係からフランスに介入を要請したということなのだが、しかし、この件をそう素直に受け取ってよいものかという疑念もある。
 フランスは、ああみえて覇権主義的な政治思想が色濃く残っている国で、あえてNATOに参加しないなど独自外交路線をとっていたこともある(だから核兵器も保有している)し、第二次大戦後もアフリカの旧植民地にしばしば介入していたといわれる。あえていうならば、そのようなあり方が最近のパリ同時多発テロにも間接的につながっている部分はあるだろう。
 軍事的なものはそう多くはないだろうが、軍事介入でなくとも、フランスは「コーペラン」と呼ばれる行政顧問を派遣し、自国に有利になるようにその政府の内部情報をフランス企業に流したりしているという。アフリカのフランス語圏国のほとんどにこのコーペランは送り込まれていて、アフリカ諸国の内政に干渉しているといわれる。
 実際チャドに関しても、90年にデビがチャドの首都ンジャメナを占領して、フランスが支援していたハブレが亡命に追い込まれた際に、フランスの外相は「フランスが一国の政府の選択を行った時代は終った」と、これまで旧植民地の内政に干渉してきたことを認める発言をしている。
 かつてのいわゆる列強諸国は事実上の植民地のことを“保護領”などといって植民地支配を正当化していたわけだが、そういう状況は第二次大戦後もあった。イギリスやフランスなどは、アフリカではある程度円満に植民地状態を解消して独立の後も旧植民地と親密な関係を持ち続けていたが、それは“新植民地主義”と紙一重だ。チャドへのフランスの介入も、自国に有利な体制を“保護”しようとういう新植民地主義の一環といえるのではないだろうか。


 次に、リビアの介入について。
 1980年代のリビアは、今はなきカダフィ大佐の時代である。その頃のリビアは、“植民地解放闘争”として、世界各国のテロリストを支援していた。そして、チャドについてもみずからと関係の深いグクーニを支援して、チャドで反政府闘争を起こさせていた。この介入が、集団的自衛権の行使とされる。最終的に、フランスの支援するハブレを追い落として、グクーニは大統領に就任する。
 そして、このリビアの介入が、三番目のアメリカの介入にも関わってくる。
 アメリカは、テロリストを支援するリビアをかねてから強く非難しており、リビアの支援するグクーニが政権を掌握したことを受けて、このチャド内戦にも介入してくる。さらには、1986年にベルリンで起きたディスコ爆破事件に対する報復として、米軍がリビアを爆撃するという事態にいたっている。この爆撃は、カダフィ殺害を狙ったものといわれ、首都トリポリやベンガジが爆撃され、一般市民にも多くの犠牲者を出した。
 この件をリビアの側からみれば、集団的自衛権を行使したことによって、むしろ自国を危険にさらしたということになる。集団的自衛権を行使してチャドに介入したことが、米国の介入を誘発し、自国が空爆されるという事態を招いたのだから(チャドの件だけが原因ではないにせよ、当然それも一つの大きな要因だったはずだ)。
 そして、周知のとおり、カダフィ体制は現在ではすでに消滅してしまっている。そこにいたるまでにはもちろんさまざまな要素がからみあっているわけだが、少なくとも、チャドへの介入がリビアという国を守る方向に働いたとはとうてい考えられない。それどころか、むしろ、国家崩壊にいたるプロセスの一つであることはあきらかだ。集団的自衛権は、自衛どころか、それを行使した国をも深刻な危険にさらすのである。

 そして、総合的にみて、チャドの事例も、集団的自衛権の行使例として“失敗例”といわざるをえない。
 結果としては、これらの介入はチャドの内戦状態を収束させることにはならなかった。チャドという国は、半世紀以上にわたって断続的に内戦状態が続いており、いまでも政情が安定しているとはいいがたい。そして、その治安の悪さにつけこんで、過激派組織ボコ・ハラムの勢力が忍び寄っている。集団的自衛権の行使によって介入を受けたレバノンやイエメンが、ヒズボラ、AQAP、フーシ派といった過激派の拠点となっていることと相似形である。集団的自衛権は、ここでも、内戦を泥沼化させ、周辺地域の治安を悪化させ、間接的にテロ組織の活動を手助けしてさえいるのだ。


 そして、アンゴラについて。
 アンゴラは、旧ポルトガル植民地で、1975年に独立したが、複数の勢力が複雑に対立しあい、それぞれに独立式典を行うなど、独立の時点から国が十分に統一されていない状況にあった。
 なかでもMPLAとUNITAの対立は、それぞれソ連、アメリカの支援を受けていて、東西の代理戦争という側面をもっていた。そこに南アフリカ共和国の介入もあって、ソ連の仲介でキューバ兵がアンゴラにやってくる。このキューバによるアンゴラへの介入が、集団的自衛権の行使事例である。
 そこにいたる経緯から、このケースは「東西冷戦を背景にした介入」というパターンに属する。前回扱ったソ連によるアフガン侵攻に近いといえるだろう。
 そして、前回の記事で指摘した構図はここでもみられる。
 キューバ兵の進駐によって、MPLAは、ひとまず南ア勢力を撃退することには成功した。しかし、アンゴラに多くのキューバ兵が駐留しているという状況が、対立するUNITAの背後にいるアメリカを刺激した。当時のアメリカは他国への干渉に積極的だったレーガン大統領の時代であり、そのレーガンのもとでUNITAに大規模な軍事援助が行われる。こうして、南ア軍を撃退したはいいものの、キューバによる介入から10年近くにわたって内戦は続いていくことになる。結局のところ、集団的自衛権による介入は、紛争を終らせることにはならなかったわけだ。
 これは、ソ連がアフガンに侵攻したときに、その直接的な目的は果たしたものの、その後およそ十年にわたる泥沼の戦争に引きずり込まれることになったのと同じである。そして、アメリカがベトナムに侵攻したときもやはり同じように、十年近い泥沼の戦争となった。先ほど紹介したチャドでも、複数の国が介入したことによって内戦は泥沼化した――このようにみてくれば、集団的自衛権というものが平和にも安全にもまったく寄与しないことがわかるだろう。

 しかも、アンゴラの場合は、ベトナムよりもアフガンに近い。
 先ほど10年近くにわたって内戦が続いたと書いたが、その内戦の終わりは、あくまでも一時的なものでしかなかった。
 その後選挙が行われたのだが、この選挙で敗れたUNITA側が選挙に不正があったと主張して内戦を再開する。その後も断続的に戦闘が続き、UNITAの首魁であるサビンビが死去してようやく最終的な和平合意が成立したのは、2002年のことである。アンゴラは、独立から実に30年近くも内戦が続いたことになる。そして、集団的自衛権が行使されたのは、そのごく初期。それが、内戦を終らせるどころか、他国のさらなる介入を招き、内戦を泥沼化させたのはあきらかだ。
 内戦の死者は350万人ともいわれ、この内戦のあいだに国土の3分の2が地雷原となり、アンゴラの全人口を上回るともいわれるその地雷がいまでも被害をもたらし続けている。そのうちのかなりの部分が、集団的自衛権によるものなのである。

参院選にむけて、市民組織のすすめ

2015-11-22 21:45:11 | 政治・経済
 安保法強行採決から2ヶ月となる11月19日、野党共闘にむけて、SEALDsや学者の会らの市民団体が、野党五党の幹部らと国会で意見交換した。その場で、市民側の組織を作ることが提案されたという。

 これは、政党側への提案ということだったようだが、私はこの際、政党とは関係なしに、勝手に市民側の団体を作るというのもありではないかと思っている。
 参院選にむけた市民組織をつくり、その組織の側で、各選挙区で一人の候補者をピックアップして勝手に推薦し、勝手に応援する――そういうスタイルもありなのではないかと思う。
 現状からわかるとおり、野党の政治家たちだけに任せていては野党共闘はなかなか進まない。政治家たちができないなら、有権者がみずからやるしかない。そういう発想である。

 そのような市民側の組織をつくることが、一種の話題性となって、ふたたび安保法制への関心を高めることになるだろう。
 そして、「ひょっとしたらこれで安倍政権をやめさせることができるかもしれない」という見通しが出てくることが、「どうせ選挙に行っても無駄だ」と思っていたような人たちに行動を促すことにもなる。また、仮に一人区で勝てなかったとしても、比例票を掘り起こす効果も期待できる。

 TPPの大筋合意にいたったことで、自民党内でも地方組織では中央に反感を持つ人が少なくないと考えられる。そして地方では一人区が多い。そういう意味で、低投票率のなかで自民党政権を支えている強固な地盤の一部にややほころびが生じている状況もあるでのはないか。
 そこへ、反アベ政治の民意を結集させれば、来夏の参院選で野党を過半数割れに追い込むことはじゅうぶんに可能だ。

安倍政権、悪行の軌跡:アベノミクス

2015-11-20 16:24:10 | 安倍政権、悪行の軌跡
 先日、7-9月期のGDPが発表された。0.2%。2期連続のマイナスである。

 年率に換算すると、0.8%となる。個人消費は回復が見られたものの、企業の設備投資が落ち込み、マイナスになったという。マイナスの幅は小さいが、しかし数字が小さいからといって無視していいというものでもない。数字そのものよりも、2期連続のマイナスであるということが重要だ。
 GDPの伸び率というのは「前期比」という相対的な部分があるので、前期が大きく伸びているときには、その次の期には低く出る傾向があるし、前期が大きなマイナスであれば、その次の期は反動で大きなプラスになったりする。このことを根拠に、4-6月期のマイナスの数字が出たときには、「前の期が大きなプラスだったからその反動でマイナスになっただけだ」という主張もあった。
 しかし、ここで7-9でもマイナスになったということは重大である。先の理屈でいえば、前期が大きなマイナスだったのだから、今期は数字がプラスに出やすい状況にあったといえる。しかし、それにもかかわらずマイナスの数字が出たのだ。こうなってくると、事態はそう楽観的には見ていられないのかもしれない。
 もちろんこのマイナス成長は、中国経済の失速やギリシャ危機といった要因が重なったことが背景にあり、二期連続でマイナスになったことで次期に大きなプラスの数字が出る可能性もじゅうぶんに考えられるが、しかしそれでもなお、私はこれが一時的な落ち込みではすまされないのではないかという懸念をぬぐえない。
 そのように考える根拠として、ここで一冊の本を紹介しよう。北岡孝義・明治大学教授の著書『アベノミクスの危険な罠』(PHP研究所)である。
 この本のなかで、北岡氏は“異次元緩和”の効果について分析しているのだが、その分析の結果、マーケットの期待によって株価の上昇、物価の上昇、景気の改善といった効果はある程度もたらされるが、30ヶ月ほどでその効果は失われるという結論が紹介されている。異次元緩和をはじめてからしばらくは景気浮揚などの効果がえられるが、30ヶ月、つまり2年半ほどでそうした効果は消滅するというのだ。そして、“異次元緩和”がはじまって2年半というのは、ちょうど今年の4-6月期、7-9月期ごろにあたっているのである。北岡氏が「異次元緩和の効果が失われる」と分析した時期に、2期連続でのマイナス成長。これを果たして偶然の一致と片付けていいのか。いよいよ“アベノミクス”のめっきがはがれはじめたのではないか――そんなふうにも思えるのである。おりしも、最近アメリカの『ウォールストリート・ジャーナル』がアベノミクスの失速を指摘する記事を掲載しているというが、そろそろ安倍政権の経済政策は曲がり角にきているのかもしれない。
 

 また、仮に今回のマイナス成長が一時的なものにすぎず、今後これまでと同じような状況が続いていくとしても、果たして本当にアベノミクスが日本の経済をよくしているかは微妙なところだと私は思う。それは、多くの人には景気がよくなっているというふうに実感されていないからということなのだが、この点について、最近『赤旗新聞』日曜版でアベノミクスを鋭く批判する記事を目にしたので、それを紹介したい(かなりややこしい説明なので、こういうのが苦手だという人はここから二段落ほど飛ばして、たとえを使った説明のほうを読んでもらいたい)。
 松本明・立命館大学教授の筆になるそのコラムによれば、この三年ほどの円安によっても、輸出数量は増加していない。にもかかわらず、輸出企業の利益は上がっている。利益があがっている以上、そのお金がどこからかやってきているはずだ。それはどこかというと、「家計」だ――と松本氏は指摘する。円安によってもたらされた輸入物価の上昇で家計から支出されたお金が、輸出企業の利益となっているというのだ。
 円安で輸入品の価格が上昇すれば、当然それに対する家計の支出は増える。それに対して輸出企業は、円安によって、輸出する商品の量が同じであっても得られる円が増える。これは、見方を変えれば、為替を媒介にして一般消費者から輸出企業へカネが移動しているだけとも解釈できる。つまり、円とドルの交換というカラクリによって、家計から輸出企業にむかってお金が流れていっているということだ。輸出の総数量自体が増えていれば、まだ「たとえ利益の配分にばらつきがあっても全体としてはプラスになっている」といえるが、輸出数量が変化していない以上、実際には日本国内でお金が移転しているにすぎない――という指摘である。

 わかりやすいように単純化した例で説明すると、次のような感じだろう。

 たとえば、去年1ドル100円だったのが今年1ドル120円の円安になったとする。
 それまで一個一ドルのリンゴは、100円で買えたのが、120円に値上がりする。そのぶんだけ、一般の消費者は負担が増える。それに対して、日本の輸出業者が1個1ドルのみかんを輸出する場合、これまではそれで100円の代金を得られていたのが、120円得られることになる。つまり、為替レートの変動によって、一般消費者は支出が増えて損をし、輸出企業は得られる代金が増えて得をする。
 この為替変動を前提として、仮に去年と今年に「リンゴ100個を輸入してみかん100個を輸出する」という同じ取引が行われた場合を考えてみよう。そうすると、去年に比べて今年は家計の支出が2000円増えて(一個あたりの値上がり額20円×100個)、企業の利益は2000円増える(一個あたりの値上がり額20円×100個)ことになる。一方、取引されたリンゴとみかんの数自体は変わっていないのだから、貿易相手国のほうは去年と同様に輸出も輸入も10000ドルで、増えても減ってもいない。ということは、去年と今年の変化というのは、実質的には日本の国内で家計から企業に2000円が移動したにすぎないとみることができる。(画像参照)

 もちろんこれは、輸出入のコストとか関税とかいったことを無視して相当に単純化した説明だが、松本氏によれば、これと同じようなことがいま現に起きている。
 このような構図では、日本国内の富の総量は変わらず、一般家計の負担だけが増して、格差が拡大していくばかりである。それで短期的に企業は儲かるとしても、結局は個人消費がジリ貧になって日本の経済全体は衰退の一途ということになるだろう。以前、派遣法についての記事でも書いたが、このように大企業の目先の利益だけを考えて、将来的にはむしろ日本経済を地盤沈下させていく、という衰亡のシナリオこそが、アベノミクスなるものの正体ではないのか。

9月19日は「いけんの日」

2015-11-19 23:20:11 | 安保法廃止を求める抗議行動
 最近のニュースで聞いたところによれば、一般社団法人「日本記念日協会」が、9月19日を「いけんの日」と呼ぶことに決めたそうだ。
 朝日新聞(電子版)によれば、この協会はこれまで1300の記念日を認定していて、安保法採決の日をどう呼ぶかを以前から議論していたが、このほど「9・19いけんの日(平和への思いを忘れない日)」とすることにきめた。ひらがなで「いけん」となっているのは、“違憲”だけでなく、“意見”、“異見”もかけてあるため。自分の意見をもち、異見に耳を傾けることの大切さを訴える声が多かったということでそうしたそうだ。
 「違憲」はもちろん、「意見」も「異見」もいちいちもっともなことだが、私はここに、福岡県民の立場からもう一つの意味をつけくわえたいと思う。
 福岡あたりの言葉では、「いけない」というのを「いけん」ということがある。今年の夏に「安保法案いけんくない!? パレードデモ」というのがあったが、「いけんくない?」というのは「いけないんじゃない?」というほどの意味で、そこに「違憲じゃない?」という意味をかけてあるわけだ。
 ということで、福岡県民からすると、「いけんの日」というのは「そんなことしたらいけん」の日とも読める。案外、この意味こそ9月19日という日にもっともふさわしいのではないだろうか。

 そして、その「いけんの日」から2ヶ月となる11月19日にも、まさに「そんなことしたらいけん」と福岡ではさまざまな活動が行われている。
 このブログではたびたび紹介している学生団体FYMはもちろんのこと、県下各地の「9条の会」、革新懇など、さまざまな団体がアピールを行っているようだ。もしかすると、その数は先月の19日よりも増えているかもしれない。平日ということも会って私は残念ながら参加することができていないのだが、しかし、こうした行動が途切れずに継続していることは心強いかぎりである。

 話を元に戻すと、この記念日の名前に「平和への思いを忘れない日」とサブタイトルのようなものがついているのは、安保法への賛否はわかれても、「平和を願う気持ちは同じ」だからということだそうだ。
 昨日の記事でも書いたが、平和を守るためにどうするかということを真剣に考えなければいけない。このブログでは、集団的自衛権で平和を実現することはできないと一貫して主張してきたが、いま世界で起きていることは、武力によって平和を作り出すことは不可能だということを示しているのではないだろうか。武力の行使はさらなる暴力の拡大にしかつながらないという“現実”を無視した安保法は一刻も早く廃止するべきだ。そのためにも、来年の参院選で与党に“ノー”の意思を示すことをあらためて広く呼びかけたい。