団結した人民に対しては、いかなる人間も勝つことができない
――フィデル・カストロ
カストロが死んだ。
1959年のキューバ革命からおよそ70年。じつに、90歳の大往生である。
以前から健康不安がささやかれていたから、このことで特にキューバで混乱が起きるということはなさそうだ。むしろ問題なのは、カストロが晩年に関係改善を進めていた相手であるアメリカのほうだろう。
トランプ氏が次期大統領に決定したことで、関係改善にむけて動いていたアメリカとキューバの動きが逆戻りするのではないかという懸念が出ている。
実際、トランプ氏はカストロ死去の報に「残忍な独裁者が死去した」と述べ、オバマ大統領がキューバへのさまざまな制裁措置を緩和した大統領令を覆す可能性も示唆している。さすが、「壁を作るのは得意」と豪語するだけのことはあって、無闇に対立を作り出すことにかけては並ぶものない次期大統領だ。
そのような対決的姿勢に逆戻りすれば、斜陽のアメリカにまた一つ不安要素がうまれることになるだろう。
かつてキューバ革命のとき、アメリカは徹底的にこの新生社会主義国家に干渉したが、その結果、逆にキューバを完全に社会主義陣営に追いやる結果になり、それがキューバ危機にもつながった。その歴史の教訓に鑑みれば、対立の先にはアメリカにとっても不利益な結果しかないのはあきらかなのである。
トランプ氏は、キューバを残虐な独裁国家と認識しているのかもしれないが、そのキューバにあるグアンタナモ基地でアメリカは何をしてきたのか。
キューバを“保護領”化する過程で奪い取ったこの基地で、アメリカは世界各地で捕まえた“適性戦闘員”を拘束し、ろくな裁判も受けさせず虐待を行ってきた。グアンタナモ以外にも、アブグレイブやバグラムのことを考えれば、アメリカにキューバを独裁国家呼ばわりする資格はないのである。
……とトランプ次期大統領の話をしていても気分が悪くなるだけなので、ここで話をカストロに戻す。
20世紀の初頭にアメリカの“保護領”となったキューバでは、外国資本と大地主による搾取、そしてそれと結託したバティスタ独裁体制が国民を苦しめていた。
そこに現れたのが、フィデル・カストロである。弁護士であったカストロは、革命家チェ・ゲバラとともに、バティスタ体制打倒のための闘争を開始する。わずか135人ではじまった戦いは、5年ほどでキューバ全土に拡大し、バティスタ打倒に成功したのだった。
この闘争の過程でカストロが民衆を鼓舞するために語ったのが、冒頭に引用したフレーズである。
団結した人民に対しては、いかなる人間も勝つことができない――重みのある言葉だ。もちろん革命後のキューバの社会主義体制にはほめられない部分もいくつもあったろうが、ひどい独裁体制がその前にあったということも忘れてはいけない。それを武装闘争で倒さなければならない状況があってのキューバ革命であり、だからこそカストロは革命家として名を馳せてきたのである。
――フィデル・カストロ
カストロが死んだ。
1959年のキューバ革命からおよそ70年。じつに、90歳の大往生である。
以前から健康不安がささやかれていたから、このことで特にキューバで混乱が起きるということはなさそうだ。むしろ問題なのは、カストロが晩年に関係改善を進めていた相手であるアメリカのほうだろう。
トランプ氏が次期大統領に決定したことで、関係改善にむけて動いていたアメリカとキューバの動きが逆戻りするのではないかという懸念が出ている。
実際、トランプ氏はカストロ死去の報に「残忍な独裁者が死去した」と述べ、オバマ大統領がキューバへのさまざまな制裁措置を緩和した大統領令を覆す可能性も示唆している。さすが、「壁を作るのは得意」と豪語するだけのことはあって、無闇に対立を作り出すことにかけては並ぶものない次期大統領だ。
そのような対決的姿勢に逆戻りすれば、斜陽のアメリカにまた一つ不安要素がうまれることになるだろう。
かつてキューバ革命のとき、アメリカは徹底的にこの新生社会主義国家に干渉したが、その結果、逆にキューバを完全に社会主義陣営に追いやる結果になり、それがキューバ危機にもつながった。その歴史の教訓に鑑みれば、対立の先にはアメリカにとっても不利益な結果しかないのはあきらかなのである。
トランプ氏は、キューバを残虐な独裁国家と認識しているのかもしれないが、そのキューバにあるグアンタナモ基地でアメリカは何をしてきたのか。
キューバを“保護領”化する過程で奪い取ったこの基地で、アメリカは世界各地で捕まえた“適性戦闘員”を拘束し、ろくな裁判も受けさせず虐待を行ってきた。グアンタナモ以外にも、アブグレイブやバグラムのことを考えれば、アメリカにキューバを独裁国家呼ばわりする資格はないのである。
……とトランプ次期大統領の話をしていても気分が悪くなるだけなので、ここで話をカストロに戻す。
20世紀の初頭にアメリカの“保護領”となったキューバでは、外国資本と大地主による搾取、そしてそれと結託したバティスタ独裁体制が国民を苦しめていた。
そこに現れたのが、フィデル・カストロである。弁護士であったカストロは、革命家チェ・ゲバラとともに、バティスタ体制打倒のための闘争を開始する。わずか135人ではじまった戦いは、5年ほどでキューバ全土に拡大し、バティスタ打倒に成功したのだった。
この闘争の過程でカストロが民衆を鼓舞するために語ったのが、冒頭に引用したフレーズである。
団結した人民に対しては、いかなる人間も勝つことができない――重みのある言葉だ。もちろん革命後のキューバの社会主義体制にはほめられない部分もいくつもあったろうが、ひどい独裁体制がその前にあったということも忘れてはいけない。それを武装闘争で倒さなければならない状況があってのキューバ革命であり、だからこそカストロは革命家として名を馳せてきたのである。