真夜中の2分前

時事評論ブログ
「真夜中の5分前」→「3分前」→「2分前」に

「土人」という暴言――沖縄を植民地扱いする本土の差別意識

2016-10-24 00:19:07 | 沖縄
 沖縄のヘリパッド移設工事をめぐる問題で、機動隊員が反対派の住民に対して「土人」という言葉を使ったことが問題になっている。

 当ブログでは沖縄の基地問題についても過去に何度か記事を書いてきた。
 その一環として、今回はこの暴言問題について書きたい。

 まず「土人」という、日常ではあまり使わない言葉について。
 これは、開拓地などに住んでいる先住民に対して“未開の民族”といった意味合いで使う言葉だろう。手持ちの国語辞典で引いてみると、「その国土に生まれ住んでいる人」という意味についで2番目に、「未開地の土着民。未開人」とある。かつて、日本政府がアイヌ民族のことを「土人」と呼んで「北海道旧土人保護法」などという法律を作っていたことを思い起こせば、この言葉の奥底には差別意識が潜んでいるのが感じられるだろう。
 今回「土人」という暴言を発した本人は「侮蔑的な意味合いがあることは知らなかった」と釈明しているそうだが、それはかなり疑わしい。侮蔑的な意味合いを知らずに、あの文脈でこの言葉が出てくるものだろうか?

 当ブログでは、政府の沖縄に対する姿勢はまるで植民地政策だと批判してきたが、今回の「土人」発言でそれがあきらかになったと思う。

 日本に近代国家ができる過程での沖縄は植民地として編入された。そして、いまでも、宗主国が植民地にむける差別意識が一部の人間に染み付いているのではないだろうか。

 その差別意識は、沖縄に対する踏んだり蹴ったりの仕打ちにみてとれる。

 太平洋戦争中の日本軍は、沖縄戦において、現地住民を守らなかった。
 守るどころか、「人間の盾」として利用し、住民が助けを求めてきてもそれを拒否して見殺しにし、場合によってはスパイ扱いさえした。そして戦後は、そこにアメリカの基地が集中する状況を黙認し、沖縄がどれだけ抗議しても頑として聞き入れようとしない――そういう姿勢の行き着く先として、今回の「土人」発言があるわけだろう。

 ちなみに、 今回の件に関する報道によれば、「土人」という言葉はネットスラングとして福島県の人を指して使われることも多いらしい。福島の人のことを、原発事故後の「補助金で生活している人」ときめつけて、侮辱の意味をこめてそう呼ぶのだそうだ。

 これもまさに、植民地主義だろう。
 首都圏のための電気をつくる施設を押し付けておいて、それを反省するどころか、さらに罵声を浴びせかける。かつてアメリカが先住民に対してとってきた態度と瓜二つだ。
 

 最後に、当ブログ休止中にあった動きとして、国と沖縄県との法廷闘争についても触れておこう。
 今年の三月、国と沖縄県は、いったん和解した。これについて当ブログでは、参院選にむけて沖縄を争点化させないための「参院選シフト・沖縄隠し」だと指摘した。
 案の定、参院選が終わって半月も経たない7月の22日、国は沖縄県を相手どって新たな訴訟を起こした。
 予想していたことではあるが、まさかこうまで露骨なことをするとは……と開いた口がふさがらない。参院選の選挙期間中だけ和解しておいて、参院選が終わったら「さあ、もう隠す必要はなくなったぞ」と訴訟を起こす。いまの日本政府に居座っているのは、こんなにも冷酷非道で卑劣な連中なのである。

沖縄の怒りの声に耳を傾けない政府

2016-06-23 16:32:58 | 沖縄
■菅官房長官は、沖縄の県民大会は沖縄全体のものではないという。
 しかし、これに参加しなかったのは自民・公明など。自分たちの身内が参加しなかったことをもって「沖縄全体ではない」と言い張るのはあまりに厚顔無恥だ。


 今日は6月23日。
 沖縄の慰霊の日である。
 本来ならば、沖縄戦の悲劇を思って静かに追悼するべきなのだろう。だが、怒りのほうが先に立つ。去年もそうだったが、そうならざるをえない現状がある。

 19日、米軍属の事件を受けて、沖縄で県民大会が開かれた。
 6万五千人が集まったその集会だが、自民党、公明党、維新などは参加しなかった。そして、そのことをもって菅官房長官は、「沖縄全体ではない」といったのである。
 自民や公明が参加しなかったことによって、超党派ではなくなってしまった。自分たちで足並みを乱しておいて、そのことを理由にして「沖縄全体の意思ではない」と主張しているのである。
 これはもう、自作自演といっていいレベルだ。

 菅官房長官については、今月の沖縄県議選後の発言も噴飯ものである。
 県議選では翁長知事の側が勝利したわけだが、その翌日に菅官房長官は、「辺野古が唯一という考え方に変わりはない」といい、選挙で示された沖縄の民意を頭から無視する態度を示したのである。
 あいも変わらぬ「粛々」路線だ。
 「粛々と進める」という姿勢を批判されたことをもう忘れたのか。それとも、民意を無視することが「責任のある態度」だとでもいいたいのか。虐げられた人たちの声に耳を貸すどころかさらに虐げようとする政治屋が、いまこの国の中枢に居座っている。

終わることのない沖縄基地問題

2016-06-03 18:03:18 | 沖縄
 先月沖縄で起きた米軍属による女性遺棄事件で、沖縄でふたたび反基地感情が高まっている。
 同じような事件がいつまで経ってもなくならないのだから当然だろう。しかしながら、ほかにいろいろと大きいできごとがあって、この事件についてはもうあまり報じられなくなっているという状況がある。このような風化現象に抗しようという当ブログのコンセプトに則って、ここでまた沖縄の基地問題について書いておきたい。

 問題の事件に関して、朝日新聞が「米軍関係者による犯罪、なぜなくならないのか」という記事を書いているので、今回はこの記事の引用からはじめる。
 この記事では、母親を米兵に殺害された沖縄の男性や、内縁の妻を米兵に殺害された神奈川の男性が紹介されていると並んで、米海軍兵に性的暴行を受けた女性が紹介されている。
 この女性は、被害に遭って以後、沖縄で米軍がらみの性犯罪が相次いでいることを知って、自分と同じように性的暴行を受けた被害者への支援活動に取り組んでいるが、米軍関係者による事件が起きるたびに、《日本政府は「怒っているふり」をし、米政府は「再発防止を約束するふり」をするが、実際の行動に結びついていないのではないか》という感想を抱くという。
 まさに、そのとおりだろう。
 そして、今回の事件に関しても、まさにその実例というべき事態が起きている。

 この事件のあと、米国のカーター国防長官やケリー国務長官は「心からの謝罪」を表明し、日本の島尻・沖縄北方担当大臣は、「『怒り心頭に発す』という言葉があるが、怒りをどこに向けたらいいかわからない」と発言した。また安倍総理も、日米首脳会談でオバマ大統領に抗議したとされている。
 しかし、この遺棄事件で米軍属の容疑者が逮捕されて在沖米軍が「綱紀粛正」を誓った三日後に、沖縄の米兵が酒気帯び運転で逮捕。綱紀粛正とはなんだったのか、と呆れる声があがっている。
 そして、沖縄県議会で日米地位協定の抜本改定、米軍基地の大幅な整理縮小などを求める日米両政府への抗議決議案が出されると、沖縄県議会の自民党はこれに反発し、採決時には退席した。また、中央政府でも、安倍政権は地位協定の見直しに慎重な姿勢をみせている。
 こうしたことを見ていると、まさに日本の対応は「怒っているふり」であり、アメリカの対応は「再発防止を約束するふり」としか考えられない。

 米軍側の事情については、最近イギリス人ジャーナリストによって沖縄に駐留する米海兵隊むけの教育資料が暴露され、その侮辱的・差別的な内容が問題となってもいる。「米軍は経済的成長の源泉」と、実態とかけ離れた記述があるかと思えば、沖縄での議論は「論理的というより感情的」「責任転嫁」などとも書いてあり、こんな教育を受けた軍人たちがいざというときに本当に沖縄県民を守ってくれるのか――そういう疑問さえもってしまう。
 また、自民党に関しては、自民党の神奈川県議である小島健一という人が、基地反対運動に携わる人たちを「基地外」と表現して、物議をかもしている。本人は「差別的な意図はない」としているが、「基地外」というのはよく知られたネットスラングであり、あえてそういう言い方をするのに悪意がなかったとはとうてい思えない。つまりは、自民党の政治家というのはこういうネトウヨレベルの感覚で沖縄を見ているのではないか。
 日米が互いに「怒っているふり」「再発防止を約束するふり」という予定調和の演技で幕引きしてしまうのだから、同じような事件が何度も繰り返されるのも当然だ。つまりは、自民党政権が続くかぎり、沖縄は“植民地”状態を延々強いられることになるのである。

沖縄で米軍属による事件

2016-05-22 18:26:25 | 沖縄
 沖縄の米軍属による“死体遺棄”事件が波紋を広げている。
 この問題で、沖縄ではふたたび米軍基地が集中していることへの怒りが広がっている。当然だろう。こうしたことは、これまでにもう何度も繰り返されてきているのだ。最近の例としては、今年3月にも、寝ている女性を暴行したとしてキャンプ・シュワブ所属の海軍一等水兵が逮捕されたばかりである。

 沖縄の反基地闘争に対して「基地があることが沖縄を利している」というような言説も巷にはあるわけだが、それらについてあらためてここで反論しておきたい。

 まず、「沖縄経済が基地に依存している」という話だが、これは非常に疑わしい。
 今年そのような記述のあるコラムを掲載した教科書が問題になったが、現在の沖縄の県民総所得における米軍関係の金額は5%ほどといわれ、それほど大きいわけではない。観光収入の半分ほどなのだという。実態はむしろ、基地があるおかげで効率的な土地(海も含めて)の利用がなされずに沖縄経済に大きなマイナスの影響を与えているのではないか。

 そして、もともと人が住んでいないところに基地が作られ、そこに後からカネ目当てで人が住むようになった……というような話があるのだが、これも事実でないことがあきらかにされている。
 これについては、去年「マスコミを懲らしめる」発言で大きな問題になった自民党の文化芸術懇話会で百田尚樹氏らがそういうことをいっていたのだが、この件で結局百田氏はNHKの経営委員にいられなくなった。これは、彼の主張がまったく間違っていて、もう反論のしようもなかったためとみるのが妥当である。

 文化芸術懇話会の話が出てきたので、ここでついでにもう一つ、彼らの主張を批判しておきたい。
 それは、「米軍関係者が犯罪を犯す率はそうでない人間に比べて低い」というものである。これに関しては、「だからなに?」という話である。そもそも外国に駐留している軍人を民間人と比較するのがおかしな話しだし、沖縄県民からすでにツッコミが入っているように、たとえ率が低かったとしてもそれは米軍がいなければおきなかった事件なのであって、だから問題ないなどということにはならないのだ。

 話をもとに戻すと、沖縄にUSJのテーマパークを作るなどという話もあったが、それも最近になって立ち消えになった。USJが基地問題とかかわりがあるのかということについて断定的なことはいえないが、いずれにせよ沖縄は米軍基地からほとんどなんの利益も得ていないのだ。

 そんな状態で、沖縄では米軍が存在することによってさまざまな問題が起きてきた。
 そういう経緯があるから、翁長知事が激怒するのも当然なのである。政府は辺野古問題で沖縄と一時的に和解して参院選で沖縄のことが問題にならないようにしようとしているが、こんな稚拙な隠蔽工作に有権者はくれぐれもだまされてはいけない。一時的に隠して見えないようにしたところで、沖縄の基地問題がなくなってしまったわけではないのだ。

目取真俊氏、逮捕――あらためて沖縄の基地問題を考える

2016-04-02 21:41:28 | 沖縄
 芥川賞作家の目取真俊氏が逮捕された。
 辺野古海上での抗議行動中に米軍に拘束され、その後海保に逮捕されたとのことで、米軍による拘束も海保による逮捕も、これまでの抗議活動で初のことだという。

 目取真氏といえば、沖縄に対する本土の姿勢を鋭く批判し、ここgoo ブログにブログを開設して沖縄での抗議活動をレポートしてきた筋金入りの闘士である。みずからもカヌーに乗って海上での抗議行動を行ってきており、その活動中に今回の逮捕ということになった。奇しくも4月1日というのは、沖縄戦の始まった日だが、その日に米軍によって沖縄の民間人が拘束されたというあたり、沖縄はいまだに「戦後」を背負わされ続けているのだと実感する。

 さて、日本のメディアでは、逮捕された時点でもう「目取真容疑者」と呼んで“悪人”扱いがはじまるわけだが、はたしてこの件で目取真氏を犯罪者扱いしもてよいのだろうか。この点を、非暴力の抵抗運動という観点から考えてみたい。

 たとえば、かつてアメリカで行われ公民権運動のことを考えてみる。
 以前に一度このブログで書いたことだが、公民権運動は、不当な法に対抗するためにあえてその法を破ることでその非道さ、不条理を白日のもとにさらすというものであった。そして、多くの人が「法律のほうがおかしい」と考えた。そして、それが法律そのものを変えるという方向に動いていったのである。それが、非暴力の抵抗運動によって社会を変革するほぼ唯一の方法であり、それはアメリカにおいては実際に成功したのだ。

 そういう観点からみれば、辺野古の反基地運動は、日本人一人ひとりに対する問いかけなのである。
 国がやっていることと、それに抵抗している人たちのやっていることと、いったいどちらがより犯罪的なのか。本当にいまの状況のままでいいのか。そうでないなら、制度の側が変革されるべきではないのか――そういう問いだ。
 われわれは、目取真氏を犯罪者扱いするのではなく、その問いかけに耳を傾けなければならない。
 そしてそれは、もちろん目取真氏だけのことではない。芥川賞作家だから今回の件は注目されているが、基地のゲート前抗議などではこれまでに複数の逮捕者が出ていて、不当な弾圧と批判されている。せめて今回の件をきっかけにして、沖縄で起きていることに本土の人間ももっと目を向けなければならないのではないだろうか。