アイドルグループ・制服向上委員会の自民党を批判するパフォーマンスが物議をかもした。
いろいろ大きな“事件”があってそちらについて書いていたために後回しになっていたのだが、今回はこの件について書きたい。
私がテレビで見たところでは、問題視されたパフォーマンスというのは、「大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計」という歌詞をもじって「大きな態度の安倍総理 おじいさんと同じ」と歌ったり、「Oh!スザンナ」を「Oh!ズサンナ」として原発政策を批判するなどである。これが政治的中立を損なうとして、大和市はイベント後になって後援を取り消した。さらには、脅迫めいたメールが送られてきたともいう。
このエピソードに、私は故・忌野清志郎のことを思い出した。
清志郎が在籍していた伝説的バンド・RCサクセションが1988年に制作したアルバム『COVERS』は、そのなかに反原発をテーマにした曲があったために、東芝EMIから発売することができなかった。それについて、忌野清志郎はのちにタイマーズというバンドで歌っている。
もしも僕が偉くなったなら 君が歌う歌を止めたりしないさ
当たり前だろう そんな権利はないさ
いくら偉い人でも
どういうつもりなんだろう どこのどいつなんだろう
当たり前だろう そんな権利はないさ
当たり前のことさ よくわからない偉い人
「偉人のうた」
また、「ロックン仁義」という歌ではこんな“語り”がある。
「冗談のひとつもいえねえ、好きな歌さえ歌えねえ、替え歌の一つにさえいちいち目くじらを立てる、いやな世の中になっちまったもんでござんすねえ。ええ社長、どうなんだい!」
これは、『COVERS』に収録されている曲がそのタイトルが示すとおりカバー曲であり、原発について歌った「ラブ・ミー・テンダー」がエルヴィス・プレスリーのカバーだったことから「替え歌」といっているわけだが、その“替え歌”の歌詞はこんなものだった。
なにいってんだ やめときな
いくら理屈をこねても
ほんの少し考えりゃ 俺にもわかるさ
放射能はいらねえ 牛乳を飲みてえ
なにやってんだ 金かえせ
目をさましな
巧みな言葉で一般庶民をだまそうとしても
ほんの少しばれてる その黒い腹
この曲が発表されたのは80年代のことだが、このアルバムが発売中止に追い込まれたことからも、その当時から原発ムラの体質が変わっていないことがよくわかる。このような批判的メッセージに対して、封殺し、黙らせるという風土の先にあったのが福島の事故だった。清志郎が原発業界を批判してから二十年以上がたったいま、原発ムラの体質は、変わるどころかむしろ国家レベルに拡大しようとさえしている。今回の制服向上委員会の一件は、この国がまるごと原発ムラになりつつあることをリトマス紙的に示したものではないだろうか。
「マスコミをこらしめる」発言にも通じることだが、自分たちに批判的な言説を封じ込めるという考え方はロクな結果を生まない。批判を封殺してしまうと、問題点にまともに対処しないために事故や災害に対して脆弱になる――とは、経済学者アマルティア・センが指摘するとおりである。自民党が経団連に働きかけて「マスコミをこらしめ」てしまったら、日本は、安全対策をおろそかにして福島の事故を引き起こした東京電力のような国になってしまうということだ。
さて――忌野清志郎をとりあげたついでなので、最後に清志郎のソロ活動の一曲を引用して、この記事をしめくくろう。
世界のど真ん中で ティンパニを鳴らして
その前を殺人者がパレードしている
狂気の顔で空は 歌って踊ってる
でも悲しい嘘ばかり 俺にはきこえる
「JUMP」
いろいろ大きな“事件”があってそちらについて書いていたために後回しになっていたのだが、今回はこの件について書きたい。
私がテレビで見たところでは、問題視されたパフォーマンスというのは、「大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計」という歌詞をもじって「大きな態度の安倍総理 おじいさんと同じ」と歌ったり、「Oh!スザンナ」を「Oh!ズサンナ」として原発政策を批判するなどである。これが政治的中立を損なうとして、大和市はイベント後になって後援を取り消した。さらには、脅迫めいたメールが送られてきたともいう。
このエピソードに、私は故・忌野清志郎のことを思い出した。
清志郎が在籍していた伝説的バンド・RCサクセションが1988年に制作したアルバム『COVERS』は、そのなかに反原発をテーマにした曲があったために、東芝EMIから発売することができなかった。それについて、忌野清志郎はのちにタイマーズというバンドで歌っている。
もしも僕が偉くなったなら 君が歌う歌を止めたりしないさ
当たり前だろう そんな権利はないさ
いくら偉い人でも
どういうつもりなんだろう どこのどいつなんだろう
当たり前だろう そんな権利はないさ
当たり前のことさ よくわからない偉い人
「偉人のうた」
また、「ロックン仁義」という歌ではこんな“語り”がある。
「冗談のひとつもいえねえ、好きな歌さえ歌えねえ、替え歌の一つにさえいちいち目くじらを立てる、いやな世の中になっちまったもんでござんすねえ。ええ社長、どうなんだい!」
これは、『COVERS』に収録されている曲がそのタイトルが示すとおりカバー曲であり、原発について歌った「ラブ・ミー・テンダー」がエルヴィス・プレスリーのカバーだったことから「替え歌」といっているわけだが、その“替え歌”の歌詞はこんなものだった。
なにいってんだ やめときな
いくら理屈をこねても
ほんの少し考えりゃ 俺にもわかるさ
放射能はいらねえ 牛乳を飲みてえ
なにやってんだ 金かえせ
目をさましな
巧みな言葉で一般庶民をだまそうとしても
ほんの少しばれてる その黒い腹
この曲が発表されたのは80年代のことだが、このアルバムが発売中止に追い込まれたことからも、その当時から原発ムラの体質が変わっていないことがよくわかる。このような批判的メッセージに対して、封殺し、黙らせるという風土の先にあったのが福島の事故だった。清志郎が原発業界を批判してから二十年以上がたったいま、原発ムラの体質は、変わるどころかむしろ国家レベルに拡大しようとさえしている。今回の制服向上委員会の一件は、この国がまるごと原発ムラになりつつあることをリトマス紙的に示したものではないだろうか。
「マスコミをこらしめる」発言にも通じることだが、自分たちに批判的な言説を封じ込めるという考え方はロクな結果を生まない。批判を封殺してしまうと、問題点にまともに対処しないために事故や災害に対して脆弱になる――とは、経済学者アマルティア・センが指摘するとおりである。自民党が経団連に働きかけて「マスコミをこらしめ」てしまったら、日本は、安全対策をおろそかにして福島の事故を引き起こした東京電力のような国になってしまうということだ。
さて――忌野清志郎をとりあげたついでなので、最後に清志郎のソロ活動の一曲を引用して、この記事をしめくくろう。
世界のど真ん中で ティンパニを鳴らして
その前を殺人者がパレードしている
狂気の顔で空は 歌って踊ってる
でも悲しい嘘ばかり 俺にはきこえる
「JUMP」