集団的自衛権の行使事例を検証するシリーズとして、今回はアフリカのコンゴ紛争をとりあげる。
コンゴ紛争は、その規模の大きさから「アフリカの世界大戦」「アフリカ大戦」などとも呼ばれる。単一の内戦としては第二次大戦後最悪とされ、死者はおよそ540万人ともいう。集団的自衛権行使の全事例のなかで、確実に最大規模のものである。
その舞台となったのは、コンゴ民主共和国。
かつてはザイールとも名乗っていた、アフリカの中央に位置する大きな国だ。ここを中心にして、20世紀末から21世紀にかけて周辺諸国を巻き込んだ大戦争が起きた。
ちなみに、「コンゴ共和国」というよく似た名前の国があるが、これはコンゴ民主共和国とは別の国である。当記事のなかでは、単に「コンゴ」といった場合には「コンゴ民主共和国」のことを指している。
■コンゴの歴史
コンゴ民主共和国は、19世紀にベルギーの植民地となったが、“アフリカの年”と呼ばれた1960年に独立した。
しかし、ベルギーはなんの準備もない状態で植民地を独立させたため、その当初から大きな混乱が生じることになった。
コンゴ動乱と呼ばれるこの紛争の結果、初代首相パトリス・ルムンバは、職を逐われたすえに虐殺される。そしてやがて、軍人のモブツ・セセ・セコがクーデターで政権を掌握し、国名をザイールとした。
モブツは独裁者として知られる人物で、世界第三位の汚職者ともいわれ、汚職の額はアフリカで最大という状況をもたらした。そのモブツの30年あまりにわたる独裁の末に起きたのが、二度の内戦である。
この紛争は、あのルワンダの虐殺とも関係がある。
1994年に、ルワンダで虐殺事件が起きたが、その虐殺の報復をおそれたフツ系過激派のルワンダ人が、難民としてコンゴに逃れ、そこからルワンダに対して越境攻撃をしかけていた。これに対抗するために、ルワンダはモブツ政権打倒を目論んだとされている。
それ以外にも、複雑な要因がからみあい、やがて、モブツを打倒するための武装勢力の連合軍のようなものが作られる。そのリーダーになったのは、ローラン・カビラ。この連合は、「コンゴ・ザイール解放民主勢力連合」(AFDL)と名乗った。
1996年、AFDLは、いよいよ武装闘争に踏み切り、モブツ政権を倒す。
第一次コンゴ紛争と呼ばれるこの戦いで、勝利したカビラが大統領となった。
しかしカビラは、やがてAFDLを支援していたウガンダやルワンダと対立するようになる。これに怒って、1998年に、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジがコンゴ国内の反政府勢力を支援するという口実で介入していった。これが第二次コンゴ紛争で、この3カ国の介入が「集団的自衛権の行使」として国連に報告されている。
ここでまず指摘しておかなければならないのは、これがどう考えても「自衛」ではないということだ。
これまでの事例もすべてそうだといっていいが、集団的自衛権は他国を攻撃する口実として利用されてきた歴史がある。このコンゴ紛争の例もまさにそうで、どこからどうみても「自衛」のためではない。集団的自衛権は、法理上の理論がどうであれ、実際の運用においては攻撃(もっと強い言葉でいえば「侵略」)のための論理なのだ。
■集団的自衛権の行使によって紛争は拡大した
集団的自衛権は、しばしば紛争を拡大させるということを当ブログでは指摘してきた。
二つの勢力間の紛争に第三者が介入していくと、さらに別の勢力が介入してくる――これは、ベトナム、アフガン、チャド、アンゴラなど、集団的自衛権が行使されたときに広く見られた現象である。これらの国では、集団的自衛権の行使といって米ソなどが軍事介入した結果、それがまた別の国の介入を誘発し、紛争が泥沼化していった。
そして、このコンゴ紛争においても、それまでの事例と同様に、集団的自衛権の行使は新たな勢力の介入を引き起こした。
ルワンダなど三カ国から軍事介入を受けたカビラ政権は、それに対抗するために周辺国に支援を要請した。そして、その要請に応じて、アンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャド、スーダンが介入している。集団的自衛権が行使されたことによって、8つの隣国が介入する大戦争となったのである。このうちチャドとスーダンの介入は短期間の限定的なものだったようだが、それにしても、ここでもまた集団的自衛権は、紛争を拡大・泥沼化させる役割を果たしたのだ。
また、上述の8カ国は直接軍事的な介入をした国だが、間接的なものも含めれば、アメリカなど欧米諸国も含めて19カ国が関与しているという。それらすべてが集団的自衛権行使の結果とはいえないかもしれないが、少なくとも、集団的自衛権によって紛争が解決の方向に向かうなどということはないのである。
■“メルシィ・コンゴ”
もう一つ指摘しておかなければならないのは、このコンゴ紛争においては、資源の略奪がみられたということだ。
コンゴ東部は、さまざまな地下資源が存在することで知られ、その地下資源の存在がコンゴ独立以来紛争の火種になってきた歴史がある。コンゴ紛争において介入した国々が、これらの鉱産資源を収奪していたとされる。
小川真吾氏の『ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?』(合同出版)という本によると、コンゴ紛争がはじまってから、ウガンダの金の輸出量は50倍となり、ダイヤモンドは13倍、コルタンは27倍以上となっている。
この“コルタン”という物質は、特に希少性が高い。
タンタルとも呼ばれるこの金属は、いわゆるレアメタルで、世界の埋蔵量の8割がコンゴにあるとされる。
このコルタンの収奪で、ルワンダもまた利益を得ていた。その莫大な利益で、ルワンダの首都キガリには豊かな町ができた。その町を、現地の人々は皮肉をこめて「メルシイ・コンゴ(ありがとう、コンゴ)」と呼んだという。
集団的自衛権の名の下に、このような収奪が行われていたのだ。
コルタンは携帯電話やゲーム機などに使われる金属であり、この件は遠く離れた日本人にとっても他人事ではない。われわれは、こうして紛争によって収奪されたコルタンを、そうとは知らずに消費している可能性が高いのである。
また、“資源目当て”というのは、カビラの要請に応じて介入した側も同様で、アンゴラは石油、ナミビアはダイアモンドなどの利権を狙って介入したといわれている。
そもそも、かつてのモブツ政権をアメリカなどは支援していたのだが、それも資源が目当てといわれる。銅やコバルトなどの資源を確保するために、モブツ政権に資金や武器を援助していた。
この事例にかぎらず、アフリカの紛争にはそういう問題がつきまとっていて、そうした背景を踏まえると、「独裁者を倒すための正義の戦い」というしばしば持ち出される“大義”も疑わしくなってくる。
■終わらない混沌
コンゴ紛争自体は、2002年に和平合意が結ばれている。
そのことは、ひとまずは歓迎すべき出来事だろう。しかし、それ以降も戦闘は散発的に起きているといわれ、コンゴという国はいまでも政情が安定しているとはいえない。紛争の過程で多くの難民や国内避難民が生まれ、複雑な民族問題などもからんで、簡単には解決できない根深い問題が残っているのだ。
これまで見てきた事例でも、集団的自衛権が行使された国は、多くの場合そんなふうになっていた。集団的自衛権は紛争を泥沼化させるばかりでなく、その地域を長期にわたって不安定化させる。その一般則をここでも見出すことができる。
結局のところ、コンゴ紛争においても、これまでにみてきた事例と同様に、集団的自衛権は、事態をなんらよい方向に導かず、紛争を激化、泥沼化させる役割しか果たさなかった。むしろ、集団的自衛権の行使によって紛争は周辺諸国を巻き込み、「世界大戦」とまで呼ばれる状況を作り出した。そしてその背後には、「資源の略奪」という問題も見え隠れしている。
このコンゴ紛争の例をみれば、「集団的自衛権によって安全が守られる」などという言説がいかに欺瞞に満ちたものかがわかるだろう。集団的自衛権は、その性質上、他国侵略のための口実にすぎず、平和にも安全にも寄与せず、火に油を注ぐだけの代物なのだ。
コンゴ紛争は、その規模の大きさから「アフリカの世界大戦」「アフリカ大戦」などとも呼ばれる。単一の内戦としては第二次大戦後最悪とされ、死者はおよそ540万人ともいう。集団的自衛権行使の全事例のなかで、確実に最大規模のものである。
その舞台となったのは、コンゴ民主共和国。
かつてはザイールとも名乗っていた、アフリカの中央に位置する大きな国だ。ここを中心にして、20世紀末から21世紀にかけて周辺諸国を巻き込んだ大戦争が起きた。
ちなみに、「コンゴ共和国」というよく似た名前の国があるが、これはコンゴ民主共和国とは別の国である。当記事のなかでは、単に「コンゴ」といった場合には「コンゴ民主共和国」のことを指している。
■コンゴの歴史
コンゴ民主共和国は、19世紀にベルギーの植民地となったが、“アフリカの年”と呼ばれた1960年に独立した。
しかし、ベルギーはなんの準備もない状態で植民地を独立させたため、その当初から大きな混乱が生じることになった。
コンゴ動乱と呼ばれるこの紛争の結果、初代首相パトリス・ルムンバは、職を逐われたすえに虐殺される。そしてやがて、軍人のモブツ・セセ・セコがクーデターで政権を掌握し、国名をザイールとした。
モブツは独裁者として知られる人物で、世界第三位の汚職者ともいわれ、汚職の額はアフリカで最大という状況をもたらした。そのモブツの30年あまりにわたる独裁の末に起きたのが、二度の内戦である。
この紛争は、あのルワンダの虐殺とも関係がある。
1994年に、ルワンダで虐殺事件が起きたが、その虐殺の報復をおそれたフツ系過激派のルワンダ人が、難民としてコンゴに逃れ、そこからルワンダに対して越境攻撃をしかけていた。これに対抗するために、ルワンダはモブツ政権打倒を目論んだとされている。
それ以外にも、複雑な要因がからみあい、やがて、モブツを打倒するための武装勢力の連合軍のようなものが作られる。そのリーダーになったのは、ローラン・カビラ。この連合は、「コンゴ・ザイール解放民主勢力連合」(AFDL)と名乗った。
1996年、AFDLは、いよいよ武装闘争に踏み切り、モブツ政権を倒す。
第一次コンゴ紛争と呼ばれるこの戦いで、勝利したカビラが大統領となった。
しかしカビラは、やがてAFDLを支援していたウガンダやルワンダと対立するようになる。これに怒って、1998年に、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジがコンゴ国内の反政府勢力を支援するという口実で介入していった。これが第二次コンゴ紛争で、この3カ国の介入が「集団的自衛権の行使」として国連に報告されている。
ここでまず指摘しておかなければならないのは、これがどう考えても「自衛」ではないということだ。
これまでの事例もすべてそうだといっていいが、集団的自衛権は他国を攻撃する口実として利用されてきた歴史がある。このコンゴ紛争の例もまさにそうで、どこからどうみても「自衛」のためではない。集団的自衛権は、法理上の理論がどうであれ、実際の運用においては攻撃(もっと強い言葉でいえば「侵略」)のための論理なのだ。
■集団的自衛権の行使によって紛争は拡大した
集団的自衛権は、しばしば紛争を拡大させるということを当ブログでは指摘してきた。
二つの勢力間の紛争に第三者が介入していくと、さらに別の勢力が介入してくる――これは、ベトナム、アフガン、チャド、アンゴラなど、集団的自衛権が行使されたときに広く見られた現象である。これらの国では、集団的自衛権の行使といって米ソなどが軍事介入した結果、それがまた別の国の介入を誘発し、紛争が泥沼化していった。
そして、このコンゴ紛争においても、それまでの事例と同様に、集団的自衛権の行使は新たな勢力の介入を引き起こした。
ルワンダなど三カ国から軍事介入を受けたカビラ政権は、それに対抗するために周辺国に支援を要請した。そして、その要請に応じて、アンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャド、スーダンが介入している。集団的自衛権が行使されたことによって、8つの隣国が介入する大戦争となったのである。このうちチャドとスーダンの介入は短期間の限定的なものだったようだが、それにしても、ここでもまた集団的自衛権は、紛争を拡大・泥沼化させる役割を果たしたのだ。
また、上述の8カ国は直接軍事的な介入をした国だが、間接的なものも含めれば、アメリカなど欧米諸国も含めて19カ国が関与しているという。それらすべてが集団的自衛権行使の結果とはいえないかもしれないが、少なくとも、集団的自衛権によって紛争が解決の方向に向かうなどということはないのである。
■“メルシィ・コンゴ”
もう一つ指摘しておかなければならないのは、このコンゴ紛争においては、資源の略奪がみられたということだ。
コンゴ東部は、さまざまな地下資源が存在することで知られ、その地下資源の存在がコンゴ独立以来紛争の火種になってきた歴史がある。コンゴ紛争において介入した国々が、これらの鉱産資源を収奪していたとされる。
小川真吾氏の『ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?』(合同出版)という本によると、コンゴ紛争がはじまってから、ウガンダの金の輸出量は50倍となり、ダイヤモンドは13倍、コルタンは27倍以上となっている。
この“コルタン”という物質は、特に希少性が高い。
タンタルとも呼ばれるこの金属は、いわゆるレアメタルで、世界の埋蔵量の8割がコンゴにあるとされる。
このコルタンの収奪で、ルワンダもまた利益を得ていた。その莫大な利益で、ルワンダの首都キガリには豊かな町ができた。その町を、現地の人々は皮肉をこめて「メルシイ・コンゴ(ありがとう、コンゴ)」と呼んだという。
集団的自衛権の名の下に、このような収奪が行われていたのだ。
コルタンは携帯電話やゲーム機などに使われる金属であり、この件は遠く離れた日本人にとっても他人事ではない。われわれは、こうして紛争によって収奪されたコルタンを、そうとは知らずに消費している可能性が高いのである。
また、“資源目当て”というのは、カビラの要請に応じて介入した側も同様で、アンゴラは石油、ナミビアはダイアモンドなどの利権を狙って介入したといわれている。
そもそも、かつてのモブツ政権をアメリカなどは支援していたのだが、それも資源が目当てといわれる。銅やコバルトなどの資源を確保するために、モブツ政権に資金や武器を援助していた。
この事例にかぎらず、アフリカの紛争にはそういう問題がつきまとっていて、そうした背景を踏まえると、「独裁者を倒すための正義の戦い」というしばしば持ち出される“大義”も疑わしくなってくる。
■終わらない混沌
コンゴ紛争自体は、2002年に和平合意が結ばれている。
そのことは、ひとまずは歓迎すべき出来事だろう。しかし、それ以降も戦闘は散発的に起きているといわれ、コンゴという国はいまでも政情が安定しているとはいえない。紛争の過程で多くの難民や国内避難民が生まれ、複雑な民族問題などもからんで、簡単には解決できない根深い問題が残っているのだ。
これまで見てきた事例でも、集団的自衛権が行使された国は、多くの場合そんなふうになっていた。集団的自衛権は紛争を泥沼化させるばかりでなく、その地域を長期にわたって不安定化させる。その一般則をここでも見出すことができる。
結局のところ、コンゴ紛争においても、これまでにみてきた事例と同様に、集団的自衛権は、事態をなんらよい方向に導かず、紛争を激化、泥沼化させる役割しか果たさなかった。むしろ、集団的自衛権の行使によって紛争は周辺諸国を巻き込み、「世界大戦」とまで呼ばれる状況を作り出した。そしてその背後には、「資源の略奪」という問題も見え隠れしている。
このコンゴ紛争の例をみれば、「集団的自衛権によって安全が守られる」などという言説がいかに欺瞞に満ちたものかがわかるだろう。集団的自衛権は、その性質上、他国侵略のための口実にすぎず、平和にも安全にも寄与せず、火に油を注ぐだけの代物なのだ。