先日、アラビア半島の小国イエメンでクーデターが発生した。
このクーデターの結果、ハディ暫定大統領らが退陣し、イランから援助を受けるシーア派系の武装組織「フーシ派」が実権を掌握したという。前々回、前回で書いたこととつながりがあるので、今回はこの件について少し書いておきたい。
イエメンといえば、フランスで起きたシャルリ・エブド事件にも関与しているとされる過激派「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」が拠点としている国である。このAQAPというのはもともとサウジアラビアを拠点にしていて、アメリカに対するテロ攻撃をしかけてきた。これに対して米軍の側も、イエメンを“テロとの戦い”における戦場の一つと位置づけ、これまでたびたび無人機攻撃の対象としてきた。それは、同時多発テロ直後の2002年ごろから続けられてきたのだという。そのイエメンで、過激派武装組織が権限を掌握してしまったのである。クーデターを起こしたフーシ派という組織はAQAPとは対立関係にあるらしいが、しかしアメリカからみたときに、敵の敵は味方というわけにはいかないだろう。イランとつながりがあるシーア派武装組織というのだから、アメリカにとってよいお友達になれる相手でないことはたしかなのだ。中東にまた、厄介な国家が一つ増えたことになる。
そしてこの構図は、前回取り上げたイラクやアフガンのこの十余年の経緯と通じるものがある。米軍が「テロとの戦い」の一環として攻撃をくわえてきた国において、過激派武装組織が衰退するどころか、むしろクーデターを起こし実権を握ったのだ。これもまた、武力攻撃の有効性を疑わせる事例といっていい。アフガニスタンへの攻撃は、タリバンの支配を覆すことはできず、“タリバニスタン”とさえ呼ばれる状況を作った。イラクのフセイン政権を打倒した後には、凶悪な「イスラム国」が誕生した。米軍が攻撃をくわえてきたイエメンでは、過激派がクーデターを起こした。イエメンと同様に無人機攻撃が行われているパキスタンでも、爆撃によって反米感情が高まり、新たに反米勢力に加入する者が絶えないといわれる。こうした事例を見ていると、暴力は、暴力を抑止するどころか、さらなる暴力を引き起こすというのは、かなり普遍的な法則だと思われる。原因はいろいろあるだろうが、一つには、長きにわたって暴力が行使されてきたところでは問題の解決に暴力を行使することが当然という空気が醸成されるといったこともあると私は考える。暴力が支配してきた社会では、暴力がタブー視されなくなってしまうのだ。
いま日本は、イスラム国による邦人人質事件の急展開に揺れているが、このような事態がなぜ起こったのかということを過去にまでさかのぼって考えなければならない。「テロに屈しない」と題目のように唱えているだけでは、今後同じような事件が発生するのを防ぐことはできないだろう。ともかくも、安易に武力に頼ることなく、状況を根底から改善する方策がとられることを望みたい。