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コーヒー一杯のあたたかさの問題 / オン・ザ・コーナー

2004年09月28日 00時00分00秒 | 現実と虚構のあいだに
 わたしの住むアパートの三軒先の角に、喫茶店がある。

 『オン・ザ・コーナー』。

 角っこにあるから? ううん。 それだけでなくて、Miles Davis のアルバムのタイトル、そのものずばり “On the Corner” から とったのではないかしら、なんて、勝手に想像している。 ジャズには、まったく くわしくないわたしが知っている、数少ないアルバムのひとつ。 だって、お店の入り口に、Miles のアルバム・ジャケットが飾ってあるのだもの。 きっと、そうよね ... ?

 この部屋に引越してきて以来、ずっと気になっているのだけど、じつは、まだ、お店に入ったことはない。

 引越し荷物の片づけやらなにやらが終わって、落ち着いたら、コーヒーでも飲みに行こう、と思いつつ、訪れるタイミングを逃してしまい、早や三年経つ。

 お店のマスターとは、ご近所同士、お互い顔は知っている、という感じだが、あいさつを交わしたことがない。

 この、中途半端な、「知り合い」 の関係。 いちばんやっかい。 ここそこの道端なんかで会ったりして、声をかけるか、軽く会釈でもするべきかと、一瞬悩むのだけど、結局、知らぬふりをして通りすぎてしまって。

 いまさらお店にも顔を出せなくなってしまった。

 もっとも、これは、わたしが気にしすぎているだけで、マスターは、なんとも思っていないかもしれない。





 お店で、柴犬を飼っている。

 名まえは、「きより」。 Miles Davis の Mile = 距離の単位をもじったものかしら、と、またも勝手に想像している。

 いつも、お店の外の花壇のところで、気持ち良さそうに居眠りをしている きより は、毛並みのよい、つややかな瞳を持った美人 (メスなのである) で、あまりのかわいさに、通りすがる人たちは、つい、その頭をそっとなでていく。

 機嫌のいいときは、勝手になでられるままになっているようだが、一度、機嫌が悪かったのか、なでられた瞬間、その相手 ―― 老婦人に向かって、わん! と吠えたところを目撃したことがあるが ... 。

 (老婦人は、あわてて走り去って行った)

 見た目の愛らしさとはうらはらに、人には媚びない、誇り高き乙女なのか。

 その様子を目の当たりにして以来、わたしは、お店の横を通りすぎるとき、なるべく きより のそばを通らないように、道の反対側のはしっこを歩いたりなんかして、きより を避けた。

 ある朝、いつものように、きより を避けながら通りすぎ、ふと、おそるおそる、きより のほうをふり返ってみると、きより がなんとも言えない、うらめしそうな眼で、わたしをじっと見送っているのに気がついた。

 その、せつなそうな眼が、ひどくわたしを動揺させた。 その日のあいだ、わすれられなくて、帰り道は、勇気を出して、きより のすぐ脇を通り、「きより」 と名まえを呼んでみた。

 無反応だった。 わたしは、仕方なく、そのまま通りすぎ、また、ふり返って、きより の様子を見てみた。

 気持ち良さそうに、眼を閉じて、寝ていた。 とりあえず、あの眼で見られなかったので、わたしは、ほっとして部屋に帰った。

 その翌日から、わたしは、通りがかりに、きより に声をかけるようになった。

 朝なら、「おはよーう」。 帰り、早い時間なら、「よっ」 とか 「やあやあ」 とか、遅い時間なら、「おやすみい」 なんて感じに。

 反応は、まったくなかった。 いつも、気持ち良さそうに寝ていた。

 それでも、わたしは、声をかけるのをやめなかった。 お店のマスターに声をかけられずにいるかわり、というわけではないけれど。 なんとなく、意地になっていたのかもしれない。





 そのうち、わたしに、好きな人ができた。

 あっというまに、好きになった。

 好きになって、好きになって、どうにもならなくなってから、その人には、すでに、かのじょ がいるということを知った。

 けれども、どうしても、あきらめきれなかったわたしは、その人に思いを告げ、もう二度と会わないつもりでいた。

 それなのに、結局、わたしたちは、定期的に会うことになった。

 この関係は、いったいなに? ... という疑問よりも、ただ好きな人といっしょにいられるよろこびのほうが大きくて、わたしは、流されるまま、彼との秘密のデートを重ねていった。

 その彼が、はじめてわたしの住む部屋へやって来て、そして去って行ったあと、思わず、ほろりと涙が出た。

 まさか、このわたしが、こんなことになるなんて ... と。

 このわたしが、こんなことをしてしまうなんて ... と。

 一晩中泣いたら、妙にすっきりして、決意が固まった。

 この恋のために、鬼になろう、と。

 朝、出かけるとき、いつもよりもしっかりした声で、きより に、「おはよう!」 と声をかけた。

 きより は、さすがにちょっとびっくりして、ぴくりを耳を動かした。 けれども、そのままの体勢で、顔を上げすらしなかったけれど。 初めての反応だった。





 そうして、わたしたちは、週に二回、会うことになった。 月曜日と木曜日。 彼はいつも、自宅で かのじょ と夕食をとることにしているのだけど、この日は、そとで食事をして帰っても大丈夫なのだそうだ。

 毎週、月曜日と木曜日、彼のために食事を作った。

 わたしは、この二日間のためだけに、生きた。

 ほかの日は、火曜日も水曜日も、そして、金曜日も土曜日も、日曜日も、わたしにとっては、空虚な、なんの代わり映えもしない日でしかなかった。

 月曜日は、ゆううつ ―― なんて、わたしの友だちは言うけれど。 週明けの月曜日こそ、わたしにとって、よろこびが幕開ける、もっとも輝かしい日に他ならなかった。

 まだ木曜? あーあ、早く休みにならないかしら ―― なんて、わたしの友だちは言うけれど。 週末のまえの木曜日こそ、わたしにとって、よろこびが花開く、もっとも満ち足りた日に他ならなかった。





 新宿駅南口改札まえ。 これが、わたしたちの、出会う場所。

 月曜日。 午後七時。 いつものように、ちょっと早めに来たわたしのもとへ、彼が、ゆっくりと、あらわれた。

 彼は、わたしの肩にそっと手を置いて、「さ、行こうか」 と、微笑んだ。

 ああ、この、ひとこと、これだけで、彼を待ちわびた日々の思いなど、ふき飛んでしまうのだ。

 そうして、わたしたちは、ぎこちなく、はにかみながら、電車に乗って、わたしの住む部屋の最寄り駅へ。 途中、スーパーに寄って、食材を買って、わたしの部屋を目指した。

 いつものように、『オン・ザ・コーナー』 で、きより に声をかけた。

 相変わらず、反応はなかった。

 彼は、くすくす笑いながら、「おそろしいくらい、いつも、反応がないね」 と言った。

 わたしは、はずかしくて、「そうなの。 でも、そのうち反応してくれるかな、と思って、いつも声をかけてるの」 と、いいわけをした。

 「そうだね。 そのうち。 つづけていれば、いいことも、あるよ」 と、彼が、ぽつんと言った。

 そのことばが、妙にむねにひびいた。

 その夜は、いつもより、さらに腕をふるって、得意料理を披露した。 彼が、「ほんとにおいしい」 と言って、満足してくれたので、うれしかった。

 今度は、もっと、もっと、おいしい料理を作って、彼に、もっと、もっと、満足してもらおう ... そんな夢を見ながら、ふかくふかく、眠りにおちていった。


 


 そして、木曜日。 いつもの時間に、いつもの場所で。 新しく買った、秋らしいオレンジ色のスカートをはいて、彼を待った。

 しかし、彼はあらわれなかった。

 待つこと三十数分後に、携帯電話に一本のメールが。

 これで、わたしたちは、だめになった。

 いつか、こんな日が来るかもしれない、とは思っていたけれど。

 こんなにも、早く、こんなにも、あっけなく、訪れるものとは ... 。

 人のオトコに、手を出した、天罰さ。

 こころのなかで、あっけらかん、とつぶやく。

 あっけらかん、あっけらかん、と。

 ―― それなのに、涙があふれた。

 駅の改札で、人待ち顔の女が、とつぜん、泣き出すなんて。 ばかばかしすぎる。

 ああ、まさか、このわたしが、こんなことになるなんて ... 。

 このわたしに、こんなことが起こるなんて ... 。

 まるで、冬の毛の支度が間に合わなかった仔猫のような気持ちになって、とつぜん訪れた秋の肌寒さに、身も、こころも、ぶるぶるとふるえが止まらなかった。

 世界のかたすみで、わたしは、まったくの、ひとりぽっちだ。

 そんなふうにさえ、思った。





 泣きべそをかきながら、どうにかこうにか、帰路についた。

 『オン・ザ・コーナー』 の灯かりが見えた。

 窓ガラスの向こうで、マスターが、コーヒーをゆっくりと、ドリップしているのを見て、はっとした。

 こんな、泣きはらした顔を見られたくなくて、店から離れて、顔を下に向けて、こそこそと通りすぎた。

 きより。 ごめんね。 今日は、声をかける気分じゃないのよ ... と、こころのなかでつぶやきながら。

 そのとき、後ろから、「ワオーン!」 という鳴き声に捕らえられ、びっくりして、ふり返った。

 きより が、鳴いたのだ。

 「ちょっと、今日は、なんであいさつしてこないのよ」 とでも言いたいかのような、抗議の咆哮であろうか。 それとも ... 。

 わたしは、ことばもなく、ただただ、きより の顔を見つめた。

 きより も、じっと、わたしの顔を見つめていた。

 ふと、ガラス戸のなかを見てみると、マスターが、わたしに向かって、なにか訴えるような眼差しを送っているのに、気がついた。

 わたしのこころのなかで、するりと、なにかが落ちて、わたしは、さも当たり前のように、きより に見送られながら、お店の戸 ―― Miles のアルバム・ジャケットが飾ってある ―― を押し開いて、角のテーブルに、腰をかけた。

 「ホットコーヒーを、ください」

 マスターは、なにもかも、承知しているかのようにだまってうなづいて、すぐに、コーヒーを持ってきた。

 その、一杯のコーヒーのあたたかさ。



  「人生は、ときには、コーヒー一杯のあたたかさの問題なのだ。」



 これは、だれのことばだったかしら。

 ううん。 だれでもいい。

 お店のなかでは、Miles の “On the Corner” が流れている。 外では、美しい柴犬が、しずかな息吹をあげている。

 そして、あたたかなコーヒーが。





 きっと、明日も、だいじょうぶだ。










 (九月二十八日:Miles Davis が亡くなった日(1991年))





 BGM:
 Bob Dylan ‘One More Cup of Coffee’


コメント (38)
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