ここのところ、仕事が立て込んでいたり、趣味活動にうつつをぬかしていたり、はたまた、blog にばかり気を取られていて、ゆっくり映画を観る時間がなかった。
なるべく、月に、二、三回は映画館に行き、週に一、二本くらいは、ヴィデオを観ることにしていたのだけれど、八月は、そんな余裕はなく ... 。
九月は、のんびりとできたら、いいのだが。
ところで。
私は、以前まで、映画館の座席は、まんなかの列の、後ろのほうの席で観たい性分だったのだけど。 わが友人 (というか彼) が、まえの座席で観たいというので、それに合わせている。
まえのほうの席だと、首が疲れそう、とか、スクリーン全体が目に入らないそう、とか、スクリーンの下のほうが見えなさそう、などという不安があったのだが、じっさいにまえのほうに座ってみると、スクリーンが近い分、臨場感があったり、細かいところまで見えて、いかにも映画館で映画を観ている、という気分になれるので、なかなかいいではないか、と思うようになりはじめた。
現在の彼と付き合うまで、付き合ってきた人は、みんな 「後ろで観る」 派だった (あるいは、私の意見に合わせてくれていたのか ..... 。 私が拒否できないような圧力を与えていたのか ..... )。
彼と出会わなければ、まえのほうの座席で観るという、別の観方を、知らないままでいたかもしれない。
そういえば。 白いごはん。 私は、硬めに炊く派だった。 やわらかすぎて歯ごたえがなかったり、お米がつぶれてしまうのが、いやだった。
しかし、彼は、やわらかめが好きな人だった。
彼に合わせて、やや水分を多めにして、やわらかめに炊くようになった。
そのうち、料理の本なんか買って来て、お米がおいしく炊ける とぎ方、なんてのを憶えたりして。
その通りにといで、炊いてみたら、彼も気がついたらしい。 「今日は、ごはんがうまい」 なんて。
お米は同じなのに。 とぎ方ひとつ変えただけで、こんなにちがうものなのか、と、びっくりした。
そのうち、彼がおいしいと言ってくれるのがたのしみとなり、さらに欲が出て、土鍋などを買ってみた。
以前から、土鍋で炊いたごはんはおいしいと聞いていたので、ためしてみたくなったのだ。 いざ、炊き上がったごはん、まるで、テレビ・コマーシャルのごはんのように、ふっくら、つやつや。
格別のしあわせだった。
このふっくら、つやつやのごはんさえあれば、海苔の佃煮だとか、ふりかけだとか、ちりめんじゃこなんかでもあれば、あとは、お味噌汁だけでも、よろこんで食べてくれる。
保温がきかないので、すぐに食べなくてはいけないのだけど。 スイッチひとつ、タイマーで好きなときに炊ける、というわけにはいかないけれど。 いいお米でなくても、とぎ方と、鍋次第で、おいしいごはんが炊けるのだとわかって、うれしかった。
「ごはんのおいしさ」 というのに、出会えたのも、彼のおかげかもしれない。
彼は、いままで付き合ってきた人のだれにも似ていなくて、じぶんにとって、異世界の人だ。
彼と知り合うまえまでは、「運命的な出会い」 みたいなものを、少なからず、信じていたが ... 。
なんでも趣味の合う、まるで、じぶんの、分身のような? 王子さまみたいな? 映画のような、衝撃的な出会いを?
音楽の趣味は似ているところがあるけれど、食べものの嗜好とか、生活習慣とかなんかが、あまりにもちがいすぎて、さいしょは、わたしたち、合わないのかな ... などと煩悶したこともあった。
けれど、ふとしたことで出会ってしまった、この、偶然/運命への結末を、どうつけていいのかわからず、宿命に身をゆだねるかのように、無心に思いつづけてきたが。
いま、こうして、考えてみると、じぶんの知らない世界を見せてもらえて、どきどき・わくわく、ときどきがっかり、まれにしょんぼり。 いろいろな意味で刺激を与えてもらえている。
趣味・嗜好が合わなくても。 互いに良い刺激を、良い影響を与えられるなら、これもまた、悪くないのかもしれない。
私も、なにか、彼に、いい波 を送れていると、いいのであるが。
※ちなみに。 お風呂の温度の好みもちがう ... 。 ふとん派かベッド派か。 たたみ派かフローリング派か。 そば派かうどん派か ... 。 ほんとに、ぜんぜんちがうなあ ... 。
関連リンク:
・「美味しいお米のとぎ方 」
・「映画占い」
(私は、
(そういえば、むかし好きだった人が、キャメロン・ディアスが好きだって言っていたっけ。 ... とほほのほ)
BGM:
The Jam ‘Heat Wave’
(The Supremes のヒット曲。 The Who もカヴァーしている。 少年ナイフも。 The Jam のアレンジが好きである)
なるべく、月に、二、三回は映画館に行き、週に一、二本くらいは、ヴィデオを観ることにしていたのだけれど、八月は、そんな余裕はなく ... 。
九月は、のんびりとできたら、いいのだが。
ところで。
私は、以前まで、映画館の座席は、まんなかの列の、後ろのほうの席で観たい性分だったのだけど。 わが友人 (というか彼) が、まえの座席で観たいというので、それに合わせている。
まえのほうの席だと、首が疲れそう、とか、スクリーン全体が目に入らないそう、とか、スクリーンの下のほうが見えなさそう、などという不安があったのだが、じっさいにまえのほうに座ってみると、スクリーンが近い分、臨場感があったり、細かいところまで見えて、いかにも映画館で映画を観ている、という気分になれるので、なかなかいいではないか、と思うようになりはじめた。
現在の彼と付き合うまで、付き合ってきた人は、みんな 「後ろで観る」 派だった (あるいは、私の意見に合わせてくれていたのか ..... 。 私が拒否できないような圧力を与えていたのか ..... )。
彼と出会わなければ、まえのほうの座席で観るという、別の観方を、知らないままでいたかもしれない。
そういえば。 白いごはん。 私は、硬めに炊く派だった。 やわらかすぎて歯ごたえがなかったり、お米がつぶれてしまうのが、いやだった。
しかし、彼は、やわらかめが好きな人だった。
彼に合わせて、やや水分を多めにして、やわらかめに炊くようになった。
そのうち、料理の本なんか買って来て、お米がおいしく炊ける とぎ方、なんてのを憶えたりして。
その通りにといで、炊いてみたら、彼も気がついたらしい。 「今日は、ごはんがうまい」 なんて。
お米は同じなのに。 とぎ方ひとつ変えただけで、こんなにちがうものなのか、と、びっくりした。
そのうち、彼がおいしいと言ってくれるのがたのしみとなり、さらに欲が出て、土鍋などを買ってみた。
以前から、土鍋で炊いたごはんはおいしいと聞いていたので、ためしてみたくなったのだ。 いざ、炊き上がったごはん、まるで、テレビ・コマーシャルのごはんのように、ふっくら、つやつや。
格別のしあわせだった。
このふっくら、つやつやのごはんさえあれば、海苔の佃煮だとか、ふりかけだとか、ちりめんじゃこなんかでもあれば、あとは、お味噌汁だけでも、よろこんで食べてくれる。
保温がきかないので、すぐに食べなくてはいけないのだけど。 スイッチひとつ、タイマーで好きなときに炊ける、というわけにはいかないけれど。 いいお米でなくても、とぎ方と、鍋次第で、おいしいごはんが炊けるのだとわかって、うれしかった。
「ごはんのおいしさ」 というのに、出会えたのも、彼のおかげかもしれない。
彼は、いままで付き合ってきた人のだれにも似ていなくて、じぶんにとって、異世界の人だ。
彼と知り合うまえまでは、「運命的な出会い」 みたいなものを、少なからず、信じていたが ... 。
なんでも趣味の合う、まるで、じぶんの、分身のような? 王子さまみたいな? 映画のような、衝撃的な出会いを?
音楽の趣味は似ているところがあるけれど、食べものの嗜好とか、生活習慣とかなんかが、あまりにもちがいすぎて、さいしょは、わたしたち、合わないのかな ... などと煩悶したこともあった。
けれど、ふとしたことで出会ってしまった、この、偶然/運命への結末を、どうつけていいのかわからず、宿命に身をゆだねるかのように、無心に思いつづけてきたが。
いま、こうして、考えてみると、じぶんの知らない世界を見せてもらえて、どきどき・わくわく、ときどきがっかり、まれにしょんぼり。 いろいろな意味で刺激を与えてもらえている。
趣味・嗜好が合わなくても。 互いに良い刺激を、良い影響を与えられるなら、これもまた、悪くないのかもしれない。
私も、なにか、彼に、いい波 を送れていると、いいのであるが。
※ちなみに。 お風呂の温度の好みもちがう ... 。 ふとん派かベッド派か。 たたみ派かフローリング派か。 そば派かうどん派か ... 。 ほんとに、ぜんぜんちがうなあ ... 。
関連リンク:
・「美味しいお米のとぎ方 」
・「映画占い」
(私は、
「メリーに首ったけ」 で キャメロン・ディアス が演じた、メリー、だとか。 ... うむむのむ)
(そういえば、むかし好きだった人が、キャメロン・ディアスが好きだって言っていたっけ。 ... とほほのほ)
BGM:
The Jam ‘Heat Wave’
(The Supremes のヒット曲。 The Who もカヴァーしている。 少年ナイフも。 The Jam のアレンジが好きである)