<仮名序と呼ばれるこの文章は紀貫之が書いたとされております>
今日は仕事が終わって、パプアニューギニア「天空の森」コーヒーを飲みながら心静かに『古今和歌集』を読もうと思いました。
自分でも古今和歌集を読むような人間になるとは考えもつきませんでした。和歌に最初に触れたのは中学校2年生の時に開催されたクラス対抗の百人一首大会だと思います。
和歌の意味もほとんど理解することなく勝ちか負けかだけにこだわって参加した思い出が残っております。
さて最初は序文からかと思い読み始めてみるといきなり素晴らしいことが書いてあるではありませんか!序文から内容が深い!少し長いのですが読んでみてください。(現代語に直してあります)
やまとうたと申しますものは、人の心を種にたとえますと、それから生じて口に出て無数の葉(は)となったものであります。
この世に暮らしている人々は、さまざまの事にたえず応接しておりますので、その心に思うことを、見たこと聞いたことに託して言い表したものが、歌であります。
花間にさえずる鶯(うぐいす)、清流にすむ河鹿(かじか・鳴き声の美しい蛙)の声を聞きますと、自然の間に生を営むものにして、どれが歌を詠まないと申せましょうか。
力ひとつ入れないで天地(あめつち)を動かし、目に見えない霊魂や神を感激させ、男女の間に親密の度を加え、猛々しい武人の心さえもなごやかにするのが歌であります。
テレビも携帯も無い時代の人々の感性の豊かさに想いを寄せてコーヒーを味わいながら至福の時間を過ごす夜なのです。
それにしても読書にコーヒーはよく合います。
コーヒーえんぴつ猫のホームページはこちら https://coffeepencilcat.ocnk.net/
<アメリカンドリームを象徴するような指揮者レナード・バーンスタイン>
バーンスタインの名前を知らない人でもミュージカル『ウエストサイド・ストーリー』という名前を聞いたことが無い人は少ないでしょう。このミュージカルの音楽は指揮者で作曲家のレナード・バーンスタインの作品です。
バーンスタインは大指揮者・ブルーノ・ワルターの代役で急遽ニューヨークフィルハーモニーを指揮して大成功を収めて衝撃的なデビューを果たします。
彼の活動は音楽の素晴らしさを世界中の人に知ってもらいたいという考えで一杯でした。世界中のオーケストラを指揮して若い人に熱心に指導する人生でした。
バーンスタインのレパートリーは非常に幅広く、特にベートーベン、ブラームス、マーラー、チャイコフスキーなどの交響曲の解釈に優れていました。
指揮をしている時は全身全霊でオーケストラに向かい、いつも全身から流れ出る汗はものすごい量なのです。これは頭も体もフルに使う体力仕事であることが映像を見ているとすぐに解ります。
実は昨日のクラシック音楽を聴くグループでこのバーンスタインが人生最後となる演奏会を収めたCDを初めて聴きました。
タングルウッドでの最後の演奏会。病気の状態がかなり深刻な状況の中で最後の気力を振り絞って演奏をしていることが音楽から聞こえてくる。
ベートーベンの交響曲第7番の3楽章あたりから腕が上がらない状況だったという。それでも最後の4楽章まで曲を振りぬいた!
もう最後のコンサートになることを本人も聴衆も分かっている雰囲気が演奏から聞こえてくる。
感動で何も言うことがありませんでした。素晴らしい人生とはバーンスタインのような人に贈られる言葉なのだと思いました。
演奏会終了後ほどなくバーンスタインは亡くなりました。
バーンスタインのように自分も悔いのない人生を送りたい。
Albert Schweitzer
アルベルト・シュバイツァー
哲学者、神学者、医者。ノーベル平和賞受賞。アフリカ(ガボン)での医療等にその生涯を捧げ、マザー・テレサやガンジーと並んで20世紀のヒューマニストとして知られる。
国: フランス(ドイツ出身)
生: 1875年1月14日
没: 1965年9月4日(享年90歳)
音楽家としての成功と名声を約束されていたアルベルト・シュバイツァー博士。でも彼はそうしなかった。30歳までは自分の好きなことをして、それ以後の人生は他の人々の幸福の為に捧げた人生。
こんな素晴らしい人の名言がこちら。
人の本当の価値というのはその人自身から見出すことはできない。それは周囲の人々の表情や雰囲気の中にありありと浮かびあがってくるものだ。
変わることのない優しさは、多くを成し遂げる。太陽が氷を溶かすように、親切な行いが誤解や不信や敵意を蒸発させる。
人のために生きる時、人生はより困難になる。しかし、より豊かで幸せにもなれる。
自分の人生を振り返ってみると自分がいかにたくさんの人たちに支えてもらってきたのかが分かるような気がする。
生前から死後に至るまで世界中の人々から尊敬を集めていたシュバイツァー博士の録音が残っている。
バッハの演奏の権威とみなされていた彼の演奏家ら演奏技術よりも心に訴えてくる何かを強く感じる。バッハの音楽の持つ普遍的な価値はよく宇宙と称されるがそれらのものがシュバイツァーの精神と人格と見事に融合している。
録音の状況は決して良好とは言えないが後世に語り継がれていく演奏だと思う。
心を清らかに保ち毎日の生活を送りたいと思う今日です。
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良き天気なれども花粉が舞い散っている本日、静岡県の裾野市でサロンを経営なさっている岡ふみこさんに会いに行ってきました。
何時も頑張ってくれている妻に何か素敵なプレゼントをしたいと考えて去年まではチロルチョコで誤魔化していたホワイトデーを今年は奮発して岡さんのエステサロンに出発!
秦野から1時間余りでサロンに到着。岡さんはとても丁寧に対応してくださいました。美味しいハーブティーを飲みながらエステメニューを選んで早速妻と岡さんは別室でエステを開始!
私は早速、昼寝を開始!ポカポカと陽射しが差し込む別室でいつもの通りのグースカぶりを発揮した後は美味しいウナギを食べに沼津に移動しました。沼津は自分が考えていた以上に大都会でした。秦野よりも車も多くてお店も沢山ある素敵な地方都市です。
ウナギも美味!毎日ウナギがいいなーと都合のいい妄想をしてから素敵な喫茶店に移動。三国連太郎さんが愛したコーヒーを注文しました。うーん!旨い!
また訪問したくなる素敵な場所と空間で大満足の一日を過ごしました。
コーヒー豆の注文はお電話かメールでどうぞ!
堀謙造 cafepencilcat@gmail.com
神奈川県秦野市曽屋6023-3 TEL 0463-84-5630
エチオピア・イルガシエフェ「モカコーヒー」 100g 600円 新入荷しました。モカの魅力の酸味が上品!香りもグッド!
フェイスブックkenzo.hori
☆自家焙煎コーヒーの魅力
1 鮮度が抜群です。注文を受けてから焙煎するので毎日新鮮な香り高いコーヒーが自宅で楽しむことが出来ます。
2 コーヒー専門店でオーダーすると500円するコーヒーがご家庭で10分の1の50円で飲むことが出来ます。
3 コーヒー豆にも旬があります。毎年収穫される初摘みの甘味がタップリ詰まったコーヒー豆など毎月のお勧めコーヒー情報をお届けいたします。
本日はコンビニの仕事が休みなので花粉症で苦しんでいる妻を連れて岡ふみこさんのエステサロン(F.Natural and Organic)に行ってきます
静岡県東部、日本一富士山がきれいに見える街裾野市にあるオーガニックエステとよもぎ蒸しの隠れ家サロンです。女性限定のサロンなので私はどっかで昼寝しようと思っています。
よもぎ蒸しは特に女性にはとてもいい効果があるそうです。とにかく体が楽になるそうなので定期的に通えたらいいなーと思います。
これからは男性も本格的にエステの時代だと感じております。極楽気分を味わうにはいろいろなお店がありますが美容と健康は人生において切っても切れない関係でありますからどちらも経験しておきたいと思っております。
よもぎ蒸しもやってみたいですが、ヘッドスパというのも興味ありますね。毛穴に詰まった汚れを奇麗にすると髪の毛がフッサフッサ生えてくるそうです。もう手遅れかもしれないがやってみたいですねぇ~。
自分がサロンを経営したらヘッド・よもぎという施術を開発したいです。ヘッドによもぎ成分の一杯詰まった蒸気をブォー!ブォー!と吹きかけて頭皮の毛穴が緩んだところによもぎシャンプーで綺麗なおねーさんが髪を洗ってくれるコース。
頭も心もさっぱりとした後は日本一の富士山を望みつつコーヒーを頂く。明日は美味しいウナギを食べようと思っております。1年に1回のうなちゃんです。
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☆自家焙煎コーヒーの魅力
1 鮮度が抜群です。注文を受けてから焙煎するので毎日新鮮な香り高いコーヒーが自宅で楽しむことが出来ます。
2 コーヒー専門店でオーダーすると500円するコーヒーがご家庭で10分の1の50円で飲むことが出来ます。
3 コーヒー豆にも旬があります。毎年収穫される初摘みの甘味がタップリ詰まったコーヒー豆など毎月のお勧めコーヒー情報をお届けいたします。
今日は4月1日の川崎の小高庵で開催する茶会の道具組の為に亡き師匠の道具を先輩と一緒に取り合わせしてみた。
師匠が亡くなってから15年経ったが、残された膨大な量の茶道具は使われることもほとんどなく押し入れにしまわれっぱなしの状態になっていた。
今回はその道具を今後どのようにするのかを師匠のご家族と決めなめればならないのだが、家族の方もお茶はやらないと決めているのであっても場所を食うだけの存在になってしまっているという現実があった。
残された茶道具は師匠が若いころより60年以上かけて収集したもので正確な数は数えていないが300点はあると思う。茶釜、茶碗、茶杓、掛け軸など収納場所も相当なスペースを要する。
残された膨大な量の茶道具を前にして思うことは師匠あっての道具だということに尽きる。師匠が生きていたからこそ道具にも命が吹き込まれていたのだと改めて気つかされた。人間と人間をつなぐ媒介としての茶道具であったり、純粋な美術品としての茶道具であったり、見る角度によって価値は様々だが肝心の使いこなす人間がいないとなると道具に再び生命を吹き込むことは難しい。
このたびの茶会では残された弟子が師匠の追善を目的にして行うものだがやはり師匠がこの世にいないという寂しさがより一層感じられる一日になるだろう。
自分もこの世を去る時にはどこまで人の心に記憶や思い出を残して旅立つのであろうか。こんなにクラシックのCDや茶碗を残してばっかりでは残された家族はさぞ迷惑だろうしな~。少しは方付けをして断舎利を進めるしかないな。
どうせ残すなら現金にしてちょうだい!と言われるに決まっているしね!
写真は私が愛蔵している江戸千家流茶道の流祖である川上不白の赤楽茶碗です。(師匠の道具ではありません)
今日は45歳の誕生日を迎えることができました。家族や周囲の人々の温かい気持ちのおかげでこれまで生かされてきました。この場をお借りして御礼を申し上げます。
今日は小田原の益田鈍翁の展示館『鈍翁in西海子』に行ってきました。今日は展示品の切り替え日だったので原三溪の研究で本も出版なさっている道具屋さんの齋藤さんも来るという事なのでご一緒させて頂きました。
お二人とも驚くほどの記憶力の持ち主で当時の政財界等の鈍翁と三溪に関する人物の話で盛り上がりました。自分も近代の大茶人では益田鈍翁、原三溪、松永耳庵が特別に大好きです。別格の大人物の残した書や道具に囲まれてエピソードを拝聴することができた有意義な一日でした。
来年はこの3人を目標に仕事と趣味を思う存分楽しみたいと思います!
http://blog.goo.ne.jp/cafepencilcat
午前中にコーヒー豆の配達を済ませ本日最終日の諸星さんの個展に行ってきた。大きな絵画、陶芸、真鍮作品等々多くの作品が展示されていた。自分が気に入ったのは店舗や建物の絵だ。お店のオーナーが見たら嬉しいと思う。色彩が豊かで味があるね~。建物で絵を描いている人の全てが出るんだなー。実際の店舗の色とは全然違うところがまた最大の魅力だろう。この壁にこの色という塗り方は独自の世界を展開する絶好の素材なのかもしれない。
諸星さんの建物・店舗シリーズは依頼がありそうな魅力のある商品になる可能性が高いと思う。自分もお店が持てたときは諸星さんに書いてもらいたいと思った。
諸星さんの御友達の方ともお話が出来て楽しいギャラリーの一時を過ごした!
アートは人間そのもの。芸術には魂が宿っていないと魅力が少ない。
先日のスタジオ・ミルクさんに撮って頂いた写真の中からコーヒーにお湯を注いでいる写真と抹茶を飲んでいる写真をアップしてみた。帽子をかぶるとコーヒー屋の感じがしてイイ!スーツを着込んで茶碗を手にするとお茶を好きな人間感が出てきてまたイイ!
どちらも趣向品と呼ばれる飲み物だが味を楽しむことはもちろん共通している。コーヒーを飲みたい時は食後の一杯というのが多くの人の意見だと思う。また仕事中や寒い日の朝に飲むコーヒーも格別な味がする。またお茶を飲みたい時は甘い和菓子を食べた後が最高の一杯になることが多い。ただ単にお茶を飲むだけでももちろん美味しいのだけれどもお茶の醍醐味は茶会又は茶事ということに尽きる。お茶を供する『亭主』がお茶を喫する『客』に心を込めて開催するものが茶会や茶事である。コーヒーは提供してから飲むまででほとんどその間には思想や作為などは介在しないがお茶は思想や作為なども盛り込むことで感動を生み出すことができる。もちろんコーヒーでも出来なくはないだろうが・・・。
自分が考えているコーヒーの理想があります。コーヒーの世界観と茶道の世界観を融合してみたら面白いのではないか?ということです。お茶も室町後期の頃に儀式や作法の色が強いものであったのが禅の思想とピッタリと合致することによって茶道という形になった。千 利休が大成した詫茶(わびちゃ)の世界がそれだ。そのことによりお茶は普遍的な価値を持ったと思う。
コーヒーももっと色々な形を取り入れたり、何かと融合したりして更なる感動をもたらすものとして新しい世界を切り開けると思う。可能性を探る旅は始まったばかりだ!
明日は占いとコーヒーという感じで考えてみる!
本日、プロフィール写真を撮って頂く為に西荻窪のスタジオ・ミルクさんに向かっている途中の小田急線の車内で小沢征爾さんに会いました!経堂駅の近辺だったと思うがあまりに眠くてぼーっとしていたら突然見たことのある人が目の前を歩いてきた。すぐに誰だか分かった。自分は職業柄、人の顔を覚えるのが得意だから良かった!しばらく秘書の方とお話をしていたのを盗み聞きしていて小沢さんが電車から降りる時に『お身体を大切にして頑張ってください!』と挨拶をすると私の顔をじ~っと見てありがとう~と言って頂きました。顔を見られたときは緊張してオドオドしてしまいました。凄いパワーを持っている人です。
今日は一生の思い出になった日だった。小沢さんが降りた後にその席に座り新宿までパワーを充電した。大病の後の小沢さんは音楽の表現に深みと凄味がかかっているという話を聞いた。一日でも元気で指揮活動を続けて頂きたいと心から祈っております。
その後西荻窪に到着して、すっかり上機嫌のまま家系ラーメンの店に入って並盛を注文。東京は安くて美味しい。これは中々の味ですよ!その後すぐにスタジオ・ミルクさんへ・・・。撮影の様子は後日のブログで。
昨日は東京からクラシック収集の横綱級の3名の御仁を秦野に迎えて鑑賞会を開きました。
20年ぶりにLPレコード3万枚以上を収集しているIさんにお会いしました。さすがに20年前の記憶も鮮明に覚えていらっしゃる。でなければ3万枚のレコードの管理はできないはずだ。
1日5枚聴いても1年で1825枚、10年で18250枚。膨大な数です。ニコニコしている優しい表情からは想像も出来ない筋金入りの人だ。
後の2名様もトンデモナイ量の音楽を聴いている。クラシック音楽は麻薬と同じでハマると限度がない。限度がないから楽しいのかもしれない。
今日は今年の期待外れ盤もみんなで聴こうという変わった趣向でした。今を時めく人気指揮者も横綱達にはえらく評判がよろしくありませんでした。
あーでもない・こーでもないと4時間も聴き通して分かったことは一人で聴くよりもみんなで聴いている方が楽しいですね。同じ趣味を持つ友人の有難さはお金では買えないものです。
クラシックの初心者の素晴らしい若者も1名参加してくれました。好きな音楽があるとこんなに楽しいひと時が過ごせるという事だけでも感じていただければいいなーと思いました。
仙台の巨匠に教えてもらったピヒトのシューベルト・ピアノソナタ21番は好評でした。3名の横綱達も最高の演奏はリヒテルであると意見が一致していました。
こんばんは、カフェ えんぴつ猫のけんです。
こんばんは。今日は私の大好きな趣味の一つの茶道で使う茶碗です。志野焼という美濃(岐阜県)で焼かれた焼き物です。茶碗には大きさ・重さ・釉薬・形状・・・その他多くの要素から無数の種類があります。まさに人間と同じで全く同じ物はありません。だから茶碗に銘(めい)と呼ばれる名前を付けたりします。因みにこの茶碗には製作者によって雪笹(ゆきささ)という名前が付けられています。
芸術家・美食家であった北大路 魯山人は料理を引きたてるのが器(うつわ)である。と言う考えと同じく、お茶やコーヒーを美味しく飲んでいただけるような茶碗やコーヒーカップであってほしいものです。美味しいコーヒーは素敵なカップで飲むとさらに美味しいですよ。
こんばんは。今日は私の大好きな趣味の一つの茶道で使う茶碗です。志野焼という美濃(岐阜県)で焼かれた焼き物です。茶碗には大きさ・重さ・釉薬・形状・・・その他多くの要素から無数の種類があります。まさに人間と同じで全く同じ物はありません。だから茶碗に銘(めい)と呼ばれる名前を付けたりします。因みにこの茶碗には製作者によって雪笹(ゆきささ)という名前が付けられています。
芸術家・美食家であった北大路 魯山人は料理を引きたてるのが器(うつわ)である。と言う考えと同じく、お茶やコーヒーを美味しく飲んでいただけるような茶碗やコーヒーカップであってほしいものです。美味しいコーヒーは素敵なカップで飲むとさらに美味しいですよ。
今日はお休みでしたので秦野オペラの会のモーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』のハイライト公演を聴いてきました。
毎年開催されているこの企画、洗足学園大学のオペラ歌手の秋山 徹さんを中心に秦野市民を中心に集まった会で、この日の為に練習を重ねてきた歌手たちの晴れの舞台です。
妻の同級生が歌うということで数年ぶりに聴くことに・・・。歌を歌う人は前向きな表情で元気いっぱいだなーと感じました。
コジ・ファン・トゥッテと言う意味は女性は元々こうしたものと言う意味だったと思いますが、浮気心という題材を人間の心理や感情を音楽で表現したこの傑作のオペラの内容は数百年経っても古くなることはないですね。時代は変わっても人間はほとんど変わっていないのだと。
素晴らしい演奏を聴かせてくれた歌手の人たち、有難うございました!とっても輝いていましたよ!