「自分が幸せだ」と口に出せる人は確かに幸せなのだ。
もし、誰かが「自分は貧乏だ」と言った場合、その人の資産状況をつぶさに調べてみれば、平均所得と比べて本当に貧乏かどうかを客観的に判断できる。
しかし、彼が幸せかどうかは、そういうふうに客観的に判断できない。幸せかどうかというのは一般的基準がないからだけではない。
幸せという言葉は、何かを意味する言葉ではないからだ。では、幸せという言葉は何だというのか。
幸せという言葉はもはや言葉ではなく、一種の叫びやアクションのようなものだからだ。
幸せという言い方は、喜びで反射的に声を出す時の声と同じものなのだ。 「心理学の哲学①」
ヴィトゲンシュタインはごく普通に使っている「幸せ」という言葉を考察している。客観的に判断できないものであるから主観的に判断するものと考えると良いのだろうか・・・
幸せは自分自身で感じたり、味わったりするものだとすれば確かに納得です!!
ちなみに私は美味しいコーヒーを飲みながらブルックナーの第5番の交響曲を聴いている時間が至福の時です。
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