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志村辰弥神父著『天国について ー カトリック教会の教え』、12

2016-07-27 06:12:29 | 天国・地獄
志村辰弥神父著『天国について ー カトリック教会の教え』

◆12、天国についてのカトリック教会のカテキズムの教え(2)

[1027]神と、そして、キリストのうちにいる人々すべてとの幸せな交わりは奥義で、人間のすべての理解を超越するもので、これを言いあらわすことはできません。

 聖書は、この交わめについて、いろんなたとえを使っています、すなわち、いのち、光、平和、婚宴、み国のぶどう酒、父の家、天のイエルザレム、楽園などです。「目がまだみず、耳がまだ聞かず人の心にまだ思い浮ばず、神がご自分を愛する人々のために準備されたことをわたしたちは告げる」(1コリント2・9)。

[1028]神は、(わたしたちを)超越されるお方であるというそのことのために、神をありのままに、わたしたちは見られないのです。それができるのは、神ご自身が(人間に)ご自分の奥義をひらいて、人間に(ご自身を眺める)能力をお与えになるときです。神をその天の光栄のうちに仰ぎ見ることを、教会は《至福直観》とよんでいます。

 ここに聖チプリアノの言葉があります、「あなたの光栄と幸福とはこれです、神を仰ぎ見ることを許され、キリストと共に永遠の光と喜びにあずかる名誉を持つことであって、天の国において、義人たちと神の友人たちと共に、遂に獲得できた不滅の喜びを味わうことです」と。

[1029]天の光栄のうちに幸せな人々は、他の人々と共に全被造界に対して、神のみ旨を喜んではたしつづけます。かれらは、すでにキリストと共に王となっていて、キリストと共に「代々に君臨するでしょう」(黙示録22・5)。

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