マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
33.補足
以上のべた事項について誤解を防ぐために少し説明せねばならぬ。これまであげた地獄の路を踏んでいる者、必ず地獄に墜ちるというのではない。危険な道に進んでいるのを注意したのである。
現世を去る時までに、謙遜な心を起こし、改心すれば赦宥をこうむる。
しかし悔改めず、瞑目すれば確かに地獄に落ちると断定する。いくら注意に注意を重ねても、注意が過ぎることはない。主の聖言葉に「汝等、狭き門より入れ、けだし、亡びに至る門は、広く、その路も広くして是れより入る人多し、ああ、生命に至る門は狭く、その路も狭くして、之を見出す人少き哉」(マテオ七~十三)とある。
ここに臨終に当っても、改心せぬと見えた者があったとする。その者は確かに地獄に落ちたと断言してもよいか。人間の知識は不完全にして、かかる意識をもって神秘をはかり、地獄に落ちしと断定は出来ぬ。
その理由は臨終の時、天主と罪人との間に解し難き多くの秘密がある。公教会の旨によれば、個人に対し、彼は地獄に落ちたと断言する事を許さぬ。この宣告を下すは唯天主のみであって、被造物たる我ながかかる断定を下すは、天主の権力を奪うと同様である。