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「第47図 天主の十戒 第9戒 なんじ人の妻を恋るなかれ」『公教要理図解』ワグネル神父
第9戒 なんじ人の妻を恋るなかれ
1
天主は第9の掟をもって、姦淫に関わる思想、願望を禁じ給うのである。
御主イエズスキリストは、
「なんじ姦淫するなかれと、いにしえの人に言われていることは、あなたがたの知っているところである。 しかし、わたしはあなた方に告げる。すべて、色情を起こそうとして婦(おんな)を見る人は、既に心の中で、これと姦淫したのである」
(マタイ福音書第5章27、28節)
2
第6の掟(なんじ姦淫するなかれ)と第9の掟(なんじ人の妻を恋るなかれ)とが異なっているところは、すなわち、第6の掟で、猥褻な言葉や、猥褻な行為をすべて禁じてあるが、
第9の掟では、なおさら、猥褻なことを思い出して考えることまでも禁じてあるのである。
3
姦淫に係る望みを起こすとは、出来るなら猥褻な行為をしたいと思うことである。姦淫に係る思いを起こすとは、猥褻なことを望まずとも、ただそのことを考えることである。
4
出来るなら、猥褻なことをしたいと望むのは罪である。なぜならば、天主がしてはならないと禁じ給うたことを、してみたいと望むのであるから、天主に背くことは明らかである。
5
猥褻なことをことさらにしたいという心がなくても、猥褻なことを知りつつ考えて楽しむのは罪である。
6
上記の理由は、天主の嫌い給う言葉や行いを知りつつ思い考えて楽しみ、我が心を次第に罪悪に傾けることは、天主の聖意に背くのである。
7
猥褻な思い、望みが我が心に起こったときは、気がつくや否やこれを防ぐように務めたならば、その思い、望みは罪にはならず、かえって悪魔に勝ち、功を立てる機会となるのである。
8
この猥褻な誘惑を防ぐには
(1)天主がいつでもおられることと、いつか、我等を裁判し給うことを思い出し、
(2)我が心のうちで短い祈祷をして、我が心を天主に献げ、
(3)猥褻な誘惑にかかったとき、すぐにこれを拒み、心を他に転じ
(4)聖母マリアの御助けを一心に願わねばならないのである。
◎絵の説明
9
上部には、イエズスキリストの御足元に、一人の婦人が居るところを描いてある。婦人は姦淫を犯したもので、そのことは聖書に載せてある。すなわち、
律法学士、ファリサイ人等、姦淫している時に捕えられた一人の婦人を引き来たりて、婦人を真ん中に立たせ、イエズスに言いました。「宣誓、この女は、今、姦淫しているところを捕えられました。 モーゼの律法において、このような者には石をなげうつ事を我等に命じてありますが、あなたはこれに対してどういうお答えをなさいますか?」と。
こう言ったのは、イエズスを試みて、訴える条件を得るためでしたが、イエズスは身をかがめ、
指で地に物を書いておられました。でも、彼らが問うのをやめないので、イエズスは立ち上がり、
「あなたがたの中で罪の無い人が、先に石を女に投げなさい」
とおっしゃり、再び身をかがめて地に物を書いていらっしゃいましたが、
彼らはこれを聴いて、年寄りをはじめとして、一人一人立ち去り、
ただ、イエズスと真ん中に立っている婦人とが残りました。
イエズスは立ち上がって婦人に言いました。
「女よ、あなたを訴えていた人々はどこにいったのですか。
誰も、あなたを罪に定めなかったのですか?」
女は、「主よ、だれも。」言ったので、
イエズスは言った。
「わたしもあなたを罪に定めない。行け、この後再び罪を犯すことなかれ。」
(ヨハネ福音書第8章3節-11節)
10
下部の右の方に描いてあるのは、ダビデ王と、ナタンという預言者である。ナタンは、ダビデ王に向かって、ベッサベという婦人と姦淫を犯したことや、ベッサベの夫ウリヤを殺させたことなどを、厳しく戒めているのである。
11
下部の左の方には、ダビデ王に、その罪の重いことを諭すため、ナタンが語った、たとえ話の有様が描いてある。
一つの村に2人の人があった。一人は富み、一人は貧しかった。富める者は、甚だ多くの羊と牛とを持ち、貧しい者は一つの子羊の外に何も持っていなかった。貧しい者の子羊は、彼及び彼の子女と共に育ち、その食物を食らい、その椀にのみ、またその懐に寝て、彼はその子羊を愛すること、まるで娘のようであった。
時に、一人の旅人が来た。
富める者は、羊と牛とを煮るのを惜しんで、貧しい人の子羊を取って煮た。
ダビデ王は怒って言った。
「この人(富める者)は死ぬべきである。」
ナタンは言った。
「あなたはその、富める者であります。
主は、あなたに多くの宝をお与えになったのですが、
あなたは天主に背いてウリヤを殺させ、ウリヤの妻を奪いました
だから、剣があなたの家から出て、主はあなたの家に災いを起こさせるでしょう」
ダビデは言いました。
「わたしは主に罪を犯しました。」
ダビデ王は、ナタンの戒めによって、悔い改めたので、遂に、悔悛する者の模範となったのである。
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第9戒 なんじ人の妻を恋るなかれ
1
天主は第9の掟をもって、姦淫に関わる思想、願望を禁じ給うのである。
御主イエズスキリストは、
「なんじ姦淫するなかれと、いにしえの人に言われていることは、あなたがたの知っているところである。 しかし、わたしはあなた方に告げる。すべて、色情を起こそうとして婦(おんな)を見る人は、既に心の中で、これと姦淫したのである」
(マタイ福音書第5章27、28節)
2
第6の掟(なんじ姦淫するなかれ)と第9の掟(なんじ人の妻を恋るなかれ)とが異なっているところは、すなわち、第6の掟で、猥褻な言葉や、猥褻な行為をすべて禁じてあるが、
第9の掟では、なおさら、猥褻なことを思い出して考えることまでも禁じてあるのである。
3
姦淫に係る望みを起こすとは、出来るなら猥褻な行為をしたいと思うことである。姦淫に係る思いを起こすとは、猥褻なことを望まずとも、ただそのことを考えることである。
4
出来るなら、猥褻なことをしたいと望むのは罪である。なぜならば、天主がしてはならないと禁じ給うたことを、してみたいと望むのであるから、天主に背くことは明らかである。
5
猥褻なことをことさらにしたいという心がなくても、猥褻なことを知りつつ考えて楽しむのは罪である。
6
上記の理由は、天主の嫌い給う言葉や行いを知りつつ思い考えて楽しみ、我が心を次第に罪悪に傾けることは、天主の聖意に背くのである。
7
猥褻な思い、望みが我が心に起こったときは、気がつくや否やこれを防ぐように務めたならば、その思い、望みは罪にはならず、かえって悪魔に勝ち、功を立てる機会となるのである。
8
この猥褻な誘惑を防ぐには
(1)天主がいつでもおられることと、いつか、我等を裁判し給うことを思い出し、
(2)我が心のうちで短い祈祷をして、我が心を天主に献げ、
(3)猥褻な誘惑にかかったとき、すぐにこれを拒み、心を他に転じ
(4)聖母マリアの御助けを一心に願わねばならないのである。
◎絵の説明
9
上部には、イエズスキリストの御足元に、一人の婦人が居るところを描いてある。婦人は姦淫を犯したもので、そのことは聖書に載せてある。すなわち、
律法学士、ファリサイ人等、姦淫している時に捕えられた一人の婦人を引き来たりて、婦人を真ん中に立たせ、イエズスに言いました。「宣誓、この女は、今、姦淫しているところを捕えられました。 モーゼの律法において、このような者には石をなげうつ事を我等に命じてありますが、あなたはこれに対してどういうお答えをなさいますか?」と。
こう言ったのは、イエズスを試みて、訴える条件を得るためでしたが、イエズスは身をかがめ、
指で地に物を書いておられました。でも、彼らが問うのをやめないので、イエズスは立ち上がり、
「あなたがたの中で罪の無い人が、先に石を女に投げなさい」
とおっしゃり、再び身をかがめて地に物を書いていらっしゃいましたが、
彼らはこれを聴いて、年寄りをはじめとして、一人一人立ち去り、
ただ、イエズスと真ん中に立っている婦人とが残りました。
イエズスは立ち上がって婦人に言いました。
「女よ、あなたを訴えていた人々はどこにいったのですか。
誰も、あなたを罪に定めなかったのですか?」
女は、「主よ、だれも。」言ったので、
イエズスは言った。
「わたしもあなたを罪に定めない。行け、この後再び罪を犯すことなかれ。」
(ヨハネ福音書第8章3節-11節)
10
下部の右の方に描いてあるのは、ダビデ王と、ナタンという預言者である。ナタンは、ダビデ王に向かって、ベッサベという婦人と姦淫を犯したことや、ベッサベの夫ウリヤを殺させたことなどを、厳しく戒めているのである。
11
下部の左の方には、ダビデ王に、その罪の重いことを諭すため、ナタンが語った、たとえ話の有様が描いてある。
一つの村に2人の人があった。一人は富み、一人は貧しかった。富める者は、甚だ多くの羊と牛とを持ち、貧しい者は一つの子羊の外に何も持っていなかった。貧しい者の子羊は、彼及び彼の子女と共に育ち、その食物を食らい、その椀にのみ、またその懐に寝て、彼はその子羊を愛すること、まるで娘のようであった。
時に、一人の旅人が来た。
富める者は、羊と牛とを煮るのを惜しんで、貧しい人の子羊を取って煮た。
ダビデ王は怒って言った。
「この人(富める者)は死ぬべきである。」
ナタンは言った。
「あなたはその、富める者であります。
主は、あなたに多くの宝をお与えになったのですが、
あなたは天主に背いてウリヤを殺させ、ウリヤの妻を奪いました
だから、剣があなたの家から出て、主はあなたの家に災いを起こさせるでしょう」
ダビデは言いました。
「わたしは主に罪を犯しました。」
ダビデ王は、ナタンの戒めによって、悔い改めたので、遂に、悔悛する者の模範となったのである。
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