まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2143 石川の旅、灼熱編(1)・・・プロローグ編

2024-09-26 02:32:58 | 旅行記
よろしくお願いします。










GWの福井の旅もあと1回で終わりと言うことで、バトンリレーのような感じで夏の石川の旅の記録を始めて行きます、旅の詳しい記録については次回からと言うことで今回はプロローグ編をお送りしていこうと思います。前回の福井の旅でも書きましたが正月に大きな地震があった石川県、普通なら震災後の旅は失礼に当たるとかもし地震が来たら・・・とかで行こうとは考えないところですが、北陸新幹線のCMを見て北陸の人は元気なんだな~と言うこと、福井に行ったことで金沢も近く感じられたこと、そして北陸新幹線に乗りたいと思ったこともあって、福井の旅の帰りの時点でもうこの旅の予定は立てていました。宿泊先の手配をしたのが旅から帰って来た次の日、北陸新幹線は敦賀から小松まで、ここは自由席で行くこととしよう。金沢市内の観光はもちろんのこと、北陸鉄道2路線の各駅巡り、海も見に行こう、翌日は福井駅まで走ってハピライン乗車区間はできるだけ短く、といろいろと予定を練って旅の当日となりました。
















今回は前回の失敗を踏まえて近江塩津駅での乗り換えには万全の態勢で、まあ座ることはできませんでしたが3分の乗り換えはスムーズに行きました。敦賀駅に到着してまずはホームの様子を写真に撮ってから新幹線のホームに行くことにするか、とカメラを取り出しホームに停車している電車を望遠機能を使って撮ろうとすると画面がカクカクとして照準がとらえることができない。冷汗が流れた、この期に及んでカメラが故障・・・どうする?でも写真は標準で撮ることができるし画像の記録もできる、とりあえず動揺とこの先の考えが抑えられないまま新幹線のホームへと行くことに、在来線ホームからは結構長い距離だがカメラのことで頭がいっぱいでその距離は気にならなかった。ホームに上ると列車が停まっていた、ただしホームドアがあって全体を見ることができない、でも初めて間近で見る北陸新幹線、ホームドアもカメラの故障も気にしないで写真を撮りまくった。もうカメラはこの状態で使っていくしかない、一応控えのカメラは昨年のうちに買っておいたので焦ることはない、この旅で盛大に最後の花道を飾ってもらうこととしよう。


















乗車したのは各駅停車の『つるぎ4号』、敦賀駅では50分ほどいたわけだが小松駅に停車する自由席ありの列車がこの時間までなかったから。乗ったら乗ったでくつろぐはずがちょうどこの時間は甲子園で智辯学園が健大高崎と試合中、スマホのバーチャルで試合観戦しながら車窓も見なければならないので結構忙しい、もっと楽な試合展開は、って期待できないよなあ~。そんなわけで波乱含みで始まった石川の旅、タイトルには灼熱編とありますがとにかくこの日と翌日は暑かった、北陸は北だから涼しいとか勝手に思い込んでいたからとんでもなかった。特に2日目の走りは辛かった、甲子園で試合している選手たちはこんな感じなのかな・・・と思ってしまうくらいの暑さだった。さあ、そんな大変だった石川の旅、この後6回ほどの予定でその記録をお送りしていこうと思います、また長くなるんやろな~、と思われそうでしょうが懲りずに付き合ってもらえたらありがたいです、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2135 福井の旅(10)・・・宿場町から山越えへ

2024-09-08 22:13:37 | 旅行記
よろしくお願いします。















福井の旅も終盤戦、最終目的地の敦賀に向けて迫る山越え、その前に北国街道にある今庄宿を巡って行きます。町並は重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて旧街道の雰囲気を色濃く感じることができる、当然事前チェックしておいた登録有形文化財の建物もいくつかあって、それらはすぐに見つけることができた。北陸新幹線が開通して意気上がる福井だが、今日武生から走って来た所はJRから切り離された印象も、ハピライン今庄駅も国鉄時代を感じる長いホームを残しているが、実際に使用している部分は短くてホームの半分以上はほったらかしにされているようだった。きれいになった駅舎は宿場町への玄関口、新幹線の恩恵を受けていない所でも観光客はたくさん訪れていました。













本陣前を過ぎると宿場町も残り半分、古い町並ではよく見かける酒造蔵がここにも。自分(一人称)はお酒は全く飲めないし飲まないが、酒蔵や酒樽はなぜか気になってしまう、まあこれは余談ですが、各地で酒蔵や酒樽を見てその銘柄の由来や由縁を予測するのもまた楽しい暇つぶしになります。更に余談ですが、走っていて暇な時に車のナンバーを見て、その数字が割り切れるか素数かを考えることも、まあ安全には気をつけながらもあれこれ考えてしまうわけなのですが・・・。旧街道宿場町巡りも終わり、駅前の跨線橋を渡って再び国道へ、おにぎりの365の数字を見ると柴田勝家の無念が思い出される。賤ヶ岳で敗れてこの道をもう終わりだと言う気持ちで帰ったのだろう、その悲劇となった場所が昨日訪れた北庄城跡、そこから歴史が動くことになったわけだが。





















敦賀までの道は前に走ったことがあるがもう13年も前のこと、今回走ってみてその記憶が甦るかな~、とも考えたがほとんど何も思い出せない。ただ憶えていたのはその時もGWの頃だったが、山深い所は雪が残っていてやっぱり北陸は寒いんやな~、近畿とは違うな~、と思ったくらい、そして国道の分岐点では国道365号線は積雪で通行止めになっていた。その分岐点までは延々と緩やかな上りが続くばかり、風景的にも何も見所がなくここは山の緑の鮮やかさで写真のネタを拾って行く。地図を見るとこの下には北陸本線・・・じゃない、ハピラインの北陸トンネルが通っている、そう言えば北陸新幹線はどこへ行ってしまったんだ???分岐点を過ぎると間もなく木の芽峠トンネル、ここを越えると後はもう下りが延々と続いて敦賀へ、ここまで10回費やしてきた福井の旅の記録、いよいよ次回が最終回です、長かったなあ・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち










No.2131 福井の旅(9)・・・迫る山越え

2024-09-01 21:43:46 | 旅行記
よろしくお願いします。
















福井の旅2日目、朝早くに武生にやって来たのに文化財巡りや紫式部の所縁を巡ったりで結構長居してしまいました、でも時間には余裕を持たせているので夕方までには敦賀に着くことはできるでしょう、まあ大丈夫・・・だと思うよ、と言うことでこの先は国道ではなく旧北国街道らしき道を進んで行きます。特に見所があるわけでもなく田園風景と集落の繰り返し、やがて行きのハピラインの乗車した快速が停車した南条駅へとたどり着く。周囲の町並を見る限りでは快速を停めるほどの駅かなって感じ、駅舎は立派だが中はひっそり、JR時代の設備はすべてお役御免となっていてハピラインの自動券売機がポツンとあるだけ、ただICOCAは使用できるらしい。改札を抜けると階段があってその上がホーム、電車が来る時間ではないので人は誰もいない、向こう側には福井方面のホームがあってその端には関西では見たことのないような車両が、あれは除雪車かな?


















ハピライン次の駅湯尾駅までは国道を進んで行くがかなり山深くなってきた、分かってはいることだがこの後は山越えが待っている、気後れしないようにこの先も進んで行くことにしよう。湯尾駅はログハウス風の駅舎、もちろんこの駅も人の姿は全く見ない、それでもホームは2面2線でその長さは本線時代の名残を感じさせている。駅を後にして旧街道を進んで行く、山間にある集落は宿場町だったらしくそれを示す表示板を見かけた、どうやら今走っている道が北国街道らしい。やがて道は上りとなって古いトンネルへと突き当たる、入口に対向車用の信号が立っているので車は普通に通るがすれ違うことができないのだろう。狭さに恐々ながらもトンネルを通り抜けたが幸いにも車が来ることはなかった、抜けた所にも信号機、そして入口の横にはの表示が掲げられている。ここから今庄を抜けて敦賀まで、旧北陸本線にはいくつかのトンネル群があって、北陸トンネルが開通した後は車道となってそのトンネル群は登録有形文化財となっている。今回の旅でそれらを巡るルートも考えたがさすがに山道となると不安が先立ってしまう、そんなわけで文化財のトンネル巡りはここだけとしておく、この先宿題とするかどうかは予習次第ですが、地図を見る限りではちょっと厳しいかも知れませんねえ。















トンネルを抜けた先で国道476号線へと合流してやがて今庄の町並へと差し掛かる、ちょうど正午のチャイムが鳴ったことだしコンビニもあったのでそこで昼食休憩とする、多分ここを逃すと敦賀までなさそうだから。そのコンビニの前の信号を渡るとハピラインの線路の下をくぐり抜けてやがて今庄駅前へとたどり着く、この駅には結構思い出がある。2011年のGW、福井を初めて走った時のスタートが今庄駅だったが、実はその2週間前にもこの駅に来ていて、今回走るルートと同じで敦賀まで走ったことがある、つまりその時期に2回この駅を訪れていると言うこと。その時の駅舎は今のような洒落た感じではなく、コンクリ造りのこじんまりとした感じの駅舎だった、駅前には大きな道標が立っていたのを覚えているがその道標は・・・、ああ~、上の写真にある道標だったかな?もう13年も前なのではっきりと覚えてはないが多分そうだろう。駅の近くには北国街道の宿場町があるとのことでそこはやっぱり行っておかなければならない所、旅は中盤戦、まだまだ続きます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2126 福井の旅(8)・・・だるまちゃんと紫式部ちゃん

2024-08-21 08:24:50 | 旅行記
よろしくお願いします。






福井の旅2日目、まだ武生の町にいています、敦賀までの距離を考えるとアップダウンはあるもののそれほど長さは感じないので、時間に余裕を持たせた走りをと考えていたのですが、それにしてもちょっとこの町に長居しています。福井鉄道北府駅、町の中心部の登録有形文化財巡りと来てこの町の最後の目的は紫式部、まあ相変わらずタイムリーな話題に乗っかかるのは僕の悪い癖なのですがやはり巡っておきたい所です、行ってみることとしましょう。

















町の中心部から離れた所にある公園にちょっと気になる場所があったが、さすがにもう急がなければならないことだしコンビニがあったので朝食をとりたかったのでそこはスルーすることに。朝食後に走り始めて市道を進んで行くとレンガ造り様式の2棟の建物が並ぶ所へとたどり着いた、看板には『かごさとしふるさと絵本館』と書かれている。鹿児島市じゃないよ、ひらがなだったのでピンと来なかったがかごさとしとは人名で、自分(一人称)も子供の頃に詠んだことがある「だるまちゃんとかみなりちゃん」の原作者とのこと。実はさっき気になった場所と言うのがだるまちゃん広場で、町中を走っている時もだるまちゃんとかみなりちゃんが描かれた看板も度々見かけた、原作者がこの町の出身と言うことである。「だるまちゃんとかみなりちゃん」が1968年の作品と言うことで、ちょうど自分(一人称)の世代が一番ピッタリに当たることになる、あの絵が何十年前の懐かしい記憶を思い出させてくれました。ただもちろん絵本館には寄ることはできず、この建物から始まる遊歩道が目指すべく場所まで続いているので、先を急ぐこととします。
























そんなわけでたどり着いたのは紫式部公園、いくつかの歌碑に囲まれて中央部には金ぴかの吉高由里子が立っています。大河はもちろん毎週見ていますが福井が舞台となったのはほんの数回だけ、ドラマを見ていて紫式部=まひろが本当にこの場所に思い入れがあったのかと思いました。歌碑にはドラマでも読まれた歌はありましたが、宋の男となんやかんやあってその後は結婚するから京に帰るわ~、ってこうなるとちょっとマイナスなイメージがつきかねない気もしました、まあ市役所や町中に描かれた萌えキャラ風の紫式部だったらそう言いそうな感じですけどね。紫式部の夫・藤原宣孝についてはこの前ちょっとだけ触れましたかね、田原本町の鍵・唐古地区にある集落が藤原宣孝の荘園だったとのこと、町を巡っていて立ち寄った神社にあった看板でこの名前を見かけて、まあ~何てタイムリーなことと思いました。ドラマももう後半戦、まひろがやっと紫式部となる時が来たみたいですが、やっとかよ~ってな感じ、思えば朝ドラ『花子とアン』でも主人公が世に知られることになったのは後半過ぎ頃、吉高由里子さんには遅咲きの女性の役が似合うのでしょうか?今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち










No.2125 滋賀の旅・5月編(1)

2024-08-20 07:48:58 | 旅行記
よろしくお願いします。














滋賀の走りは月一恒例となっています、前回は4月編でしたがお伝えしなければならない案件が押し詰めています、取り急ぎ消化していこうと思います。この日はGW明けにかかったコロナ感染症が治って初めての遠出、月末で5月はまだ滋賀に行ってない・・・電車では通り過ぎているが・・・と言うことで出向くことにしました。お目当ては三角点巡り、相変わらず地味ィ~な宝探しは続いているわけですが、その模様についてはまた次回以降のお伝えとして今回はこの走りの中で取った風景を中心にお送りしていこうと思います。


JR大津駅で相棒君を立ち上げて出発、まずは坂を下って琵琶湖岸へ、海のない県に住んでいるからやっぱり水のある風景を見たくなってしまう。遠くに見える琵琶湖大橋、今日の陽気なら蜃気楼が見られるかな・・・と思い写真を撮ってみると、う~ん、軽くそう見えるかな、って程度ですね。近江大橋を渡って草津市へ、さざなみ街道、浜街道、メロン街道、いつもはサラリと走り抜ける道だがこの日は三角点巡りが目的と言うことで3つの道を行ったり来たりしながら、印のついた地点を巡って行きます。

















その後も地味な宝探しは続きます、守山市から野洲市へ、これまでの滋賀の旅では割とサラリと流すだけだった2つの市でしたが、今年は重要文化財巡りや三角点巡りでよく取り上げることが多くなりました。草津市と近江八幡市と割と知名度の高い市に挟まれてイマイチ存在感の薄い2つの市ですが、片や総理大臣の出身地・・・と言っても不祥事で短命だったが・・・、片や高校サッカーの優勝校がある市です。その野洲高校前を過ぎて新幹線の下をくぐると目の前に近江富士が大きくそびえている、滋賀県内のいろいろな場所から近江富士を見ることができるが、3番目のゾーンの写真にあるように国道8号線へ向かう市道から見る近江富士が一番富士に近い形に見える。国道8号線に出て野洲川を渡ると栗東市、ここも地味な市でお情けで東海道本線に駅を造ってもらった印象もあるが、栗東と言うと絶対に思い浮かべるのがトレセン、まあむしろそれしか浮かばないと言ったところですが・・・。

















智辯学園負けました、夢も希望もなくなりました、いやいや、ここまでよく頑張りました。今年は谷間の世代と言われて春の大会は天理に惨敗、夏の予選もノーシードからスタート、準々決勝で天理を敗って甲子園出場となりましたが評価はCに近いBと言った感じでした。しかも同じブロックには大阪桐蔭、健大高崎、興南に明豊、その他も強豪ばかり、その中を勝ち抜いて8まで進んだのだから大したものです。京都国際は甲子園が始まる前に自分(一人称)が優勝候補に挙げたところ、さすがに楽な試合はさせてもらえませんでした、ただ3年前は準決勝で敗った相手に今回は負けたことで追い抜かれた印象は持たれたくないので、次の対戦ではぜひ勝ってほしいところです。京都国際は近畿唯一の勝ち残り、こうなったら一気に上り詰めて・・・とそう簡単に行くかな、残りもどこも強い所ばかりですからね、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち