まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2099 福井の旅(2)・・・手をつないだローカル私鉄路線

2024-06-20 22:54:04 | 旅行記
よろしくお願いします。

















福井の旅、第2回目です、鯖江駅から走り始めて福井市の中心部へとやって来ました。橋を渡ると福井駅はもうすぐ、駅に行く前に北の庄城跡へ、ここに来るのは2度目で前回は大河『江』が放送の2011年、この時は北の庄城落城・・・市と三姉妹の別れ・・・の回が震災後と言うことで放送が延期、タイミングがあまりにも悪すぎました。神社に向かう途中でヒュ~ンと風の音が、手前の高架線に新幹線が通り過ぎました、初めての北陸新幹線でしたが見えたのは車体の頭だけ、完全な姿を拝めるのはまだまだ先のこととなります。賑やかな通りをゆっくりと進んで行くとやがて福井駅前へとたどり着く、この日は駅前で何かイベントが開催されているみたいでたくさんの人で賑やか、さすがにここを自転車で突破するのは気が引けると言うことで押し歩きで進んで行きます。ああ~、こんな感じの駅だったな、前に来た時の記憶がかすかによみがえってくるがその時は駅前はもっとこじんまりしていた感じだった、今は大きなビルが建ち並んで大都会と言わんばかりってところでしょうか。





















駅からさほど遠くない福井城址では人の喧騒も落ち着いている、ここでやっと一息入れることに、旅は始まったばかりで先はまだまだ長いですからね。さあ、次の目的地に向けて走り始め、再び賑やかな大名町交差点へと出て福井鉄道の軌道線に沿って北へと進んで行く。やがてたどり着いたのが田原町駅、福井鉄道とえちぜん鉄道の乗換駅となる所、乗り鉄をやっていた頃に来たことがあったがその時は古ぼけた感じの駅も今はすっきとした感じです。そして前に来た時と一番変わったのが福井鉄道の車両がえちぜん鉄道三国芦原線に乗り入れていること、ここから7駅ほど先にある鷲塚針原駅まで福井鉄道の車両が運転されている、早速その駅を目指して走ることに、ただ巡りの目的は別のところにあります。芦原街道へと入り九頭竜川を渡ると田園風景が広がり、遠くに3両編成の福井鉄道の小さな車両が走っているのが見えた。芦原街道=県道5号線から外れて町中の細い道をたどって行くとやがて鷲塚針原駅へとたどり着く、駅に人の姿は全くない、ひっそりとしたホームに入ってみると、なるほど、こんな感じになっているんだ・・・。










ホームはえちぜん鉄道が1面2線の島式ホーム、その横にもう1本線路があってそちらは福井鉄道の車両の停車ホーム、高さが低床車両に合わせて一段低くなっている、と言うことはここまでの駅もそんな感じだったのかな、各駅巡りしてこなかったのが少し悔やまれる。たしか伊予鉄道にもこんな感じで電車と軌道線のホームが隣り合わせの駅がありましたね、福井鉄道がなぜこの駅までなのかは分からないが、乗り入れが可能となった今ならもっと先まで運転区間を伸ばしてもいいのでは、芦原温泉まで行っても・・・と思ったがそうなるとえちぜん鉄道にとっては面白くないか。ただ武生から並行するハピラインがちょっと乗りづらさを感じる・・・と言うのはこの後思い知る話、ネットでも割と取り上げられていたから地元の人もそう感じているかも・・・鉄道だったので勝負を仕掛けてみるのもいいのでは、と地元の事情も知らないで旅人は思ってしまったわけです。あ、忘れてた、ちなみにこの鷲塚針原駅舎は登録有形文化財、えちぜん鉄道には登録有形文化財の駅舎もいくつかあるのでこの後はそれらを巡っての走りとなって行きます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2094 岡山の旅(4)・・・岡山に西大寺?

2024-06-11 07:56:30 | 旅行記
よろしくお願いします。
















前回はGWの旅の始まりをお送りしましたが、そろそろ終わらせておかなければならない旅の記録もあります、2月の岡山の旅は暖かい春の雰囲気の中での走りでしたが暦の上ではフェブラリー、新幹線に会いに行こうシリーズを含めて4回目の今回で最終回です。旅の後半はJR赤穂線を各駅巡りと考えていたのですが、時間とルートを考えるとちょっときついかも・・・、と言うことで先を目指すのみの走りとしました。おお~、何と!昭和64年にできた橋だとか、たった7日間しかなかったあの期間の中で誕生したんですね。車の通りが多い県道28号線を進んで行って西大寺界隈へ、ん、西大寺だと、奈良へ帰って来たんかいな、ってわけではない、岡山にも西大寺を名乗る地名と寺院があるわけです。県道は西大寺中2丁目交差点で突き当たって左へ行くとJR西大寺駅、う~ん、JRにも西大寺駅があるのか、しかも奈良の西大寺駅は大和を冠している、まるでこちらが本家とでも言いたいのか・・・。



















西大寺中2丁目交差点を右に曲がって寺院を目指すために観音院通りを名乗る県道37号線へと入る。すぐに県道から逸れて脇道へと入ると映画でもよく見たことがあるレトロな建物が建ち並ぶ町並へと至る、確か広瀬すずが出ていた映画でロケ地になった所だったんじゃなかったかな。寺院はその通り・・・五福通りの名がついている道・・・の一番南側にあり、参道へと入ると立派な山門がお出迎えしてくれる。境内に入ると三重塔に本堂、その他いろいろな建物があってその中には登録有形文化財に指定されているものもある。この日は何かイベントが行われていたらしく、境内にはたくさんの人が訪れていて露店も多く出ている、なかなか賑やかな雰囲気でまるで寺院とは思えないくらいでした。














JR西大寺駅からは県道224号線を進んで吉井川を渡る、新幹線に乗っているとこの川を渡ると『いい日旅立ち』のジングルが流れてそろそろ岡山やな、と思わされる目印になる川です、以前廃線巡りでこの川に沿って走ったこともありましたね。川を渡るとすぐに瀬戸内市、新幹線が見られる場所まで急ぎたいところだがそこまではまだ距離がある、最終目的地は日生駅だが時間的に少しきついかも、ここまで道草が過ぎたか距離を甘く見ていたか・・・。とりあえず先を目指してひたすら走ってやがて備前市へ、目的地だった新幹線が撮れる場所にたどり着きそこでの記録は前回でお伝え済み、しかし時間はもうありません、最終目的地は4駅も手前のJR伊部駅となってしまいました。ちょっと消化不良気味だった旅、何か足らなかったなあ~、と考えていたら電車は日生駅に停車、窓の外を見ていたらこの旅では海を見ることがなかったなあ~、と思い出した。地名は岡山で丘と山、でも海のイメージがある所、次回は晴れの国を証明してくれそうな海の風景を見に来ることにしましょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2093 福井の旅(1)・・・北国街道を福井市へ

2024-06-10 08:31:18 | 旅行記
よろしくお願いします。













さあ、GW福井の旅の記録と行きましょう、まずは湖西線の車窓からの風景、朝日に照らされて田植えが間近の水田が眩しく輝いています。乗車した電車は永原駅が終点、いろいろと思い出のある駅ですが今回はこの駅で近江塩津行きに乗り継ぎ、福井への足掛かりとします・・・と思ったらその近江塩津駅で乗り継ぎのトラブル、狭い通路を重い相棒君を抱えて走ることになってしまった顛末は以前ここでお伝えしました。敦賀行きの列車は混雑していてちろんお立ちでの県境越え、更に敦賀駅では乗り換え時間わずかでハピラインに乗り継ぎ、こちらも2両で車内は混雑、それでも何とか相棒君の置き場所と座席は確保できた。列車は快速で30分ほどで鯖江駅に到着、乗り継ぎ精算を済ませて駅を出ると目の前にあるホテルに目が行く。このホテルが今日の宿泊先、そんなわけで福井の旅はここ鯖江を拠点として走り始めることとなります、相棒君を立ち上げてスタート、とその前に駅から少し離れた所にあるコンビニで朝食とします。
















さあ、いよいよ旅の始まりです、まずは鯖江駅の周辺にある登録有形文化財巡り、この辺りは織物検査所、料亭、写真館、呉服屋と特徴のある文化財の建物が続く。バス通りの道が狭くなってそこを進んで行くが、町並の感じと道の曲がり具合からするとこの道が旧街道だと言うのがうかがえる。福井は以前・・・大河『江』がやっていた頃だから2011年・・・走ったことがあって、その時は今庄駅から武生、鯖江と経て福井市までずっと国道や車が多く走る幹線道路ばかりだった、この旧街道は旅の前に地図でチェックしていて走ろうと決めていたが、ここが北国街道だと言うのは知らなかった。この区間は福井鉄道を各駅巡りで、とも考えていたが旧街道からは離れていることや先を急ぎたいこともあってあきらめることに、まあこの後福井市内に入ればたくさんの電車と出会うこともあるだろう。




















福井市に入ってからも旧北国街道を進んで行く、途中で通り過ぎた町並は宿場町だったと言うことで古い建物に本陣跡の碑を見ることもできた。やがて市の中心部へと差し掛かる手前の橋を渡ると旧街道の雰囲気も薄れてくる、バスの通りもある大きな道へと出るとかすかに新幹線が風を切る音が聞こえてきた、しかしここは先を急ぎたいところなので新幹線も後回しだ。やがてその道の中央部に福井鉄道の線路が入り込んできて、ここからは路面電車として進んで行くことになる、早速やって来た電車はオレンジ色の小さな車両が3連結、反対側からは大河『光る君へ』のラッピング列車がやって来た。福井鉄道もかなり昔に乗ったことがあったがその時は普通の大きな車両で急行の種別だった、今は路面電車仕様の3連結車両、大阪の阪堺線でもよく見かける型だ。そんなわけでいよいよ始まりました福井の旅、ここから2日間の結構内容の濃い巡りが繰り広げられます、結構テンション高くのお伝えとなりそうなので、全9回~10回くらい時間をかけることとなってしまいそうですが、のんびりとお付き合いくださればありがたいことです、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2083 岐阜~愛知の旅(1)・・・美濃路

2024-05-20 08:29:07 | 旅行記
よろしくお願いします。









3月の暖かくなった頃には岐阜方面への走り、何かもう毎年の恒例となってしまっています、2016年、2017年はセンバツの開会式を聞きながらの走り、昨年は山梨学院のセンバツ初優勝を聞きながら岐阜県を走りました。今年は準決勝2試合を聞きながらの走りとなったのですが、その話はもう少し後のことにしてまずは旅の導入編、走りの始まりはJR垂井駅からです。駅の近くを中山道が通り周辺は宿場町、ここは昨年も走った所ですがその時は橋を渡った先にある追分を左へと分かれている中山道へと入りました。今回はその分かれ道を真っ直ぐ進んで行く、こちらの道は美濃路で大垣から墨俣を経て愛知県へと続く道となっていて、まずは旧街道の雰囲気を感じる松並木の通りを進んで行きます。古い町並を通り抜けて大きな国道が交差する所で大垣市へと入る、美濃路は町中のバスが通る道となりやがて大垣市の中心部へと差し掛かって行きます。
























美濃路は市の中心部に入ると道の折れ曲がりが連続して続き、かなりややこしい経路をたどることとなる。その入口となるのが松尾芭蕉の奥の細道むすびの地の碑が立つ所、小さな水路、古い道標、城下町の雰囲気が漂う町並、大垣駅近くの商店街に入ると経路はますますややこしくなってくる。ここは街角に立つ表示を頼りにしながら経路をたどって行く、古い町並には風情のある店や酒蔵、問屋跡にこの辺りでも見られた道標などを経て、やっと迷路のような街を抜けることができた。市の中心部を抜けると美濃路もだんだん旧街道の雰囲気は薄れてしまい住宅地と大型の商店が並ぶ所へと入る、この先で揖斐川を渡ることになるがその前に行っておきたい所があるのでそちらを目指すことに。途中で出会うことになった国道21号線はかなり広い道で交通量も多い、この道を通り過ぎるとJR東海道本線の線路が見えてくる、その先には目指すべき目的地もチラリと見えているが・・・。
















JR線の下を過ぎるとその先に別の路線が通っていて、野晒しの中にホーム1本だけの樽見鉄道の東大垣駅の駅が見えてくる。JR東海道本線の方はその小さな駅をまるで見向きもしない感じで高速で通り過ぎて揖斐川に架かるは鉄橋へと向かって行く、こちらの走りの方もこの川を越えなければならない。坂を上ると河川敷には菜の花がいっぱい、JR線と樽見鉄道線の鉄橋に挟まれて自転車が通ることができる橋があるのでそこを渡って向こう岸へと至る。橋を渡っている途中で樽見鉄道の車両が鉄橋を渡っているのが見えた、これがこの旅で唯一の樽見鉄道の列車、もっと近くで見たかったがまあこれは今回の旅の目的ではなかったのでこれで良しとしておこう。さて、その自分(一人称)が目指すべく目的地と言うのは、実は今自分(一人称)が列車を撮っているこの場所、それについてはまたいずれの機会でのお伝えとして岐阜の旅はまだまだこの先陽気な気候の中、続いて行くこととなります、あ、そろそろ第1試合の始まりの時間だ・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2080 滋賀の旅2月編(3)・・・赤レンガと早咲きの菜の花

2024-05-15 00:48:25 | 旅行記
よろしくお願いします。



















5月も半ばに差し掛かりそろそろ梅雨の足音も聞こえそうですが、今回お送りするのは2月の滋賀の旅の記録、しかも更新が前回から1週間以上空いてしまいました・・・その話はちょっと後程と言うことで。日野町から始まった旅は重文巡り、三角点巡りを兼ねて東近江市から竜王町を経て近江八幡市へと入りました。市の中心部から少し離れた所に古い町並があり、そこはもうここでも何度でも取り上げたことがある所、いつもそうですが今回も観光客がたくさんで自転車で走るにはちょっと不親切さを感じてしまうところです。近江八幡と言えばヴォーリズ氏、ヴォーリズと言えばメンタム、写真にもあるように近江兄弟社のビルの前にはメンタムカラーの自動販売機、メンタムが売っているのかと思ったが中身は普通の飲料が並ぶ普通の自販機だった。


ヴォーリズ建築の建物がある町並があるのでそちらの方へ行ってみることに、人の多いエリアを抜けて朝鮮人街道の商店街を進んだ所にある池田町の通りにその建物を見ることができる。洋風の建物に不揃いの形の赤レンガが積まれた塀、この赤レンガを造っていたのが町の外れにある今にも崩れそうな煙突が建つ所。ちょっと怪しそうな雰囲気さえ感じるこの施設は、この走りの数日前に見た『newsおかえり』のNDYのコーナーで取り上げられていた。ここで何が造られているかを探っていて赤レンガと瓦の二択でかなり迷っていて、挙句の果てに瓦を選んでしまって結局0点、でも瓦も近江八幡の名産物だけにこれは仕方なかったかも。ホフマン窯と呼ばれる施設で国の登録有形文化財とのこと、これだけ赤レンガが使われていたら赤レンガを造っていたことが分かると思いそうだが、近江八幡の町並では瓦も結構主張したので迷うのは仕方ないところでしょうか。

















滋賀の旅も後半戦に入り、近江八幡からは県道を経て国道477号線へ、野洲市に入ってからも三角点巡りをしながら田園風景の中を進んでやがて野洲川へ。ここで国道を離れて川沿いの自転車道へと入る、真正面には琵琶湖とその向こうに雪雲にけぶる比良山系、あちらはかなり寒そうな感じだ。琵琶湖沿いのさざなみ街道に入った辺りが守山市、琵琶湖大橋を目指して進んで行くと早咲きの菜の花の海浜なぎさ公園へとたどり着く。ここは1月の走りでも来ていて、その時にはもう花が満開な状態には驚かされました。しかも昨年、一昨年と来た時には首が萎れてダラ~ンとうなだれていたのが、今年は首がピーンと立っていて元気な様子、雪が少なくあまり積もらなかったからこれだけ元気な姿を保つことができたのだろう。













そんなわけで元気な姿を見せてくれた菜の花ですが、どうも元気がなかったのが自分(一人称)の方で、今回更新が1週間以上空いてしまいました。実はコロナウイルス感染症にかかってしまいここ1週間ずっと床に臥せっていました、もちろん2020年に感染症禍となってから初めてのこと、とうとう自分(一人称)の身にもやって来てしまったか、という感じでした。5類移行したとは言えやっぱり病気はきつい、この1週間ほどはパソコンの画面も開かず布団の中でうなされていましたが、昨日(14日)やっと仕事に復帰、それに合わせてブログも久しぶりの更新です。そんなわけで病み上がり後再開の今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち