おはようございます。
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平城京の南端は羅城門がある九条大路なのですが、近年は十条大路の存在も明らかになりまだまだその件については謎が多そうな様子です。九条大路は現在では県道754号線と国道24号線、更に大和郡山市街地を結ぶ主要道路となっていて面白みのない風景が続く所です。今回はその1本北側を通る八条大路を紹介していくのですが、なぜかこの道が通る所は東九条、西九条、九条駅など九条と言う地名を名乗っています、なぜなんでしょう・・・って別にそれを検証していくわけではなく、いつもどおり八条大路がこんな風景だと紹介していくだけのコーナーです。まずはいつもの地図で八条大路がどこなのかを確認しておきましょう。
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写真1枚目、神殿と書いて「KODONO」と読む交差点から西へと入って行くのが県道41号線、県道と言っても道は車が擦れ違うのも難しいくらいの狭さで、民家が両脇を取り囲む様に軒を為している。写真3枚目が前にもお伝えしたことがある東三坊大路との交点、ここを過ぎた辺りから道の北側の広い範囲と南側の一部の区画には上の地図にある東市があったと思われる。そしてその先には最後の写真にある辰市村の道路元標、東市のあった場所に辰市という名の地名、ちょっと興味をひかれたのでまたまたカジリ程度、いっちょかみ程度に調べてみました。この件についてはまた機会を設けてお送りしてみようと思っています。
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写真1枚目は東二坊大路との交点、手前のマンションの前にはお地蔵様が並んでいる、更に進んで写真4枚目が東一坊大路との交点、この付近は堀に囲まれた古い町並を見ることができる。八条大路を少し逸れた所に狭い道があり、そこに大きなバスが写真5枚目、6枚目にある杏南町バス停へと入ってくる、ここは以前は近鉄奈良駅からやって来るバスの終点だったが、近くにイオンモール大和郡山店ができてそちらが終点となったため途中の停留所となってしまった。バスは元の八条大路と九条大路の間路だった所が今は広い道となっていてそこを経由して来るが、一端狭い通りに入って更に車もすれ違えないほどの狭い道へと曲がって杏南町バス停へとたどり着く。イオンに向かいたい人からすると少し遠回りになってしまうが、こんな不便な所でも廃止せずにバス停を残してくれる辺りはさすがに良心の塊のような奈良交通です。
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八条大路へと戻って国道24号線の通る所が杏交差点、『ごちそうさん』みたいな地名だが「KARAMOMO」と読む。ちなみにこの交差点の北側の国道24号線、JR線を越える橋が八条跨線橋、九条の地名に囲まれた所でやっと目にする「八条」であるが、この地名があるのは八条大路の北側で六条大路、七条大路が通る辺りなので、この八条は今ここでお送りしている八条大路とはほとんど無関係と言う感じである。
杏交差点を越えると景色が開けて佐保川を渡る、この辺りが朱雀大路が交わっていた所だと思われるが、その朱雀大路は今はもう跡形も痕跡もなくなってしまっていて、ただの殺風景な風景が広がるばかりである。更に進んでJR大和路線の踏切を渡って、やがて奈良口交差点、ここが西一坊大路との交点となる。この辺りは佐保川から分岐した秋篠川が横を沿って流れていて、交差点を過ぎた所からは自転車道となっていて、秋篠川に架かる小さな橋を渡ったすぐの所には船着き場跡、そしてもう少し進むと西市の碑が立つ場所へとたどり着く。朱雀大路を挟んで東西に市があったこの辺り、往時は買い物客の行き来で賑わったことだろう、この付近では平城京の時代に使用された貨幣が多く発見されているが、そのことはこの付近に市があったことと大いに関係していることだろう、誰かが落としたお金だったのかも知れない。
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西市跡からすぐの所にあるのが近鉄九条駅、やっぱり「九条」なんやなあ、ホントは八条なのに・・・とは言っても平城京に興味のない人にとってはここは九条だと言うのはもう当たり前のことだろう。この駅付近が西二坊大路との交点、道は駅前から伸びる狭い道だが、ここは本来の八条大路とは少しずれた位置であり、道は緩やかに上り坂になってニュータウン風の民家が建ち並ぶ小高い所へとたどり着く。タモリ氏が大好きな高低差のある場所だが、もうこの辺りは碁盤の目のような道はなくなっていて、ここが平城京の西の端だったと言う痕跡はまったくうかがうことはできない、もちろん西三坊、西四坊大路の跡も全くどこか分からないほど・・・と思ったら、到底都の雰囲気も感じられない住宅地の一角に最後の写真にある西四坊大路跡の新しく作られた碑が立っている。何かこれを見ただけでも救われるような気がしました、この付近に住んでいる人はほとんど興味を示さないような小さな碑だが、ここが確かに奈良に都があったことを示しているわけだから。
と言うことで今回は八条大路をお送りしてきたわけですが、東市西市、地名を巡る興味は尽きないところ、この道は普段から通っている道でもう見慣れたと言うか見飽きた風景ばかりですが、少し突っ込んで見ればまた新しい一面も見えてきます。この件についてはさっきも書きましたがもう少し突っ込んで別枠にてお送りしてみようと思います。そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち
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平城京の南端は羅城門がある九条大路なのですが、近年は十条大路の存在も明らかになりまだまだその件については謎が多そうな様子です。九条大路は現在では県道754号線と国道24号線、更に大和郡山市街地を結ぶ主要道路となっていて面白みのない風景が続く所です。今回はその1本北側を通る八条大路を紹介していくのですが、なぜかこの道が通る所は東九条、西九条、九条駅など九条と言う地名を名乗っています、なぜなんでしょう・・・って別にそれを検証していくわけではなく、いつもどおり八条大路がこんな風景だと紹介していくだけのコーナーです。まずはいつもの地図で八条大路がどこなのかを確認しておきましょう。
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写真1枚目、神殿と書いて「KODONO」と読む交差点から西へと入って行くのが県道41号線、県道と言っても道は車が擦れ違うのも難しいくらいの狭さで、民家が両脇を取り囲む様に軒を為している。写真3枚目が前にもお伝えしたことがある東三坊大路との交点、ここを過ぎた辺りから道の北側の広い範囲と南側の一部の区画には上の地図にある東市があったと思われる。そしてその先には最後の写真にある辰市村の道路元標、東市のあった場所に辰市という名の地名、ちょっと興味をひかれたのでまたまたカジリ程度、いっちょかみ程度に調べてみました。この件についてはまた機会を設けてお送りしてみようと思っています。
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八条大路へと戻って国道24号線の通る所が杏交差点、『ごちそうさん』みたいな地名だが「KARAMOMO」と読む。ちなみにこの交差点の北側の国道24号線、JR線を越える橋が八条跨線橋、九条の地名に囲まれた所でやっと目にする「八条」であるが、この地名があるのは八条大路の北側で六条大路、七条大路が通る辺りなので、この八条は今ここでお送りしている八条大路とはほとんど無関係と言う感じである。
杏交差点を越えると景色が開けて佐保川を渡る、この辺りが朱雀大路が交わっていた所だと思われるが、その朱雀大路は今はもう跡形も痕跡もなくなってしまっていて、ただの殺風景な風景が広がるばかりである。更に進んでJR大和路線の踏切を渡って、やがて奈良口交差点、ここが西一坊大路との交点となる。この辺りは佐保川から分岐した秋篠川が横を沿って流れていて、交差点を過ぎた所からは自転車道となっていて、秋篠川に架かる小さな橋を渡ったすぐの所には船着き場跡、そしてもう少し進むと西市の碑が立つ場所へとたどり着く。朱雀大路を挟んで東西に市があったこの辺り、往時は買い物客の行き来で賑わったことだろう、この付近では平城京の時代に使用された貨幣が多く発見されているが、そのことはこの付近に市があったことと大いに関係していることだろう、誰かが落としたお金だったのかも知れない。
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西市跡からすぐの所にあるのが近鉄九条駅、やっぱり「九条」なんやなあ、ホントは八条なのに・・・とは言っても平城京に興味のない人にとってはここは九条だと言うのはもう当たり前のことだろう。この駅付近が西二坊大路との交点、道は駅前から伸びる狭い道だが、ここは本来の八条大路とは少しずれた位置であり、道は緩やかに上り坂になってニュータウン風の民家が建ち並ぶ小高い所へとたどり着く。タモリ氏が大好きな高低差のある場所だが、もうこの辺りは碁盤の目のような道はなくなっていて、ここが平城京の西の端だったと言う痕跡はまったくうかがうことはできない、もちろん西三坊、西四坊大路の跡も全くどこか分からないほど・・・と思ったら、到底都の雰囲気も感じられない住宅地の一角に最後の写真にある西四坊大路跡の新しく作られた碑が立っている。何かこれを見ただけでも救われるような気がしました、この付近に住んでいる人はほとんど興味を示さないような小さな碑だが、ここが確かに奈良に都があったことを示しているわけだから。
と言うことで今回は八条大路をお送りしてきたわけですが、東市西市、地名を巡る興味は尽きないところ、この道は普段から通っている道でもう見慣れたと言うか見飽きた風景ばかりですが、少し突っ込んで見ればまた新しい一面も見えてきます。この件についてはさっきも書きましたがもう少し突っ込んで別枠にてお送りしてみようと思います。そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち