早朝になんとなく目が覚め、お水を飲んで床に戻った直後、
部屋の隅のテレビがカタカタとなったかと思うと、
がっしゃーんという爆音と突き上げるような振動。
最初アパートにトラックが突っ込んだのかと思った。
その後自分の悲鳴も、爆音にかき消され、部屋中が揺れに揺れた。
しばらくして揺れがおさまり、なんとかコンタクトをはめて、
窓を明けてみると、前の家が道路に落ちていました。
JR摂津本山中町、1995年1月17日。
とにかく気が動転してて、印鑑と保健証をリュッックにいれて外に出た。
幸いアパートは集合玄関のところがへしゃげてただけで、1階の住人さんの部屋の窓から外にでることができた。
あたりは青白い夜光虫のような煙につつまれ、人がたくさんさまよっていた。
その人の流れに乗るように駅のほうにふらふらあるいていくと、
駅前の高層マンションが全部歪んでるので、平衡感覚がなくなり気分が悪くなった。
それらマンションはほとんど1階部分が完全につぶれててかろうじてその上の階が斜めにノッカテルという状態。
そんなマンションのひとつから、「娘を助けて~」「手をかして~」という声。
ふらふらと、そのへしゃげた1階部分を覗くと、タンスのようなものの下敷きになった女の子が見えた。
なにを思ったのか、僕はその中に這っていった。すぐ後ろに同じ年齢くらいの男性も続く。
女の子は下敷きになって身動きがとれないものの、意識もしっかりしてたので、そのタンスみたいなものを
ふたりでなんとか取り除き女の子を引きずり出した。幸いにも怪我そんなにひどくないようで、
無事に母親と思われる女性の腕の中に。。。女性に何度も何度も感謝された。
まったく実感がなかった。
あとで冷静になって考えると、高さが1mくらいになった1階のぐしゃぐしゃの部屋に入る事自体、
とてつもなく恐ろしい。
近くの公園にたどり着き、リュックの中身を一応確認しておこうと思い、開けてみると、
オペラグラス。
これが1個だけリュックに入ってた。。。
「へっ?」
自分では、印鑑や保健証とか入れてきたつもりなのに、財布すらはいってない。。。
すごいなぁ。動揺した人間の行動。
しばらく呆然とした後、家に戻った。
その当日から2日ほど、近くの会社の先輩の家に寄せてもらい、その人の車で大阪にでた。
会社や知り合いの中で怪我や不幸がなかったのが幸い。
あれからもう15年もたち、自分も43歳になった。
あのとき感じた、考えたこと。
今も覚えているのに、時とともに少しずつ靄がかかったようになっている。
ほんとうに、自分はこの15年をちゃんと、しっかり、一生懸命に生きてきたのか?
と思うと同時に、今、ここにこうして生きていられる自分をありがたく思い、あらためて感謝。
毎年、この時期、真剣に思う。