高校の時芸術の選択科目は音楽だった。
音楽のS先生は二期会にも属していたほどの方だったが、からだがまんまるく、いつもにこにこ本当に音楽が大好きという感じの先生だった。
僕は部活動では合唱、オーケストラのいずれにも入っていなかったので(自分でミニサッカーの同好会を主宰していた)、S先生とそれほど話す機会が多かったわけではない。
昼休みはいつも早弁の残りをかっこんで体育館へ直行、バスケやバレーに興じていた。何かの都合で昼休みに体育館が使えない時だけ、僕はよく音楽室にピアノを弾きに行っていた。
S先生も生徒と一緒にチェロなどで遊んでいた。
なぜか僕はそのときメインの(いつもは先生が授業で使う)ピアノに座っていた。(奥にも何台か練習室があった)そのときにちょうどチャイムがなったのね。ピンポンパンポ~ン♪
何気なくその通りにピアノを弾いてしまったのだけど、そのときS先生が驚いて「あれ?絶対音感かな?」と言われて、今度は先生がピアノに座り、僕が生徒の席へ移動、いくつか先生が音を弾かれて、その音を当てさせられた。(実は僕は同時3音くらいは聞き分けられる)
「すごいねぇ。それ絶対音感っていうんだよ」とS先生。
まだ絶対音感などという言葉も知らない頃、ふ~んそうなんだと思った。そう言えば昔からよく母ちゃんに質問して議論になったことがあった。
(うちにもピアノがあったのだが)「ねぇお袋は、ドレミファソラシドって聞こえるの?僕はドはドって聞こえるんだけど。だからドレミファソラシドって言うの?」と。(母ちゃんにはそういう音感はなかったみたい)
教科書の曲だけでなく色々な曲を聴かせて下さったり、体験させて下さったりした。
そんな高3の冬の最後の卒業演奏会。というほど堅苦しいものでなく、好きにユニットを組んで好きな曲や歌を演奏する会。
僕は同級生の同じあべさんという名の女の子と組んでピアノの連弾をすることにした。曲は当時好きだったビリージョエルの「さすらいのビリーザキッド」。
ピアノ用のスコアなどもちろんない。で、幸い二人とも絶対音感があったので、レコードから自分なりにアレンジ。僕は低音担当。
良かったらお聞き下さい。恥ずかしながら途中から僕が少々走って早くなっていきます。焦る性格の片鱗が垣間見られるかも。
1979年1月18日母校音楽室にて録音。
彼女とは別に恋人になることもなく、卒業してからも仲の良い友人として時々新津田沼でボーリングなどをした。年賀状もまだ交換しているが、今は3人のお子さんを持ち一人はなんと僕らの母校へ。彼女自身も市民オーケストラの活動などを続けているようだ。
そして・・・S先生はこれからわずか数年後、急なご病気で急逝された。