世間はゴールデンウィークだって。
さっきニュースでは今日一日で5万人が出国したとか。
(飛行機乗れて)いいなぁ。
僕も皆に負けじと成田の方へ一応は向かったのだけれど空港へは行かず、千葉の親の会(休もう会)へ参加してきた。
参加者はいつもより多い10名ほど。ネモの世話人の方々の会議?があったみたいで、思いがけない方にもお会いできてうれしかった。
お初の方らしい方。
数ヶ月前、中学生のお子さんが突然首をくくって死のうとなさったらしい。
無理して通っていたけれど、週末だけの充電ではもういよいよもたなくなってきて、ということのようだった。もうへとへとだったのだろう。
死ぬ覚悟でもしなければ、休むことを切り出せない家族、社会ってなんだろう。
未遂でもしなければ、苦しみに気づいてあげられない親って学校ってなんだろう。
先日も、秒刻みの殺人的運行スケジュールを守らんとしたが故に起きた悲惨な列車事故の慰霊祭の模様が中継されていた。まさに殺人的だ。
この、休むことを許さなくなった社会の振れすぎた振り子を戻さないといけないなと思う。
世話人の方が、「まだ15歳でしょう?今から10年ひきこもったとしてもまだ25歳だし全然大丈夫ですよ」ってさらっとおっしゃっていた。
以前もK君のことでそれをおっしゃっていたが、なんという腹のくくり方だろう。すごい人だなぁと毎回思う。
そこで思わず笑いがもれる集まりってのもすごいなぁ。
学校のPTA総会とかの場だったら皆さん凍り付くんじゃないだろうか。。
他の先輩?方の体験談も次々と飛び出し、その方もいつしかつられて笑われるようになったのを見て、なんだかうれしかった。なんか一人の命が助かった、そんな感じかしら。
外は突然の春の大嵐。6階なのに大きな窓がガタガタ言って鳴いていた。
外国へは行けなかったけれど、それ以上の満足感があったよ。
とかなんとか言っていたら、中学一年生(男)が入って来ました。
この6年間通り道なので、一応はお互い少しは顔見知り。
今年の新一年生は14人だとか。ひぇ~
だったら(すでに学校が少人数教育なので)別に塾に来なくてもいいんじゃん?とか思いつつも、やっぱりうまいこと言って入れてしまった悪どい自分が情けない。
ぼちぼち行きまっしょう!
ところで・・・・
僕はカセットテープの世代。
中学時代の一つの楽しみがヒットチャートを聴くことだった。
土曜の午後FENで聴いて、曲の名前がわからなかったときなどは夜の全米トップ40で確認。
ビルボードやキャッシュボックスなんてチャート雑誌なんかも銀座のヤマハあたりに行かないと売っていなかった。
当時はCDなんかないので、レコード。
でもそれもなかなか外国の新作なんかはとても手にはいらないので(もちろんお小遣いも)、音の良いFMからカセットテープに一曲づつ録音していた。つまりエアチェックだ。(→死語だね、もはや)
それでFMレコ○ル(FMの曲順とか名前とかの番組表が掲載されている雑誌)は毎回チェック。
そうして一曲一曲ためたカセットテープがすでに250本以上。もちろんその中にはレコードから録音したもの、途中からはレンタルCDから録ったのものもあるので、そのうちエアチェックで録音したものは・・・それでも200本近くあるのではないかと思われる。
ある会社のカセットテープを昔から好んで使用してしてきた。(結局その会社に就職したほど→ま、4年で自分がつぶれちゃったけどさ)
古いものはすでに録音後30年以上たち、さすがにT○Kのカセットテープだけあって、テープ自体は傷んでいないものの、ラベルがはがれるものが出てきた。
アマゾンなんか見ても、もう二度と日本では手に入らないような(例えば一発屋とか)曲もたくさん、もちろん思い出がたくさんつまっている。
手間がかかるので、後回しにしてきたが、ついに重い腰を上げてCD化に着手することにした。
昨年一年くらいかけて、たまったVHSテープのDVD-R化が終了したことでもあるし。
カセットつきミニコンポのヘッドフォン端子とパソコンのLINE入力端子とをオーディオケーブルで接続。録音ソフトでPCに取り込み。音声編集ソフトで一曲づつに分割、(プツっていう音を消したり、フェードアウトなどの)編集をして、曲名を入力、CD-Rに焼くという手順。
空いた時間を見つけて少しづつやっていこうかと思っている。(1~2年かかるかも)
ちなみに棚の奥から取り出してきた、通しナンバー1のテープの1曲目は1975年9月録音のバイバイベイビー(ベイシティローラーズ)だって。いやぁ恥ずかし過ぎる!!
(て言うか、こういう変なこだわりぶりを得々と書くところがまた恥ずかし過ぎる!いいじゃん)
でも懐かしい。。
30年前の放送をポーズボタンを何度もオン、オフして録りためた曲が、PCにデジタル化されて取り込まれるのはちょっと感動だよ。
全国一斉学力テストが小学6年と中学3年の児童・生徒約233万人に対して行われたとか。
塾をやっていながら、それを今日新聞で初めて知った自分もどうかと思うけれど、この間あいつ(中3)もなんにも言ってないもんなぁ。
全く、いいのか?これで。
43年ぶりってことは、僕も受けたことがないってことだ。
中学当時(1974年頃)は東大アチーブメントテスト(東アチ)っていう県ほぼ一斉?テストは結構毎月のようにあったなぁ。
あの頃、県で大体3万人くらい受験していたかな。
上には上がいるもので、一番には一度もなれなかったが、上位50番までは名前と中学校名がプリントされて全員に配られたんだよ。
弟も当時同じ中学の一年にいたし、地元の市からは越境して通っていたから、毎回載らないとと思って随分頑張った。おかげで三回に二回くらいは載っていたと思う。
でも、プレッシャーだったんだろうね。
試験が終わると毎回、自分の机の前がなぜか真っ黒になっていた。
試験中に髪の毛を抜くのがくせになっていたのだ。
床屋さんへ行って初めて教えてもらったが、頭のてっぺんの髪が相当抜けていたらしい。
あの頃はなんだったんだろうね。今そして僕はこんなところで何をやっているんだろう・・・
でも・・・あの頃は自分が間違っているなんて、思ってなかったよ。
一昨日だったか、夜突然にNHKでカーペンターズの特集をやっていた。その日に限って朝から忙しくしていて、最初の20分ほど見逃しちまったい。
中学の頃初めて買ったアルバム”Now&Then”
うちのビクターのステレオで聴いたあのカレンの声。なんて素晴らしい声だろうと思った。
本当はドラムを叩きたかった歌の天才カレン。
前面に出て歌いたかったという天才作曲家の兄リチャード。
人気が出て余裕がなくなり、リチャードも一時期睡眠薬を常用していたとか。
世界中の人々に、その命をけずって愛の歌を伝え続けてくれたカレンが、僕らに最後に教えてくれたのは、皮肉にも拒食症という病だった。
享年32歳。
あれから24年。世の中は相変わらずままならないことばかり。
I know I Need To Be In Love
I know I’ve wasted too much time
I know I ask perfection of
A quite imperfect world
And fool enough to think that’s
What I’ll find
わかってる 私は恋をするべきね
わかってる 時間を無駄にしすぎたこと
この不完全な世界で完璧なものを求めていたなんて
私はなんておばかさんだったのかしら
それが見つかると思ってたなんて
”I Need To Be In Love”
雨の上がった朝。
いよいよ田植えが近づいてきて近所は忙しそう。
早朝のうちにわらびなどをと思ったが、こいけがいつまでも起きない。
起きるのを待って、一緒にワラビを採りに出かけた。
ワラビはどこにでもあるわけではなく、群生地は数カ所しかない。
だから、早い者勝ちになる。
あいにくすでに昨日あたり他の人に採られたのか、まだ寒いからなのかほんの少しだけしか採れなかった。残念。
午前中はミニトマトときゅうりの苗を植えた。
例のごとく、ミニトマト(ナス科)にはニラ、きゅうり(ウリ科)にはネギを根元に混植し、その上から腐葉土をマルチがわりにかけて、支柱をたてておいた。
あとはほぼ芽の出そろったじゃがいもの芽かきと土寄せ。
芽かきは一つの種いもから何本も芽が出ると、栄養が分散してしまって、小さなおいもばかりたくさんになってしまうので、引っこ抜いて2~3本に間引くこと。
土寄せは、芽が細いのでひょろっと土の上に伸びていくと風などでポキンと折れてしまうし、おいもは種いもより上にできて、日に当たると青くなってしまうので、それらを防ぐために土を回りから寄せて高くしていくこと。
先日朝日新聞に掲載されていた、乗馬の授業が単位になる私立高校。
昨年までは騎手や厩務員(きゅうむいん)らを育てる専門学校だったそうな。(タイトルは朝日新聞より引用)
日本馬事高等学院(千葉県匝瑳市)
授業は通信制の高等学校と連携した「教科学習」、「乗馬学習」「校外学習」を三本柱とし、3年間で高校卒業に必要な単位が取得できる。4月と10月生も募集。
この、「乗馬学習」と「校外学習」で3年間で30単位を自動的に修得することになるため、教科は残りの44単位を修得するだけで、高校卒業資格を取得できるそうな。
馬が好きで勉強があんまりという子には面白いかも知れない。
一般高校課程(普通科)(一部通学制)のほか、
「騎手受験課程」「馬術選手課程」「業界就職課程」(全寮制)を併設。
早速資料を(ネットで)請求したら、「学習塾だそうですので、良かったら多めにパンフレットをお入れしましょうか」と丁寧な電話をいただいた。
その方(女性)も不登校の経験があるとおっしゃっていた。
K君無事に合格したそうだ。
取り敢えず良かった。と言いながら、なんだか冷めた気持ちでいる自分はなんだろう。
今日はこいけと近くの東大千葉演習林春の一般公開へ。
年二回、春と秋の4日間だけゲートが開く。
普段は林学の研究のための広大な大学演習林で(約2200ha)一般の立ち入りは禁止。
愛娘チェリーが生きていた頃は何回か一緒に来たのだが、二年前に亡くなってからはすっかり足が遠のいてしまっていた。
今日はチェリーの大好きだったボールをリュックにしのばせ、出かけてきた。
9時。駐車場から2Km、ほぼ一番乗りで演習林ゲート到着。春は秋と違って空いてる~。トンネルを越えるとすぐ黒滝。
川沿いの気持ちの良い猪ノ川林道を、珍しいメタセコイア林などを見ながら歩く。(約3Km)
そこから急斜面の柚の木歩道を登って約1Km、地蔵峠到着。
そこでおにぎりを食べて、しばし休憩。
今までは柚の木歩道の手前でUターンしていたが、今日は更に尾根沿いに三石歩道を約4Km、約一時間半で三石山観音寺到着。(ここは古くからの霊場だが、マラソンのQちゃんが来ることでも今は有名)
その名の由来となっている三つの石を拝んで、山を下りること約7Km。駐車場着午後3時。
全行程約17Km、6時間の山歩きでした。
帰宅後、畑に牛フンを入れて耕して(先週苦土石灰をまいて耕したので)、とうもろこしをもう蒔いてしまった。
それから、近くにワラビを採りに出かけ、お隣の方の竹林でタケノコを掘らせていただき、ついでにふきをちょっと採って帰ってきた。今年はタケノコは裏年らしくて、小さいのが2本掘れただけだったけど、こいけが早速ふきと炊き合わせてくれて美味しかった~。
夜K君より元気に電話。
無事に受験が終わったそうだ。
作文は予想外のテーマが出たが、数行は書けたみたいだし、面接もちゃんと答えられたそうだ。
合格!(ポン→スタンプ押す音)
明後日正式に合格して、4/29には晴れて入学式となるだろう。
これからのことは、これから考えるとして、お疲れさま!
疲れたけれどいい一日だったよ。。。。
けなげにも受験することを決めたK君。
結局白紙にするという選択肢はあまり本人の中にはなかったようだ。
夕方少し早めに来て、お茶しながら近況など。
テレビゲームなぞ少し楽しめるようになったみたいだ。
じきにこいけが帰宅して、床屋さん。
自分がそうだったからだけど、(ひきこもりや不登校によって)床屋さんに行けないというのは、本人にとっては深刻な問題である。だって髪は否応なく伸びてくるからね。
勉強でなく床屋さんだけに来るってのも、ちょっと僕にとっては複雑なものもあるけど、でも床屋さんができる塾っていうのも、考えてみれば珍しいのではなかろうか。
前回は作文を書くことができなかったが、その後自分なりに家で書き直したらしい。
ひょっとしたら明日の試験はうまく乗り切るのでは?と思わせる感じだった。
ただ・・・受かったからと言ってもそこからが実は大変。
おととい、出願書類を提出しにお母さんと高校まで行ったが、窓口へはお母さんが提出したそう。(本人は車の中。)
勉強も相変わらず手につかないようだし、大丈夫かなと思う部分もある。
高校へ行ってみたい、友達もできるかも知れないし、という彼の思いももっともだ。
ただ、何が何でも今この時期に、決めなくちゃいけないこともないと思う。
いずれにしても明日無事に受験終わるといいけれど。
家で僕がやきもきしていても仕方がないので、明日はこいけと原生林を歩いて来ます。
深夜になってK君からメール。
やっぱり4期(15日)で受けることになったので、髪を切ってもらいたいと。
う~ん。出願締め切りの今日まで悩んだんだろうな。
予想はしていたけれど、大きな船と同じで、急に止まったり、大きく針路を変更するには時間が無さ過ぎたのだろうな。
明日はちょっと僕もこいけも時間がうまく合わず無理なので、申し訳ないけれど前日土曜日の夕方来てもらうことになってしまう。
その時に少し話せると思うけれど、彼の決定を尊重しリラックスに努めたいと思う。