実家のある市の病院から突然の電話。
母がデイケアで週二回通っている病院だ。いったい何事?
今日月曜日は通所の日なのだが、今朝(実家へ)迎えに行ったら誰も出てこなかった。休むという連絡ももらっていない。新聞は今朝の分だけが入っていると。家には誰もいないようだったと。
今までこういうことはなかったそうなので、何か息子さんの方で(僕のこと)聞いていますか?ということだった。
はていったいどうしたのだろう。
何も聞いていなかった、というか夏以来なんの連絡も来ていないし、こちらからもしていない。
すぐ電話したがもちろん出ず。いざという時にと持たせた携帯も出ず。多分充電器にいつものように置きっぱなしだろう。
いくらなんでも、同時に二人が家の中で全く動けなくなっているとは考えにくい。取っていない新聞が今朝の分だけということは、日曜に何か突発的な出来事でもあって出かけてどこかへ泊まったのだろうか?
弟へ電話しても仕事中らしく留守電、メッセージを入れるも、返事もすぐには来ず。こいけと実家へ行くか?それともお隣の人へ連絡を入れるか?とも思った。
ちょっと待てよ、そう言えば父の長兄(僕の伯父)が二年前の11月始めに亡くなったのだったっけ。となるとそろそろ3回忌かな。もしかして(僕は何も聞いていないけれど)花巻で何か法事があったのかな?と、思いきっていとこへ電話。
案の定、昨日は花巻で伯父の3回忌、両親も元気に出席、自分たち(いとこたち)は日帰りで東京へ戻ったが、両親は仙台で降りたよとのこと。○○温泉へ行くと言い残して。仙台は母の実家があったところで母の姉妹達も何人か住んでいる。
まったくお疲れのいとこに電話しちゃって恥ずかしかった。
なんにも知らしてくれないもんなぁ。
そう言えば昨年の今頃は、父一人が花巻へ行き(一周忌)、僕は頼まれて実家で母と留守番していたのだったっけ。
やれやれ、でもどうやら生きてはいるらしいな。デイケア休むって連絡入れるの忘れたのかしら。結局今晩も帰宅しなかった!まったく。まぁそれだけ元気ってことでしょうな。
せっかく二ヶ月ぶりの日本酒もあまり酔えなかった。そんな46歳最後の日。
今度は(隣の市の)親の会の代表の方よりお電話。
日曜日に来られた方と出会った会だ。
その方は親の会以外にも色々な活動をなさっている方。(とあるNPOの代表でもある。)
今度近隣での子育て支援のブログを立ち上げたので、取材したいとのことだった。情報発信のためのブログらしい。
で、今日の午後わざわざいらして、枝豆やら梅干しやら食べながらお話した。取材の方は、僕のHPを適当に利用してもらうということで(笑)、あとはさまざまなお話を。
実は8月以来、ずっとそこの親の会にも顔を出していないので、どうしたの?ってな話から、自分の調子が悪くなった理由などをずいぶんと聞いていただいてしまった。
この人(僕のことね)ってホント聞き上手になれないわ~。おれがおれがの「が」の人。
おかげおかげの「げ」の人になりなさいって聞いたことあるけど、そういう人間にはなかなかなれないもんですな。
最近人が時々いらして下さってありがたいこと。
生きていればこそのことと思う。
けれど、やっぱり人と話すのは緊張するし、ちょっと疲れるなぁとも思ったのでした。
一昨日、お電話を頂いた。
8月の隣の市での親の会で初めてお会いした方だった。(8/2の日記)
娘さん(中1終盤から不登校)は無事に東北の私塾から戻ってきて、来年の高校受験(G高校でない)を目指すとか。
学びたいという気持ちがとても強いそうで、うちへ通ってみたいということらしい。
で、昨日ご両親と3人でわざわざいらして、朝から緊張してウロウロ準備しつつお待ちした。
実際お会いしてみると話はさまざま展開、その私塾の話やら、ご両親は昔からの洋楽ファンで、エアチェック派だったこと、特にお母さん(僕と同じ世代)は全米トップ40を(昼間はFENも)ずっと聴いていたことが判明、更に盛り上がった。
以前このブログでもご紹介したビルボード誌(1980年12月20日号)を興味深そうに娘さんとご覧になられていた。(わざわざ見せる僕も大人じゃないんだけど)
娘さんはとっても感じのいい子。
今はビートルズにも興味を持ってるとか。
僕が共通一次試験の第一期生で、その(いっせいに全国30万人の受験生がマークシートをぬりつぶし始める)さまが、まるでブロイラー工場のようでなんだか嫌だった、で、突然高3の夏休みから勉強しなくなったんだ、という話にうんうんと随分深くうなずいてくれたのが、印象的だった。
こんなおっさんでいいのかなぁと同情的にも思いつつ、時々一緒に中学の勉強をしていくことになりそうな感じだ。(昨日は何も決めなかった。)
ジャスミンティとお菓子で気が付くと3時間。
おみやげに昨年発売の"LOVE (THE BEATLES)"を。
実は春に、同じようにこれからその私塾へ行く予定だという子と、思いがけずじっくりと話をしたことがあった。(この子はすでにG高校への入学が決まっていた。3/27の日記)
(聞くべきではなかったのかも知れないが)彼のことを尋ねてみたら、やはり東北で会って知っていた。なんだか不思議な気持ちだった。
最近思うこと。
自分のブログとは言え、瞬間瞬間のネガティブな気持ちを正直に書くのは難しいな~と。
でもそれが一番その日の書きたい気持ちだったりするからなぁ。
心の動きって水と同じように、一ヶ所へとどまる時もあるけれど、また必ず流れてゆくもの。これは救いでもある。
月末には4?歳になってしまう、とちょっと焦っている。
今日はM先生の受診。
持参した本は、シャーリー・マクレーンの近著「愛犬テリーに教わったこと(原題OUT ON A LEASH)」。
先日加島祥造さんのタオ関連の本数冊と共に借りてきた。
この本、君津の図書館にはなかったのでリクエストしたら、成田の図書館から二週間かけてわざわざ取り寄せてくれた。・・・ありがたいけど・・・買ってくれよ。
なぜか待合室に以前はなかったテレビが置かれ、(普通の人からすればなんてことのない音量なんだけど)気が散るなぁーと思いつつも、修行と思って我慢しつつ読んでいた。
やっと呼ばれて室内に入ると、目ざとくM先生が本に気づき、あらシャーリー・マクレーン?ってな感じで。
聞けば先生も何冊か昔のシャーリーの本を読んだらしい。("Out on a Limb"とかね)
そこから話が盛り上がり、昔僕も受けたことのある前世療法(ヒプノセラピー)は、M先生も一時期興味を持って、なんとヒプノセラピストになるための講習も受けたことがあるとか。そのほか色々。
先生も数年前まで随分色々な症状に悩まされたそうで、(ここでは詳しくは書かないが)、やはり精神科に頼るのではなく、僕と同じようにさまざまな方法を試してきたそうだ。今は禅らしい。
僕「なぜ先生は薬や病院に頼らなかったのですか?」
先生「苦しかったけど、何か体験の必要があって起こっていることだと思っていたの」
僕「そこにスピリチュアルな意味を感じたのですね。」
(深く共感する部分あり)
先生「そうね。第三の目が開くための試練かしらね。」
なんか患者と医師の会話じゃなかった。
最後、僕がこんな薬はどうでしょう?って前日ネットで調べて良さそうなのを言ったら、「あ、それはいいわね。じゃ今までのはやめてそれにしましょう」とあっさり処方してくれた。
ということで今日から
柴胡加竜骨牡蠣湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)飲みます。
いよいよ金八先生が始まった。
シリーズ8作目?
第1シリーズは1979年開始だから、もう28年にもなるのね。
杉田かおると鶴見辰吾の二人が演じた「15歳の母」は当時かなり話題になった。たのきんトリオ(古!)や三原じゅんこなどもあれがデビューだったのかな?
実はここへ引っ越して来た頃にもやっていて(健次郎のやつね)、放映日は引っ越しの予定日から外したほど。
僕の方はその間ひきこもりとしての28年間だった。ずっとその間ひきこもっていたわけではないけれど。
それを金八先生はきっと認めてはくれないだろうと思う。もちろんドラマなんだけどね。
じゃあなぜ金八先生が好きなのか。
そこには食うか食われるかの生存競争には終わらない仲間達がいるからだと自分ではなんとなく思っている。
夕方半年ぶりにK君が遊びにきた。180cmいった?
強迫は入学後の一時期すごく苦しかったようだけど、随分楽になったみたい。
専門用語だけど、自分なりの恐怖突入や行動療法みたいなのをやってみて成功したそうなので、すごいなぁと素直に感心した。(もちろん彼はそういう言葉は知らなかった)
送迎はおじいさんだったので(うちの割と近く)、お母さんにお会いすることはできなかった。
時々その家(お母さんのご実家)にはご飯を食べに行ったりしているみたいだけれど、未だに(心配させまいと)高校へ行かなくなったことを話せていないそうなのが、気の毒だった。親御さんがどちらの実家にも話していないってことがちょっと気になった。もう5ヶ月だぜ?いつまで隠しておく気?
でも久しぶりに元気そうな顔が見られて良かった。。
僕の方はなかなか楽にならない。日曜はまた集落の草刈り。これで今年の最後だ。。。