中学二年生の英語の教科書を予習していたらば、新垣勉さんのお話が載っていて、彼の「千の風になって」をダウンロードしてみた。
こいけとウィスキーをなめながら聴いていたら、チェリーを思い出してさめざめと泣けた。生きるって哀しいね。
歌詞ではなく、柳田邦男さんの訳を。
A Thousand Winds
Do not stand at my grave and weep.
I am not there, I do not sleep.
I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn’s rain.
When you awake in the morning hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds encircling flight.
I am the soft starshine at night.
Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.
1000の風(あとに残された人へ) 柳田邦男訳
私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。
私はそこにいません。
眠ってなんかいません。
1000の風になって
吹き抜けています。
私はダイヤモンドのように
雪の上で輝いています。
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。
秋にはやさしい雨になります。
朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって
駆けあがり
鳥たちを
空でくるくる舞わせています。
夜には星になり、
私は、そっと光っています。
そうでしたか。
Z会、高校の時僕も一時期やったことがありました。
でも今のように学問を楽しむというような心境ではなく、間に合うか間に合わないかだけが心配で・・・
サッカーもやっていたので結局どんどんたまっていって、そのままやめてしまいました。
俳句や漫画を訳すのとかあったのでしたっけ。今ならちょっと興味があります。
歌(詩)を訳すというのは、むしろ教科書よりもいい教材になりえますね。
以前はサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」なんかを訳して、生徒に歌を聴かせたりしたこともありました。
この「千の風になって」も、もし時間が許せばそういう機会を持ちたいと計画はしているのですが、さてどうなりますか。
そう言えば・・・今思い出しましたが、僕らの中学では当時(1973年頃)ビートルズ旋風が吹き荒れました。(当時すでにビートルズは解散していたのですが)で、英語の時間に先生に誰かが質問したんです。"Can't buy me love"の意味を。それで先生が困ってしまって授業どころではなくなってしまいました。今から考えれば主語が(省略されて)ないからそこだけ聞かれても訳せるわけなかったのですけどね。歌をよく聴くと"Mama can't buy me love"だったんですけどね。懐かしい思い出です。
修行中でございます。
言われて気がついたけど、
わたしは特に母親の視点では訳してなかったなあ。母親失格かな?
わたしが死んだ後の子供のことはあまり心配していないのかも。
夫より先だったら、夫の方が心配ですよ(笑)。
もっとニュートラルな気持ちで
(友達がハムスターを亡くして嘆いていたときにこの詩を知ったとブログに書いていたのを見てわたしも知ったから、
自分が動物になった気もしていた)訳していました。
意訳のことは、いろいろ感じることがあります。
わたしも昔、高校生に受験対策とか教えてましたけど、
テストでは文法的に合ってれば文句なく100点でも、
翻訳の世界ではダメダメの0点だったりするわけですから、
翻訳はほんと難しいです。
わたしも受験のころから、訳し方にはこだわってました。
Z会(あべっちさんもやられてましたか?)の英語とか、趣味的な世界に走ってて好きでした(俳句や漫画を訳すのとかあったし)。
えっそうなのですか?秋川さん、紅白で歌ってましたね、あの方のお父様もやっぱり音楽の先生だったのですね。教わっただなんてびつくりです。
きりっとして何か力強いすがすがしい訳ですね。ありがとうございます。さすがプロ!
(一般的には子ども達よりも先に逝くであろう)母親の視点で訳されたのでしょうかしら。
以前どこかでお話したかも知れませんが、僕は一時期スピリチュアルな世界に興味を持っていたこともあって輪廻転生は今も信じています。肉体は衣服、魂は不滅だと思っていますから、死そのものや、ましてやお墓などにはあまりこだわっていない(つもり)です。
でも、やはり近しいものを亡くした時、残された側の視点にたってこのような詩に触れると、何か改めて勇気づけられるような気がします。高いお金払って変なお坊さんのお経聞かされるよりずっといいわ。
英語には日本語のように尊敬語、謙譲語、丁寧語の区別がありませんから、その分日本語訳は苦労する面もありますが、逆に原詩よりもより美しい響きとなる可能性も秘めていますよね。
"You"ひとつとってみても「あなた」なのか「お前」なのかで訳の雰囲気も随分違ってきますよね。
意訳、と言うのでしょうか、
こと中学の教科書に関しては、文法を学ぶという目的もあり、なかなか、意訳とばかりは言ってられない部分があるのですが、でもやはり言葉は生き物ですから、その辺生き生きとした日本語になるように留意しながら生徒達とも訳しています。やっぱり友達同士の会話と先生や目上の人との話し方は違いますものね。
今度そんな話をプロフェッショナルな立場から教えて下さいね。
実は、秋川雅史さんのお父様は、わたしの高校時代の音楽の先生だった方のようです。確かにコーラス指導にはとても熱心で、歌う楽しさを教えていただきました。
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わたしは千の風
わたしのお墓の前で涙を流さないで
わたしはそこいない 眠ってなんかいない
わたしは千の風になってかけめぐり
雪の上でダイヤモンドのようにきらめき
日の光になって穀物をはぐくみ
やさしい秋の雨になって降りそそぐ
あなたが朝の静けさの中で目覚めるとき
わたしは物言わぬ鳥たちをすばやく飛び立たせ
大空に輪を描かせる
夜にはほんのりと光る星になるわ
わたしのお墓の前で泣き叫んだりしないで
わたしはそこにいない 死んでなんかいない