実は恥ずかしい話だが・・・
表の舗装された道路はそうでもないのだが、家のすぐ真横を通る砂利道の農道を今誰が通っていったのか、これをいちいち確かめないと気が済まない。誰かが通ったり、家の近くで車のドアを閉めるバタンという音が聞こえようものなら、その方向が見える窓まで走ってゆく。(アホか!)
これが例のおじいさんだったりすれば、もう目が離せなくなってしまう。双眼鏡を使ってそのおじいさんの姿を追う。目を離すと、うちのすぐ横を突然草刈りし出すかも知れないし(これもすごい音なんだ)、帰りしな、或いは、車を田んぼの方に置いてから歩いて戻ってきて倉庫のシャッターを突然開けるかも知れないからだ。以前もそういうことがあった。
かくして一日何度も家の中をうろうろして全然落ち着かないというあほらしい日々をもう何年も送っている。かと言って外出するかというと、留守後の出来事が気になって、家をなかなか空けられないというお粗末ぶり。
ほんと監視カメラをつけたいくらいだわ。
農道をへだててすぐ教室の向かいに、そのおじいさん所有の大きな農機具倉庫があって、いつシャッターをガラガラ開けるかわからないという恐怖が多分一番先にあったのだと思う。
突然シャッターが開いて、びっくりして心臓がきゅっと痛くなったのが最初。その後も色々なことがあって、すっかり僕の中ではこの家族が敵になってしまった。敵の動きを、敵よりも先に知ろうとするのはある意味当たり前だ。そのショックを少しでも和らげるためには、いち早くそのおじいさんが来るのを察知し、心の準備ができればいいわけだ。
農道側にはあまり窓がないため、一日中動物のように耳をそばだてて、通る車の音を聞き逃すまいとしている。
そのおじいさんも最近では随分気を使ってくれてるなと思うこともあるのだが、すっかり条件反射のように身についてしまった。
一日何度も確認してしまうところは、強迫性障害(OCD)のように思える。
調べてみると「手を洗ってもきれいになった気がせずに、何時間も洗い続けてしまう」とか「戸締まりをしたかどうかが気になり、何度も鍵を確認してしまう。」などさまざまな症状があるようだ。
ココにあるように"恐怖症の人が恐れるのは犬や高い所、エレベーターのような密閉空間など、特定の場所や物であるのに対して、OCD患者の恐れるものは、「汚れ」や「他人を傷つけるかもしれないという衝動」など、抽象的で避けることのできないものであるところが違う。"らしい。
そうなると、僕の場合は農道・シャッター恐怖症、或いはやはり対人恐怖が根っこにあるのだろうな。
思い通りにならない他人ほど怖いものはない。
環境を変えて、引っ越したい理由はそれだ。
さて・・・
二人組の中2の男の子のうち一人が昨日でしばらくお休みすることになった。
もしかしたらこのまま戻ってこないかも知れない。
確かにかなり学力の差のある二人組で、プリントをたくさん用意するとか色々工夫したのだけど、成績の良い彼にはそれでも少し退屈な時間があったのかも知れない。少しへこんでます。
昨日は(もう少しあとでやるつもりだったのだが)「千の風になって」を教材として最後は二人に新垣勉さんのCDを聴いてもらった。う~ん、なかなかいろいろなことがうまく行かないわ。
千の風になってしまいたい。