娘のK子がタイ国から日本国へ単独移住して、はやくも三か月が過ぎようとしている
2019年には二人の甥っ子が同時に大学&大学院を卒業することで両親の肩の荷も下りるからと、タイミング的にも今しかないよと日本移住のお誘いをいただいた形だ。
今の学校カリキュラム、ゆとり教育の反動か、かなり詰め込み教育へと舵を切っているようで、特に6年生から急激に難易度が上がると聞いてギリギリのラストチャンスだと考えた。
K子にとっては小学1年生の時から希望していた日本生活の始まりであるが、しかし勉強嫌いで楽しみばかり考えているK子、勉強勉強で苦痛を伴う日本生活になるのは火を見るよりも明らかだった。
勉強で付いて行けなければどうなるか?
落ちこぼれ、日本語がヘン、両親と別居、更に色黒のおデブちゃんで体育がダメとなれば格好の虐めの対象となるだろうと姉から脅された。
小学校1年生から毎年のように体験入学でお世話になったY小学校は一学年に一クラスだけの小所帯。
5年生には約30人ほどいて、全員がK子の事情や性格など勝手知ったるファミリーな友人たちである。
Nちゃん、Mちゃん、Aちゃんとは放課後の遊び友達だし
目は青いがハーフのイケメン男子T君がいて、彼のアメリカンジョークやダンスがおもしろいとK子のお気に入りだ。
小さなY小学校での登校風景 K子の心の故郷でもある
これからはずっと一緒に机を並べて本当の仲間になれるのだと大喜びのK子であったが、申し込みをした教育委員会からのお達しは非情なものだった。
住居から徒歩圏内にあるA小学校へ入学して欲しいという通知。
地域ではマンモス校と呼べる大きさのA小学校には150人ほどの5年生が在籍しているので、直ぐに気の合う友人もできるだろうと、また帰国子女用に専属で教師を一人確保しているというのが理由だった。
しかし、そもそもの娘の希望がY小学校学友との再会であるため、これは外せないと無理を言って問い合わせていただいたところ「授業に遅れても細かな助けは不可能である」という厳しい言葉となって返ってきた。
A小学校ではマンツーマンで日本語説明が可能なわけだから授業から一人取り残される心配もなかろうと思い、K子に事情を説明して説得したものの、その落胆は激しかった。
「話が違うじゃん!」という娘の声が聞こえる気分だった
のっけから娘の不本意な方向に行ってしまい、不安は残るものの娘の日本行き決意は固い。
一度決めたらテコでも動かない頑固なところがある。
駅前には塾も多いということで、気を取り直して受け入れてくれる塾探しをやってもらった。
おばちゃん(我姉)のお勧めは1対1の塾、
マンツーマンでもなければアッチ向いたりコッチ向いたり気が散るタイプの娘では費用対効果がゼロに等しいと、大出費を覚悟で2軒の1対1塾へ面接に行ってもらった。
結果は、どちらからも「3年生レベルですね」という厳しい現実。
地元の学校を卒業した甥っ子の意見では、出来る事なら電車で一駅にある私立M中学校へ入れて欲しいという。
陰湿な虐めを知っている世代の意見として参考にさせてもらい、そんな洗礼から逃れる方法として無謀にも中学お受験をを目論んでいたが、この時点で早々と断念せざるを得えなかった。
まずは冬休みを使って3年生の復習からスタート。
三学期途中に3年生を終わらせて、春休みが終わる頃までに4年生をマスターするという強行作戦。
なんにしても国語能力がなければ算数の文章問題も解けないからと、英語を合わせて三科目の授業となり、
春夏の講座を入れて年間150万円の出費を覚悟した ←ココ、オヤジの「話が違うじゃん!!!」( ノД`)…
マンモスA小学校の登校風景 マスク姿で一端の日本人?
そういうことで渡航していきなり冬休み、元旦以外は塾にて日本語ウォーミングアップを行い、三学期始業を万全の態勢で迎えたつもりだった。
担任の先生は若き乙女、まだ現役の記憶が新しく最近の子供文化や空気を体現しているということで期待値も高かったが、同じく期待していた帰国子女専属教師には落胆させられた。
どうやら、この学校には娘の他にも帰国子女が二人いて、一人は6年生、一人は3年生?、その二人ともが日本語習熟度が低くすぎて、カタコト以外は話せないという。
とてもじゃないがサポート抜きでは授業に参加できないレベルだそうで、
しかもその教師は学校掛け持ちらしく、市内の数校を巡回しているという。
「話が違うじゃん!」と思うが、苦情を言える立場でもない。
日本語能力からいって必然的に弾き出された娘は、ほとんど独自で授業を理解するしかない立場に置かれた。
「なんてこった、これじゃあY小学校でも良かったじゃない?」
そう愚痴ったとて後の祭り、根性で先生の話を聞き取ってもらうしかない。
クシャクシャにして隠してあった豆テスト、なんと一点だけ
おばちゃんから見つかって、もう三度目になるスマホ禁止令を食らった
塾では3年生の漢字を、学校では5年生の漢字を覚えなくてはならす、あれだけ漢字が大嫌いだった娘には苦行でしかない
その他にも、算数や理科社会といった主要科目の宿題が連日の目白押し
これだと真面目に自宅学習をやった子と、怠けた子の格差は広がる一方だと知った。
タイ国では土曜日の日本人学校へ通っていたが、次の土曜日までに10個から20個の漢字を覚えなければならなかった。
「自分で覚えなさいよ」と、ほっといて自主的に覚えたことなどない。
平日も休日も塾で忙しかったが、隙間時間を有効活用して覚えさせた。
朝一でテスト、帰宅時にテスト、間違えたら5回書く、
そのサイクルで週末ギリギリセーフだった。
ほぼ毎朝のように機嫌が悪くて「やりたくなーーーーーーい!!!」と絶叫するので、
教える方も根気が要る。
ところが日本では漢字が覚えられなくて、塾から毎日送られてくる報告メールでは3年生漢字でつまずいている。
「朝もちゃんとやってるの?、朝もやらなくちゃ覚えられないよ」と、
タイで繰り返したルーティンを思い出させようとするが、聞いてんのか聞いてないのか…
「強めに言うとK子と喧嘩になるから言いたくない、K子だって頑張ってるし」と言って、
お婆ちゃんはK子から嫌われるのを極度に恐れているかのよう。
それで発覚したのは、自宅では娘とお婆ちゃんの二人暮らしだったこと。
当初の予定ではおばちゃんも同居してK子の面倒を見ると言っていたはずが、蓋を開けてみると違ってた。
どうやら姉はお婆ちゃんに育児を丸投げしていて、自分は車で約12分の自宅に住んでいた。
出張が多くて月半分は出先な稼業、暇ができるとやってきてガミガミ叱るサイクルだ。
つまり怖いおばちゃんが出張で居ない時、夜はダラダラとテレビを見て、お婆ちゃんが先に寝ちゃった後もダラダラyou tubeを見て、Tik Tokで動画をアップして、眠くなるまで遊んでいるはず。
ちょくちょく塾を遅刻する報告から始まり、小学校まで遅刻していると報告が来てからは、毎朝毎晩ラインで確認する必要が発生した。
「おーい!明日の用意はでいたか?」「宿題は終わったか?」「歯を磨いたか?」
またしても「話が違うじゃん!」と喉まで出かかるが、お世話になっている身分で苦情は言えないだろう。
ちょっと姉に対して不都合を話したりすると、いかに自分がそつなく頑張って遂行しているかを滔々と聞かせられて、「旦那のご飯もくつらにゃならんのに」と愚痴返しを食らうだけだ。
挙句の果てには「私は怠けていない!ちゃんと指導してるし(ガミガミ叱ってるし)、やる気のないK子が自分から頑張るようにならなければずっとこのままだよ!」とK子のダメ出し(正論)を食らうだけ。
ついでに「うちのお父さんには迷惑を掛けっぱなしなんだから!」と錦の御旗を繰り出せば平伏するしかない
( ̄▽ ̄;)・・・すんませーーーん
三学期の漢字まとめテストは散々な結果 タイでは50問中40点は取れたと思う・・・
78歳のお婆ちゃんに宿題や漢字をやってるかチェックお願いしますと話しても無理だろう。
そればかりか毎日の忘れ物チェックすらできてなくて、しょっちゅう筆箱を忘れては友達のを借りているらしい。
タイでは自分のモノと他人のモノの区別が曖昧で、借りたり返したり、または借りたままで返さなかったりは普通の行為、それで怒る人は滅多にいないと思うが、日本では違う。
借りたものを返さなければ悪人認定されてしまう世知辛いお国柄なのだ。
現に借りてばかりのK子に業を煮やしたのだろう隣の友達から先生に苦情が発生していて、
それを切っ掛けに悪口が広がり危うく総無視のイジメを食らうところまで行っている。
K子としてはタイで行っていたように貸し借りで親密性を作り込もうとしたのかもしれないが、
現在の日本では誤爆に等しい。
お婆ちゃんには毎日ご飯を作ってくれて、洗濯してくれれば御の字のはずが
「あれをさせないで」、「これをさせて」と注文のオンパレード
基本以上を望むことで、超ワガママな娘と何度か大喧嘩をさせてしまった。
脳梗塞を患ってからは感情の隆起が激しくなっているお婆ちゃんは「叱る」ことに苦痛を伴う
「調子がいい時はカワイイよ」と前向きに言ってはくれるが、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
そういうことで、ひたすらタイ国からライン越しに指示を出し、確認を取るしかないと覚悟を決めたが
そうすると今度は「パパはいつも勉強の話ばかり!」と拒絶症状が始まって、
いくらラインを飛ばそうが「閲覧すれども返信なし」の状態になってしまう。
K子が頑張ってるのはわかってるんだけどね、ここは人生の踏ん張りどころなんだョ、トホホ
学校へ続く川沿いの遊歩道を歩くお婆ちゃん お世話になります
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話が違うのは人生の常