タイで子連れ狼

何の因果か運命か、異国の地にて親父単独で二人の子を育てることに。

さあ大変の、てんやわんや育児&生活日記

子供たちの生き道を考えてみた

2016-04-23 13:11:57 | 育児
比較的公平でチャンスの平等が浸透している日本国。
それに比べて、こちらタイ国は極端な格差社会、そして学歴社会といえます。

これからタイ国で生きてゆく可能性大の子供たちですが、その将来について少し考えてみました。



日本とタイの混血児である子供たちが、タイ国にてより快適に生きてゆく方法は色々あるのかもしれませんが、同時に立ちはだかるハードルも色々とあります。

ハードルの代表的なものとして、まずは「身分」


次に「コネ」と「カネ」


そして「学力」による振るい落しが待っているようです。


うちの子供たちには生まれに「身分」がありません。

タイ国は「血の結束」を何よりも重んじる印象がありまして、外人の子供となれば初めから中心を外された立ち位置となります。
王族や旧家に近ければ、近いほど「身分」が備わるというわけです。
それは日本の江戸時代を考えるまでもなく、家を頂点とするヒエラルキーが秩序の源である事を現わしています。

ネームバリューさえあれば強力な弁護士にもなれるし、選挙に立候補しても当選しやすいと、美味しいところは先に全部持ってっちゃう。

残った分は君たちで分けたまえ、醜く争うんじゃないよみっともないからと?

極論すれば、そのように成っている印象です。




逆に混血ハーフともなれば、軍で訓練を受けて国家への忠誠でも誓わなければ公務員さえもなれないのですか?、そんな露骨な差別が存在するようですが

いずれにせよ中心から血が遠く、薄いがゆえに疎遠な扱いを受けるなんてのは、現代のタイ社会では当然の大前提だと考えております。


そして次の「コネ」、これも悲しいほどにありません。

子供たちの母親、実家は牛小屋並みに簡素な造りでして集落でも指折りの底辺農家でした。
よってタイ人コミュニティーから卑下されこそすれ、有力な人脈などあろうはずもありません。

当時、義父だった人の葬式に参加した経験があります。
地元の村会議員と見られる多数の参列はありましたが、娘婿である私に対しても上から目線で接する態度に面食らいましたね。

まるで下等市民に対する失礼でぞんざいな物言いという感じ。
「はいこっち来て、今から香典を手渡すから、あなたが記録写真を撮りなさい」なんて同年代と思しき金持ちオバちゃんから命令されました。

数千バーツの入った封筒に深く手を合わせて、かしこまりながら受け取る元義母と一緒にパチッと写真に収めてあげましたww




その昔、とある子会社から大会社へ派遣されてた時期がありましたが、その時に学卒の新入社員から「ジュースを買って来て、12本ね」って指をパチッと鳴らして命令された記憶がぶり返しまして、ちゃぶ台でもあればひっくり返そうかと思いましたね(笑)

生まれが低いってのは大変だなと思いました。




コネといえば、我が息子の親友君は華人なのですが、中国系の華人といえばタイ人ヒエラルキーとはかなり離れた立ち位置なんですか?

彼らには独自の助け合いが存在しているようです。
息子が日本人ハーフとあって、ご両親から友達関係を承認いただいているようですが、やはり一定の線引きは感じます。

昨年の話、一度だけ中間試験前の華人系勉強会へお呼ばれになった事があります。

実はその親友君、息子が通う学校経営者の親戚筋でありまして、大きな声では言えないのですが、極秘で試験問題の先取り勉強を行っていたようなのです。

おかげ様で息子はクラス10番前後から一気に3番へと躍り出る快挙を成し遂げました。
そして親友君は8番だったのですが、それ以来は勉強会には呼ばれませんww

しかし、その一回だけでも試験への取り組み方を体得した息子は、学年末試験でも3番を勝ち取り、結果として五年生の最優秀模範生徒として表彰される実績へと繋げております。

実はこれには自慢できない裏話がありまして、まあ飽くまで推測なのですが、もしかすると息子の高得点は彼の実力ではなかったかもしれないのです。

露骨なエコヒイキに対する先生方の回答だったのかもしれないないし?

それよりも学校の営業目的でのヒーロー造りのために、わざと高得点を与えてくれた筋が太いですかね。

そう思う理由は、彼はピアノ演奏がやれないわけではないのですが、かなり下手くそなんですよ。 それも笑えるレベルです。
でも、なぜかピアノの点数が学年トップでして、それが平均点をおもいっきり持ち上げてたのですから驚きました(あ、これナイショね(^^;)

ちなみに校長の孫娘も同学年にいまして、ずっと学年二番をキープしていますね。
これも息子が引いてきた運だと思って深い詮索は無しにしてるのです。





まったく有難い事だと思って( ̄∇ ̄;)ハハハ…

まあタイらしいといえばタイらしい。
でも、恐るべし血の結束、恐るべしコネの助け合い、といったところでしょうか。


そんな「コネ」に合わせて重要なのが「カネ」の力です。
これだけは親父の自由になる責任として、なんとか枯渇させずに活用せねばならないと考えております。

「血の結束」や「コネの助け合い」といった重要ファクターがゼロなぶんを「カネ」で補うと考えるならば、これはやはりオヤジの力の限りで利用しない手はないと、今から戦々恐々としております。

「武力」でもあれば力と恐怖でゴリ押しする方法があるし、人並み外れた「身体能力」でもあればスポーツ選手で荒稼ぎする道もある。
お嬢様を魅了する「ルックス」でもあれば、富裕女子に貢がせるジゴロ的な人生も視野に入るでしょう。

が、そのどれもないわけですから (〃 ̄ω ̄〃ゞポリポリ

考えると恐ろしいですよね。
いったい二人の子供をそれなりの生き道に着けるのに、一体全体いくらの出費を覚悟せねばならないのか? 

今後は、そういう戦いも待っています。


正直、もうそろそろ引退したいのですが、今から10年間の事を考えるとですね、
もう一勝負、老体に鞭打って引退できない理由がここにあります。


そして最後に

オヤジの戦いが「金」ならば、子供たちの戦いは「学力」となります。

いくら金銭を貢いだところでオヤジの財力では高が知れてます。←ココ重要
肝心要の「学力」が伴ってなければ危ういのです。

学力低く、底辺労働者のままにコキ使われる人生は望むべき方向ではありません。

タイ国底辺の実態はある意味で奴隷に等しく、セーフティーネットなどありゃしない。
日本のそれとは比べるべくもなく、超悲惨な人生をニベもなくされる現実。

(それがイイのよって論調は子供には無しね)

子供たちは日本人の血を引くということで、ある程度の信用は得られるとしても、中流としてそこそこの収入や保証を勝ち取るためには、どうしても学力による立身出世が外せないなと思ったりします。

もし個人ビジネスを始めるにしても、学歴といったベースの部分が強固でないと人脈も貧弱だし展開に広がりが出ない、それは日本も同じでしょう。

タイ国ではリーマンだろうが公務員だろうがサイドビジネス自由自在のようですから、そこの利点を使わない手はありません。

つまり社畜や公僕と化さずに自分の人生設計図を描ける。
そのような展望も開けると思うのです。



ところがところが? 

一定時間に集中して取り組む根気や集中力、論理的に考える思考能力などを鍛えることなく育った場合はどうなるか。

そうなると現代の一般タイ人にありがちな、場当たり的な反応だけで生きるような人生となります。
それはもう濁流にのみ込まれる小舟のように、右往左往するだけの人生となりましょうか。





もちろん積み重ねの効力なんて知るレベルにありませんから、汗をかく努力よりは、お手軽な快適性を選び、それでも成果だけはしっかり欲しいとなれば、もうロクでもない行為は回避不可能と思われます。





皆さんの周りを観察しても、そんなケースは多々あると思います。

条件は日本人でも同じだそうですから。




最近読んだ有名中学進学塾の先生の御著書によると、根気や集中力、あるいは論理的な思考力は鍛えなければ身につかないといいます。

それも、小学校低学年までに訓練しとかなければ、6年生になって「さあガンバレ」と尻を叩いたところで手遅れだというデーターがあるそうです。

ねー、鉄は熱いうちに打てとは言いますが、将来に残酷な差が開くのは小学校三年生までの「親の心構え」によるという話ですから、プレッシャーかかりますよ…


とはいえ、うちのは親が親ですから過度な期待はしてないのですが、知って対処するのと、知らずにズルズル落ちこぼれてゆくのでは後悔にも差があろうかと思います。

もし興味がある方はコチラで検索を ↓↓↓

「中学受験で成功する子が10歳までに身につけていること」  村上 綾一著




そういうことで、知恵や思考回路が未発達なだけに周りのずる賢い人たちから良い様に利用され、消耗するだけの夢がない人生なんてのがありまして

それが嫌ならば、程度の差あれど傍若無人なモンスターとして自分の欲求だけに忠実に、周りに迷惑をかけ続け、しかも省みない人生となるのかの二択。


二択ってのは、ちょっと言い過ぎですが…

この極端に分かれる二つのタイプ、実にタイで良く見かける性格なんですよ。

それは上記のようなメカニズムで量産されているかと考えられます。


しかるべき年齢にて、しかるべき教育や躾け、努力の習慣を学ばなかったために簡単なところでつまづいたりして、或いは転落したりしする。

それは私自身のみならず、私の家族を見るにつけても明らかであります。

せめて自分の子供には同じ轍を踏ませたくない、
それは親としての自然な気持ちであると思うのです。




以上、ハーフの子供がいて、その将来を憂う親御さんの参考にでもなれば幸いです。

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N-MAX155 レビュー走行6000Km

2016-04-22 11:38:49 | バイク
N-MAX155での検索が多いようですから、ちょっとリザルトなどを


日本では排気量が少し減って125㏄が発売されましたね。
155㏄版は並行輸入という形ですか。

それで、この二車がどれだけ違うかって事は言えませんが、タイで6000km程走っての感想をまとめてみます。

まず、気になる燃費はだいぶ伸びてきましたね。

今のところガソホール95で、1L=43km前後を維持してます。

最高速アタックは、条件が良ければ平地で時速120km(完全フセ体勢)、山の下りでは128kmから伸びません。もうちょっと長い下りだと130km出るかもです(怖いけど)

ええ~ハッキリ言って155㏄での信号ダッシュは、ホンダのカッ飛びスクーピーやクリックと変わりません。
相手が体重40㎏程のおねいちゃんだった場合、これはマジでアクセル捻らなきゃ負けます。
マジで走ると燃費がガタ落ちするし、そもそもそんなキャラクターではないのです。


可変バルブがクラス初装着だなんていいますが、これって低回転から最高トルクを引き出すタイプじゃなくて、エンジン回転をあげなきゃ作動しないタイプなんですか?

それだと、確かに音がブイーーーンと変わるスポットがありますが、音に対して加速はどうなんでしょ…ってレベルで感触が怪しい。

その昔、トヨタのファンカーゴっていう車種に試乗したことがありますが、あれに可変バルタイが着いてまして、高回転は伸びませんが低回転からモリモリとトルクが出てたんです。
まる2.5リッターのNAに乗ってるようなトルクカーブでした。
あれを期待してたんですが、肩透かしを食らったような気分。
可変バルブに関しては、あまり考えない方が良さそうですね(^^;)


もちろん80km以上の速度帯になると125㏄スクター勢に圧勝しますが、街中ではストップ&ゴーですからゼロ戦のようにヒラヒラ舞うホンダ製スクーターとは互角の走りとなります。
命を懸けたスリ抜けを決行した方が勝ちですね。

じゃあ長距離を100kmで巡行できるかというと、それはかなり厳しい。
大きなスクリーンは試したことがないので何ですが、向かい風にしがみ付く感じは拭えない。
それに車体剛性こそしっかりしてますが、サスペンションがガチガチなうえにタイヤが13インチってことで、道の継ぎ目なんかでピョンピョン跳ねます。
タイのコンクリ道路になると60kmでもガタガタとメガネが上下したりして、とても不快指数が跳ね上がる。
日本の舗装道路並みに良い道だと、やっと本領発揮の走行となりうる。

よって、街中では安価な軽量小型車と互角、かといって長距離走行ではツライ原因あり。
そういう中途半端は存在な気がします。

これはホンダのPCXと比べても、発展途上国向きの車両ではないと断言します。
ヤマハさん、間違えましたか?

極端にダートに弱いし、市街地以外では売れないと思いますよ。

走行に関しては、エンジン良し、駆動良し、車体剛性良し、ブレーキ良し、燃費良しと満足のいく出来なのですが、ユーティリティーに関しては、かなり不満有り。

まあ最新型のPCX150と比べるとですね、小さな不満はあれこれ出ちゃうのですが、それは横に置いといて

一番の不満点は、タンデムが快適じゃない!
後席ステップの位置が前すぎて、段差がある場所で足を着こうものなら、つま先が運転者のふくらはぎに当たって「オットット!」と、何度も立ちゴケしそうになりました。
フィオーレのオーナーさんも同症状だそうですから、ヤマハのデザイン部門に問題があるのかもですね。

で、パッセンジャーが乗り降りしにくい、しかも尻で全体重を支える形となりますから長時間はNGとなります。
これって、かなり使い勝手をバカにしてるかもですね。

次の不満点は、運転者ポジションですね。
これは私の個人的な我が儘かもしれませんが、尻が痛くて長時間座っていられない。
よくよく自分のポジションを見るとですね、ステップの位置が高すぎて、膝の位置が微妙に大腿骨よりも上にあります。つまり、毎回ヨッコラショと足を持ち上げてステップに乗せる必要があるし、太ももを含むかなりの体重を尻だけで支えるポジションとなります。
足が極端に短い人を想定して設計したわけでもないでしょうが(笑)、これはツライですよ。

好意的に見て、恐らくバンク角を多く取れるようにステップの位置を上げたのかもしれません。
コーナーリングと快適性とはトレードだと言われればそれまでです。

対策として、足を前にポーンと投げ出すポジションにする方法があります。
それだと太ももで重量分散が可能となります。
が、このポジションだととても不安定な走行になり、高速移動はまず不可能。
80kmで走行すると、尻がピョンピョン飛び跳ねますから危険なのです。
危険を避けるための急激な進路変更にも対応できません。
よって60km以内での低速走行では有効な対策となりえますが、
60kmで走る場所なんて近場なんですから、結局は足を前に出す必要なないという結論で…

私が70㎏以内まで体重を減らせばいいだけの話ですが?
今後も尻痛とのお付き合いは続く予定ですww


その他、メットイン容量が少ないだの、意味の無いハンドルカバーが邪魔だの、燃料コックが着脱不便だの、シート地が安っぽいだのテールランプがショボいだの?
いろいろ小さな不満点はありますが、それは徐々にアップデートされて良くなっていくものだと思っています。

それで「次回もN-MAXを購入するか?」って聞かれると、「買わない」と答えます。
S-MAX250あたりが発売されたならば速攻で買い替えるかもしれません。
そして小回りの利くグランドフィラーノあたりと二台持ちが理想的。

或いはロングツーリング用に車格をグッと上げてトレーサー700とフィラーノとの二台持ち、そうなればベストなバイクライフだと考えます。

もちろん財布との相談によりですが、
そうなるとN-MAXの存在価値って、微妙な隙間にしかないのでしょうかね…

まあ勝手なことをツラツラと書いてみましたが、なんやかや言ってもヤマハさんのバイクには特別な魅力があります。
こんな酸っぱいユーザー意見を無視したりせずに、より良い商品を生み出して欲しい。
日本企業ガンバレ! そのように応援しているのであります。

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あ、そうそう、ちょっといいですか? (刑事コロンボふう)

購入したヤマハ販売店、あの後は全く音信無しでして、行ってみたんですよ。
そしてら、もう一度パスポートと労働許可証を貸してくれっていうじゃないですか。
「はあ?」って
「コピーにサインをもらってなかったし」って
それが3月12日だったかな? 

あれからまったく進展してなかったのね(-_-;)

そんで何時できるの?って、オーナー奥さんらしき人に聞いたのね。
「一か月で出来ます」って、また口からデマカセかなと…

今現在で4月22日で、連絡来ない。
まあ、過去に一回も連絡して来たことないし、欲しけりゃお前が来いって事なんでしょうが

やっぱりタイクオリティー、そろそろ行ってみるかな。

ちゃんちゃん♪

加筆… 7千キロ走行あたりでのこと。サイドスタンドの取り付け部分が弱いのかグニャッと曲がって立ちが不安定になりました。倒れそうなんでタンデムライダー(息子)が乗り降りで怖いそうです。
頻繁に二人乗りする方や重い荷物を積む方なんかは、フレームを強化しとく方が良いかもしれません。

さらば少年の日よ…

2016-04-21 08:39:40 | 育児
約一か月間の日本滞在を終え、子供たちはタイ国へ戻ってきました。

しかしタイの真夏は暑いっすね…(;´Д`)
日中40℃超えてますからね、

花咲乱れ、春風心地よい日本から、
熱風が吹きすさぶ煙害地獄へと舞い戻りです。
三日間は頭クラクラ、偏頭痛との戦いでした。

今回の渡航目的といえば、もちろん子供たちの小学校体験入学には違いないのですが、受け入れ先の姉のスケジュールと合わず、日程の殆どは春休み期間とダブってしまいました。

その間、学校に併設する学童さんには毎日お世話になったものの、新学年での授業となれば正味五日だけの参加。
始業二日目の入学式では6年生メンバーの一人として舞台に立ち、新一年生への祝辞を述べる大役まで仰せつかりました。|;゜ロ゜|

さすがに校歌を覚えるまでには至らず、「口パクだよ!」
「パクパク頑張ったんだよ~」と脱力含みの報告(やっぱりかよ)

息子としては来年の中学校受験を臨むにつけ、タイ学校でのサマースクールは欠席したくない気持ちも強かったのですが、6年間でたびたびお世話になった日本の小学校のお友達や先生方へのお礼とお別れの言葉を是非自分の口から伝えたいと、その気持ちが勝る形で今回の無理矢理な段取りとなった訳です。

息子の6年生担任教諭は男性でしたが、先生の学級通信を読むに、教育に対する強い情熱を感じますね。
その回は「ちくちく言葉を無くそう」という内容でして、ともすれば妹に対して厳しい言葉を投げかけがちな息子にとっては、耳に痛い戒めの言葉として記憶に残ることでしょう。

4年生の時には松岡修造さんのテニス塾をテレビで見て「自分に負けちゃだめだ!」という叱咤激励に電撃ショックを受け、それ以来は座右の銘のように心に刻み込み、事あるごとに多様してた彼です。

今回も自分を律する言葉に出会い、日本の良い習慣や心意気には肌で触れて、フニャフニャしたタイ生活から一皮むけた雄姿を見せてくれました。

オヤジがショボい費用対効果を心配するまでもなかったなと
胸を撫で下ろしたりですね r(^ω^*))ウへへへ

出国の前日には、担任の先生から記念にとクラスの集合写真をいただきました。
小さな田舎の分校みたいな学校ですから、ひとクラス16人だけの六年生。
その17番目の仲間として息子を受け入れてくれた皆さん。

一年生から机を並べたクラスメートたちは笑顔でピースサイン。
でも、中央に座る息子だけは赤い目を腫らした泣き顔です(T_T)

心があったんだねえ…、日本の故郷といえばここだもんね。


この写真を見てると、思わず知らず、大昔の子供の頃に鑑賞したアニメ映画
「銀河鉄道999」の一節が思い浮かびます。

今、万感の思いを込めて汽笛が鳴る
今、万感の思いを込めて汽車がゆく

さらばショータローくん、さらばタカマサくん、さらばフーカちゃん、
さらば少年の日よ…


さあいくんだ、その顔を上げて
新しい風に心を洗おう
古い夢は置いてゆくがいい
ふたたび始まるドラマのために

そうさ君は気づいてしまった
やすらぎよりも素晴らしいものに
地平線に消える瞳には
いつしかまぶしい 男の光


一年生の冬から親父が別居してね、四年生の冬からは入れ替わりで母親が出て行っちまったね。

息子の少年時代なんてのは、オヤジから見ても恵まれたもんじゃなかったけど
まあ死に別れたわけでもなし、貧困でワルに走ったわけでもなし、
学校へも普通に行けたわけで

これを踏み台にしてね、自分の人生を造っていってほしい。
幸せのまま、ぼ~~っと育った人には備わらない勘所があるだろう
それを生かしてね、荒波を乗り越えて欲しい。
ただ、それだけを願っているのよ。

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昔のタイを徘徊した そしてソンクラーン前日

2016-04-12 08:59:05 | 旅行



PM-10が160も行くとこの通り

煙害で目や喉が痛くて、衝動的に飛んでしまいました




エアバスのAなんたらかんたら



山も、なーーーも見えャせん…






そしてこちらはバンコクに近い場所
上の写真と比べると空気の澄み具合が際だちますね




そして、バンコクに到着しました!



排気ガスを吸いに来た気もしますが(;^ω^)

あの煙害に比べればね

あ~、深呼吸、

目の周りがジャリジャリしないし、ジョギングでもやりたい気分ww






そんで、まあこんな場所にきて、

暑くて暑くて、ジョギングせずとも汗だくになれるし?



この辺り、かなり廃墟が目立ちますね。 

老巧化が進んで建て替えを待つビルがあちらこちらに










取り壊しを静かに待つ店舗

爺さん婆さんを育てたであろう門構えには当時の熱気が感じられます



古き良き時代の名残り、この地区はまとめて取り壊し、

一つの時代が終わったのでしょうか

なんだか寂しくなりますね





次にできるのはなにかな? 大規模商業施設かな

それとも美観地区として、なんちゃってアンティークな観光地になるのでしょうかね



迷物の運河も流れてますよ

落ちたら脳死は確実



あれ?  何かいる



うわ! なんでこんなキチャナイ川を泳いでるんだ? 




ゴジラのような泳ぎ方、

中華街ヤワラートの怪獣ということで「ヤワラザウルス」と名付けよう


ヘドロで化学反応、巨大化して暴れないようにね



実はこの運河、昨年まで見えなかったんですよね

観光ガイドを読むと、泥棒市場的なバラック小屋が並んでたようです


どんどん変わっちゃうな、昔のバンコクじゃないな




こちらは古ぼけた市場の中




こういうの見るとね、タイに来たな~という気がします







タイに住んでるのですけどね





汚い布を売ってますね、雑巾にはなりますか?


これを売るっていう感覚がよくわからないけど

昔のタイが息づいてるな~って気分にはなれます

売れた後は知らんぷり、苦情は一切受け付けませんって (;´Д`)

 




ビルの谷間に取り残された古い廃屋がぽつんと

場末マニアや廃墟マニアが喜びそうなモチーフでしょうか?


あの三階にあるベランダに座って、遠く王宮あたりの景色を眺め、

本でも読みながら涼んでた人がいたのでしょうね


今では無数のエアコンから出る熱気で蒸し返すような谷底です




こんなところで、グビっと一杯 立ち飲み屋





お茶ですね、この黒いほうのお茶が、とてつもなく苦いんだ!


マズい!!  もう一杯はゴメンナサイ! ってくらいに体に良さそう


10バーツだし、通りかかった時は絶対に飲みましょう




まあ、こちらが現代のバンコクなんですけども


どうせバンコクへ行くならば、廃墟と異臭漂う旧市街へ


細い路地にたたずんで、混沌のカオスを楽しんではいかがでしょうか




そういうことで、つかの間のウマくてマズい空気を堪能し、

それぞれの、星の数ほどの想い出が深く眠るドンムアン空港から飛び立ちました。


おしまい



あ、そうそう、今朝のチェンマイの写真でも




お濠沿い

いよいよ明日からタイの正月、水かけ祭りのソンクラーンが始まります

決戦の前日とあって、嵐の前の静けさでしょうか



でもですね、今年は深刻な水不足が確定しておりまして

よく見ると、お濠の水の入れ替えもケチったまま

腐ったようにバクテリアの巣窟と化しております



こんな水をジャバジャバ頭から掛けられるのですよ。


三十六計逃げるに如かず、子供たちを迎えるべく日本へと旅立ちましょう


それでは皆さんまた来年、良いお年をお迎えください!!!




昨年のソンクラーンの熱狂

水道水は安全ですからね、間違ってもお濠の南側、チェンマイ門辺りには近づかないように


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人類を迷妄へと縛りつける妄想連結の話

2016-04-08 09:17:58 | 思った事 考えたこと
今回はつまらない話になります。

あまり詳しくはないのですが、今から数十年前の話、無知なまま北朝鮮へ移住して痛い目にあった日本人の方々がいらっしゃるようです。

「地上の楽園」なんて朝日新聞あたりが持ち上げたりして、日本から移住者を送り込んだという話を読んだことがあります。

持ち上げた朝日新聞に言わせれば、「国家主導の在日追放策」だという話ですが、今回それは横に置いといて…




1960年といえば、まだまだ日本の地方では貧困家庭が多かったと思います。

このまま食えない片田舎で暮らすよりも、思い切って外国へ嫁いだ方がいいと考えたご婦人方が居たのでしょうか、それとも何処かの出先機関から推薦されたゆえの決断か、或いはその両方かって具合で、彼の地の実情も知らないままに飛び込んじゃって、帰りたいけど帰れない、そんな悲劇のニュースを読んだことがあります。




まあ、当時の日本は東京や大阪といった大都市を浮上させるので精一杯の時期だったと思いますが、地方は経済から取り残されて、おざなりって状態は容易に想像できます。




なかなか全体を同時に浮上させるのは現実問題で無理な話のようでして、どうしても局地的に盛り上げては周囲を埋めてゆくという作業になっちゃうのでしょう。

敗戦後の20年辺りではまだまだ日本中に手付かずの場所が多かったのではないでしょうかね。




そういう時代的な制約、無知無学であるがゆえに踊らされた庶民、貧困が生んだ悲劇、そんな例を探せば枚挙に暇がないほどあるでしょう。




真実の情報、材料がなければ考える事もままならず。

何を判断するにも、まずは知る事から。

それから考えて、選択する順番があります。

もとろんテキトーで嘘っぱちな情報ソースも多いので、個人での精査も欠かせません。




ここで一番問題になるのは、①イデオロギーや主義主張を判断の拠り所にする。

そんな色眼鏡を掛けたままの状態で、思考をいくら繰り返したところで正しい結論には辿り着けないと思います。

上記の例でいえば、「地上の楽園」なんていう情報操作、プロパガンダとなります。




また、この国こそアッラーを体現する国に違いないと、イスラム国に入ったはいいが、なぜか人殺しばかりやらされるって例もあります。

人のための神の筈が、なぜか神のための人になっちゃってて、神のために殺し、神のために死ぬなんて歴史話は多いですね。




まあ、信じ込んでいる人に向かって、「それは色眼鏡だ」って教えたところで無駄なんですけどね。

しばらく茶色のサングラスを掛けてて突然外したりすると、ことさら風景が青く見えるのですが、そんな感じで「あんたのメガネは茶色いから」と指摘すると、「私のメガネは茶色くない真っ白です!あんたが青いメガネを掛けてるだけ」な~んて叱られたりしますよね、
ははは(;^_^A




もちろん、「愛とは、決して棄てないこと」だとか、「信じることは尊くて、疑うことは卑しい」なんていう、言葉による縛りもその範疇にあります。

だいたいそういう言葉を考え出した人ってのは、ある意図や目論見があって、期待する効果を達成せんがために発した言葉であることが多いのですね。

「子が親の面倒を見るのは当然だろう」だとかいう割には、年金はずべて遊び金に回してるって話もありますが、そんな反論しずらい言葉のなかにマインドコントロールの仕掛けがあったりします。




佛教では、そのような色眼鏡の事を「無明」だとか「無智」、或いは「悪見」だとかいって戒めてますね。

明かりがなければ船は座礁しますよと。







それから次の問題は、②「好き」とか「嫌い」といった感情で判断してしまうことです。

これはですね~、根が深いですよ。

現代の幼児教育が好き嫌いで判断させてる方向性にありますからね。

ウチの娘が日本から帰ってきた後は、「K子、○○大好き~♡」っていうフレーズをよく使うんですよ。

そんなときは「ホントに好きなのか?」って言って、もっと好きそうな状況を提示して意地悪するんですが(笑)

しばらく考えて、「こっちの方が好き!」なんて乗り換え自由自在ww




好き嫌いなんて、実にテキトーな感情です。

まったく不確かですよ。

比べてどうこうっていう、相対的な価値でしかない。




佛教では、そういう「感情」をひっくるめて「妄想」という言葉で否定していますが、


驚くことに、「美味しい」とか「美しい」とかいった価値概念すら単なる感情からくる「妄想」だとしてぶった切ってますから、私なんかひっくり返りそうになりましたが、こちらは解脱希望の人向けの話になりますから今回は飛ばします。




え~それで、なんで妄想感情が遺憾かというと、娘の例にもありますが、簡単に覆るからです。

「昨日の好きは、今日の嫌い」って話は多いです。

この状態を佛教では「無常」と呼んでいますが、好き嫌いを元に重要な決断をされると、後でとんでもない状況に追い込まれたりしますよね(ゴホンゴホン)




まあ、カラオケ一つとっても好きじゃないと上達しない訳でして、「好きこそ物の上手なれ」とも言いますから、それも大切な要素なんでしょうけども。

大人になってからも重要案件での判断が「好き嫌い」だったりするから問題なんです。これが人類の幼稚化を促進してるかもしれません。

もう好き嫌いで判断してるうちは、とっかえひっかえの連続になります。

「もっと良い人がいるんじゃないか?」、「もっと素晴らしい境遇があるはず」

そういう相対の中で生きてますから、満足なんて絶対にありえない。




逆にいったん嫌いと認定したなら、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的に嫌うわけですが、次にもっと強烈で嫌いな状況に遭遇すると、「あれも良かったよね」っていきなりランクアップしたりして、時すでに遅しってことも(-_-;)




このように感情の領域で判断してるうちは、答えなく延々と堂々巡りの人生になってしまうわけです。




この①と②ですが、実は人類を縛る最悪のハードルだと私は思ってるんです。

これを飛び越えなくちゃ、人類に平和なんて絶対に訪れない。




まあ皆さんは、自分の好きな事、好きなモノ、好きな人を否定されると怒りの念が沸き起こると思うのですがどうでしょうか。

歌が趣味の人に対して音楽の悪口なんて言えないでしょうし、文章が好きな人にも文学の悪口は言えません。

AKB命の人に「足は太い短いし、これでいいの?」なんて言えませんね。

タイが最高だと思ってる人に「トンデモ国」とか言ってみてください、そりゃ~~~、もう大騒ぎさ。

「喧嘩売ってんのかコラ」って言われちゃいますが、実は個人批判はしてないんですよね。その対象に対して意見してるだけなんですが、妄想連結しちゃって自分を否定されたのと勘違いするのです。

「妄想連結」は私の造語ですが、この辺りから発症する喧嘩が意外と多い、修復不可能なくらいに。







そしてもっと深刻なのが、宗教やイデオロギー、主義主張への批判です。

共産主義国の人民に「共産とは格差の極致だし恐怖政治そのものだ」なんて言うとどうなるか。

また右翼の人に「誰だってサルから進化した動物だよ」なんて言うと?

戦争ばっかりしてるイスラム教やキリスト教徒に「カルトもいい加減にして欲しい」などと言ってみてください。

今度はナイフや銃弾が飛んできます((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル




自分の人格を否定された訳でもないのに、顔を真っ赤っ赤にして怒り狂うことでしょう。 怒るならまだしも、血が流れたりしますからね。




タイ国では、国家や王族への批判は大きな罪だと設定されてます。

それも、詐欺窃盗なんかよりも重い罪なんですよ、すごいでしょ。

泥棒やひき逃げくらいでは警察が動いてくれない場合も多くて、ぜーんぜん罪にならなくてもですね、なぜか国家批判は確実に罪となる国なんです。

昨年だったかチェンマイ大学の先生方が7人くらいで会合を開いてですね、この国の教育には憂いがあるということで国に意見書を作成したんですか?

皆さん速攻で軍事政治に捕まりましたね。

収監されてる間になんて脅されたのかは不明ですが、「君たち、もう一回やったら行方不明になっちゃうかもね」ってサラリと言われたのかも…怖!


開かれた21世紀だなんて言葉は全くの世迷言、世界中では密室の恐怖政治が普通に行わている現実があります(タイはまだイイほう?)



そういうのは国家が維持を目的にして意図的に行う施策ですから、どこの国にでもある事でしょう。
アメリカだって自由の国だとかいう割には、テキサス辺りの核実験による悲惨な被爆に触れるのはタブーだっていうじゃないですか。
その国に住む人は、そんな国家の力技に従うしかありませんが、個人となると別の部分で問題あり。

実はワタクシ、あるタイ語の先生に「タイは嫌い」って言ってみたことがありますが、そりゃーーもう、大変な事になりましたね。
数か月の付き合いで、お互い気心知れたと勝手に思っての発言でした。

なぜそんなアホな事を話したかというと、ある効果を期待してのことです。
私の予想ではですね、「何か問題でもあったんですか?」とか、「そんなに嫌な事が続いたんですか?」なんてレスポンスがあると思ったんですよ、優秀な学卒だし。
そして「いや、実はですね…」と会話のキャッチボールが進むうちに、なにか有効なる打開策が得られるかもしれないと考えた。

ところがですね、帰って来た反応といえば瞬間反発、無言の抗議だけでした…(涙)
それ以来は雑談拒否、険悪なムードでプログラムを消化するだけとなりましたトサ。


それで確信に至った事柄もあります、「やっぱりか」と。

有名大学出、優秀な知的階級のはずの先生は、国家と自分とを同一視してるわけです。

つまり国家=私、国家への侮辱=私への侮辱、という図式に見事にハマってるんですわ。

信じ切ってるというレベルでは宗教のそれと同じ。
子供の頃からの強制刷り込みが強くて、なかなか白紙の状態で考えるなんてのは無理なのかもしれませんが、程度の差こそあれカルト宗教の恐ろしさと共通してる部分がありますね。




これは余談ですが、実はお釈迦さまは、信じるという行為を戒めたようですね。

信じるよりも確認の方が安全だし確実だぞと。

信じるのはリスクを伴うぞと、それが間違ってた場合は取り返しがつかんぞと仰って信仰を勧めなかったそうです。

それが、なぜか時代を下るとご自身が信仰対象になってしまい、不本意な形となってしまいますが、その話はまたいつか。







そういう事で迷妄の人類は、好きなモノ、好きな事柄、信じる主義主張などと自分自身とを重ねて同一視してしまう現象に見舞われてしまいがち。

心理学ではなんていいうのか知りませんが、自分が貶された訳でもないのに、なぜか自分が貶されたと勘違いして怒るという現象が起こります。

「俺を侮辱したのと同じことだー!」ってよく聞きますが、同じって何がだよ、と思いませんか?、同じはずがありません、現時点では身近ってだけの話。

時間が立てば逆になる話は多いですよ。
たとえば「あんたの子供はクソガキだな」だとか言われたら、「なんやて?お前のガキの方がアホダラやんけ」と言い返しちゃうのが普通でしょう。
でもこれが30歳の子供だったりすると「あ、やっぱり?、それでアイツ今度は何やらかしました?…」なんていう展開に…

それなんかも「妄想連結」を現わした例です。



かくて人類は妄想連結を加速して、ゆえに喧嘩を誘発し、更に銃を乱射して、ためらわずに爆弾を落とせる状態となっていくわけです。


まとまらない文章になりましたが、ご精読ありがとうございましたm(__)m
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