タイで子連れ狼

何の因果か運命か、異国の地にて親父単独で二人の子を育てることに。

さあ大変の、てんやわんや育児&生活日記

タイで事故ってみた

2016-05-24 13:56:27 | バイク
昨年の暮れのこと、郊外のサンカンペン町からチェンマイ市内に向かって幹線道路を突っ走ってたんですよ。

バイクはホンダWAVE-125i、前輪にはディスクブレーキが装備されてます。

この道が片側二車線+αの、とてもだだっ広い道でして

さらに、道の両側は道幅拡張か鉄道予定地か?ってくらいの広さをキープしてありまして

とにかく、もう見晴らし最高なんです。

市内から20km地点なんていったら交通量も少なくて、ひたすら直線です。






事故現場付近の風景、なぜか切り刻んだ航空機が





自動車やバイクは時速100km前後で走ってる場合が多いですね。

でも日本と違うのは、有料高速道路ではないところ。

つまり、横からヒョイヒョイと出入り自由。

エンジンが付いた乗り物だけじゃないですよ、自転車やリヤカーがふらふらと端っこを走ります。

時期によっては農業用トラクターだって「ズドドド…」と動いているし。

危ないけど、歩いて横断しているお年寄りもいたりする。

もちろん場合によっては水牛の家族がのっしのっしと横断してます。




そんなこた在留12年のワタクシが知らないはずもありません。

快晴のまっ昼間だったのでちょとスピード出てましたが、無理な追い越しなどの危険運転は命取り。

前方や後方の注意だって怠らない。

走行中に事故った事など過去に一度もない。

(駐車場のバック時はあります)




ところがなんと、この広い道路で事故に見舞われました。

これって、長い運転人生で初の経験…。




驚きましたね~~(;^ω^) 

え?、なにがって?

通行もまばらな見晴らしの良い道路で、いきなり。

いきなり目の前に自動車が出現したのですから。



いや、マジックではありませんよ。

もう気づいた時にはブレーキ間に合いません、どかーーーん!!!って感じでぶっ飛びました。

80kmくらいで走ってたと思うんですが、タイヤがロックする寸前まで急ブレーキかけて

ぶつかった時には時速50km、いや40kmまで落ちてたかなぁ、死んでないところを見ると…




え? 居眠りしてたんじゃないかって? それかよそ見運転してた?




いえいえ、ちゃんと前を見てましたよ、少し斜め前の追い越し車線を古い自家用車が走ってたのも覚えてます。




その自動車がですね、日本ではなかなかお目に掛かれない動き、左に急ハンドル、同時に急ブレーキという挙動に出たのです。

しかもウインカー無し、そして記憶ではブレーキ灯も光っていません。

だから、突然目の前に停車してる自動車が現れたようなもんです。




ぶつかる瞬間まで覚えてます。

「やばい!」と思うや否や回避不可能と覚悟を決めたのが約3秒間、衝撃にそなえて各関節でショックを吸収する体制をとりました。

「うおーーーーー!!!」と叫びながら、ズドーーーーーンときて、気が付いた時にはアスファルトの上で全身激痛にのたうち回ってました。

何処が痛いのかわからないのですが、うめき声は止まりません。

すぐに女性の声がして、「コートー!コートー!」(ごめんなさい、ごめんなさい)と謝っているのは聞こえました。

でも、足の上にバイクが乗っかってて抜けないので「後続車がくるとヤバい」とだけ考えて、「バイクをどけてくれ~…」と蚊の鳴くような声(タイ語)でお願いし続けました。




気が付くと警察が覗き込んでいて、大丈夫か?とか質問してます。

起き上がろうと思うけど、体が動かない。

それからしばらくして意識がはっきりして来たのか、周りを見渡すとかなりの数の傍観者、そして警察官が五人ほど見えました。

800Bt(2700円)もするような丈夫な?ヘルメットを被っていたし、冬場とあってユニクロジャンバーに厚手のジーンズというフル装備でしたから血が流れるような怪我はありません。

左腕から左胸、それから両膝と右手に痛みがあるのを確認し、なんとか警察の力を借りて上半身だけ起き上げると、先ほどの声の主である女性が走り寄ってきて「コートー!コート-!」と手を合わせて(ワイ)謝罪し続けます。

目線が定まらない中で声の方を振り向くと、一歳ぐらいの男の子を抱えている田舎っぺ風の小太りな女性が目に入りました。

「この子がグズッてたから、ついつい曲がる場所を見過ごして…、後ろを振り返ることができなかったの。ほんとうにゴメンなさい」と聞こえました。

道の左横に目をやると、ちょうど私が座っている辺りにソイ(小路)の曲がり角がありまして、彼女の自動車は少し向こうに止まっていました。

「この小路に入りたかったのか」とぼんやり考えました。

「でもそんな運転があるのか?、まずはウインカーだろが、そして後方確認…」

今考えると「車線を変更してからブレーキ、減速が間に合わずに過ぎてしまえばUターンなりバックなりで戻ればいいじゃん」と思いますが、その時は謝罪する人に対して感情的に怒るわけにもいかず、それよりも肋骨辺りの激痛で声が出るわけもなく。




「男の子に怪我がなくてよかったね」と目で合図を送るだけで精一杯、また横になりました。

しばらく目を閉じて痛みに耐えていると救急車の音が聞こえ、近くにあるサンカンペン病院へと担ぎ込まれたのでした。

ピックアップを改造した救急車の中、ベットは硬くて狭くて滑りやすく、その割にはベルト固定なんかしてくれず、カーブを乱暴に曲がるたび落っこちそうになるので痛い両手で台を掴む必要があります。







さて、ここで問題です!

救急車で運ばれたサンカンペン病院ですが、その後の病院の対応を次の三つから選んでください。




①、急患室に運ばれて、痛い箇所のみならず脳など損傷の危ぶまれる部位をレントゲン等でつぶさに調べ、適切な応急処置を施した。




②、診察の順番を並んで待ち、痛いと話した場所だけを調べてくれた




③、ベットに乗せられたまま、軒先のロビーに放置された。




さあ、答えをどうぞ!




ピンポ~ン♪、

はいAさん①ですか?







ぶぶ~~~!!! 

ちょっと問題が難しすぎたかな? 答えは③番です。







誰もかまってくれないから、仕方なく横を素通りする看護婦を呼び止めて、「あの~、私、事故ったんですけど」と説明すると、「あなた酒飲んでますか?たばこは?、パスポートか免許証を見せてくれる?」とつっけんどんな態度、予想外の対応に戸惑うばかり。

そのうち警察がトラックにバイクを載せてやってきて、ベットに横たわる私は痛みをこらえて事故状況を説明。

私の拙いタイ語説明なんか聞いてるのか聞いてないのか、「ブレーキが間に合わなかったんだな?」
さっさと結論付けて、「バイクは警察署に没収しとくわ、病院出たら取りに来い」と、電話番号を記したメモをくれるなり去っていった。

それから15分ほど放置されて不安になったので、スタッフのLHに電話してヘルプを要請。




その後、診察室までたどり着いたはいいが、ドクターから「痛い箇所は?」と聞かれて「胸が痛いし肩が上がらない」というと、「じゃあ胸のレントゲンでも取ってみましょう」とのんびりムード。 

ロビーで待機してるうちに正午となり、なぜか館内は消灯してしまい誰もいないロビーで不安の待ちぼうけ。

不安の中、30分ぐらい椅子に座って待っていると、やっとこさLH&姪のANちゃんが到着して、休憩中の看護婦から診察結果を聞き出す。

「骨には異常無し」の報告に少し安堵の余裕が生まれ、事故の記憶を振り返った。




「あの運転者、ぶつけて逃げるヤツが多いタイ人の中、速攻で謝りに来て本当の事を話してくれたし、とても良い人かもしれないなぁ。タイ人にもあんな純粋な人もいるんだなぁ」、などと感慨に耽っている横で、さっそく警察からもらった電話番号をプッシュし、コンタクトを試みるペーペー弁護士ANちゃん。

「バイクはどこに?」との質問に、「警察が持ってったよ」と答えると、ANちゃんは眉をしかめて「チッ!」と舌打ち、なぜか表情がくぐもった。







さ~~て、ここで問題です。

警察へ電話して事故処理の状況を確認してくれたANちゃんですが、メモをくれた担当警察官からの回答を次の三つから選んでください。




①、現場での運転者本人の証言通りに、合図無しの急ハンドル、確認無しの急停車、ブレーキランプ等車両設備不良有りというわけで、100%自動車側の過失として処理した。




②、追突したバイクのスピードの出しすぎ、並びに前方不注意という可能性は否定できず、ここは数十%の過失を私が被るように伝達された。




③、まるで100%、私の運転ミスとして処理されていた。




ピンポーン♪ 

はいBさん②ですか?







ぶぶぶぶ~~…

おしい!答えは③番です。




驚きましたね~、自動車の修理代まで私に支払えってんですからwww

「はぁ??どういう事情聴取してんだ?」と思いましたよ。

「相手は謝ってたじゃねーか、警察の目の前で」って…




目の色が変わったANちゃん、なにやら電話かけまくりでしゃべくりまわっています。

「よし!」と携帯を閉じたANちゃん、「50%ずつの過失にするか、それとも事故が無かった事にするのか…」というセリフを聞いて、目の前が暗くなりました。

そして1時15分になっても、まだ消灯中の窓口でクチャクチャ食ってる会計係を呼びつけて、治療費&薬代の395バーツをぶち込んで、「さあ警察署へ行きましょう!」と立ち上がった。




到着したサンカンペン警察署は、十三時四十分ってのにまだ消灯中。

中でクチャクチャ食ってた警察官に掛け合うと、「ああカギは引き出しの中にあるから、もってけ」とぶっきら棒に。

「保険を使いたかったら事故にするから処理手数料の50%で400Btを警察に払ってくれ、そしてバイク保管料380Bt を払ってもらうが、事故無しにすると全部タダだ」とか言ってます。




相手のタイ人女性は無保険、無車検かもしれない。

しかも無免許の可能性も高い。

そうでなくとも整備不良は確実だったが、ここは戦ったところで相手側に実損を支払わせるのは難儀を極める。

これが警察側の出した弱者保護に根差した合理的な結論なのだろうと従うことにした。(同族保護?)

幸い運転者は善人であることだし、人もバイクも傷は浅いし運がイイのか悪いのか、

この際、深追いは得策ではないと考えましたね。




次の日、右手の親指が大きくに腫れて痛みも増していることに気付く。

市内のRAJAVEJ総合病院で診察したことろ、痛みのある個所をつぶさに調べてくれて、その結果は親指付け根あたりの剥離骨折。

全治一か月のギプス生活と相成りました。

それから半年過ぎましたが、親指の関節を動かすとミシミシとした痛みがあり完治は程遠く…

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タイで運転される方は、完全アウェーであることを忘れないようにご忠告申し上げます。



乾季の終わり  ドイサケット温泉よアリガトウ

2016-05-18 14:46:55 | 日記
今年のタイの夏は暑かったです。過去の記憶でこんなに暑かった事はありません。

五月になっても雨が降らなくて、上流のダムはカラカラに乾きピン川の流れも部分的に干からびたそうです。
山肌にある瞑想寺、ワットウモーンの池でも水が消えて大きな魚が次々と死んじゃったと。
次の乾季時での水不足が心配されてますね。

タイではこんな時のために人工降雨という作戦が用意されています。
国民の皆さんが干ばつに苦しんでるってのに、なんで飛行機飛ばして空から薬品を散布しないんだろう?
なんて、人工降雨担当の役人を呪ったもんですヽ(`Д´)ノプンプン

あ、呪ったのは私一人でして、タイ人の皆さんは忘れてるかもしれません(笑)


そして仕事場の部屋に入ると室温がこんなことに!



39.9℃
もう目眩がクラクラします。

最近は慣れちゃって37℃くらいまでは我慢の範疇でしたが、ここまでくればエアコンの効果に期待するしかありません。

エアコン始動により、33度まで落ちまして実に快適に過ごせました。
33度で快適ってのもなんですが…


街に出ると、やはり気温がこんなことに。



日陰でこの気温ですからね、直射のアスファルト上では50℃を遥かに超えているはずです。

バイクで走ったりすると、もうサウナのあの熱気にブワッ~!と晒されてしまいます。
日光が当たる足の表面なんてチリチリと焼ける音がする?(;´Д`)タスケテー

湿度はともかく、日本の30℃前後の夏なんて、そりゃーもう快適指数の針が振りきれるような涼しさかもです。


そんなタイ国チェンマイですが、昨晩7時半頃から強風とともに待望の大雨が降りました。
人工降雨サマ、アリガタヤ~(人''▽`)… え、ちがうの?(´Д`)


涼しくベタベタと湿った風に当たりながら、「これでワットウモーンの魚たちも死なずに済むな」とぼんやりしているうちに突然の停電です。

ロウソクを立てて送電の再開を持ちますが、いつまで待っても修復の兆しなし。
やることないから子供たちと王様ジャンケンなんかして盛り上がりました。

そのうち飽きが来て、体温高めの汗だく娘がベタベタ甘えて来るし、
「熱いっちゅーに!」と逃げたりすると、
ムッとした娘は「エアコンつけてー!」なんて絶叫するし

「電気が来ないからエアコンが動くはずねーだろがー!」なんて基本的な説明せねばならず、もうあと少しで頭痛が発動するところでしたよ(;´・ω・)フ~…


いくら雨が降ったからといっても湿気はかなりのモノですから、扇風機が動かない家の中ではダラダラと汗が滴ります。

夜も10時になり、11時になり、眠れない子供たちはギブアップ。
二階の寝室で汗だくになりながら眠りにつきました。

結局6時間後の1時30分頃に送電再開されまして、扇風機の風に感謝しながらの就寝となりましたとさ。


そんで、こちらは市内から30km地点の山の中ドイサケット温泉。



なにやら工事してますね、足湯に沿ってレンガで囲ってます。

これは温泉プールですね。
中心に見える塔から温泉がこぼれ出るギミックのようです。



横から見ると長さが分かります。

この川が汚くて妙に味があったのですが、さすがにキタナ過ぎだとクレームがついたかな?

完成すると遠慮のない中国人観光客がわんさかやってきてイモ洗いする姿が見えるようです。

ああ~、ここにも開発の嵐がやってきましたか。

のどかな田園にそよ風が吹き、静かに心の傷を癒してくれた空間。
今までありがとうね。

その素晴らしい雰囲気も、観光開発とともに終焉を迎えるのでしょうか…
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持病の頭痛に想う

2016-05-09 17:37:03 | 日記
持病の話なんぞ少々
タイにきて14年、移住したと同時に発病したのが片頭痛と思われる症状。

原因は何処にあるのでしょうかね。
慣れない気候や気圧の変化に体が対応できなかった?
知らない言語環境に囲まれて精神的に負担が増した?

強烈な紫外線に触れて眼底神経網に異変が現れた?

それとも単なる体質で?
分かりませんが、この病気は厄介です。

ひとたび症状が再発すると頭部がワレそうなほどの激痛に襲われます。
その程度は経験した者にしか分からない苦しみを与えてくれます。
例えていえば、プロフェッサーギルの笛の根に悶え苦しむジロー?
それとも頭の輪っかを念仏で締め付けられる悟空の痛み?
そういえばお分かりにまりますでしょうか(わかるわけないか…)

寝ると逆効果になりまして痛みが10倍増しという特性もありますから、とにかくひたすら耐えるのみ。
そりゃもう地獄も地獄、真面目に「早く殺してくれ!」と言っちゃうレベルの痛みなんですね。
冗談抜きで、この痛みと比べれば「死ぬのは天国」と言っても良いくらいの苦しみ。
頭痛薬はトリプタンをはじめ、どんな最新型の飲み薬も効果無しですから往生しました。

思い返せば初めて発作に襲われた日、うだるような極暑の中を歩いている時でした。
「バファリンでも飲んで寝てれば治るよ」と思い、そのまま強烈な日差しの中を歩いていたのですが、そのうちあまりの痛さに意識が飛んだのです。
気付くと道端にしゃがみ込んでいましたね。
こんな経験は初めての事で「ヤバい脳梗塞かもしれない」とパニックになりました。





それで近くの病院まで這うようにして到着すると、即入院です。
バタ狂う私に薬を飲ませてもゲーゲー吐き続けるだけですから、お尻に注射を打ちました。
なんの薬を注入されたのか分かりませんが、それが効きまして一命を取り止めた感じです。
ベットで目が覚めた時、「あれ?、ココ天国?」と思いましたね。
記憶が飛んでるしホントに天国かと思ったんですよ(笑)

それからというもの、発作が起こるたびに病院行き、そして尻から薬漬け。
こりゃいつか中毒で死んじゃうなと心配しながら3年後、日本の病院から処方されたクリアミンという薬が奇跡的に効果ありまして感激しました。
それからは、命のクリアミンを片時も離さず携帯するようになります。

でもこのクリアミンという薬、「ヤバい、これは来るな」と気づいた時にはサッサと飲んでなくちゃ効果が出ません。
首筋の所からズーンの重くなってきて、目の奥の方からズキズキしだして、頭のトッペン辺りにグイグイ締め付けが来て、おでこの辺りが冷たくなってしまうともう手遅れです。
そんな時は真っ先に病院に直行しないと恐怖の悶絶タイムが決定的になります。

しかし、どんなに気をつけていたとしても薬袋をカバンに入れ忘れる時があります。
そんなときに限って運悪く発作が襲ってくるわけです。

「しまった!」と思った時にはたいてい手遅れ、自宅まで数kmありますから近場の病院に直行して尻注射しかありません。
だから年に一回か二回は尻から薬物注入、少なくとも一か月に一回は発作でクリアミン投薬、この10年間はその作戦で凌いでおります。

クリアミンの成分を調べてみると、エルゴタミン、カエフィン、イソプロピルアンチピリン
の混合です。
片頭痛のほか、血管性頭痛と緊張性頭痛、群発頭痛の治療にも効果があるとのこと。

タイでも似たような薬を売っているのですが、成分が微妙に違ってまして飲んでみても効果がありませんでした。
そんなクリアミン、正直いつ効果が消えるのか気が気ではありません。
効かなくなって毎回尻注射に頼ることになった時、そんときゃ年貢の納め時と覚悟を決めております。
その前に画期的な新薬が開発されてれば嬉しいのですが、そうウマく行くかどうか。

それで思ったりするのですが、昔の人は大変でしたね。
薬が無い時代だけに、こんな症状に見舞われたならばもう人生の終焉です。
泣いても笑っても人生50年が人類の平均耐用年数ですからね。

私の場合は30代後半が寿命だったかもしれません。
仕事が溜まってようが、家に幼い子供が腹をすかして待ってようが関係なくサッサと逝くしかなかった。

まさに♪帰りゃいいが帰らぬときゃあ、この子も風ンなか土になる、この子も風ンなか土になる♪、という歌の情景を想起させられます。
現代のタイでは昔ながらの家族間の助け合い、日本では国による保護政策がセーフティーネットになっていますから、残された子供がすぐに土に成る確率は低いでしょう。



それにしても現代の80歳を越える寿命は医学の進歩により無理矢理伸ばした時間ですから、自然に反する行為だと言えそうですね。

強引に30年も伸ばされた老齢期の生き方なんてのは、過去の聖人や賢人たち、御意見番は語っているのでしょうか。

60歳から80歳の正しい生き方なんてのはあるのでしょうか。





現代の寿命増しで混乱した日本老人たちは若い頃の価値観のみを最高のものとして、いや幻想として追い求めているようでもあり。
薬物を使用してまで、つまり妄想に拍車を掛けて恋愛なり繁殖行動なりに明け暮れるという話は多いです。
医療と経済力は密接に連動しているでしょうから、これも裕福さゆえの文明病と言っちゃえば叱られますかね?




とはいえ、私の持病は完治する兆しもなく、毎月毎月繰り返し襲ってくるわけで、

それへの対処だけで手一杯、浮かれ楽しむ余裕などないのが実情です。

古来インド哲学では憂いがない事をもって「幸せ」だと定義されていたようですが、ほんとにその通りの人生になってみれば、もっともっと足りない分を埋めてゆく、即ちゲットするのが幸せだとされる現代人の通念は単なる幻想だということに気づくことでしょう。




日中50℃を超えるアスファルト上で溶けそうなサンダルの底を気遣っているうちに当初の記憶がぶり返し、そんな物思いに耽ってみました。