タイで子連れ狼

何の因果か運命か、異国の地にて親父単独で二人の子を育てることに。

さあ大変の、てんやわんや育児&生活日記

私の失敗と教訓含みの談

2016-02-23 11:39:57 | 日記
まず、応援を頂いてる皆様に感謝します。

まぁ私なんかよりもね、もっと大変な人生を歩まれたお方も多くてですね、そんな人の文章なんか読んでると「この人、頑張ってるなー」と思いますね。

「ホントに可哀そうやな~」なんて同情することもあり、自分自身もっと頑張らないといけないな~と、怠けてちゃいかんな~なんて思うのであります。

私もかなり悲惨な経験しましてね、自暴自棄にもなりました。

事件が異国の地なんで、どうして良いやら分からずに右往左往するばかりですから。

財産のほとんど全てタイ妻に握られて、裸同然で捨てられそうになりまして。
もちろん子供たちの親権もアチラ側ですから、日本へ連れて逃げるわけにはいかないし。
子供たちを置き去りにして自分だけ単独で逃げるわけにもいかないし。

その辺りでは、相談したとてちょっとも情報をくれなかった日本国外務省に恨みがあります。
外務省、お前らいったい何処の国の機関なんだ?と、腐りきってるなと思いました。

その話は横に置いといて、妻とは愛情で繋がる家族だと思ってのは私だけで、妻にとっては単なるATMでしかなかったようですな、はははは…

いや笑っていいですよ、どうぞ笑ってください。バカなやっちゃなーと。


額に汗して稼いだ貯蓄の殆どは、妻の意向で不動産へと姿を変えてゆきました。
そして足りない分は優遇融資と言われて断れずに借金を抱えてゆきました。

なにせ担保は潤沢ですから、銀行側はホイホイ融資をくれましたね。
リスクを負ってレバレッジを掛けていかないと資金は増えないわけですし?

そのうち借入比率が危険水域に入ったので「そりゃマズいだろ」と、次の融資を断ったのが事の発端でした。
ならば単独で借りると、強引に400万Bt(約1千2百万円)を借りる事に成功した妻。
貸した銀行、そして貸せた理由には驚きました。
担保として、まだ返済途中の私の仕事場不動産を差し出していたのです。

詳しくは省きますが、その後に強引な離婚劇へともって行かれて、現金の殆どは失い、代わりに借金だけ背負わされる羽目に陥りました。


タイ国ってのはね、外国人には土地を持たせないのです。
もし所有したい場合は手順を踏む必要があります。

ひとつは、結婚して配偶者名義で購入する方法。
もうひとつは、会社を設立して会社名義で所有する方法。

この二つの方法には、巧妙な罠が仕掛けてありましてね、それにまんまと嵌った形です。

え? 保険金で殺害されなかっただけマシですと?
そりゃまあ、そうですが、まだ終わったわけじゃないですから、その恐怖は常に付きまとっております。

まず会社名義ですが、これは古くから使われてる投資テクニックのようです。
当局だってバカじゃない訳でして、後だしジャンケン的に包囲網を構築させている印象があります。
どこかで読んだ話では、ドイツ人の実業家がヨガ・リゾートを設立したのですが、タイ人株主が結託して株主総会を開き、外国人出資者を裸同然で追い出したといいます。
こんな話は巷にゴロゴロしてると思いますが、要するに会社名義なんて方法は安全地帯には程遠くて、常にビクビクしてなきゃならないって事です。

え~私の場合は、もちろん7年連れ添う妻には全幅の信頼を寄せていましたから、不動産を購入するに際し、面倒な手順や費用が省略される妻名義で購入し、融資を混ぜては買い増ししていきました。

発展途上ですからね、そりゃドリームがありましたよ。
実際に3年で二倍になった土地もあります。
「こりゃ、最低でも売却益で3倍はいくかな?」と夢を膨らませていました。
今の日本では考えられないドリームが、発展途上国にはあります。

「あ~この負け組の俺が、夢の富裕層かよ~」ってね。


妻といえば正月も休まないほどの働き者でした。

まー日本人的にはですね、「働き者=善人」なんちゅー通念みたいなのがありますが、それで性格上に少しばかり問題があっても、育ちが貧困であっても、信認の範疇ではありませんか?

しかも倹約家だと、無駄な贅沢はしない性格、質素な生活、貯蓄は子供たちへのプレゼントにしましょうと、私たちはその礎として贅沢は慎みましょうという提案もありました。

それで、私はWAVE-100っていう非力なバイク、カブタイプの最廉価版に乗り続けていたのです。子供の学校送迎はトコトコとあぜ道を走り、ガソリン食いませんが遅かったですよ~。


さて、どうですか?

皆さんなら騙されますか?(笑)


私が騙された理由は、元妻の容姿が深田恭子ちゃんと上戸彩ちゃんと足して割ったような姿だったからって訳じゃないですよ。ほんとほんと(笑)
五年間のお付き合いを通して検証した結果、その性格的な欠点も含めて人生を分かち合える存在だと認めたからです((;´Д`)ハ~…

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んん…、ここで誤解を恐れずにお話ししますが、私の子供の頃ね、日本には歴とした差別社会が存在してたんです。
あそこの集落の人たちは危ないから近寄るなといった話は普通にしてた記憶があります。

イイこっちゃないですよ、イイこっちゃないですけど、真相は早急には好転しませんよね。

それが、いつしか形だけの平等意識が進行しまして、表向きだけは差別なんて存在しないという世の中になって行きました。

日教組辺りが推奨する方向性が教育として浸透して行ったのかもしれません。

例えば、国家を歌ってはならんと、卒業式では国家の代わりに金八先生のテーマソングを歌ったっていう話もあります。
「信じられぬと嘆くよりも~、人を信じて傷つく方がイイ~♪」ってやつですよ。

その方針の影響濃く出来上がったのが、今の大多数を形成する日本人とは云えないでしょうか。

人間にはそれぞれ個性がありますが、集合としての大まかな性質ってのは、これは国家により操作されているなと、そのように感じる時もあります。

例えば、士農工商では、なぜ農が二番目なのかには理由がありますね。
次いで農への配慮からか、その下である階級を必要としたらしくて、それが現在の差別の根底を決定付けた、なんて話もあります。(間違ってたらゴメンナサイ)

また、ちょんまげを切ったばかりの頃、明治政府が西洋列強による帝国主義的植民地政策から国家を守らんとして、良質な軍隊と労働者を大量に必要としたらしいと。
真面目で勤勉、つまり文句いわずに蟻のように働いて、なるべく不満を持たず、お上に対しては卑屈に従い、死ねと言えば死んでくれる国民を大量生産する必要があったと、それで日本国の教育方針が設定されたなんていう話があります。
良い悪いは別として…


翻って、タイ国にも、そのようなヒネ曲がった歴史の積み重ねがあるようなんです。

つまり、「微笑みの国」だとか「アメージング」だとかの宣伝文句により巧妙に隠された歴史の真相。 差別と格差で出来上がった秩序。
日本では見られなくなった教育の不平等、チャンスの不平等が、厳然として行われている現実があります。

ね~、我々外国人には知り得ようもありませんよね、そんな歴史。
一節にはタイ人の苗字で身分が判別できるそうですから、根深いものがあります。


それで何が言いたいかというとですね、免疫がない者がですね、バイ菌だらけの汚染地帯に飛び込むとどうなるか?って事なんです。

表現が不適切だったら謝ります。
現代の日本人はメルヘン症候群の中、ある意味で純粋培養された植物みたいなもんです。
汚いモノには蓋、疑わしきはマスクせよ?(日本人のマスク姿は世界で有名です)

それが、金銭や色、幸福感といった欲につられて歴史を異にする地域に飛び込む事、
これはもう、大口開けて餌を待ている蟻地獄へダイブすることに等しい。
そのように思う訳であります。


うまく善良な心根に当たればいいですよ。
でも、そんな人って百人に一人でしょうか?
私は、ウマく行っている時には、その百分の一だと思ってましたよ。

だから私は方々で口うるさく話してるんですよ。

タイ国には貴重な個人資産を持ち込むなと。

特に田舎に投入するのは目立つから危険です。



もう田舎では観光以外に富を生む産業がないんですよ。
それが何を意味するか?

外貨しか地方を潤す手立てがない事を意味します。

つまり、外人を見れば餌にしか見えない人たち。
カモがネギしょって来たぞと考えちゃう人たちを量産している国家の方針?
(黙認してたら方針とみなす)

美人局じゃないですが、我が娘たちよ、行って来い!と。
色気で絡め捕り、我が大地を潤すのだってのもその一環でしょう。
おまえら頭が悪くて色気しかないんだから、その武器を使って稼ぎゃいいじゃんかと。

もし、手強い相手だとしても安心せよと。
我が国の警察組織はイイカゲンであるぞと。

金銭で左右されるのは何だけど、法廷だって国の僕であるからして?
法律解釈だってイイカゲンになってるからして?、基本国民の味方だのだと。

コンタイチュアイガンなのだ!、血の結束を信じてやっちゃいなさいってなもんですわ。

そのような乗り、通念で網羅されてると考えてた方が良さそうです。

なんだか回りくどい文章表現になりましたが、伝わる人には伝わったことでしょう。


敬虔な佛教国であるタイ国であっても、その惨状であります。
キリスト教やイスラム教の国なんてのも、程度の差こそあれ、迷妄の宗教国家でありますから当然自国の利益最優先を方向付けられていることでしょう。

今回は、安易な海外進出に警鐘を鳴らしたりしてみました。

子供の虫歯

2016-02-20 13:14:02 | 育児
帰りゃいいが 帰りゃんときゃぁ♪

この子も 雨んなか 骨になる

この子も 雨んなか 土になる

ということで、親父が踏ん張らんと誰が子供を育てるか?

そんな気持ちで踏ん張って、

首の皮一枚で、なんとか国外退場を免れました。

三年間、別居中もね、毎夕のごとく学校送迎で顔を合わせて、

コミュニケーションが取れるように日本語教えて

暗くなるまで(母親が帰るまで)、外で遊んでました。



家政婦ウーンが作る料理がね、これがまた、料理って言えるのか?っていうレベルのモノが置くてですね、週に何回かは晩飯買って来てあげました。


こんな料理ですからね。

ドン!!



鶏の足   ちゅるちゅるっと骨が剥けてコラーゲンたっぷり?

こりゃ極端な例でして、え~、普通は焼き飯とか、スープ系が多いみたいですね。
それでも一品だけってのがスタンダードのようです。


これはグワェィ・ティャウという、発音がヒネ曲がった料理名。
米のスープ麺ですね、なんだか具がショボくて食べた気がしない(-_-;)


これなんかは北タイの料理なんですけど、葉っぱですね、葉っぱをちぎって混ぜてます。
ひじょうにワイルドな食感ではないでしょうか、体には良いかも。


田舎の人たちは自給自足が基本ですから、持ち寄りでこんな料理を食べます。
蒸しただけの野菜を、ガピっていう名のエビみそベースの漬けダレにべっとりまぶして食べます。 これがまた臭いのなんのって、私は遠慮します(;´Д`)

まあそんなことで、子供が食べる料理なんて種類が決まってて

ワンパターンで飽き飽きしてます。

子供の期から味の素系の科学調味料に慣らされて、また唐辛子の辛味を旨さと勘違いして育ってますから、こりゃもう味覚が育たなくても仕方がない。



別居してた頃の娘です。

親父としてはカワイくて仕方がなかったのですが、食生活や習慣の劣化に歯止めが利かなくて、いつしか虫歯が痛くて泣くようになりました。





これですよ。 母親が二人いてもこの惨状

乳歯とはいえ「今時、こんな歯の子はいない」と姉は絶句してました。

昨年は早速歯科へと連れていきましたが、娘の症状を見て驚いたドクターは「ここでは治療できない」と。

外人向きの高級歯科医院に回されまして、まあ女の子だしと、安心を買ったわけです。
結局、治療して銀歯詰めて39000Bt、日本円にして14万円くらい払いましたかね。



いよいよ寝るまでクチャクチャ甘いお菓子を食べながらテレビ見て、そんでそのままベットにっていう生活だったのでしょう。

自分自身を大好きな人って、
他者には無関心だったりしませんか?


民度って大切な要素だと思いますよ、無駄なお金が消えていきました。



これは長男、奥歯がボロボロでしたね。


ま、現在は親父が口うるさく歯磨きさせてますから虫歯の進行をくい止めております。。



最後に、今日のお弁当

残り物の寄せ集めだから、まあまあかな?

全部食べてくれるかな?  わくわくw


家政婦は刺客?

2016-02-18 08:42:26 | 育児
しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん、しーとーーぴっちゃん♪

哀しく冷たい 雨すだれ♪

涙かくして野菜を切る、とくらぁ… 


ということで朝食の支度でてんてこ舞いなんですが。
だいたいこいつらですね、食べ物にうるさいんですよ。

肉は食わないだの、卵は飽き飽きしただの
しまいにゃコーンフレークを二種類混ぜるのはヤメテだの?

ふざけるな、ゴルァ~!!!(; ・`д・´)怒

食うものがあるだけ有難いと思え! てなもんです。

昔の兵隊さんに顔見せできんだろ、申し訳ないじゃないか!

兵隊さん有難う!

なんて親からよく言われてたんですが、今風に言えばなんて言えば効果がありますかね?

だいたい食べ物に文句ゆーな、ちゅーに…

まあ、わたしゃこれまでの人生で料理なんて作ったことがなかった。
朝は抜いて昼はのり弁、夜は松屋の牛丼セット、若い頃はこれで一年過ごせたくらいに食べ物には無頓着。

でも、まあ作らにゃならんようになって、興味のない料理を研究してるんですわ。
カオニャウ(もち米)にナムプリック(唐辛子ペースト)っていう栄養が著しく偏った食生活は、あまりにも可哀そうかな? なんて思いましてね。


子供との別居生活が三年程あって、そんで母親が育児放棄して出て行って、そんで再び家に舞い戻って来たんですが、その時は住み込み家政婦が居たんで家事の事なんて考えてなかったんでね。

子供たちにとっては、突然母親が居なくなるわけですから、そりゃぁショックだったでしょうよ。
顔に現れてましたからね、今思い出しても可哀そうになります。
息子は10歳で、娘は7歳になったばかり。

でも家政婦が引き続き同居するってことで、不安な気持ちが少しでも減るだろうと、安心できるだろうと思って、そのまま雇ったんですよ。

そしたらですね、これから通いにするとか言い出して実姉のアパートへ引っ越すと、しかも勝手に私のバイクを持ち出して、遅刻はするわ仕事量は極端に減るわで、もう往生しました。


そのウーンと呼ばれる家政婦、タイ国に不法滞在してたミャンマー人のタイヤイ族なんですが、途中でパスポートやら滞在労働VISAやらも取得してあげたんです、あ、ついでにタイ語学校へも通わせてあげたから5年間で随分とタイ語能力が上達して、学校の準備といった育児に関する雑事は全てこの家政婦に丸投げしてたようです。

そういう訳で、娘にとっては物心ついた時から母親代わりですわ。
朝の身支度、制服の用意、髪の手入れ、すべてウーンがやってくれたわけです。



ま、かんな感じで、このカラフルゴムは学校に流行らせました。
ヘアーアーティストとしては才能があります。


これはちょっと、芸能人かぶれな感じ感でしょうか。

先生方からも好評でして、「サワディー・カ、コン・スワェ~~イ!」(綺麗な娘さん、おはよう)なんて言われてたんですが、それって本人にとっては大切な記憶のようです。

いまでは、ボサボサの寝ぐせ頭のまま登校してますからね~(-_-;)



まだ仲が良かった頃、ほんとに妹おもいのお兄ちゃん。
今は顔を見れば喧嘩 (親の縮図?ww)


それ以外、たいした育児なんてやってないし、飯だってマズかったんだけど、立場的に思い上がったところがあるでしょうね。

「私が居なきゃ、この家は成り立たない」と。


はやい話、元妻(タイ人)の手駒、便利な重要アイテムだったわけです。

そして、ウーンにとってのボスは一人だけ、直接給料を手渡してくれた元妻だけだったのですね。

二人の利害は見事に一致していました。

ね~~。

相互依存ってやつですね。

どちらも極端な貧困出身ってことで、「お互い分かり合えてる~」みたいな、目と目で会話するような空気を醸し出していましたね。騙されてるのはウーンだけですけどねww

ついで私は金を持ってくる集金マシーン、ODAとかで税金を外国に貢ぎ続ける日本国と同じような役目だったようですが、その話は置いといて((;^ω^)。

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え~、ハッキリ言って、ウーンにとっては育児は仕事、労働の対価を得る作業に外なりませんでした。
言われたことはやるが、仕事として割り当てられてなければやらない、それは露骨な態度として見て取れましたが、子供たちにとってはそうではなかった。

愛すべき家族だったのです。


着の身着のままミャンマーから逃げるように不法滞在でタイへ入国し、途中でタイ警察に捕まって、裏ルートから奴隷として売られたとて不思議じゃなかった人生です。

ロヒンギャ族難民、タイに逃げて来ちゃー奴隷として売られてましたが、あの哀れな境遇の方たちと同じ身分です。

それがどうだい?、アイドルでいえばセンターですよ、家の要と言ってもいい立場。

これは漬け上がりますわ。

「人生勝った」と思ったでしょうね。

努力せずとも給料は毎年上がる、住居費や水道光熱費はおろか食費までタダですから。


その夢のような待遇が、人生の絶頂期ともいえる状態が一夜にして崩れ去ったのです。
小うるさい日本人が帰って来たのですからね、サイバイサバーイ(快適)は許されません。

まずは片手スマホ、片手掃除から戒めましたね。
そんなことやってたら仕事量が増えないんですから、日本人的には当然なんです。

ところがところが? これがお局様(ウーン)の逆鱗に触れたのか?
だんだん仕事が横着になってゆきました、逆効果ってやつですねマイリマシタ

恐らく、こう考えたでしょうね、
「またもとの輝かしい生活にもどりたい。それにはこの小うるさくケチな日本人を追い出さねばならない。子供たちは私の味方、私が居なくちゃ生活できないくらいに依存している。ボスの意向も同じだし、困らせて育児を投げ出させるのが私の役目」

なにが哀しゅーて、こんな家政婦と戦わにゃならんのか…、ですよね。


自ら望んで一日八時間労働という一般労働者待遇になったウーンです。
しかも土曜は半日、日曜祭日は休みと決め込んでおります。
それに応じる形で毎年昇給という元妻の作った慣習を絶ち、減給なしで現状維持でも好待遇だと判断したのですが、その結果、どうなったのか?

巧妙に仕掛けられた罠、つまり元妻のシナリオに沿った方向だった?

それはまたいつか(*^-^*)


イチゴを摘む時の集中力、これを勉強で維持して欲しい!!!



応援してくださる皆様、どうもありがとうございますm(__)m

農業研究発表会と芸能活動、そしてヤマハ発動機(ToT)

2016-02-13 17:06:16 | 育児
本日は子供たちが通うタイ学校にて「農業研究発表会」、そして

それにカコ付けた「野菜ネタでお遊戯会」を鑑賞してマイリマシタ。







まあこんな感じで、テントの中はそれぞれの研究チームの発表の場となっております。

野菜造りに力を入れている学校だったんですね、あ知らなかった((´∀`))







テンプラパック・アローイって書いてますね。

野菜の天ぷらは、うめーぞ? んん、そりゃ旨いですけど?







上手に作ってありますね、粘土の寿司ですか~

あれ?、ここはタイ国ですよね? 

天ぷらに寿司ときたら、次はしゃぶしゃぶもお願いしたいところですが、肉はダメなの?







きのこを作ってました。鍋に入れると旨そうですね。




実をいうと、うちの長男は農業科目の点数が極端に悪くて成績表の足を引っ張ってます。

それともう一つは「歴史」、これが悪い…。

「歴史は戦争で勝利した方が、てきとーにねつ造した作り話に過ぎない」なんて話をしなけりゃよかったな。 オヤジ失敗!!!

(タークシン大王とラーマ一世は義兄弟、権力は禅譲されたでOKです(;´・ω・)












野菜イメージの衣装でダンスを踊る妹ちゃん。

スキニージーンズが入るのか心配でしたが、パッツンパッツンでぎりぎりセーフ!

後はしゃがんで尻の辺りがビリビリ破れないかのヒヤヒヤ鑑賞でした。










長男君は、評判のビューティーとペアを組まされて、テレまくり?




沢山の保護者でいっぱいだった会場ですが、上級生の演技が終わるころにはガラガラでして、なんだか寂しい閉会式となりました。




私といえば式中にスマホ画像を見てニヤニヤしてたんですが、ふと国歌が流れてる事に気が付き、「ハッ!」と顔を上げると、皆さんは直立不動!

あわわわ…(;^ω^) 慌てて起立、深々と被っていた帽子も途中で外すという、およそ優良模範生徒で表彰された子供の保護者にあるまじき態度。

非国民丸出しの醜態を演じてしまいました。 残念!!! _| ̄|○




時刻はちょうどお昼、子供たちは芸能活動のみに参加する母親に連れられて食事に行きましたとさ ┐('~`;)┌





ここからはつまらない話なんで、興味の無い方はスルーで願いマス。

先週の話、約二か月前にバイクを購入したヤマハ販売店から電話があり、パスポートがどーたらこーたら言ってるので、ナンバーができたかな?と思って行ってきました。




するとですね、ナンバーどころか「パスポートを3日ほど預からせてほしい」っていうんですわ。

「は?なんで今頃?」と疑問はありましたが、登録に必要なんだろと思い気持ち良く預けました。

「終わったら連絡しますからね~」っちゅーことだったんで待ってたんですが、三日過ぎても連絡してこない。

それで再び参上したのですが、「ああ、できてますよ」と言って引き出しの中から取り出し返してくれました。

「なーんで連絡よこさないのかねぇ…」なんて考えてたら、「次は労働許可証ワークパーミットも二日ばかり貸してね」ってゆーじゃござんせんか。

「なーんで一緒に処理しないのかねぇ…」と思いはするが、「皆さん同じだから」っていう受付嬢に噛みつくわけにはまいりません。




それで返却を待ってたんですが、やっぱり連絡が来ない。

三度参上したところ、「ありますよー」と返してくれました。




「ハー…、報告、連絡、相談、ヤマハ発動機従業員にしてもこんなもんか…」

と思いながら帰ろうとすると、ふと私に販売したあの兄ちゃんの姿が見えないことに気が付きました。




「あそうそう、彼は?」と聞くと、受付嬢のチョ○プーさん、「アッ、辞めましたよ…」と、苦笑いで教えてくれました。




私以外にも苦情レベルのポカを連発したのかどうか分かりませんが、彼女の苦笑いから連想するに、当たらずとも遠からずかなと。




そういえば、納車の時に古いバイクを仕事場まで届けてくれた兄ちゃんですが、三千のガソリンクーポンの事もあるし、タダ働きはいかんとチップ的に100バーツづつ手渡して労ったのですが、兄ちゃんは有難うも言わずに同僚に向かって100バーツをひらひらさせ、「ハッ、100になったよ」とだけ発言して帰っていきましたね。




もし苦情なんかが本社の方へ寄せられて、「あんた方の販売員、どうなってんの?」なんて叱責が来てたりしても、この先何も変わらない気がします。

今回の客に対する「呼びつけ対応」だけを考えても、客を客と思わぬ横柄な態度。

これは企業体質であり、そこの販売店トップの性格を如実に現わしているからです。




粗利益の大きいBIGバイクの客ばかりに注視して、スモールバイクの客には見向きもしないだなんて、そんなホンダ店は見たことないですから。




昨今のヤマハ発動機は新型車を矢継ぎ早に繰り出してシュアの拡大に邁進しておりますが、イイもの作れば売れるって訳ではありませんよね、販売の基本をおろそかにしちゃーなりませんです。

まずは「ありがとう」の心、ここからスタートするしかないでしょう。





まあ、あの兄ちゃんは単なる「トカゲのシッポ切り」として犠牲になっただけに思えるのです。

タイ人は自分の手を汚さない方法に長けていますからね。




そういうことで長くなりましたが、ナンバーが来るのを待っているという話でございましたm(__)m

N-MAX155でツーリング パーイへ日帰りその②

2016-02-09 10:46:42 | バイク
このままおざなりってのもなんですから、続きをさっさと終わらせます

まあ、そういうことで、なんだったかな?

日にちが経てば忘れちゃいますが、パーイに到着して第二の目的である温泉まで浸かりに行ったんです。

え~、湧き出る温泉が川となって流れ出るポイントがありまして、そこがなんと強引に国立公園となっております。

だれが決めたんでしょうかね~、つまり入場料を払わねばならないのです。

御存じの通り?

値段には自国民であるタイ人値段と、外人値段との二重価格が設定してありますね。

動物園や花公園といった施設も、そういう仕組みで網羅されているようです。


ところが、これまた誰が決めたのか知らないのですが、窓口でタイ国に在住しているという証明書(運転免許証や労働許可証)を提示すれば、外国人であってもタイ人値段で入場することができるという暗黙のルールがございます。

その金額差はデカいですよ。

通貨の強い先進国ならばイザしらず、南米やアフリカからお越しの発展途上国のお客様からも高額の金額を徴収するっていうルールなんですが、誰が誰に対しても文句は言えません。

まちがっても「ふざけんな!!!」なんて言っちゃーいかんとです…

「だから根性がいつまでたっても貧困メンタルのままなんだよ!」なんて絶対に思ってもダメダス。

そんな事言おうものなら、「さっさと荷物をまとめて自国へ帰るがいいであろう」なんて上から注意が下りてきますからね(笑)

という訳で、窓口に到着していつものようにタイ国運転免許証を取り出し、カウンターの職員さんに提示しました。

厳格な制服姿のおばちゃん職員さんが二人、「300バーツ(約1000円)」とだけ、ぶっきら棒に告げました。

「は?、それって外人値段ですか?」

「そう、ワークパーミット(労働許可証)を見せてもダメになったからね」とぶっきら棒に説明してくれました。

「ガーーーーん!!!」
「川しかないのに1000円も出せる会、バカにしとる!」と心の奥で叫びをあげて、涙ながらにUターンしました。

確かに右翼がかったタイの軍政は外国人嫌いなのかもしれませんが、いや、やっぱり外国や外人から儲けるしか手立てがない事に気づいたのかもしれませんが?

えらくショボい締め付け方に呆然自失、「まず自国の富裕層から税収あげるのが先だろが…」なんて言っちゃーならんとです。
そんな事を言おうものなら?(もうええちゅーに…)


それだけではなんですので、昨年の10月での写真でもどうぞ。
温泉水で川遊びができるようになってます。


上流の方はドップリと肩まで浸かることができます。
は~、いい湯だなっと。


この辺りで47.2℃ありますからアチチッっていうレベル、体がポカポカ温まります。


上を見れば木陰から漏れる日差しがまぶしくて
解放感がいっぱいの森林浴

タイで千円、ばかばかしくて、もう浸かれない  ←まだ言ってるよ…


ショックの色濃く、ふらふらと町の方へ曲がると温泉リゾートの看板を見つけました。
「そうだ、この手があった」



まあ、温泉プールってやつですね。
沸かしてるとは思いますが、温泉は温泉。
リゾートホテルの温泉に浸かって第二の目的も達成いたしましたとさ。
途中でビューティーな西洋人女性がビキニスタイルで入ってきましたが、かなりお湯が熱かったのか、それとも私の目線が熱かったのか分かりませんが、さっさと出て行き貸切風呂を存分に楽しめました。
時間制限無しの料金は100バーツと、泥川公園の三分の一の値段でございました。


さて、ひとっ風呂浴びた後は、腹ごしらえ。

これも毎度の恒例なんですが、パーイ市内より山手の方向、中国人村へと向かいます。


ここ、ここ、「新春」と書いてますね、これが第三の目的。
いつも私はここで雲南麺を食すのです。


メニューはこんな感じ。田舎値段ですね、まだインフレの嵐は訪れていないようです。
これこれ、これでございます。ピリ辛の肉味噌が乗ってるこの黄色麺が雲南スタイルだそうです。

旨い!!!



今回は一個10バーツの饅頭と揚げ饅頭(マントウ)を合わせていただきました。
ポットウーロン茶は20バーツ、しめて合計80バーツ、270円で超満足のお昼ごはんでした。
「川温泉の26.7%か…」 ←まだ言ってるよ
 
そういことで、さっさと帰路につきまして、夕方の子供たちのお迎えには間に合いましたとさ。

あ、そうそう、N-MAX155の話を忘れてました((;^ω^)

チェンマイ市内からメ~テン村までの約40kmの距離は時速100km前後の高速移動、平地の最高速度アタックでは時速116Kmでした。
さすがに110km超えるとサスペンションがふわふわして安定感が失われますね、前後ディスクのブレーキが命綱?

それから山道の上り下りが片道100kmほどありますが、それを合わせての燃費が1L=38Kmと、普段街乗りの1L=40kmと変わらないのですね(#^^#)

これはやっぱり、山でエンジン回さなけりゃ損?って感じの味付けに仕上がってます。
以上、N-MAX155の初ツーリングでございました~<(_ _)>