小学校夏休み中の盆休みを利用して娘がタイに帰省した
付き添ってくれる姉からの説明では、塾のスケジュール上この日程しか組めなかったという。
8月のその日は母親の誕生日、息子の誕生日、シルキット王妃の誕生日(母の日)が連続していて、子供達にとっては毎年のスペシャルな三日間でもあるし、娘を喜ばすという意味では打ってつけの日程だ。
久しぶり両親に甘えることで日本での苦労や葛藤の息抜きにもなるだろうし、また過去の自分を振り替えり、向き合う事で心境に何かの変化があるかもしれない。
娘から二人分の誕生日を祝ってあげれば良い想い出にもなるわけで、なかなか粋な計らいだなと思っていた。
しかし、そんな気持ちも姉からの報告でぶっ飛んでしまった。
母親の家には男(エジプト人)が来ているというではないか。
「しまった!、女の誕生日に男が来ないはずはない」
慌ててフライトの延期を打診してみたが娘はすでに行く気満々だという。
「くそ!いらんことしやがって」
誰に向かってでもなく悪態が口から漏れ出てしまうが、それでも娘の気持ちを考えると中止にはできない。
娘のスマホにはラインアプリが入っているが、4G-LTEではネット接続できないよう設定してある。
Wi-fiのある姉の事務所からのみ接続可能という約束になっているので、娘と話す機会も減って寂しい気持ちだ。
そんなある日、母親とのライン通話中にエジプト人とも英会話していると姉から知らされた。
「あなたのためにタイに来たよ~、早く会いたいよ~、またプレゼントあげるよ~」と浮いた甘い言葉でささやかれた娘
日本では何かとお荷物扱いされがちな身分であるし、あたたかい大歓迎ムードに嬉しくないはずはない。
たぶん浮かれポンチなバカップルよろしく、二人で盛り上がった所を娘に見せたかったのだろう
Line通話を終えた娘は「メ~(お母さん)は幸せそう・・」と呟いたらしい。
母親が願うのは「自分の幸せ」で、娘が願うのは「母親の幸せ」、それって逆だろ?
娘がタイに住んでいた3年生の頃からちょくちょく家に入り込んでいたらしいエジプト男、自国では中古車販売業だという息子からの情報。
元嫁家の駐車場にはこれ見よがしにマウンテンバイクが吊り下げてあり、小6時の息子に買ってあげた卓球台が畳んだまま埃を被っているのは目撃した。
また、来る度にしょぼいオモチャなど買ってくれるし「優しくて良い人だ」と幼い子供たちは思い込んでいるようでもあったが、その実は母親の意向には逆らえないという子供なりの事情があったはず。
子供たちはオヤジに気を使って「エジプト」という単語を我が家ではタブーにしていたと姉から知らされた。
母親の真実やその危険度を知らせるにはまだ子供達は幼すぎた。
なにしろ娘の親権があちらにあるわけで、強い事は言えないジレンマもあった。
しかし今では親権はこちらにあるわけで、母親の逆ギレを覚悟で拒絶できる。
早速、親権所持者としての権利を発動させることにして、母親宅でのお泊りを禁止!!
少なからずショックを受けた娘であるが、小6の今では多少大人の事情も理解しているらしく、また自分に関する決定権が父親にある事を熟知しているので反発はなかった。
そして、その決定を自分から母親へ知らせ、チェンマイ空港到着時へのお迎えも約束していたが「来なくていいよ」と断りを入れてくれた。
これが親子の会話だとは自分でも愕然とするし、とても寂しく不憫に思えたが娘の安全のためには非情に徹する必要がある。
パパーと一緒に!といって隅っこで寝ちゃったね
さて、久しぶりに帰宅した娘は自分の部屋がそのままの状態である事に安心したのか、置いていった縫いぐるみやおもちゃを引っ張り出してベッドに並べたりしている。
しかし以前の娘とは少し違う、必然的に家庭の中で飛び交う言葉が日本語ばかり
オヤジと娘とは100%日本語での会話となるので、息子からすると普段から聞かないような単語や熟語がズラズラ続いて話に割り込めないようで無口になっている。
借りてきた猫のように黙りコクる息子を横目にベラベラとしゃべる娘は、感嘆詞からリアクションまでが日本人のそれになっていた。
シャワーの後にいつものアヒル柄のパジャマに着替えた娘を見て、やっと「いつもの〇子だ~」と実感が湧いてきた息子は「太りすぎだろう!」と挑発し始め、しばし幼い頃に戻って追いかけっこ。
帰宅したその晩、時差的に寝る時間ではあるが早々と夏休みの宿題をさせてみた。
夏休み明けに一学期のまとめテストがあるからと、タイでも毎日のノルマをこなすように姉から指示されている。
特に歴史の暗記が苦手だからとプリントを開いてみると、これがまたとんでもない内容。
聖武天皇、聖徳太子、中大兄皇子から始まり、小野妹子だの蘇我氏だの清少納言だの、また平家、源氏、義経だの頼朝だの
足利義光、信長秀吉家康、家光、歌川広重と難しい漢字名をカッコ内に書いて行かなければならない。
「オイオイおいおい!」と思った
確かに日本人学校補習校へは幼稚園部から参加させてもらってはいたが、それは土曜日のみ、しかも社会や理科の授業はない。
8ヶ月前と同じように自分の椅子に座った娘は、それらの漢字名をかなり覚えていてスラスラ書いてゆくのに驚いた。
それでも「日米修好通商条約」が早口言葉的に話せなくて覚えられない。
「ニチベー、チューコー、、しゅーしょ?」
何度もトライさせるうちに集中力が切れてしまって、次の西郷や大久保まで行かずに終わり。
あ~、ここからがオヤジの得意な話題なんだけどな~、残念!
「こんど修学旅行で行く長崎にグラバー園ってあるんだけど、そのグラバーって名前のファラン(西洋人)が東インド会社と関係ある人間でねぇ、東インド会社といえばヤーバー(麻薬)を売ってインドや中国を占領した会社ね。そいつらが竜馬たち倒幕勢力に金を貸したらしくてねぇ、もしかすると日本も麻薬漬けにして、あわよくば、、、あれ?」調子良く話を続けるが、途端に眠たくなった娘は赤い目をこすりだしてストップ。
じゃあ気分を変えて、次に理科のプリントもさせてみた、空気ができてるのは?「酸素と窒素と二酸化炭素~!!」と叫んで空欄に書き込んむ。
フレーズごと覚えさせるのが有効なようだ。
覚えられない言葉も多かったが、ここまで来るのに相当な訓練を受けてきたのが伝わるのに十分だった。
もはや以前のように気分屋で感情的でワガママなだけの娘ではなく、特段の進化を感じさせてくれた。
が、姉に言わせると全くの不十分、このままでは中1の段階で落ちこぼれは確定らしい。
そんなおばちゃんから毎日毎日しごかれて、泣きながら耐えて頑張った成果を目の当たりにして、ついついオヤジの涙腺は緩んでしまうのであった。
息子がボクにも読ませろと割って入ったが、読めたのはひらがなだけww( 一一)・・・
ランダムに100問の漢字を選んでテストするのが日課らしい
そうやって親子で学習できたのは二日間だけ
3日目からエジプト人が帰国するから「メーの家にお泊まりしていい?」とおねだり開始、断る理由もなく許可を出した。
母親の家にも二泊して、家に戻ったその晩にはフライト、娘の里帰りはあっという間に終わった。
「メーの家はどうだった?」と聞いてみると、一瞬暗くなって「あの家は変わったよ」と答える。
そして、外の門が電動リモコンで開け閉めできるようになっているとだけ報告
二年前は猫のいる喫茶店でサンドイッチを食べたよね
今回の在タィ中では、8年間も通ったP学校のピの字も話題に出なかったが
日本人学校での親友KちゃんAちゃん姉妹とは連絡が取れたようで、ご両親から最終日の晩餐にお呼ばれになった。
残された時間は2時間しかなくて、その後は空港へ直行という強行スケジュールとなる。
あまりにも短い再会であるが、あの気が強そうなお嬢様キャラのKちゃんが大泣きして別れを惜しんでくれたそうな。
「Kちゃんは人情があるね、優しくなったんだね」
そういうオヤジをキッと見返して「前からずっと優しいんだよ!」と言い返されたりして、この子らはほんとに気心が知れてたんだなと今更ながら感心した。
そうやって自分のために泣いてくれる友達は○子の勲章だ、これからも人情で繋がる本当の友達を増やしていってくれ。
KちゃんAちゃん、良い想い出をありがとね
そういうことで最後の最後にサプライズ、美しい記憶と共に故郷から飛び立つことができたのだった。
その後、姉からの報告により「母親の家が以前と変わった」と評した理由が判明した。
娘の部屋がエジプト人の部屋になっていて、洋服タンスには娘の服ではなくてエジプト人と母親の服がギッシリ詰まっていたそうな。
自分が居なくなると速攻で足跡を消されてしまうってのはどんな気持ちだろうか?
自分の幸せに捉われていると、他者の幸せや不幸せには鈍感になってしまうのだろう。
そして息子の話では、連日のように母親から電話があり「あの子は変わった」と長々と愚痴を聞かされて目眩がすると。
どうやら自分の思惑通りに娘をコントロールできなかったようで? また娘から強烈な突っ込みなり注意なりが入ったのだろうか。
いずれにしても変わったのは確かだろう、娘とていつまでも子供のままではない。
どの大人が何を考えているのかは、既にお見通しなのかもしれない。
そろそろ1セットだけ残して処分する時がきたかな (´;ω;`)