厳しい!
平地が少なく、狭い道に車を停める苦労もまた格別!
それにしても、吉原先生(赤い車)、おじょうず!
時間といえば、ここでは「フィリピン時間」が流れています。
「フィリピン時間」なることばは、S牧師から聞きました。十時に始まると言われれば、十一時だという慣習です。まさか、テレビの番組や会社の始業時間までがそのような緩やかさだとは思いませんが、教会の礼拝に関しては、日本ほど正確ではなさそうでした。
日本の教会――と言っても、自分の出席している教会と、旅行の時などにお訊ねするいくつかの教会の礼拝しか知りませんが、まず、予告された時間に正確にスタート。終わりは、少々前後がありますが、これも大きくゆらぐことはありません。
最近の日本では、礼拝をネットで生中継しているところもあり、その場合とくに正確さが求められます。
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礼拝は午後四時スタートということでしたから、スナクバット教会に着いたらすぐにも礼拝が始まると思っていたのです。
庭で、まだ鶏を始末しているとき、それは礼拝後の「夕食」? それにしても、のんびりしているね。料理をする人は礼拝に出ないの? なんて思っていました。
まず、食堂でコーヒーの時間です。男性方は男同士でおしゃべりをしていますが、だいたい山の人は無口なので、さほど盛り上がっている様子もありません。
やがて、礼拝は、六時からだと告げられました。
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「少し近所を散歩しましょう」とS牧師の誘いで、Uさんと私はついて行くことにしました。
高い石の階段を上がり、道路に出て、先生のあとを歩きます。舗装のない山路ですが、日本の山と比べるとあまり風情があるとは言えません。
案外木々が少なく、草や木の緑もみずみずしいとは言えません。
ちょうど乾季であることも影響しているようです。
道沿いの民家もトタンぶきの粗末なものばかりです。
そのうえ、ここの人たちは、そっけないのです。
家の門口から私たちを見ても会釈するでなし、笑顔もなし、でも、敵意があるとか無視しているというのでもない。
「ここに初めて来られた時は、村の人は受け入れてくれましたか」と私は、S先生に尋ねます。
「いや。無視ですよ」先生は、さらりと答えます。
四十年前、ここはまだ道らしい道がなかったので、先生は車を乗り捨ててから五時間~十時間も歩いて山間のを訪ねたのです。
重い荷物をもって、山を上り、降り、流れや吊り橋を渡って目的地を目指すのは、まさに信仰と熱心と体力がなければできない活動でしょう。
それでも、信頼してもらうまでには、さまざまな苦労があったようです。
まず、フィリピン人の協力伝道者といっしょに、何度も通います。
同じ目線で同じ生活をするために、フィリピンに入ったときに、徹底的に現地の水を飲んで、半年間下痢に耐えたと聞きます。半年たったころ、どんな水を飲んでも大丈夫になったとか。
豚も鶏も、今よりずっと素朴な調理法で、焼け焦げた毛がスープに浮いていたし、塩以外の調味料もなっくて「おいしい」とは到底言えない「ごちそう」だったとか。それでも、出されたものを喜んで食べるかどうかが、受け入れてもらうリトマス試験紙みたいなものだったので、もちろん、S宣教師は喜んで食べたのです。
「こいつらは自分たちと違う。自分たちをバカにしている」と思われたら、そこで、伝道はおしまいになってしまいます。
確かに、神様の愛を伝えるのに、「上から目線」「自分の立場や文化中心」の態度は感心しないと思います。
しかし、ひとたび受け入れてもらうと、山を越えて迎えに来てくれて、重い荷物も運んでくれる人たちだったそうです。
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一キロも歩いたでしょうか。霧の中に小学校がありました。
日曜日で誰もいないのですが、校門の脇の通用門が開いていて、写真が撮れました。
ちなみにフィリピンは、現在六・四制を基礎教育としています。それを六・四・二制に移行中だとのことです。小学校の就学率は九十六パーセントほど。中学まで行けるのは、六十パーセントくらいと言いますが、大学への進学率は二十七パーセントだとか。
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